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百九十六話  神を称する愚者の王

 巻き起こる暴風が俺とシリルを分断する。

 シリルは俺達に背を向け、傷の癒えかけた両腕を紅剣にかざした。



「封じられし暴角の剣……。この身を捧げてやる……。我が名はグラムストール(聖剣を貶める者)! ミカエルの名代としてその意を行使する者! 制限されし力、転ずる災いをここに! 今こそ戒めを解き放ち、平和の証を厄災の魔剣へと貶めろ!!」



 決死と言える想いを込めたシリルが解呪を紡ぐ。

 宙に浮いたクリムゾンシアーから爆発的な魔力が吹き上がり、紅剣より放たれる黒き雷が風に乗る。

 命を蝕む魔力に晒され、全身の皮膚が爛れていくシリル。


 禍々しいまでの暴威を秘める魔力。

 妖精の里で俺が解放したクリムゾンシアーの力そのもの。

 客観的に見ると改めてバカげた力だ。

 やはりこんなもの人の手にあるものじゃない。

 とっとと回収してラグナートに返品しよう。



「魔力の中心を捉えた……。フレムの心力を切り離せ……。滅魔の鎖、タルタロス!」



 苦し気に叫ぶシリルの腕から伸びた黒き鎖がクリムゾンシアーを絡め、鎖の先端に付いた刃先が地面に繋ぎ止めた。

 鎖から染み出した瘴気が地面の魔法陣へと吸収され、程なく荒れ狂う魔力の乱流は収まりを見せる。

 嘘のような静けさの中、ふらふらのシリルが紅剣を掴む。



「は……は……。生き残ったぞ……。手に入れた。厄災の剣……。これで俺が世界唯一の厄災に……。そうすればきっと、『柱の花嫁』の使命からも解放出来る……」



 全身の皮膚が赤く爛れ、シリルは息も絶え絶えながら喜びを口にする。

 しかしその直後、地面から不可思議な感覚が襲い掛かった。

 視野がぶれるような感覚。何かが連続で割れるような音。



「法陣が吸収した瘴気を処理出来ていない……。間もなく逆流する……」


「そんなバカな! 第一級天使の安置所をそのまま流用しているんだぞ! 人間一人の魔力くらいで..…。くそ、中和しろシャマシュ教典!」



 プルートさんよりもたらされる不穏な情報。

 シリルは納得いかないとばかりに声を張り上げるが、魔法陣に沿って吹き上がる瘴気が現実を物語る。

 楔となっていた鎖が宙に弾かれ、シャマシュ教典すら権能を発揮せず地に落ちた。

 空間を埋め尽くすは瘴気と生ぬるい空気。

 視界は異様な景色に塗り替えられていく。


 そこは真っ赤な星々が照らす夜空。

 悪臭漂う赤い大地の上で躍り狂う異形の人形達の影。

 内臓をひっくり返したような姿の者共は醜悪な顔で互いの体を貪り食らう。

 それでも足らないとばかりに、人形共は大地に噛みつき空さえ食おうと手を伸ばす。

 無限に沸く人形が果てなく続く歪な光景。


 異世界に迷い込んだような圧倒的疎外感。

 自分こそが異物だと誤認する程の孤独。

 ただ暖かい風に乗って生臭い香りが鼻に届き、ピーピーと奇怪な音が耳に障った。


 この風景に目を見開き立ち尽くすハミル。

 身体を抱き込み震えるタマモ。

 地面に横たわるイリスも酷くうなされているようだ。

 プルートさんですら膝を落とし、自らの震える手を見つめていた。



「遥か昔に消え失せた感覚……。この身が寒気を? 異現魔法一歩手前の幻覚……。人の精神だけで魔力が具象化するなど有り得ぬぞ……。死を招く瘴気の具現。貴様いったい……」



 そう言ったプルートさんの瞳が俺を捉えた。

 まるで化物を見るような驚愕した眼差し。

 冗談ではない。俺は普通の人間だ。



「……ただの見苦しい人形劇だ……。クリムゾンシアーを渡せシリル。今ならまだ戻せるかもしれない」


「人……形? なにを……何を言ってるんだお前? これの……どこが...…」



 言い寄る俺にびくりと身体を震わせ、シリルは怯えたような顔色で呟く。

 そして何かを言い淀んでいる素振りのまま顔を伏せた。



「痛ましい姿と苦悶の表情……。だがこの身に届く感覚が一致しない……。重く纏わり付く大量の気配……。小さく静かに響く嬉々とした笑い声……。瘴気を介して伝わる感覚、お前はこれらを人間と定義しているだろう!」



