四話 悪魔的日常
昨日は色々あったせいか、俺にしては随分早く目が覚めた。
窓から見える空は白んでいるがまだ薄暗い。
こんなに早く活動するものではないな。
今日一日くらいは寝ていても許されるだろう。
そう考えた俺は、自分の部屋でもないのに堂々と二度寝に入った。
カチャ……というドアが開く音。そして気配……
誰か入って来たな……
だが俺は起きない! 起きるもんか!
きっとこれから悲惨な思いをするのだろうから……
今日くらいは夜まで寝かせてもらうぞ!
そうして俺は狸寝入りを決め込むが……
ノシッ……ノシッ……っとベットの上に何かが上がってくる感覚を覚えた。
ゆっくり一歩、二歩と胸の辺りまで重みが近づいてくる。
(ま、まさかシトリーさん……。駄目だ、急にそんな……)
俺は期待に胸を膨らませ、心の準備を整える。
目は瞑ったまま、あくまで冷静を貫くのだ。
そして……
「うヴぅぇぇぇ!」
突如全身を押さえつけられる感覚が俺を襲った。
例えるなら、鉛のように重い毛玉が落ちて来たような感じだ。
「なぁ~~ぅ」
生暖かい毛玉から発せられる眠そうな声。
俺を押し潰しているのはチノレだった。
「ごめんごめん起きるから! 退いてください死んじゃうから! つぶれちゃう! なんか出ちゃう!」
俺は毛玉の中からなんとか顔を出して叫んだ。
さすが悪魔の巣だ……
こんな悪魔的目覚ましを完備してあるとはな。
目覚ましにゃんこか。最強過ぎるな。
無事解放された俺は身支度を整え……
といっても着のみ着のままなので特にすることはない。
眠気に逆らいながら客間を出ると、すぐにシトリーさんと出くわした。
「あら、おはようございますわ~。今起こしに行こうとしたんですのよ。よく眠れまして?」
「おはようございます~。それはもうバッチリ!」
俺は元気よく挨拶を交わしたが、チノレよ……
贅沢を言わせてもらえるなら……、もう少し待ってて欲しかった……
「それは良かったですわ。ちょうど今フレムさんのお部屋が出来上がったので、ご覧になってくださいまし」
嬉しそうに両手を合わせるシトリーさん。
仕草がいちいち可愛過ぎる。
それにしても部屋なら大量に余ってるように見えるが……
どうやらわざわざ俺専用の部屋を内装から作り直してくれたらしい。
彼らの魔力を持ってすれば容易いのだそうだ。
ようするに暇なんだな。
部屋を確認しに行くと思ったより広い。
作りたての檜の匂いのする机やベッド、本棚まであるではないか。
素晴らしい……。至れり尽くせりとはこの事だな。
「ありがとうございます! こんな凄い部屋を頂いてしまうなんて……」
俺の嬉しそうな言葉に、三人共大した事はないと言い照れているようだ。
本当に良い悪魔達だ。
ザガンさんがねじり鉢巻にノコギリとトンカチ持ってるのが少し気になるが……
まあ錬金術は大変なんだろう。
朝食のビーフシチューを食べ終わり、暇でしょうがないので皆の普段している行動に付き合う事にした。
まずはシトリーさんだ。
シトリーさんの趣味は読書らしい。
部屋に招かれると本が棚にびっしり詰まっている。
うん、良い香りだ。
「様々なシリーズ物から単品まで揃えているので、宜しければ御好きな物を持って行ってくださいまし」
シトリーさんに促され、棚を物色して見る事にした。
ほほぅ……。『俺と隣の旦那様』、『男子高校生・愛のトライアングル』。
中々カッコ良さそうな題名だ。
内容は難しくていまいち理解が着いて来ないが……
暇潰しにはちょうど良さそうだな。
よし、『俺と隣の旦那様』。このシリーズをお借りして次に行こう。
次はザガンさんの部屋にお邪魔した。
何やら研究関連で真剣に悩んでいるようだ。
紙には『イモ五個、タマネギ一個』と書かれている。
研究の邪魔をしては悪いので紙に『ニンジン一本、キュウリ二本、マヨネーズ大量』と書き足して部屋を出た。
ポテトサラダの完成が待ち遠しい。
お次はアガレスさん。
どうせ寝てんだろうと思ったら中庭の方で畑を耕していたようだ。
地面に刺さってボッコンボッコン噴煙を撒き散らしている。
違う、そうじゃない……。俺は農作業のなんたるかをアガレスさんと熱く語り合った。
昼食になり、ポテトサラダでお腹が膨れたので午後はチノレの散歩に付き合う事にした。
俺はチノレのお腹に張り付き風になる。
腹の肉と毛に包まれて何も見えないしめっちゃ恐い。
とても有意義な時間を過ごさせてもらった。
俺は何度臨死体験をすれば良いのだろうか。
散歩から帰ったら何やらザガンさんが買い出しの準備をしているので、それにも付き合う事にした。
……いや無理だろう。大騒ぎになるぞ。
俺はボケてしまったザガンさんを引き留めた。
こんな骨が町に繰り出したら明日の朝刊の紙面は骨一色だ。
「いや港ではない。少し遠いが良い卵の取れる村があるのだ。一応結界内なので先刻の奴等が来ることもあるまい」
良かった……。なんでもザガンさんの話しでは、買い出しはいつもシトリーさんが町まで行っていたらしいが、先日の一件で少し間を置いた方が良いという結論になったそうだ。
当たり前だな。彼らに常識があったのを知れたのは吉報だ。
その村はここの森から結構離れた先、湖の近くにあるらしく、特殊な方法で向かうようだ。
さっそく俺とザガンさんとチノレの三名で出発する事になった。
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屋敷の前の庭に集合する俺達三名。
なんか大きな籠に野菜とか鉱物とか沢山入っているのだが……
俺が不思議そうに篭を覗き込んでいるとザガンさんが篭の用途を教えてくれた。
「今から行く村は金が使えん。基本は物々交換だ。あとはフレムもその籠に入る」
なんだと? 俺を売る気か?
