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四十話  天の怒りと命の怒号

 お腹が空いた……。ご飯食べたい。

 ザガン。ご飯ちょうだい。



「腹が減ったか? よしよし、いくらでも用意しよう! 好きなだけ食らうと良い」



 遊びたい……。構ってほしい。

 シトリー。わたし暇だよ。



「あら? 遊びますの? 今用意しますわね。ボールに紐に……。触手も良いですわね。どれでも好きな物で遊びますわよ」



 爪痒い……。ムズムズするの。

 アガレス。いつものお願い。



「爪研ぎか? 待て、今刃を丸くするからな。おまえも随分大きくなったからな。幅も広げておこう。……良いぞ、好きなだけ磨ぐが良い」



 お散歩行きたい……。一緒に行こう。

 フレム。しっかり捕まっててね。



「散歩か? いくらでも付き合うぞ! ただし! 俺から目を離しちゃいけない」



 助けて……。苦しそうなの。

 みんな、この子を助けてあげて……



「大丈夫だ! 俺達はこの子を見捨てない!」



 可愛い可愛い……。わたしのリノレ。

 一緒に遊びましょう。



「おかあさん! おかあさん!」



 嬉しい、愛しい……。もっと笑って。

 元気に走り回って。一緒に寝ましょう。



「見て見て~。にゃお~」



 リノレはわたしの真似をする……

 わたしはおかあさん。リノレのおかあさん。



 この声怖いよ……。助けて……

 ザガン……。シトリー……。アガレス……。フレム……

 早く帰って来て……。怖いよ……



「おかあさん大丈夫? リノレが怖いの追い払ってあげるね!」



 怖いの……。駄目なの……。怖いのには近付いちゃ駄目なの……

 行っちゃ駄目なの。行かないでリノレ……



「帰って! トカゲさん!」



 やめてリノレ……。逃げて……

 大きなトカゲは怖いの……。助けて……、助けて……



「大丈夫……、大丈夫だよ……。リノレが追い払って見せるよ……。リノレだって……役に……立つんだから!」



 違うの……、それは怖いの……。逃げてリノレ……

 助けて……、助けて……。誰か……助けて…………



「おかあさん……逃げて……」



 なん……で? どうして……諦めるの?

 それは怖いの。早く離れて……。早く……、早く!

 助けて! 助けて! 誰か! 早くリノレを助けて!