 下を向いて訴えるシリルは嗚咽を洩らす子供のよう。

 いいや違う。これらは人形だ。人間のはずがない。

 嘘の固まりで出来た人形共。

 似た形をしているだけの心ない人形。


 俺は正しく見えている。

 うごめく人形がその顔の裏で、至福の感情で啜っている血と肉が。


 もちろん聞こえている。

 絶えぬ慟哭と悲痛な断末魔を糧にし、歓喜と愉悦が混じった歪な叫びが。


 同じ人形が互いを食い合う醜い姿。

 意志疎通をまやかしに使う悪食。

 それらは共感、認知、理解全てが無意味な存在。

 あんな者達と俺が、同じなはずがない。


 蒸せ反る鉄の臭いの元、俺はその頭部に短剣を突き立てた。

 地を這う異形を大剣で縫い留め、汚い足場を踏み歩く。

 これでいい。

 もう何も見たくない(見えない)。何も聴きたくない(聞こえない)



「目を瞑れば良い。耳を塞げば良い。初めから望まなければ……、失望なんてしない……。手を伸ばしさえしなければ……、そうすれば……後悔なんて起こり得ない……」



 無意識に漏らす自分の声は酷く震えていた。

 こんな世界が俺の心から映し出されたなど信じたくもない。



「こんなものすぐに消してやる……。ああ、もう武器がないのか。何か代わりになるものを……。こんな時にアガレスはどこにいったんだ? そうだシリル、その剣貸してクレヨ。赤いのでも青いのでもイイ。コイツらを早く、カタヅケナイト……」



 俺は剣を持った状態でへたり込むシリルに願い出る。

 シリルは顔を伏せて固まり返事をしてくれない。



『救いの手を差し伸べた先住者を食い殺し、同族すら家畜に変え食らう人間。貴方だけがその行為に耐え難い疑念と恐怖、憤怒を抱いていましたね? 覚えているのでしょう? 貴方は優しきエルフや哀れなオークを逃がしました。その結果、彼等はどうなりましたか?』



 脳に響く少女の声が俺の記憶の扉を叩く。

 心臓がまるで殴り付けられたように脈動する。

 沢山の命を物に変えた愚行。短慮と無知が招いた結末。

 周囲が徐々に光を失う。思考も揺蕩いまるで夢の中にいるようだ。

 それでも一歩一歩、丹念に塊を踏み潰していた俺の身体は突如進むことをやめた。

 俺の腰に回された両腕。背中と胸に暖かな感触。



「ここはフレムの居た場所じゃない。私たち皆、フレムと同じだから。一人じゃないから……。だから、望みを持たないなんて悲しい事を言わないで……」


「大丈夫……。大丈夫だよおにーさん……。もう何も怖い事なんてないから……。僕も、皆も、おにーさんの事大好きなんだよ……。苦しんでほしくないんだ。一人で泣かなくて良いんだよ……」



