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百九十一話  無音の三重奏

 アガレスの刀身から容赦なく溢れかえる瘴気。

 久々の光景だが俺はこの感覚を忘れていない。

 強いて違和感を上げるとすれば、何故だかとっても眠いくらいだ。



「お、おいマオ! あの剣ヤバくないか!? こないだ見た時より禍々しいんだけど!?」


「……失念していました。ラグナートは手にした魔具を無力化するはず。されど効力を発揮していたということは……。どちらにせよ、生身であの瘴気を御する精神力。前回と大きく違うのは剣だけではなさそうです」



 フォルテは見るからに狼狽え、マオの方も少しは警戒心が芽生えたようだ。

 しかしその発言でこの眠気の理由もはっきりした。

 今の俺は瘴気を緩和していたネックレスすらない状態。

 やる気満々なアガレスの瘴気に耐える力がないのだろつ。



「うーむフレムよ。やはりあれは膨大な魔力をどこからか受信しているに過ぎん。あの器はそれに対応出来ていないぞ? 俺にはザガンやラグナートの言うような脅威があるとは思えんが?」


「アガレスもそう思うか? 訳の分からん圧は感じるが、とりあえずあの人形さえ壊せば何も出来なくなるって事だよな? 引きこもりのシリルも控えてるし、あいつにはとっとと退場願おうか!」



 確信したようなアガレスは俺と同意見。

 マオの気配自体は尋常ではない恐ろしさがある。

 だが出来る行動は人形の体に依存しているようだ。

 セリオスさえ怯えるような、勝てない相手な訳がない

 俺は気合いを入れ直し、短期決戦の意思を固める。



「待てよおい、俺が居るの忘れてねぇか!」


「フォルテ! おまえはしばらく見物してろ。動くと大変なことになるぞ」



 水を差すフォルテを一喝すると、奴は自らが抑えるハミルを見て声にならない悲鳴を飲み込んだ。

 フォルテの扱う見えざる拘束力の下で、ハミルが腰の杖を握り締めているのである。

 ハミルの杖の先端には膨らんだひよこ。拘束が緩めば痛烈なハンマーがフォルテの顎を砕くだろう。

 そうなればフロルとキャロルの追撃もあり得る。



「あれ、俺詰んでない?」


「だから鎧は着込んで置くよう言ったのに……。致し方ありませんね。求めに応じよ千魔の書(パンデモニウム)。顕現しなさい、ヤマタノオロチ」



 悲しい顔で怯えるフォルテに哀れみを投げ掛けるマオ。

 ため息をついたマオが言の葉を紡ぐと、敵船にある黒い球体が魔力を放ちながら脈動を始める。

 そして呼応するように海から立ち登った海水が、まるで生き物のように蠢き始めた。

 巨大な蛇の頭部を模した水柱、その数なんと八つ。



「なんだありゃ!? あんなのに突っ込まれたらこんな船一溜りもないぞ!」


「くっくっく。この程度で怯むとでも思っているのか? 見せてやれフレム。俺とおまえの力をな!」



 今度は恐ろしい光景に怯える俺とは真逆、アガレスはとっても楽しそう。

 そうなのか? こういう時いつも裏切るけど、信じてるからなアガレスさん。



「うう、眠い……。迷ってる時間はないな。いくぞ! 必殺マテリア・ブレイカー! と、続いて瘴気の渦ぅ!」



 俺は眠気を振り払いながら剣を振り抜き、頭上から襲い掛かる水蛇共に大気を駆ける空振を飛ばす。

 まず七体の水蛇は頭から根元まで粉々に霧散し、返す刃で放った瘴気で最後の水蛇が動きを止めた。

 すかさず俺は停止した水蛇の頭に乗ってその上を駆け登る。



「水の上を!? 黒陽の三魔、怠惰の魔神同様眠りの力である事を期待したのですが……。やはりこれは……」


「いけるぞ! 気配が異常なだけで大したことはない。触媒を挟まなけりゃ魔術すら使えないと見た!」



 マオが驚きの声を上げるのも無理はない。

 水だけど乗れそうだと思った俺自身ですら驚いているのだ。

 召還された化物も見かけ倒し、勝利を確信するには十分だろう。

 今走っている高度はマオの正面。すでに十分射程圏内だ。



「原子レベルでの遅延能力……。更には空間への干渉……。ならばこれでどうです? 古の契約に従い助力せよシャマシュ教典! 彼の者の意識を食らい尽くしなさい! 《霊封呪れいふうじゅ》!」