ゴボウ一本分くらいにはなるのか?
骨の発言に俺が身の危険を感じていると、チノレがユニークなコウモリの形をした物体を差し出してきた。
俺の頭の大きさを越えるくらいの平たいコウモリ。
硬質的で表情が可愛らしい。
これをチノレの背中にセットするらしい。
自分では付けられないらしく、俺がチノレの背中にユニークなコウモリを装着させた。
通称ユニコの足が、チノレの首辺りの皮にギュッと食い込んでいる。
そしてユニコの黒い翼が大きく広がった。
「まさか………、飛ぶと言うのか!!」
まさかの超展開。俺も期待に胸が高鳴るというものである。
あまりのワクワク感に自分の鼓動が聞こえそうだ。
バッサバッサと大きく羽ばたき、とてもカッコ良い。
風を切る羽音と共にゆっくりとユニコが上昇している。
それに伴いチノレの背中の皮がぐんぐん伸びて行く。
依然チノレの両足は大地と仲良しだ。
ブブブブブ……と、虫の羽音のようになってきた。風が心地よいな。
ここでチノレのカカトも上がってくる。
だが俺は知っている。ここからが勝負なのだ。
チノレが爪先立ちになったところで、今度は丸まっていた胴体がぐんぐん伸びる。
愛し合っている大地と両足を引き離すのは至難の技なのだ。
終いにはパパパパパ……と、もはや生物の羽音ではない。
というか羽根早すぎて見えない。
そしてようやくチノレがふんわり浮かび始めた。
頑張ったな。よくやったユニコ!
見た目的にはダランと脱力した胴の長い猫である。
期待した姿ではなかったが、これはこれで味わい深いものがあるな。
どうやらチノレが前足で持っている籠に乗って向かうようだ。
すでにちょっと届かないので、垂れ下がったチノレの後ろ足から登るしかない訳だな……
ザガンさんが早く乗るよう指示して来るが……
風圧が凄くて木にしがみつかないと飛ばされてしまう俺に無茶を言う。
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空を飛ぶとか素晴らしい体験だがもう嫌です。
狭い上に耳鳴りと強風で身動ぎ一つ出来ない上に酔って吐きそうだ。
後めっちゃ高い。くそ恐い。
「ははは、見ろフレム! 森が草原のようだぁ!」
人の気も知らないで楽しそうにはしゃいでいるザガンさんに殺意が湧いた。
今の状態では篭に手を掛け、フヨフヨ浮いてるザガンさんを見てるだけで酔うというのに……
三十分ほどでようやく到着したが、ザガンさんもチノレも村に入って来るようだ。
どう考えても騒ぎになると思ったがそんな心配は杞憂だった。
「あら。ご主人久しぶりねー。最近顔出さないから心配してたのよー」
「相変わらず細っちろいなー旦那は。良い肉出来てっからしっかり食えよー」
「あーチノレちゃんだ~。あそぼ~、あそぼ~」
村の人々はおばちゃん、おじちゃん、子供までもが親しげに話し掛けて来た。
どうなってやがる。骨と巨猫がナチュラルに溶け込んでいるではないか。
「ここはあまり人も訪ねて来なくてな。都会は大体そんなもんだと受け入れているようだぞ。死者は土葬にするのが習わしなので馴染みも少ないのだろう」
一応ザガンさんが説明をしてくれたが……
どんだけ来てるか分からないが、よくこの状況が通用するものだ。
「そういえば結界内とか言ってたけど、結界って人間に有害ではないのですかね?」
聞き流して居たがどんなもんだか、ふと気になったので聞いてみた。
どうせ無害ではあるまいて……
「シトリーの結界は入った者の意識を誘導するものだな。簡単に言えば無意識に結界の外に進みたくなるよう思考誘導するのだ」
ほほぅ……、ガッツリ精神に影響しそうじゃないか。
ザガンさんはサラッと言ったが、そんなのずっと浴びてたら気が狂うぞ。
「安心しろ。我らとてバカではない。シトリーは村の周囲を綺麗に避けて結界を構築しておるわ。中々器用なのだ」
ドヤッとするザガンさん。どうやら俺の懸念を察してくれたようだ。
うん、確かにシトリーさんは器用そうだな。
深い意味はないが色々器用そうだ。
とにかく深く考えても仕方がないので、チノレを子供達と遊ばせておいてサクッと買い出しを済ませる我ら。
卵に鶏肉、牛肉、名産の反物などを交換して帰路に就いた。
パパパパパパパ……
羽音も揺れも行きよりは大分馴れた。
諦めて身を任せてしまえば、少し息苦しくて辛くて痛くて泣きそうな程度で大したことはない。
むしろ気持ち良くなってきたくらいである。
もうすぐ天国だろうか?
しかし、俺なりに少し考えてみたのだが……
村の周囲が結界で囲まれてたら出れなくないかな?
ひょっとしてバカなのかな?
いつからあの村はこの悪魔達に捕まっていたのだろうか……
そう考えると聞くのが恐い。なので今日のご飯は何だろうと、強引に思考を切り替える事にした。
今夜はオムレツが食べたいと頼んでみる事にしよう。