 助けて……、助け……



 助け…………なきゃ……



 ーーーーーーーーーー



 地に伏していた獣は二本の後ろ足で立ち上がり絶叫した。

 その雄叫びはゼラムルの咆哮とぶつかり合い、周囲の音を巻き込み静寂に変える。


 一陣の風が駆け抜け、ゼラムルが叩き付けた地面には……

 ボロボロになった黒いローブだけがあった。


 直前にゼラムルの前を高速で駆け抜けた物体。

 それが少女を咥えて走り去っていたのだ。

 その場に居る全ての者がその物体に視線を向ける。


 倒れている白髪の少女の前、少女を守るようにあるそれは……

 目を見開き、瞳孔は線と言えるほどに細くなっていた。

 全身の毛は天を衝くほど逆立ち、有らん限りの爪と牙を剥く。

 一匹の獣。大きな三毛猫チノレ。


 チノレは四つ足で大地を踏みしめ、腰を上げてゼラムルを見据えていた。

 魔力も持たないただの獣。

 奮闘したリノレに及ぶべくもなく、倒れている神官達の中にさえこの獣を葬れる者は多い。

 ゼラムルはその獣を見つめてただ首を傾げていた。



「グオォォォォォォ!」



 ゼラムルの咆哮に呼応するように、倒れている者は皆体をびくつかせる。

 意識を失っているリノレでさえも咆哮に反応して痙攣していた。



「にゃぁぁぁぁぁぁ!!」



 チノレの怒号が天地に響き渡る。

 いますぐやめろと言わんばかりに高く轟き、ゼラムルを威嚇した。

 チノレはゼラムルの波動や咆哮に一切怯まず、ゼラムルに向かって走り出す。

 ゼラムルの足を爪で引っ掻き、牙を突き立てるが当然のように効果はない。


 ゼラムルが歩を進めるかのように足を少し振っただけで、チノレは大きく吹き飛ばされ地面を転がった。

 転がりながら体勢を整え、チノレはゼラムルに立ち向かう。


 押し潰そうとするゼラムルの足をギリギリでかわし、チノレはゼラムルの体を駆け登る。

 ゼラムルの顔をがむしゃらに引っ掻くチノレ。

 払おうとしたゼラムルの手にしがみ付き牙を、そして爪を突き立てた。



「グルォ!」



 ゼラムルは軽く吠え、声の衝撃で地面に振るい落とされるチノレ。

 またも地に転がるも立て直し、チノレはすぐに飛び出した。


 チノレの攻撃はゼラムルに何のダメージも与えられていない。

 ゼラムルの眼球にさえ、チノレの爪は全く通らなかった。

 チノレの爪は割れ、血が滲む。


 神器ですら歯が立たない強靭なゼラムルの体。

 それに攻撃を加えているチノレの方がダメージを負っていたのだ。

 幾度も幾度も大地を転がり、チノレの体はすでに傷だらけ。

 それでもチノレの怒気は衰えず、ゼラムルの前に立ちはだかる。

 ゼラムルの竜波動の中、チノレだけがその戦意を微塵も失わなかった。



「何故……。何故動けるのだ……。この私でさえ……立ち上がる事さえ出来ぬのに……」



 恐怖と絶望の境で法王は疑問を溢す。

 この場で動ける者など居るはずがなかった。

 竜波動とは、生存本能に直接働きかけ恐怖を与えるもの。

 生態系最強種である竜。さらにそれを征する者であるゼラムルの波動。

 それは生きとし生ける者全てに効果を及ぼすもの。

 年端もいかぬ少女が制御して見せた力も異常なれど……

 何の保護もない獣が竜に立ち向かう光景は常軌を逸していたのだ。



「ふぅぅぅぅ! しゃぁぁぁ!!」



 だが怒り猛るチノレにはゼラムルの波動など……

 すでになんの効果も及ぼしていなかった。

 チノレにとって、今一番の恐怖とはリノレを失う事。

 それ以上に怖いものなど、何一つ存在しないのだから。


 リノレを睨むその瞳、威圧するその声、そして傷付ける爪と牙を……

 リノレを脅かす存在をこの場から排除する事以外……

 チノレには全て些末な問題だった。


 叩き潰そうとするゼラムルの手を幾度もかわし、咆哮にも怯まず雷すら着弾地点を避けて駆けるチノレ。

 身に宿る本能のみで行動するゼラムルにとって、生物として遥か下に存在するチノレの挙動は不可思議以外の何物でもなかった。

 動けるはずがない。ましてや向かってくるはずのない遥か格下の生物。

 ゼラムルの本能は、その生物をようやく敵と認識した。


 大気が弾け、チノレの体が宙を舞う。

 吹き飛ばされながら空中で一回転し、着地したチノレに向けて口を開くゼラムル。



「グオォォォォォォ!」



 そこに大きな赤い球体が形成され、そこから熱線。

 咆哮と共に放たれたドラゴンブレスがチノレを襲う。


 チノレはゼラムルが口を開けた瞬間からすでに駆け出していた。

 熱線に飛び込み、飲み込まれるチノレ。


 吹き荒れる熱線の中をチノレは駆けた。

 燃え尽きる前に、その命が消えるより早く、ゼラムルに向かって飛び上がる。

 熱線がチノレを飲み込んでから一瞬の出来事。

 赤き熱線を突き抜けたチノレは勢いのまま……

 ゼラムルの下顎、その末端を食い千切った。



「グオゥ!? グゥウゥォォォォォ!?」



 ゼラムルの本能が理解不能の叫びを上げる。

 食い千切られた傷は一瞬の内に修復され、ダメージなど残らない。

 だがゼラムルの足は一歩、大きく後ろに下がる。