 ごちゃごちゃ宣うマオが今度は教典の力を借りる。

 呪を唱え俺に手をかざした瞬間、文字で構成された仰々しい球体が俺を包み込んだ。

 同時に俺の意識は酩酊したようにまどろみ始める。

 急速に感情が、思考そのものが希薄になっていく。



「百八の煩悩を滅却する自我崩壊の呪いです。それが意識ある者であるなら、たとえ竜族であれ無事では済みません。抵抗はここまでになさい」


「やら……せるか! 落城降魔、心霊封緘しんれいふうかん! ……その人形の器、破壊させてもらうぞ! 魔剣・桃桜華とうおうか!」



 マオの語る鬱陶しい呪いの概要など知ったことではない。

 俺は意識を飛ばされるより先に精神を抑え込み、呪いの呪詛を弾き返し攻勢に出る。

 振り抜いた剣から瘴気を纏った斬撃が空を裂きながら進む。

 必中の間合いで放った俺の一撃は甲板を抉り、マオの隣を通り過ぎ空の彼方。

 その結果が当然の如く、マオ自身は意に介さず佇んでいた。



「自在に心を殺す技術。貴方の固有能力でしたね。何の加護も持たずに意趣返しとは……。確かに、これなら精神に作用する術の一切は通じないでしょう。ですが、危機感は危機感として受け取ってもらえたのは重畳です」


「……どうなってるんだ……。アガレス、おまえも感じ取ったか?」


「ああ、間違いない。これはコパルン峡谷で感じた終末と同じ……」



 優しく微笑むマオ。まるで当たり前の事を諭したかのように。

 そう、外れたのではなく俺自身が外したのだ。本能的に。

 俺とアガレスはここでようやく、セリオス達が感じていた脅威を知った。



「仕留めようとした瞬間感じた絶望……。世界が灰色に染まる錯覚。なんであの時の感覚が今……」


「先刻までの貴方は僕を滅ぼす気がなかった。だからセリオス王やラグナートの見解と相違が生じたのです。賢明ですよ。推測通り今の僕は駒を動かす程度の存在。だからといって、本体に干渉し得る攻撃は控えた方が良いでしょう」



 思い出したくもない絶対的な死の予感。

 俺の体は剣を振り抜いたまま硬直し、冷や汗が止まらない。

 マオの言う本体への干渉、それが世界規模の厄災を示唆しているのだ。



「滅亡の予言……。以前感じた勝てないって錯覚は……、手の打ちようがないからか……。こんなのどうすれば……」


「余計に警戒心を刺激しましたか。素直に協力して頂くにはどうするべきでしょう……。魔導書も儀式の途中ではこれ以上の……、そういえば人質が居ましたね」



 停止する水の上で途方に暮れる俺に届くマオの言葉の意図。

 即座に我に返るも、マオは俺の前から忽然と消えていた。



「フロルおねーさん!」



 焦るようなハミルの声で振り返ると、すでにマオは俺達の乗って来た船へ。

 しかもフロルの眼前へと移動していた。

 俺は急いで水流の道を駆け降り甲板へと飛ぶ。

 同時に残っていた水蛇を切り捨て、破裂した水しぶきが空を舞う。



「くそ! ポンポン消えやがってふざけた奴め! フロルから離れろ!」


「ははは、消えてなどいませんよ。単純に、生存本能が僕を知覚する事を拒否しているのでしょう。雲が落とした影に過ぎない僕の存在を……」



 船へと降り立って息巻くも俺の手足は震えたまま。

 嘲笑うようなマオの存在も段々と理解し始めている。

 並の人間では居ることさえ解らない悪魔。

 たとえ認識出来ても記憶が拒絶するような悪夢。



「以前僕が予知を行ったという話を覚えていますか? ずれてしまった未来視。この方々の運命も大きく変化しているようですね」



 こちらに視線すら向けず、マオは確認するように説明する。

 そのような話をセリオスやザガンとしていた記憶はあった。

 だが俺には無関係と思い気にも留めなかった話。

 横顔に微笑を浮かべたマオは、這いつくばるフロルの頭上に指先を掲げる。

 その指先から、血のような赤い液体が一滴落とされた。



「きゃあぁぁぁぁあぁぁぁ!!!」



 瞬間耳をつんざくようなフロルの叫び声。

 反射的にフォルテがフロルの拘束を外し、フロルは頭を押さえながら身を仰け反らせた。



「今のはなんだ! フロルに何をした!?」


「知恵の泉の雫を使い、本来歩むはずだった結末を見て頂きました。御友人同様、報われぬ最後を遂げられていたようです。ただ魔石がないと循環が上手くいかず、念入りに呪うことになってしまいました。今フロルさんの意識はこの世界を認識出来ていないでしょう」



