百七十六話 三種の神器
合図もなく俺とムホウマルは斬り結ぶ。
弧を描くように振るわれる相手の剣閃。
力任せに断ち切る事はせず、技によって引き裂く事に重きを置いた剣技。
その太刀筋は目で追いきれない程に速い。
落城降魔で高めた反射神経といえど、短時間で捉えるのは不可能なはずであった。
だが俺は襲い掛かる数多の剣閃を予測し、全て完璧に捌き切る事に成功している。
基本は無理に対抗せず、流れに沿って受け流す事だ。
「掠りもせんだと!? 先程と違い、手心など加えておらぬ。いったいどんなカラクリだ!」
たった数秒の打ち合い後、互いの間合いから僅かに外れムホウマルが疑問を口にした。
さっきと今で俺の動きが違う事に驚きを隠せない様子である。
「ふふん。相手の力量を見誤るようじゃ、ラグナートどころかセリオスにも遠く及ばないぞ。もちろん、前座扱いしてくれた俺にもな!」
「うぉぉおおぉ!! 良いぞぉ!」
「間抜け面した兄ちゃんやるじゃねぇか!」
俺は散々ラグナートに諭されたお説教をドヤ顔で良い放ってやった。
一先ず暴言を発するヤツは顔を覚えておくとして、観客の声援も素直に心地よいものである。
しかしやれ戦えだの、さっさと仕掛けろなどと熱を帯びる歓声が鬱陶しい。
「それにしてもじいちゃんさ。余計に喧しくなってるけどぉ?」
「……そうさな。なに、直に気にならんようになる。小手先の芸はここまでにしよう。……チッ! ラグナートの奴め、知らぬ間に戦域から消えておる。弟子を信ずる慧眼のつもりか知らんが、愛弟子の骸を見てから後悔するがいい」
チクリと苦情を言ってやると、何やらムホウマルを本気にさせてしまったようだ。
まだラグナートだと思っているのは可哀想だが、チノレはゆるりと戦場から離脱している。
このじいさん、殺気や闘気といったピリツク気配以外は疎いらしいな。
何故かまったくゆとりがない、とも言い換えられるだろう。
「俺にとっては、そこが勝機になるだろうな……」
静かに呟き、俺は勝ち筋を見極める。
重苦しくも静かな闘気を纏うムホウマル。
そして腰を落とし柄に手を掛け、ムホウマルの瞳孔が開いた。
感情を悟らせぬ暗闇の瞳。気配は露と消え去り、針の先のような鋭い殺意のみが突き刺さってくる。
感じるのは刺すような殺意の雨。
落城降魔を行使してなければ、無意識に体が強ばり硬直していただろう。
「秘剣・桃桜華……」
ムホウマルが小さく口を開いたその瞬間、口火を切った刃が音もなく大気を切り裂いた。
一切の振れもなく、神速で空を断つ見惚れる程に美しい刃。
だがその真価は刀身ではなく、目に見えぬ真空の刃だ。
「頼むぞヴァルヴェール!」
俺は瞬時に見極め、その脅威を払おうと全力の切り上げを行う。
するとドン! っという衝突したような音が響き、真空の刃は大気を蹴散らす青い刀身にて塵と消えた。
水竜の剣から名残のように揺らぐ熱気が頬を撫でる。
びっくりした。本当にびっくりした。
うっかり落城降魔を解除してしまうほどに。
いきなり大気を揺らす威力を出したのだ。
そこまで張り切れとは言ってない。
「やっぱそれも魔剣か……。簡単にはいかないな……」
「左様。妖刀、黒雷鬼酒呑影打。切れ味だけでも最高峰の一振りよ。だが、貴様も面白い獲物を手にしておるな」
動揺を隠しながらも、相手の剣から感じた魔力で俺は身を引き締める。
胸元に隠れるおぞましい魔力源が際立つが、あの武具も相当ヤバイ。
自信に満ちたムホウマルが言うように、技の冴えを存分に生かせる業物だ。
だが魔力の核は原則一つのはず。
俺の感覚ではどちらも魔力源として機能している。
今更ながら意味不明に厄介な相手だ。
「こちとら勇者様から借り受けた伝説の剣だ。武具の性能なら負けてない。そんじゃ……今度は俺から行くぞ! 真っ向勝負! 猫魔時雨!」