 言い知れない何かをその体が感じていた。

 亡骸とはいえ、衰えてるとはいえ、鋼を越える強度の肉体。

 魔力で強化されている力。


 リノレやハシルカの攻撃で綻んでいたのかもしれない。

 あるいは突き抜ける際、チノレの牙がドラゴンブレスの余波を纏ってしまったのかもしれない。

 それでも、ただ異常に大きくなっただけの猫。

 大きさ以外は普通のメスネコ。

 魔力も特殊な能力もないそれが、竜に傷を入れるなど有り得るはずもなかった。


 現に攻撃を加えたチノレの方が大きなダメージを負っている。

 食い千切ったその口から滴る血は、ほとんどがチノレのものであった。


 体のいたるところが焼け爛れ、爪もボロボロで目から血も流している。

 ポンチョもリボンも灰と化し、焦げたその身は煙を上げた。

 瀕死であるはずの獣。

 ゼラムルが少し触れただけで絶命しそうな生物。

 何もしなくても勝手に生き絶えそうな命……


 それなのにチノレは自らの肉が裂ける程に牙を剥き、爪を出している。

 その姿は先程よりも荒々しく、一層の強い気配を放っていた。



「にゃぁぁぁ……」



 低く小さく威圧し、一歩、二歩と前に進むチノレ。

 眼前にいるゼラムルを見据え、警戒も怯えもなく、ただ真っ直ぐに歩を進める。



「グ……ォォ……」



 ゼラムルはチノレの歩みと共に後方に下がった。

 最強種である竜が、一匹の獣に気圧されるように。

 その光景を見ていた全ての者は唖然としている。



「なんだ……これは……。破壊の竜が……、厄災が……怯えているのか……」



 法王は驚きをあらわにし、目に映る光景の真偽を疑ってすらいた。

 歴代屈指と名高い法王ブェリョニィース。

 一目見ただけで相手の力量すら看破出来る。

 しかしその目に映る獣はどう見ても、大きなだけで大した魔物ではなかった。

 魔神殺しの退魔神官や勇者達が為す術なく地に伏せる現状で……

 力無き存在が破壊竜に対抗しているなど夢としか思えないでいる。

 法王だけではない。信者やシリル達も、誰もがこの光景に目を丸くしていた。


 突如ゼラムルの体から凄まじい魔力が迸る。

 その力は大地を裂き、大気を震わせた。

 全ての生命を認めないと言うが如く。


 ゼラムルはここに至るまで、ほとんど力を出していなかった。

 ただ来るものを払っていただけ。

 そのゼラムルがついに戦闘態勢に入った。


 一度姿を現せば数万人の命を奪い、数十キロの大地を荒野に変える。

 天の怒り。天災の化身。破壊の竜がここに顕現したのだ。



「グギャオォォォォォォ!!」



 天をつんざく叫びを放つゼラムル。

 同時にゼラムルの前方に膨大な魔力が集り始めた。

 天の暗雲はその色を強め、豪雷が轟く。

 その魔力は真っ赤な球体を形作り、周囲に計り知れない威圧をかける。

 紅球は黒い雷を纏い、黒い泡を撒き散らしていた。



「あ……、あ…………神よ……」


「『オーバークリムゾン』!? ダメです! あれは……、全てが……消える……」



 気を抜いただけで死に至る程、絶望的な波動が辺りを席巻する。

 法王ブェリョニィース、ヴァルヴェールですら終わりを感じた。

 それは破壊の力。解き放てば数十キロを焦土に変える程の威力を持つ。

 ゼラムルの竜天魔法『オーバークリムゾン』。

 発せられる重圧だけで、ほとんどの者は呻き声さえ出せずに圧死寸前になっている。

 最上級の魔法とも言えるその力に、抗う手段など皆無であった。


 荒れ狂う風、鳴り響く轟雷、大地が激震する中……

 ゼラムルはその力を解き放つ為に天を仰ぎ、そして咆哮する。



「グオ……」


「にぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!!」



 ゼラムルの咆哮は激昂したチノレの咆哮によりかき消された。

 チノレの叫びが天を震わせ、ゼラムルを圧倒する。

 紐解かれるように崩れる『オーバークリムゾン』。

 ゼラムルの作った力はその意義を果たさずに分解、分散し……

 爆風と共に辺りに吹き荒れた。

 その余波が上空を駆け抜け、天を覆う暗雲を一瞬で払い尽くす。

 辺り一帯には光りが差し込んでいく。


 ゼラムルは口を開けたまま、体中を震えさせながら大きく翼を広げた。

 そのまま一歩、二歩、三歩と後退し、翼を忙しなく羽ばたかせて上空に弾けるように飛び出した。


 空高く舞い上がったゼラムルは教会から離れ、いずこかへ飛び去っていく。

 先程の風格や威厳、脅威など微塵も感じさせない、フラフラとおぼつかない姿で……


 この状況にただただ驚いていたシリル達。

 リノレの戦いもそうだが、それ以上に……

 チノレがゼラムルを撤退させた事。

 天変地異そのものである破壊竜を、一匹の獣が追い払った事に……



「追い……返した? ヴァル……ヴェール……。今なら!」


「はい! 可能性は軒並み上がりました! 先程までは足止め出来る確率が精々一パーセント程でしたが……。今なら……、倒せる確率が極小ですがあります! 『オーバークリムゾン』を不発で終わらせたのも大きいです!」



