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百九十八話  悠久を願う黒炎の剣

 この身にも絡み付き、俺を呼ぶように漂う魔力の存在。

 指に絡めたその微かな魔力を手繰り寄せ、慣れ親しんだ瘴気が集まり始める。



「来てくれ、アガレス!」



 結集したその名を叩き起こすように叫ぶ。

 寄り添うように集約する瘴気は形となり、黒き剣がこの手に顕現する。

 だが形状はいつもと大分違う。

 柄は流動する黒い瘴気そのものであり、鍔は広く刀身はまるで黒き炎。

 確かに手にしているのに質感も全くない。



「悪いなアガレス、気付くのが遅れた。剣から分離してるなんて思わなかったからな……」


「……気にするな、俺も油断が過ぎた。駄剣の気配を察知し拒否を試みたが力尽き、その辺りで剣自体の制御が奪われたらしい」



 言い訳がましい謝罪を入れ、アガレスから苦々しい心境を聞かされる。

 やはりアガレスも煮え湯を飲まされていたようだ。

 視界の端に転がる魔剣の内包魔力は変わらず微々たるもの。

 魔剣本体は今もパンドゥーラの支配下に置かれていると見ていいだろう。



「ハミルもイリスも限界だ。時間が惜しい、手早く済ませるぞ……。脅威から目を反らさず、事実の認識も違えない。今度こそ葬る!」



 揺蕩う炎のようなアガレスを構え、俺は決意を込めてパンドゥーラに向き合う。

 正直鎧と盾が邪魔だが俺の意思に反して盾すら手放せない状態。

 諦めて防具として活用させてもらおう。



「事象の閉鎖、運動を停止させる能力。それは虚無の具現にして死を撒く魔神と考えていましたが……。く……、あっはっはっは!! 肩透かしですね! あまりに弱い、弱すぎる瘴気です。魔神と呼ぶことすらおこがましい程に……。惰弱な人の想いが魔導神器に取り憑き肥大していただけということですか……。悠久を求める人の業が産みし浅ましき呪い……。警戒する必要など皆無でしたね」



 怪訝な表情を崩し豪快に笑うパンドゥーラ。

 その少女の顔は見下すように冷たい。

 確かに俺が今手にするアガレスは大した魔力を持っていなかった。

 だが、弱いとは微塵も感じていない。



「魔剣を空間構築に利用した際、束縛から抜け出たというところでしょう。そんな低級な魔神に何が出来るとも思えませんが、僕に干渉する事自体が滅びの引き金であると忘れたのですか?」