 怒りに任せ訴える俺に涼しく答えるマオ。

 本来とか結末とか何一つ理解が出来ないが、多分今の話にあった別の未来の事。

 フロルは今、その別世界の住人に成りきっているということなのか?



「魔石は精神力を魔力として蓄える触媒だ。ならば夢程度の錯視であれ永続的に呪える、ということだろう」


「心を弱らせてからあの本で良いように操ったのか! 何が魔道具必須の依頼だよ! まさか人質を得るためだけにこんな汚いやり方を……」



 アガレスの考えではレオとアッシュは夢として未来を見せられ、その不安と恐怖を魔道具で循環させられていた。

 そこに付け入り、心を操るあの教典を使ったのだろう。

 俺は友人を傷付けるこの計画に憤りを抑えられそうにない。



「アッシュさんは貧困の末に野盗へと身を落とし、この世を恨みながら処刑されたようです。レオさんは最年少の高官として、多くの国民を死に追いやる政策を嬉々として進めていた。……フロルさんは生来の狂気が嫉妬という形で顕現したのですね。セリオス王の側室として迎えられた自らの主をその手で殺め……」


「いやぁぁぁぁ! 私が! 私がイリスを……。そんなつもりじゃ……。こんな事するつもりなんてなかったのに!」



 淡々と言葉を紡ぐマオ。綴られるのはまるで空想の物語。

 その語りを遮るように再びフロルの叫びが木霊した。

 大粒の涙を絶え間なく流すフロル。その手は甲板をまさぐり、やがて落ちていたレオの短剣を手にする。



「もういや……。もう……、この手を汚したくない……」


「待てフロル……。……おい小僧、そこから……離れろ……」


「おや? 僕を滅ぼせないと結論を出したのでは? 今更心変わりしても手遅れですよ。まずは貴方の心を折ります。まだ人質は居ますのでね。次はどちらにしましょうか?」



 掠れた声で短剣を見つめるフロル。

 その姿を見て俺は奥歯を噛み締め声を絞り出す。

 マオの主張は承知の上。その煽りは俺に届かない。

 これ以上、続けさせる気がないからだ。

 俺の意思に呼応するように、握り締めるアガレスの魔力が高まっていく。



「お前を……殺す」


「自ら厄災の引き金を引こうと言うのですか? その体では無理ですね。まずはその手に持つ魔神を手離しなさい。それが放っているのは眠りの瘴気ではありません」



 口をついて出る言葉と共に、俺の細胞全てが警鐘を鳴らす。

 薄く笑うマオの警告が心底恐ろしい。続く脅しにさえ屈しそうになる。

 でも知らず知らず俺の瞳から伝う涙は、けしてマオへの恐怖からではない。



「別の未来なんて、そんなのすでに別人だ……。俺はアッシュを、レオを、フロルという人間を知っている。そんな未来なんてこの先訪れない! 俺の大事な友達を……これ以上侮辱するな!」



 俺は想いを吐き出しながら、鉛のように重い足を一歩前進させた。

 フロル達の尊厳を踏みつけられ、俺達の友情を汚した行為は許されない。



「ごめんなさい……フレムくん……」


「やめろフロル!!」



 消え入りそうなフロルの声、短剣は緩やかに喉元へと向かう。

 俺は叫びながら全身全霊で右足を踏み込んだ。

 だがその足を蹴り上げる間もなく、思わぬ事態に目を丸くしてしまう。


 目の前には光る涙を煌めかせ、舞うようにスカートを翻すフロルの姿。

 まるで逆手に持つ短剣で剣舞を披露するかのように。



「あら、浅かったかしら?」



 イタズラっぽく笑い、片手で拭った涙を空に撒くフロル。

 視線の先に居るマオは一歩後退しており、その腹部はパックリと引き裂かれていた。

 先程の悲壮感など一欠片もなく、フロルの表情は晴れ晴れとしている。



「僕の見せた世界に、フレムさんは存在しませんからね。大した演技です。ともすれば即死級の呪に抗えた理由、他者の魔剣を使用出来た事と合わせ、是非とも答えを聞きたいものですが」