 一縷の望みを見出だしたシリルに、ヴァルヴェールも力強く答える。

 チノレが圧倒した事で、ゼラムルの気配が信じられないほど弱まっていた。

 飛び立つ前から竜の波動もその威力を半減させていたのだ。

 先程の魔法をキャンセル出来たのも大きいと語るヴァルヴェール。

 あれは形作っただけで膨大な魔力を消費すると付け加えた。


 シリル、ハミル、カイラ、ルーアが希望を持って立ち上がる。

 リノレとチノレが作ったチャンスを無駄には出来ないとばかりに。

 更にまだこちらにはラグナート達も居る。

 彼等は十分だと感じていた。絶望するにはまだ早過ぎたのだと。

 ハミルはユガケの入った玉石をヴァズァウェルに預け、チノレを見つめる法王の元へ駆け寄った。



「法王様これ借りるね!」


「あ、これハミュウェル!」



 一声掛け、ハミルは法王から神器の杖ヴャルブューケをむしり取る。

 そのまま法王の制止も聞かずシリル達の元に駆け出した。

 法王は走るハミルを見つめ、ふと溜め息をつく。

 その法王の顔からは迷いや不安が消え、優しげな微笑みを浮かべていた。



「すみませんカイラ様……、我は……」


「上出来だ。ゆっくり休んでろ」



 震えるワーズの頭を優しく撫でるカイラ。

 獣の本能で萎縮しているだけでなく、そもそもワーズはエトワールの能力が効きづらく、体力自体も限界だったのだ。

 その状態でここまで戦い抜いた事を称賛し、カイラは歩き出した。



「私の魔力もほとんど残ってないが……。目眩まし程度にはなって見せるぞ……」



 対抗手段のないルーアも諦めるつもりはない。

 震える手を握り締めたルーアは立ち上がり、動けないガードランスの側でしゃがみ込むイリスに目を配る。



「チノレ達の事を頼む……。すぐに手当てすればおそらく命に危険はないだろう。リノレとチノレが作ってくれたこの機会、逃す訳にはいかない……。私達は行く……」


「うん……。分かった……。無理はしないでね……」



 強い意思を見せ付け、その場を後にするルーア。

 イリスの身体は未だ震え力が入っていない。

 無事を願う事しか出来ないイリスはその背を悔しそうに見送った。


 チノレ達をイリスに託したシリル達四名は一ヶ所に集まる。

 皆負傷したチノレ達の事を気に掛けるが……

 このまま仕切り直しになどする訳にもいかない。

 互いの顔を見合せ、シリル達は深く頷いた。

 ハシルカは四名で、ゼラムルを追う事を決意したのだ。



「行くぞ! 捕まれ! 振り落とされんなよ!」



 出陣の合図をするカイラ。その肩や腕を掴むシリル達。

 カイラは自分の周囲に風を巻き起こす。

 吹き荒ぶ竜巻が、カイラをしがみ付いたシリル達ごと空に舞い上げた。



 ーーーーーーーーーー



 陽射しを受け覚醒するリノレ。

 リノレは丸まったチノレに包まれるように寄り添っていた。

 髪は淡いピンク色に戻り、視力も取り戻している。



「おかあ……さん?」



 語りかけるリノレに対し、ゆっくり目を開けるチノレ。

 チノレは小さな声でリノレを叱責する。



「しゃー!」



 その怒りはとても優しく、愛情に溢れていた。

 いけない事をした子を、心から心配するように……



「うん……。うん……。ごめんなさい……。もう……諦めたりしないから……。ごめんなさい……おかあさん……」



 泣きじゃくるリノレの顔を優しく舐めるチノレ。

 リノレの無事を確認した事でチノレは安堵する。

 傷付き疲れ果てた身体も、チノレは全く気にならなかった。



(皆と一緒に側に居てくれるだけで良い……。笑って……、可愛い可愛いわたしの娘……)



 チノレの心にあるのは娘を思う気持ち。ただそれだけ。

 子供を奪おうとした大きなトカゲの姿さえ、その心から消えかけている。

 あれが何なのかなど、チノレには興味もないのだ。 

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