「違うな、アガレスは強い。この瘴気の中で存在しているのがその証だ。それと……、二度目の覚悟は必要ない!」



 嘲笑うパンドゥーラの挑発などもう俺には届かない。

 覚悟なら海の上でとっくに済ませ、今も絶賛継続中だからな。



「案ずるなフレムよ。思い切り振るうが良い。ヤツは自ら厄災への糸を外した。閉ざされたこの空間ならばヤツのみを消去出来る」



 アガレスの頼もしい鼓舞にパンドゥーラが一瞬眉をひそめる。

 赤いマントを翻した俺は迷わずに駆け、黒炎のアガレスをパンドゥーラに撃ち下ろす。


 パンドゥーラは直ぐ様クリムゾンシアーを持って合わせてきた。

 互いの剣がかち合い、紅剣が発していた膨大な魔力の波が弱まる。



「汚い時間稼ぎしやがって! 時間が惜しいと言ったぞ! とっとと消えろ!」


「クリムゾンシアーの波動を相殺? そんなか弱い瘴気が最上の破壊兵器に拮抗するなど……」


「駄剣が! そもそもそれが破壊の力を持つことが許せぬのだ! それは争いを止めるため、争いを生まぬために拵えられたもののはず!」



 絶え間なく切り込む俺に一切動じず、剣を合わせながら新たな疑問を口にするパンドゥーラ。

 アガレスは堪えきれぬとばかりに怒りを声に出す。



「魔剣アガレス。そうか、貴方が生まれた場所は……」


「おまえは俺とアガレスを舐めすぎなんだよ! 落城降魔ぁぁ!!」



 驚愕したようなパンドゥーラの意識は俺からアガレスへと移る。

 その機を逃さず俺は全身全霊でアガレスを振り抜き、剣で受けたパンドゥーラの身体が宙を舞う。

 難なく着地されたがその手にする紅剣からはもう、何の力も感じ取れない。



「クリムゾンシアーの力を封じ……いや、停止させましたか。存在すら希薄な瘴気にそこまでの呪いが産み出せるはずがないのですが……」


「ずっと一緒に居たんだ。こいつは呪いなんかじゃない。平穏を望む強い想いが具現化した存在だ。ささやかでも確かな『願い』の化身。そんな力が弱い訳ないだろうが!」


「そうだ! 俺は最強の剣であり、フレムの真の相棒である! そんな駄剣と一緒にしてもらっては困るな!」



 打ち負けた事実を認めないパンドゥーラ。

 呪いだの死の魔神だのと揶揄され、俺は怒りとありったけの思いをぶつけてやる。

 アガレスも調子に乗って便乗するが、俺はそこまで言ってない。



「図に乗らないでください。力の差が埋まった訳ではないでしょう? 消えなさい低級魔神。万里を駆けし神槍、《グングニル》!」



 パンドゥーラが突き出す指先の前に魔法陣が形成され、そこから赤く太い巨大な槍が射出される。

 閃光のように放たれた槍は、俺の構えた盾に難なく飲まれ消え去った。

 この黒い盾意外と使える。

 製作者の首を絞めたくなっていたが許してやろう。



「今の術、大分手を抜いたな。おまえは俺を殺したくないんだろ? だからこんなまどろっこしい方法を選んだんだ。アガレスの力は俺の痛みも迷いも消してくれた。俄然こちらが有利だ!」



 ここまでのやり方で、どうやら俺を殺してはならない理由があるのは確実だ。

 そしてアガレスの影響か、俺に掛かる悪影響は全て停止している。



「これ以上……幻滅させるな我が真なる主よ……。アドラメレクの抹消、天界門への干渉、おそらくコキュートスでの破壊行為も貴方が関与しているのでしょう? 不干渉を強いたはずの貴方が、何故こうも時代に介入する?」


「アドラメレクの件以外はまったく身に覚えがないぞ! やっぱり完全に人違いだな!」



 ため息交じりに冷たく冤罪を仕掛けるパンドゥーラ。

 預かり知らぬ事で幻滅され、これに確信をもって言い返した。

 どいつもこいつもなんでもかんでも人のせいにしやがって。



「仮にそうだとして、ゼラムル教団の崩壊がもたらす世界の影響は大きい。貴方はその責任を取らねばならない。時間がないのはこちらも同じです。これ以上愛らしい抵抗に付き合うつもりはありません」



 パンドゥーラが意味深な言葉を放ち紅のドレスの裾が炎のように揺らめく。

 同時に金属と化した足元から多数の赤き鋼鉄の円錐が飛び出し俺の体を拘束する。



「しまっ……、身動きが……」


「防具などではないと言ったでしょう。すでに封印は始まっているのです」



 焦る俺の眼前にパンドゥーラが陽炎のように現れ、金色の鎧に紅剣の切っ先をあてがう。

 瞬間、止まっていた痛みと不安が再度ぶり返す。

 金色の鎧と漆黒の盾が俺の心身を刻一刻と削り取る。

 宣言撤回だ。これ作った男爵絶対に許さない。

 帰ったらコラム魔法薬の実験祭りの刑に処してやる。



「ぐ……ぁ……」


「フレム! 気をしっかり持て! 飲み込まれるぞ!」


「無駄ですよ。肉体と精神の疲労は十分でしょう。それでは、ファシルの権能を封じさせてもらいましょうか」



 呻く俺は息も出来ない程の窮地に追い込まれた。

 アガレスの激励にも応えられそうもない。

 厳かに目的を果たそうとするパンドゥーラ。

 再び魔力が充填された紅剣の波動が俺の身体中を巡るのが分かる。

 しかしそこからなんの変化もない時間が続く。

 無言のままパンドゥーラは動く気配すら見せない。



「……そんな……馬鹿な……。ファシルの権能が……ない? 異能の素養が……何一つ存在しない? まさか、この期に及んで……『ただの人間』だとでもいうのか!?」



 俺の顔を見上げ、猫のような楕円形の瞳孔を向けるパンドゥーラ。

 今になってコイツは何を言ってんだろうか?