 優しげなイリスの震える声が背中に響く。

 ハミルの暖かい吐息が胸に染み込んでくる。

 俺を抱き止める両腕が孤独を拭い、寄り掛かるその身には確かな安息を感じた。


 手で触れると、自分の頬を伝う涙を認識する。

 命が羽のように軽く、冒涜が支配する世界。

 常に隣にある誰かの悲鳴。何かの死。

 それを認識する者は俺だけだった。

 世に阻まれる疎外感。自分の思い描く人間という種が存在しない孤独。

 この情景はかつての俺から見た世界そのもの。

 そしてその愚かな心が犯した唯一の後悔。



「……ごめん。忘れてた……。この悲しみも後悔も、俺自身の証明だ。だからこの手で掴めるものだけはもう、絶対に失わせないって決めたんだ……」



 以前ラグナートに教えられたことを思い出す。

 そこに行き着いた経緯をなしにするな。

 その言葉を胸に、繰り返すように現実を噛み締める。

 この世界で初めて出会った心持つ人間。

 腰と胸に添えられた、あの時と同じ暖かい手を握りしめながら。



『威勢だけは立派なものです。子猫一匹のために母親のいいなりになっていた者とは思えませんね』



 頭に直接語り掛けるような声が閉ざしたトラウマを抉る。

 確かに始末するだのご飯に混ぜるなどとよく脅され、最近も夢でうなされたばかりだ。

 だからもう振り回されるのは懲り懲り。



「このふざけた悪夢を飲み込め、《ブラッドルージュ》!」



 俺の言葉に応える胸の指輪が赤黒い輝きを放つ。

 景色が歪み、瘴気に変わった悪夢がブラッドルージュに吸い込まれ消えていく。

 俺達の視界には元居た洞窟の景色が戻ってきた。



「キャロルちゃんの気配が飲み込まれた。シリルくんの意識も消えたよ。そこにあった三つの気配が今は一つ。キミは誰?」



 涙を拭い踵を返したハミルはシリルを見据え問い掛ける。

 先程までの精気が感じられないシリル。

 その肩が揺れ、まるで別人のように冷たい笑顔を湛えた顔が上がる。



「生け贄の儀式は本人の意思がなくては行えませんのでね。決意して頂くのに一計を講じました。フレムさんの方も後一歩のところでしたが……。先刻も含め、いつもいつも良いところで邪魔をしてくれますね人間」



 その声はシリルのものであるが明らかに別物。

 しかし考察の必要はない。

 あの時仕留めた魔神が、今度はシリルの体を乗っ取り顕現したのだ。



「本当にしつこいなマオ! 人の傷口抉って楽しいのか? こんどはシリルに乗り移りやがって! せめて先にキャロルは返せ!」


「ははは、無理ですね。正確に言えば僕は今キャロルの核石に間借りしていますので。ああ、キャロルに害はありませんのでご安心を。ともあれ厄災の剣完成まで後一手。もろもろのご協力感謝しますよ」



 悪態を飛ばす俺にカラリと笑顔のマオは答える。

 響く声は柔らかく、シリルの体とは思えぬほど高く聞こえた。

 銀色の髪は薄紅色に染まり炎のように伸びていく。

 瘴気が広がり紅衣のドレスと見紛う姿はまるで少女のよう。



「キャロルちゃんは僕とおにーさんの娘だよ! 今すぐ返して!」


「なにそれ!? フレムその話詳しく!」


「今その話必要か!? とにかく、ウチの子と同棲なんて認めないぞ! キャロルはまだ子供なんだからな!」



 勢いよく反論するハミルに険しい表情のイリスが反応。

 キャロルに危害はないと一安心した俺もマオに反発。

 完全に俺の精神は平常を取り戻した。



「まずは不遜なる計画を立てた者達に裁きを与えたいところですが、随分と手癖が悪くなりましたね」



 俺達をまるっと無視した女装っ子の言葉は俺達の背後、プルートさんに向けられる。

 プルートさんは平身低頭、地面に突っ伏していた。

 腕にはイタチのような獣がしがみついており、その獣は先程宙に投げ出された黒い鎖を咥えている。



「ご、ご無沙汰しております。貴女にお会いできる日をどれだけ待ち望んでいたことか……」



 体を起こし腕を胸の前に配して恭しく頭を下げるプルートさん。

 ただでさえ薄い服を隠すような仕草、まるで裸のようである。



「プルート。心にもないことを口にするのはやめなさい。空白の神座と神獣を用い、僕を封じる腹積もりだったのでしょう? 貴女がその気になりさえすれば、そんな手の込んだ事をせずとも良いでしょうに。それよりもその姿は? いつから人形遊びを覚えたのですか?」


「人形遊びは貴女様の十八番でしょう? おそらく感化されたのではないかと……。我が主、原初の魔王パンドゥーラ様……」



 冷たい視線と尊大な威圧感を醸すマオにプルートさんは機嫌を窺うような低姿勢。

 その言葉からマオの正体が明らかになる。

 なんだかとても大物臭がする魔王様らしい。



「まあ良しとしますよ。僕の席を継いだのなら反逆もまた可愛げというもの。目当ては六道魔導器タルタロスでしょう? 餞別として差し上げます。メリュジーヌの末裔共々去りなさい」


