三十九話 フィルセリアの絶望
フィルセリア教団本部。
信者達は教会の外に立ち、不穏な風が吹いてくる空を見上げていた。
「ゼラムルが……復活した……」
先頭で呟くのは戦慄する法王ブェリョネィース。
真っ直ぐこちらに向かっているその脅威は教会からでも視認出来た。
ゼラムルは天候を支配し、空は暗雲で包まれている。
黒い雲からは雷が落ち、大地を削り、咆哮は天を震わせていた。
黒き竜が戯れに放った火球一つで山が消える。
天変地異。それ以外の言葉では形容出来ないその力。
法王の眼下にある町でも破滅の兆候は広がっていた。
逃げようとする者。泣き叫ぶ者。
人々は怯え、混乱に陥っている。
禍々しい魔力を辺りに撒き散らす黒く巨大なドラゴン。
破壊竜ゼラムル。その脅威は瞬く間に……
フィルセリアに、レイルハーティア教団の地に現れた。
教会が近付くにつれ緩やかになる破壊竜の進行速度。
ゆっくりと羽ばたき、その余波で教会眼下の町並みが崩れていく。
簡単には終わらせないとばかりにじわじわと。
すでに町の人々、教団の信者、退魔神官でさえ騒ぎを止めていた。
人々はただ項垂れ、絶望し、啜り泣くのみ。
大神官ヴァズァウェルでさえ、その恐ろしさの前に立ち上がる事も出来ない。
「これ以上は……行かせん!」
そんな中、法王ブェリョネィースは膝を付いたまま杖を構える。
震える法王の杖からは光が広がった。
千年前の英雄、ルナリィが使ったとされる神器ヴャルブューケ。
対象を大地に縛り付けるその結界がゼラムルを包み込む。
「グォォ……」
だがゼラムルの唸り声一つで、割れるように容易く結界は崩壊した。
一瞬の足止めにもならなかったのだ。
そしてゼラムルから発生している波動……
撒き散らす竜の波動は生ける者全てを萎縮させた。
抗う者などもう居ない。法王ももはや諦めている。
「勝てる訳がない……。ラグナート様の仰った通りだった……。あれは……勝てるものではない……」
教会前で膝を付く法王に向かい、地に降り立ったゼラムルが歩を進めていく。
その時、町の方向からゼラムル目掛けて雷が走った。
雷は当たる事はなく、ゼラムルを避けるように逸れていく。
強力な雷の精霊魔術の出所はルーア。
避難誘導を頼まれていたシリル一行がゼラムルの背後に並び立つ。
ゼラムルの到着を許してしまったシリル達は、フレムの言葉を聞かず戦いを挑もうとしていた。
「どうなってる! 当たらないぞ!」
「精霊魔術ってようは竜が使う竜天魔法の模倣なんですよね~。ゼラムルは竜天魔法で直接自然界に干渉出来るので、簡単に支配権を奪われます。神聖魔術も同じなので……、基本人間に太刀打ち出来るものではないかと……」
目の前の巨大な竜に怯えながら叫ぶルーア。
応えるようににゅるりと出現したヴァルヴェールが、緊迫感をぶち壊すように優しく解説を入れてきた。
つまり精霊魔術とは竜天魔法の下位という事である。
術式を用いてようやく制御している現象を、ゼラムルは簡単に操作出来ると言うのだ。
神聖魔術、生命力を放出して操るこの術も起原は竜、竜天魔法との事。
「来た早々打つ手がないじゃないか! それでは魔道士も、退魔神官ですら何も出来ないと言う事だぞ!」
「そうですね……。ふむん。以前より大分弱っているようですが……。それでもこのメンバーで対抗出来うる可能性は三人だけ……」
歯痒いとはがりに愚痴を言うルーアにヴァルヴェールは一抹の打開案を提示する。
それはゼラムルにダメージを与えられる可能性がある者。
一人は何故か竜天魔法を使っているカイラ。
続いて何故か異現魔法を使っているめたもるハミリュン。
しかし、どちらも魔法としては下位レベルなので可能性は低いと言った。
一番可能性があるのが水の竜天、異現魔法を駆使するヴァルヴェールだと自慢げに首を反らし語る。
「とにかく……、やるしかねぇよな……」
