百八十一話 泡沫の記憶
恒久なる大地に降り立った外来種。
大自然の天敵にして全ての命を蝕む唯一悪。
天にそう告げられても、私は受け入れなかった。
その言葉を、眼差しを、想いを……
懸命に生きようとするその命を、ただ信じたかった……
深い木々の生い茂る森。穏やかな陽だまりの中。
透き通った湖に映るその時の私は、まだ何も知らず微笑んでいる。
笑顔を絶やさず親しげに話す人間の言葉を熱心に聞いていた。
私は新しい価値観、文明というものに憧れる同胞達を快く送り出す。
その心中にある幸福を疑うことはなく、未来への希望は溢れんばかりだった。
だけど私の幸せはほんの僅かな時間で砕かれる。
信じる幸福も、命への愛おしさも、何もかもを踏みにじられる形で。
悪臭漂う汚物にまみれた部屋。
その中で見た光景は、私の想像からは掛け離れていた。
痛々しい姿で鎖に繋がれる同胞達。
生き血を抜かれている者。四肢を捥がれている者。
皆が皆生気を感じない。今にも息絶えそうな程に青白い肌。
こちらを見て話す人間達の会話は、もう私の耳には届いていなかった。
虚ろな瞳で私を見つめる同胞達。
声を出す気力もない。縋る望みも存在しない。
終わりと言う名の救いを、すたすら待つだけの塊。
幾千年と生きた私の中で、生まれて初めての感情が逆巻いた。
力なき者達を守るため、私は知恵と力を貸し与えたはず。
その為に努力して、沢山沢山頑張った。
その結末が私から全てを奪い去る。
体の震えが止まらなかった。
見開いたまぶたに力が入り、思考がまとまらない。
新たに芽生えた感情だけが止めどなく溢れ続ける。
激流のように流れる不可解な感情。
それが私の知識と力を結び付け、自然の暴威を再現した。
目の前の喋る肉塊を切り裂き、その身を破裂させる。
死を待つだけの同胞をも焼いた。
それでも止まらない。私の身体は無意識に動き続ける。
文明と銘打つ建造物を粉砕し、目に映る全てを塵にしていく。
そうして気付けば、私は瓦礫の中で一人立っていた。
目の前に残っているのは建造物の一部分のみ。
そこには沢山の赤ん坊が、粗雑に作られた揺りかごの中で寝息を立てている。
天は言う。それは邪悪と交わった半妖精、消すべき邪精と。
私は答える。出来ませんと。
この子達を奪おうと天は鳴き、私は奪われまいと間に入った。
天の威光で朽ちゆく私の体。心は憔悴の一途を辿る。
されど芽生えた感情が、私の全てを支えてくれた。
私は天に背き、天を模倣し、ついに天を殺める。
骸と化した金色の守護者の前で、私は世界の敵になった。
砂塵が巻く荒野の大地で、世界から疎まれる子に愛を注ぐと誓う。
愛しい子供達を守れるならば、咎も罰も受け入れられる。
その決意が私を幸福で満たし、同時に恐ろしい恐怖がこの身を襲う。
新しく生まれた知らない感情が消えてくれない。
歩みを進める度に呪いのように強く、強く私の心を蝕んでいった……
ーーーーーーーーーー
目を覚ました俺は布団を被ったまま。
帰宅してすぐベッドに飛び込んだのにまだ深夜だ。
脳裏に過るのは鮮明に残る悲しい夢。
水面に映っていた水色の髪が映える美しい女性。
穢れを知らぬようなおっとりとした笑顔が、ただひたすら眩しいエルフだった。
そして品性下劣な下卑た人間共と、蹂躙された哀れなエルフ達。
無邪気な赤子と、屍と化した天竜……
吐き気を催す夢を思い返しながら覚醒した俺は、布団の中でうごめく違和感に気付く。
「フレムフレム……。よく覚えてませんが怖い夢を見ました。一緒に寝てください……」
「……そっか、良いぞ。一緒に寝よう。怖いもんなんて……なんもないからな……」
胸元に這い上がってきた白蛇が震えた声を絞り出す。