「それは真ですか!? 有り難く……この場は退かせて頂きます!」



 ニコリと優しげな表情を作った女装っ子は満足そうに話を終えその視線を俺達に戻す。

 プルートさんは一言礼を添えた後タマモを抱え、逃げる準備万端といった感じ。



「待つのじゃ先生! わらわはまだ戦えるぞぉ!」


「暴れるな! 消滅間際とはいえ、あの御方は数多の魂を持つ大化生。宿主を得た以上勝率は皆無だ。我等の主目的はフォルテ王子だろうが! 貴様らもほどほどにしておけよ! 駆けよイダテン!」



 暴れるタマモを叱責しながらプルートさんは俺達にも軽く注意を促す。

 そして肥大したイタチに跨がり走り去ってしまう。

 この状況に俺達の意志が介在する余地などないのに凄く勝手である。



「……あの女しれっと逃げやがった!? ところで、入口に放置したひよこ随分と膨らんでない?」


「そもそもここはどこなの? 確かフォルテとシリルくんが家に来て……。フロルが準備してくるって言ってそこからの記憶が……」


「わぁ~!? ヴャルブューケが破裂しそう!」



 一番頼りになりそうな人物が颯爽と退場したことにより俺は再び焦りを覚える。

 イリスも意識を取り戻したばかりで大混乱の様子。

 ハミルはぶくぶくと膨らむひよこに走り寄り、必死に叩くも改善は見られない。

 むしろ加速度的に膨らみ、天井がミシミシと軋み始めていた。

 よく分からんが洞窟が崩れては堪らないので俺とイリスもひよこ叩きに参加。



「僕の張った布石ではあるものの、望むものが目の前にあることに気付かぬとは……。哀れなものです。彼女の言った通り、僕は直に消滅します。次にキャロルが目覚めた時、僕の人格は本体に還元されるでしょう」



 落ち着き払った女装シリルが蔑むような笑みを溢す。

 しかし俺達は膨らみ続けるひよこを揺さぶり現状打開に必死なのだ。少し待って頂きたい。



四魔皇ルインフォースの目的は神々の王復活。ですがもうそれはすでに現れている。シャマシュ教典すら機能しない大悪魔クラスの精神汚染。僕もよく覚えていますよ。なにせ貴方と僕は、その淀みの中で生まれ出会ったのですから...…」


「ごちゃごちゃうるさい! これを見ろこれを! それどころではないだろうが! そうだ、アガレスはどこだ! アガレスさん!? 得意分野だよ? 大活躍の時間だよ?」



 悠然と佇み語る女装魔王などもはや気にしていられない。

 俺はアガレスを探し、なんとか床に落ちてたのを見付けるが未だ反応はなし。

 このままだと生き埋めになってしまう。



「人が自らを神と呼び始めた時代。人が創った偶像の極み、神とは最も愚かな者を指す蔑称でもある。魔神も例外ではありません。人の意識が宿りし災い。その魔剣も、所詮は人の欲望が宿った愚物」


「……何の話か知らねぇが、そりゃアガレスのことか? いくらなんでも友達の悪口は聞き流せねぇぞ」



 こちらも無視を決め込むつもりだったが、流石にこう侮辱が続けば耳に障る。

 俺はアガレスを拾って握り締め、マオ改めてパンなんたらとか言う娘っ子を睨み付けた。



「侵略者の砦、世界最古の都市ファシル。その名で呼ばれし愚者の王よ。前回同様、現世での名でこの場を寿ことほぐとしましょう。ようこそ終末の分岐点へ。魔神王フレム・アソルテ」



 女装っ子がつらつらと並べる単語が意味不明を通り越して怖い。

 ファシルというのは確か神々の王様の名前だ。

 この場の時が固まるかのような衝撃。

 思わず俺達は手を止め、互いの顔色を伺う。

 こちらを見ながら笑いを堪えるようなイリス。

 ハミルは脳の処理が追い付かないのかポカンとしていた。

 要約すると何だ? 俺が神様?

 いやいやいやいや、そんなバカな。

 自分で言うのもなんだが、もしそうならこの世界終わりだぞ?

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