カイラも暗に無理だと言われてるが、諦める訳にはいかなかった。
ゼラムルの放つ気配により到着する前から獣の本能が強いワーズは萎縮し、すでに震えて動けなくなっている。
狐から進化したユガケも玉石から出てこれないほど弱っていた。
他のメンバーとてハミルの神聖術で結界を張っていてなお、震えを抑えて立っているのがやっとである。
「初っぱなから全開だ!」
カイラは全力で大気を操りゼラムルの周囲を竜巻で覆った。
だがより強い支配力で瞬時にかき消されてしまう。
ルーアの放つ雷魔術は全てゼラムルに届く事すらなく分解されている。
ハミルの神聖術で強化された拳、ガードランスの剣技、イリスの銃撃。
これをゼラムルの足元に一斉に仕掛けるが、どれもゼラムルにとって毛程の効果もない様子。
対してゼラムルが気紛れ程度に操作した風圧で、カイラ達は一気に吹き飛ばされた。
苦し紛れに一陣の突風を起こすカイラ。
「ヴァルヴェール!」
その突風に乗って舞い上がり、全力攻撃を仕掛けるシリル。
応えるヴァルヴェールがより深い蒼に輝く。
振り下ろされた剣。それをゼラムルは片手で受け止めた。
「うおぉぉぉぉぉ!」
激しい魔力の反発。
シリルは雄叫びを上げながらじりじりとゼラムルの腕を押し込めていく。
それもゼラムルが咆哮し、シリルが弾き落とされる事で終わりを告げた。
「グオォォォォォォ!!」
またもゼラムルが吠え、辺りが雷に翻弄される。
大地を走る雷によってガードランスは機能不全を起こし戦闘不能。
残りのメンバーも倒れ、起き上がる事が出来ずにいた。
結界を張っていたハミルの意識が弱り、竜の波動が彼等の戦意を絶っているのだ。
体の内側から沸き上がる震えと恐怖を止められず、全員身動きが取れない。
神器持つシリルですら、顕現した白蛇共々地に伏している。
為す術もなく、ハシルカの完全敗北であった。
ゼラムルは何事もなかったかのように教会に歩を進める。
黒い竜の口元に膨大な魔力が集り、逆巻く炎の球体が出現した。
「終わりだ……。フィルセリアの……。世界の……」
絶望を口にする法王ブェリョニィース。
毛嫌いしていたとはいえ、法王はハシルカの実力を認めていた。
このフィルセリア最高の冒険者チームだと。
その勇者の卵達が何も出来ずに敗北した。希望など潰えたのだ。
無慈悲にも教会に向けて解き放たれる火球。
ゼラムルの炎が教会に着弾する寸前。
放射状の閃光が火球を包み込む。
火球は軌道を変え、教会の屋根の一部を削り取り空に消えて行った。
ゼラムルは首を動かし、閃光の出所に視点を移す。
そこに立っていた者はピンクの髪をなびかせ、黒のゴシックドレスに金色のリボンを胸に付けた少女。
閃光を放ち、火球を逸らしたのはリノレであった。
その後ろには黒のローブで覆われたチノレがほふく前進で着いて来ている。
「おかあさんが怖いって! 帰って! トカゲさん!」
「グォォォォォォォ!!」
リノレの叫びにゼラムルは咆哮を持って答える。
大気が震え、その圧力で全ての者は地に伏したまま嗚咽を漏らした。
その中でたった一人。
リノレだけが竜の波動に耐え、ゼラムルに向い走り出す。
紅色の炎を身に纏ったリノレは飛び上がり、ゼラムルの顔面目掛けて全力の拳を振るう。
その拳はゼラムルの前で大気の壁に阻まれ制止した。
直後ゴスリと鈍い音が響く。
空中で止まったリノレをゼラムルの尻尾が地面に叩き落としたのだ。
リノレはすぐに立ち上がり、体を反らして大きな声で鳴いた。
「にゃーーーー!」
リノレの前に魔法陣が形成され、そこから放射状に発生した閃光がゼラムルを覆う。
余波で大地を削る程の力がゼラムルに直撃する。
結果は無傷。ゼラムルの体には傷一つなかった。
再びゼラムルは尻尾を振るい、それを受けたリノレは弾き飛ばされる。
痛ましげに地面を削り転がっていくリノレ。
「にゃぁ……」