俺は小さく、出来る限り優しく慰めた。
ヴァルヴェールは俺の胸の上で丸くなり、すぐに安心したように眠りに就く。
昨日の暴走などなかったように、いつもの大人しいヴァルヴェールだ。
俺はゼファーさんが言った言葉を思い出していた。
スクルドばーちゃんはヴァルヴェールの実の妹。
思い返せば以前、ウサギロースも似たような事を言っていた。
ヴァルヴェールが元エルフなのは間違いない。
なら先の夢は十中八九ヴァルヴェールの記憶だろう。
押し込められるように俺の体に残留し、散っていく不自然な魔力がその予想を後押ししていた。
同調していた俺には分かる。押さえられない感情の名前。
それは気が狂う程に激しい『怒り』だ。
アザラシからヴァルヴェールは過去の記憶を消しているとも聞いた。
だが消えちゃいないんだ。封印されているだけ。
暴走の原因がこの消えない怒りに起因するならば、直接ヴァルヴェールに問い質す訳にはいかない。
色々と真剣に考えたいが……
俺の思考を遮り、心拍数を上げる存在を無視する事は出来なかった。
自室の扉が少しだけ開いていて、そこからガイコツが半分顔を覗かせているのだ。
目覚めの深夜に見るにはそこそこ強烈な怖さ。
「ザガン。そこに居られると怖いんだが?」
「急激な魔力の膨張を感じ取り、何事かと思ってな……」
寝たまま声を掛けると普通にザガンは反応をくれた。
あえて無視されたら恐怖で泣くところである
「もう大丈夫だ。ヴァルヴェールが怖い夢を見たんだとさ。安心してすぐ寝ちゃったよ」
「それなら良いのだがな……。それより見ろ! リノレが我にお土産の焼き菓子を……」
「知ってるよ見てたよ聞いたよ。何回目だ寝なさい」
大事無いことを伝えると、ザガンは相当嬉しかったらしいお土産の袋を見せてきた。
静かにツッコミを入れると渋々引き下がったが、まさかあのまま食わずに保管する気ではないだろうな?
「それにしても光の勇者に氷の魔王か……。その時もひょっとしたら……。悪かったのは人間なのかもな……」
夜の静けさが舞い戻り、窓から冷たい空気が流れ込む。
大昔の英雄譚も鵜呑みには出来そうもない。
歴史なんて、おそらく多分に捏造が含まれているのだろう。
そうしんみりと考えていると再び睡魔が訪れる。
煽るような涼しい風と共に、窓に掛かるカーテンが大きく揺らぐ。
外の風景は一切見えず、視界に入ってきたのは恐ろしげにギロつく巨大な瞳。
「ねえ怖い。怖いんだけどマトイさん」
「いやね。急にヴァルヴェールの魔力が膨れ上がったからさ。心配になって……。シトリーもラグナートもお酒飲んでる途中で笑顔のまま固まってるよ。超臨戦態勢だよ?」
窓からこちらを覗く巨大な竜。
その月明かりに照り返す金色の顔に苦情を一言。
口を開いたマトイからは心配の声が上がる。
どうやら屋敷中が静まり返っているのは、深夜だからだけではないようだ。
瞬間的に発生した強大な魔力に警戒しての事である。
「心配すんなって。俺だって有事の際にはちゃんと動けるよ。事前に手の届く範囲にこうして、クリムゾンシアーだってある……し?」
俺だってそうそう油断しっぱなしではない。
ベッドの横に棚を配備し、きちんと武具を置いている。
だが証明するように手を伸ばし、剣を手に取ると妙に感覚が違った。
それに暗がりとはいえ、いくらなんでも刀身が真っ黒過ぎだ。
「ゴ……ゴゴ……ゴ……。駄剣……め……」
「アガレスおまえ……。またクリムゾンシアーどっかに捨てやがったな……」
控えめに寝言を呟く魔剣アガレス。
俺の文句は寝ているアガレスに届くはずもない。
最近は呼び寄せる術を得たからまだ良いが。
毎度毎度、知らぬ間に俺の剣を隠しやがって。