 散々振り回しといて、なんか凄く腹立ってきた!



「だから……始めから……そう言ってんだろうが……。魔力を繋げたのは……失敗だったな……。俺に手を貸せ、クリムゾンシアー!」



 苦情を絞り出し、俺は紐付けられた紅剣に生命力を流し込み炸裂させた。

 紅き波動がパンドゥーラの手から紅剣を弾かせる。

 同時に俺を拘束する鋼の円錐も砕け落ちた。

 ふらつき膝を付きそうなその時、突然俺の左手が軽くなる。

 そこには黒い大盾をむしり取るイリスの姿。



「格好良いけど……、やっぱりフレムには似合ってない……かも」



 汗にまみれて精一杯の笑顔を見せるイリスはそのまま倒れ込む。

 続いて俺の背中に衝撃が走り、金色の鎧がひび割れていく。



「そうだねぇ……。おにーさんはいつもの感じが一番カッコ良いよ……」



 背に掛かるハミル声を皮切りに、この身を覆う鎧が砕け散った。

 ハミルの拳が、ふんわりと優しく俺の背中に触れる。



「はは、確かにそうだな。ありがとな……。もう少し待っててくれ……。見栄なんか張らず、俺らしく決めてくる」


「体内から僕の力を……、クリムゾンシアーを乗っ取った? これが『ただの人間』の所業だと? あり……えない……。ならば、先程のアレはなんだと……」



 完全に拘束から解き放たれ、俺は二人の気持ちを胸に一歩一歩前に進む。

 混乱したように呟くパンドゥーラがその度に後退り、ついには大きく飛び退いた。

 この手に掴むアガレスの刀身はより大きな黒炎と化し、俺の想いを受けてその魔力を引き上げる。



「シリルの身体もキャロルの魔石も傷付けず、アイツの魔力だけを切り離す! いけるかアガレス!」


「任せろ! お安いご用だ!」



 放つ俺の無茶振りに力強く応えるアガレス。

 歩を早め、駆け出す俺は巨大な炎の剣を両手で持って振りかぶる。

 地面から突き出る紅い刃をかわし、巻き起こる防壁の竜巻をこの身一つで突き破った。



「今の僕に比肩する程の力? この爆発的な魔力の発露はなんだ! 貴方はいったいなんだというのですか!?」



 怯えにも似た声を上げるパンドゥーラが両手を突き出しその前には瘴気が集まる。

 構わず俺はアガレスを振り抜き、放った黒炎の斬撃は瘴気を粉砕。

 パンドゥーラの左手に埋め込まれた魔石を捉えた。



「おまえは……誰だ?」



 震える唇からそれだけ呟き、パンドゥーラは核石から瘴気の塊として押し出される。

 瘴気は空中で停滞し、倒れ込む身体からパンドゥーラの気配が消え去った。



「よっし、シリルも息がある。キャロルも無事だな……」



 抱き止めたシリルは女装が解け、辛うじてではあるが生きている。

 キャロルの魔力も感知出来たし、俺達の周囲の瘴気も薄まってきた。

 イリスは気を失っているが、イリスとハミルの顔色も心なしか暖かみを帯びる。



『……特異点……中心に……。……元凶……可能性……。存在しない……の……魔神……。こう……ば、話が変わって……。今……ここ……逃げ……さい』



 停滞した瘴気から消え入りそうなパンドゥーラの声。

 弱々しくどんどん小さくなっていく瘴気の塊だったが、俺はすぐに途方もない危機感を覚える。



「消えかけてたのに、魔力が膨れ上がってきてる? な、なんだよこれ? この感じ前にも……」


「リヴィアータ城の魔神と同じだ! フレム! ここから脱出するぞ!」



 謎の魔力膨張。俺はこの現象を見たことがある。

 意識が混濁して暴走したアドラメレクと同じだ。