チノレが地面に顔を付けながら悲しそうな、心配そうな声をリノレに向けて発していた。
その体は震え、か細い鳴き声を発するので精一杯。
「大丈夫……、大丈夫だよおかあさん……。リノレが追い払って見せるよ……。リノレだって……役に……立つんだから!」
決意を込め、再び立ち上がったリノレを包む炎が激しさを増す。
紅色の炎が渦を巻き始め、内包する魔力が上がっていく。
リノレは突如その身の内に浮かんだ言葉を、力いっぱいに叫んだ。
「メリュジーヌ!」
瞬間リノレの魔力が肥大し、頭から金色の二本角が生える。
その身を包む炎がより赤く燃え盛った。
闘竜眼メリュジーヌの発現。
これは竜の力を取り入れる神器。その力は人竜化と呼べる代物。
五つある精霊神器とは別種の神器の一つ。
「にゃっ!」
低く屈んだリノレは跳躍し、瞬間的にゼラムルの頭上まで飛び上がる。
指を鉤爪のような形にし、渾身の力でゼラムルの顔面に叩き込んだ。
「グオ……」
その一撃にてわずかにゼラムルの体勢が崩れた。
リノレは地面に着地したと同時に再度飛び上がり、今度は胸部に蹴りを加える。
掴み掛かろうとするゼラムルの手を蹴ってかわし、また顔面を殴る。
「にゃにゃにゃにゃにゃ~!」
リノレの猛攻が加速度的に続いていく。
顔、胸、手や肩に入る打撃がゼラムルの体勢を少しずつ崩していった。
そしてリノレは空中で大きく仰け反り、そこから全力の咆哮。
「う……にゃーーーーー!!」
リノレの眼前に現れた魔法陣から光の放熱、竜の息吹。
生命の竜天魔法を象ったドラゴンブレスが放たれた。
「グォォォォォォォ!」
一息遅れてゼラムルが咆哮し、赤い閃光が迸る。
精一杯に吠えるリノレのブレスは以前より遥かに強力な力を持っていた。
だがそれはゼラムルのドラゴンブレスにより容易くかき消され……
その赤い閃光にリノレは飲み込まれる。
煙を上げ地面に落ちるリノレ。
リノレはふらふらと立ち上り、ゼラムルに再度飛び掛かる。
ゼラムルは飛び掛かって来たリノレを片手で払い除けた。
教会前の柱を粉砕して大地に転がるリノレ。
リノレの頭にすでに角はなく、その髪は真っ白に変わり果てる。
瞳も光を失った。
メリュジーヌの力により存命していると言っていいリノレにとって、魔力の枯渇は即ち死と同義である。
本来の性能以上の力を発揮していた神器メリュジーヌ。
だが所詮は偉大な竜の力の一部を使うために作られたもの。
亡骸とはいえ、竜を征するために作られたゼラムルとは天と地程の差があった。
「あ……う……。頑張ら……なくちゃ……」
リノレの体は竜の波動で痙攣を起こしていた。
視界が閉ざされ、体が勝手に震えようと、その身を起こそうとするリノレ。
どれだけ必死になろうと、仰向けになったリノレの体は動いてはくれなかった。
ゼラムルはそのリノレを叩き潰そうと片手を上げている。
もう、リノレにはそれさえ見えてはいない。
(何も見えない……。怖いよ……)
恐怖の中、リノレの脳裏に走馬灯のように浮かぶ記憶。
魔神館に来るまで毎日のように怒られていた日々。
八つ当たりのように怒鳴られ、叱られ、殴られる。
いくら謝っても許してもらえた事は一度もなかった。
魔神館に来てからは皆が優しくしてくれた。
皆穏やかな笑顔で笑い合い、撫でられ、誉められる。
一度も怒られた事はなかった。
何かしたかった……
役に立ちたかった……
恩返しがしたかった……
満たされていた。幸せだった。
これ以上望むものなんかなかった。
だからそれが出来ないなら……、もうこれで終わりでも良いと感じていた。
「おかあさん……。逃げて…………」
リノレは涙が溢れるまぶたをそっと閉じた。
母の無事のみを願い、全てを諦めるように。
勝どきを上げるかのように咆哮するゼラムル。
その手は容赦なくリノレ目掛けて振り下ろされた。
咆哮は誰の耳にも響かず、辺りは静寂に包まれる。