部屋の隅にはアガレスが自活用に使う漆黒の鎧が転がり、これまた不気味な恐怖を醸し出している。
「とはいえ夜中に転がり込んで居座るなんてまずしないし、アガレスも心配してくれたんだろうな……」
「んでそのまま寝ちゃったと。ある意味それも信頼だよね」
真意は察するが流石に呆れ混じりにはなってしまう。
だがマトイの言う通り、心配はするが慌てるまでもないって雰囲気だな。
「なあマトイ。光の勇者が氷の魔王を倒した話ってさ……」
「詳しくは知らないよ。何も知る必要はないって、私も……ゼラムにそう言われてる。多分人と関わる為には不要だったんだと思う。少なくとも、昔の私にとっては……」
もう深く追及する気もなかったが、ふと好奇心から聞いてしまう。
どうやらその場にマトイは居なかったようで、人伝程度にしか知らないようだ。
「そっか……。ごめん」
「ううん。ありがとう」
俺は一言だけ謝罪をし、マトイも短くお礼を返す。
当時の人間模様を知るマトイの考えも俺と同じ。
なら、これ以上の考察は無意味というものだろう。
「私も今日はここで寝よっと!」
「そうしてくれると助かる。ヴァルヴェールも安心するだろ」
気まずい空気を壊すように、突然小竜形態に戻ったマトイが俺の枕元に飛び込んで来た。
少し心細さもあったことから俺としては大歓迎。
こういう時、側に居てくれる者が居るのは本当に有難い。
ラグナートにせよシトリーにせよ、俺に危険が迫れば即馳せ参じてくれただろう。
今回の暗殺者騒ぎでも、なんだかんだ俺は臆せず対応出来た。
それは俺が強くなったからではない。
いつもこうして心配してくれる。手を差し伸べてくれる。
マトイやザガン達が居る事による安心感が根底にあったからだ。
もっとも今回は暗殺者なんて名ばかりで、変なヤツしか居なかったけどな……
それでも何度でも思うし何度でも言う。
俺は恵まれてるし本当に幸せ者だ。
だからこそ甘んじる訳にはいかない。
今度は俺が、この想いを抱かせる立場にならなきゃな……
ーーーーーーーーーー
毎日毎日似たような悪夢にうなされること数日。
頼まれていた魔道具の構想や刀の製作等々、溜まりに溜まった仕事に忙殺される中。
妖精の里に向かったシリルがようやく帰ってきた。
代わりの剣などは所持しておらず、行きに持ってた魔道書をケースに入れて腰から下げている。
「そんな感じでヴァルヴェールのヤツ、すっかり寂しがっちゃってさぁ~」
「へぇ……」
俺は円卓の間でここ最近よく見る夢や、ヴァルヴェールの様子をシリルに語って聞かせている。
しかし無愛想に頬杖をつくシリルからは適当な返答しかない。
興味がないという訳ではないだろう。
その淡白な相槌から、言い表せない激情が顔を覗かせているからだ。
「つまり、ずっとヴァルヴェールと添い寝をして過ごしていたと?」
「どうしてそうなるの!? シリル怖いよ? あなたそんな子だったっけ?」
睨み付けるようなシリルからは恫喝にも似た言い回しが飛び出した。
そのあまりにおかしな勢いに思わず俺はたじろいでしまう。
綺麗な青髪で幼さの残る顔立ち、素直で優しい少年がこんな圧を仕掛けてくるとは思うまいて。
「ところでカイラパパとワーズはどうしたんだ? そんでいつまでボロボロの格好してるんだ?」
気を取り直した俺は疑問を口にする。
そう、今回シリルは一人で帰ってきたのだ。
それと服装が以前来た時同様ボロ雑巾のまま、哀れな姿である理由も合わせて問う。
むしろ前にも増してボロボロかもしれない。
「ワーズの治療の目処が立ってね、療養の為にゼファーさんも一緒に残ったよ。俺はやる事が出来て……、一人で戻ってきた。これでも一応繕ったんだぞ? 妖精領でフレム特務戦隊、デモンサラダーズを名乗る野菜やエルフに襲われる前は……」