「うーん。フレムくんの名前呼んだのが失敗だったのかぁ。魔剣に関しては知らないわ。専門外なの。自分で調べてみたら?」



 珍しく神妙な面持ちのマオが疑問を口にした。

 その腹部の裂傷から熱を帯びた煙が上っている。

 明らかに魔道具の効果が現れているのだ。

 フロルは答えの代わりに手にした短剣をマオの足元に投擲。

 依然修羅場のはずだが俺はへたり込み、安堵の涙でどんどん前が見えなくなってきていた。



「フロル……。本当に……大丈夫ぅ? 何かあるなら言ってくれよ……。アッシュだってレオだって……、いつも元気だから不安なんて……ないのかなって俺勝手に……あうあうあうあう……」


「も、もう泣かないでよフレムくんったら。大丈夫だから。私達はとっくの昔に自分の嫌な部分とは決別してるわ……。フレムくんのお陰でね。それに今回はこれもあるし」



 俺も状況が気にはなったが嗚咽もあり、考えも纏まらずで上手く話が聞けない。

 それを上手く拾ってくれたフロルは俺をあやすように優しく、首元からチェーンリングを引っ張り出して見せてくれた。

 その鎖に通されていたのは、赤い宝石が特徴的な見たことのある綺麗な指輪。



「これ程の魔具を僕が見落としていた? 魔力を吸収し反射する性質……。魔剣ファフニールに残留する力を押し出したのですね。これは面白い」


「シトリーさんが贈り物のお花で作ったっていう素敵な魔道具よん。イリスが返却した直後に借りておいたのよね~。最近ようやく扱えるようになってきたの」



 甲板に刺さる短剣に一瞥し、マオはフロルが見せ付ける指輪を注視する。

 嬉しそうに話すフロルによると、どうやら結構前から所持していたようだ。



「人質が一人減っただけです。そのレベルの魔導器を持つのも貴女だけでしょう。状況は変わらない事が理解出来ないのです……か?」


「私達はとっくの昔に嫌な未来とは決別した。そう言ったつもりよ。静かにして確かな五重の絆、甘くみないでよね。お・人・形・さん」



 呆れた様子のマオだったが、突如その顔から表情が消える。

 マオの腹部から突き出る大きな刃。それを見据えてフロルは力強い言葉を放つ。



「舐めた真似してくれたなぁ! 誰が貧乏だ! 俺はちゃんと仕事して稼いでんだよぉ!」



 マオの背後から不満げに大声を上げるのはアッシュ。

 手にした大剣を更に突き刺し、斜め上へと切り払う。



「容赦はしません! 僕は退学になってますからね! あんな世界は有り得ないんですよぉ!」



 今度はよろけるマオを這うように飛び出したレオが強襲した。

 短剣を拾い華麗にマオの四肢を切り付ける。

 その恨み節には何故だか少し心が痛んだが、これによりマオは糸の切れた人形のように倒れ込んだ。



「何故この二人まで解呪を……。誰が……原初……王たる……裏を……」



 完全に横たわるマオの声は途切れ途切れ。

 辛うじて繋がる胴体、焼け爛れていく四肢。

 一見すれば完璧に勝負あったわけだが……



「……倒したの!? あれ? だって倒しちゃったら……ううん?」


「話は少し聞いてたんだけどさ、ようは動けなくしちゃえば良いんでしょ? お人形だけ壊せば良いんじゃないの?」



 混乱する俺にあれ程感じていた恐怖と不安は一切消えていた。

 そしてフロルの主張に俺はポンっと手を叩き納得。

 全開アガレスで攻撃しなけりゃ良かっただけの話なのである。


 マオ人形は紫色の髪を深い青色に変え、気配すら消失し不気味に沈黙した。

 狙い通りの結果にはなったが達成感がまるでない。

 いくらなんでも呆気なさ過ぎるのだ。

 こんなんで『今度は僕の番だね!』と意気込むハミルに意識を移して良いものか?

 拘束してるはずの少女をチラ見し、ガタガタ震えるフォルテを見学してても良いのだろうか。

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