 今の体力、戦力では対処不可能だろう。

 アガレスもこの危機を感じ取り、即座に撤退を提案する。



『ウナァァァァァア!!』



 頭に響く大きな鳴き声。

 この共振で部屋を構築する金属に亀裂が走り、肥大する瘴気は徐々に巨大な獣の姿に変貌する。

 恐ろしい牙を剥き、恨むような鋭い眼光。

 揺らぎながら巨大化を続け、魔力膨張も止まらない。

 その姿は大きな、とても大きな黒い……猫。



「黒……猫? 懐かしいこの感じ……。いや違う……。俺は知らない……、黒猫なんて……」


「何をしているフレム! 全員死ぬぞ!」



 ふと幼少期の記憶で見た黒猫に面影を重ねてしまう。

 でも俺の本能が何故かそれを強く否定した。

 その不思議な懐かしさに呆けてしまっていた俺をアガレスが一喝。

 我に返った俺が脱出に向け動き出そうとした時、亀裂が一気に部屋全体へと及ぶ。

 同時に激痛と共に俺の視界が大きく歪んだ。



「目眩? 頭痛か? くそ、なんでこんな時に……」



 突然頭部を殴られたような激痛と手足の痺れ。

 その感覚は増し続け、呼応するようにアガレスの炎も急速に萎んでしまう。

 そのまま俺の身体は為す術もなく地に伏せる。



「おにーさん!? ど、どうしよう。ぼ、僕がなんとかしなきゃ!」



 視界の隅に大慌てのハミルが見えた。

 とはいえハミル以外の全員が倒れているこの状況。

 流石にどうしようもない。

 なんとか俺も立ち上がろうとするが、その時イリスのネックレスに組み込んだ宝石が光を放つ。



『聞こえるかハミュウェル。今すぐイリスの周りに全員集まっとけ』


「フォルテくん? どこに居るの?」


『早くしろ! 間に合わなくなるぞ!』



 空間に響くは間違いなくフォルテの声だ。

 ハミルはその声の元を探しキョロキョロ見回すが、フォルテは姿を見せぬまま語気を強め指示を飛ばした。



「わ、分かったよ! 五秒待ってね!」



 そう言ったハミルは俺を軽く担ぎ、シリルを左手に持ちイリスの元へ超速で滑り込んだ。

 再び周囲に絶望の瘴気が満ちる中、イリスの胸元の光は輝度を高め破裂する。


 優しくも暖かい光が俺達を包み、瘴気から守ってくれているのが分かった。

 そして俺達の眼前には、いつの間にかフォルテが立っている。

 手には刀身の黒い鍔のない刀。

 今のアガレス同様実体のない、されど異様なまでに強い魔力を放つ魔刀が握られている。

 フォルテ自身の内包魔力も先刻の比ではない。

 一目で分かる。その身は神々しくも力に満ち、瘴気をものともしていなかったのだ。



「かつて存在した東国の指導者、導士マオ・ヘイシン。千年続けた暗躍もここまでか。天秤は現四魔皇(ルインフォース)に傾いたな」


『ナアァァァァァァアァァァン!!』



 フォルテの装いはボロボロだが、その後ろ姿と言動から圧倒的な逞しさを感じる。

 増長を続ける黒猫に、脳を震わせる咆哮に一切怯んでいない。



「準厄災級の魔神化。意志が弾けちゃ戻る事も出来ねぇだろう。ならせめて、俺の手で母の元に帰してやるよ。それじゃーな、あばよ」



 感慨深そうに口を開いたフォルテは無造作に刃を振り下ろす。

 刀より放たれた瘴気が絶望の瘴気を切り払い、その剣閃は黒猫をも呑み込み塵に変える。

 塵からは瘴気が除かれ、膨大な魔力の波が弾けるように消えていった。

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