「いや、やっぱ詳細は要らないや。シリルくんご飯食べて行きなさい。お兄さん歓迎しちゃう」
一人で帰還した理由を説明した後、シリルは明らかに恨みを込めた口調で苦々しい表情を作る。
心当たりしかない俺は即座に話を切り上げさせた。
間違いなくヘイムダル率いる魔野菜軍団の仕業だろう。
俺の名を使って過激な行動を取らないで頂きたいものである。
一先ずシリルの機嫌を取る為、俺はすぐ部屋に水竜の剣を取りに行った。
そしてそのままザガンにご飯の準備を急かしにいく。
皆総出で用意した昼食には東国の料理が並んだ。
山の幸や海の幸を混ぜた米に、具を米と黒い皮で巻いた不可思議な巻物等々。
特にこの細い巻物飯は掴んで食べやすくお気に入りだ。
具もキュウリや植物を煮詰めた単純なものだが、味付けが良いのか非常に美味。
「私がフィルセリアを飛び回って材料探してきたんだよ!」
「それはおまえが食い尽くしたからだろう! 俺のかんぴょう巻き返せ~!」
一見黒い棒である美味たる食事を取り合い、マトイと俺はいつもの大暴れを始める。
すぐシトリーにお仕置きされるのは理解してるが、食い物を取られた以上引く選択肢はないのだ。
「シリルよ。作り過ぎてしまってな、デザートにマカロンでもどうだ? ん? これはやらんぞ。リノレが我の為に用意した土産だからな」
「いや、聞いてないんだが……」
ザガンはシリルに作り置きしていたお菓子を勧めていた。
数日前にフロルが呟くように望んだ瞬間から、裏でせっせと拵えていたらしい焼き菓子だ。
ついでに毎日少しずつ消費しているお土産を見せびらかし、シリルを大変困惑させている。
「ここの連中はいつも自由だな……」
「シリルは考え過ぎるんですよ」
「そうそ、おまえさんはもう少しのんびりした方が良いぞ」
「そうですわ。楽しく生きましょう?」
食事を摘まみながら呆れたようなシリル。
ヴァルヴェールやラグナート、シトリーにその思考の固さを指摘され、少々緩んだ笑顔を返していた。
「シリルおにいちゃん? リノレ達ここに居るよ?」
「ん? ああ、そうだな。賑やかで楽しいよここは」
お行儀の良いリノレが珍しく、食事をしながら不思議そうにシリルに語り掛ける。
それを受けてシリルは少々慌てた様子で、取り繕うように笑顔を返していた。
「やっぱおかしいなシリルのヤツ。カイラと喧嘩でもしたのかな?」
「フレムがヴァルヴェールと添い寝したのがショックだったんじゃない?」
俺とマトイは冷静になり、改めて冗談混じりではあるが元気のないシリルを心配している。
木の枝でぐるぐる巻きにされ、天井から吊るされた状態なので他にすることがないのであるが。
食事を終えるとシリルは水竜の剣を握りしめ、世話しなく旅立ちの準備をする。
まるで時間が惜しいと言わんばかりの急ぎようだ。
「色々世話になった。それと、近々ハミルが法王と一緒にこっちに来るらしい。大事な話があるみたいだぞ」
「ようやく帰って来たのかあのじいさん。仕事が片付いたら様子を見に行こうと思ってたからな、来てくれるなら手間が省ける」
屋敷を出た所で、シリルは見送る俺達に法王帰還の一報をくれた。
軽く対応して見せたが、これも最重要課題の一つ。
法王のじいさんが隠している事を聞き出さなきゃ、俺の平穏は訪れないと思っている。
いつ来ても良いよう気を引き締めなきゃならないな。
「それじゃ……。さよならだ」
「ん? ああ、またな?」
背を向けて別れの挨拶をするシリル。
その後ろ姿が酷くもの悲しく映り、俺は奇妙な不安を感じてしまう。
俺は咄嗟にシリルの背中に再会を望む声を投げ付けた。
この不安を拭うように、不気味な予感を掻き消すように……