「うつけが! 自殺行為ぞ!」
脇構えのまま一直線に突っ込む俺を、今度はムホウマルが迎え撃つ。
やや激昂するムホウマルの言いたい事は百も承知。
武具を鞘に納める待ちの姿勢。ムホウマルの剣技は返し技に特化している。
専守防衛にこそ真価を発揮すると言えるのだ。
「どのみち技では届かない……。なら……」
なりふり構わず突進した俺の体は、止まることなく急激に進路を変える。
相手の間合い手前から、ムホウマルの背後へと高速で回り込んだ。
無理な体勢、無茶な動きだが体の心配は後回し。
「同じことよ! 花と散れぃ! 奥義、緋立蓮花!」
反転し即対応してくるムホウマル。
足の主軸から腰、腕の振りを最大限生かした豪快な一刀。
その剣先には得体の知れない怖気が乗る。
だが急に型を崩した以上、本来の性能は出ないはず。
狙いは出方を絞らせ、決めの一手を弱化させること。
「出させるか! 猫魔流二刃、魔多多尾!」
俺は襲いくる邪気を纏った刃に向け、最速の連撃を見舞う。
暴威を発揮する間もないほど速く、俺はその刃を打ち払いなおも手を止めない。
俺の思考よりも先に動く体が繰り出す斬撃、それを今度はムホウマルが華麗に捌いていく。
その良く似た眼で俺を見据えるムホウマルの顔に、微かな綻びが浮かんでいた。
「何故捌ける!? 何故手が出せぬ!? 敵と己の死を背負う覚悟なければ至れぬ、決死の境地にあるのは互いに同じ……。いや待て。まさかそれは……、死生眼ではないのか!?」
「これで終わりだ。心霊封緘……。三刃、祢火髭!」
戸惑うようなムホウマルに見えた僅かな隙。
それを見過ごす今の俺ではない。
五感を更に希薄にし、一太刀のみに集中する。
先程食らった殺意の雨も倍返しだ。
全身を刺し殺す勢いで気配を叩き付け、俺は同時に引いた剣から躊躇わずに突きを繰り出した。
瞬き程の一瞬、硬直したムホウマルの右肩に俺の放った突きが深々と刺さる。
続いて遅れて放たれた水竜の剣の熱波が、ムホウマルの体を吹き飛ばす。
「ぐおぁぁあ!! うぐぬ……。はぁ……、はぁ……。今際の境地に己を落とし込む秘術か……。外法と言うてもいい。一歩間違えば、行使した瞬間に命を落とすぞ!? どのような闇を見れば、その若さでそこに至れるのだ!」
「なんかめちゃくちゃに失礼なこと言われてないか? 俺の心に闇などない! 世界一幸福で恵まれた男と言っても良いんだからな!」
利き腕をだらりと下げ、ムホウマルは息を上げながら俺を睨み付ける。
その分析や疑問なら今まで散々聞かされてきた。
こんな達人に答えが出ないのなら、俺が知る訳がないのだ。
「しかし何故だ! 凌がれる度に切り返しも、初動も変えて放った! ワシの剣を初見で捉えた者など今まで誰一人として……」
「ああ、それなら見た覚えがあったからな。その経験がなけりゃ危なかったかもれない。で? もうその腕は使えないぞ。いい加減諦めろじいさん」
どうやらムホウマルの疑問は競り負けたこの現状に移ったようだ。
結論としては敗因探しだろう。
それなら答えは簡単だと伝え、ついでに降伏をお勧めしてあげた。
俺がハバキと剣を合わせたのは人魔戦争での一合のみ。
その後も戦ったみたいだが、俺はその時の事はよく覚えていない。
ここまではっきり体と心が覚えているのだ。
やはりこの既視感はハバキのものではなかった。
「基礎もおぼつかぬ、ハバキの拙い剣術でか? 何をバカな……。そもそもあやつはワシの技を何一つ会得しておらん!」
「……前の戦争で戦ったアドラメレクってヤツが化けた剣士。アレと体捌きから癖まで同じだった。そこまで似通ってたからこそ、無傷でなんとか合わせられたんだろうな」
何やら必死にハバキを扱き下ろすのが可哀想で、俺は焦らさずに答えを教えてあげることにした。
ゼラムル教団首魁、アドラメレクが化けていた着物姿の剣士。
あれはおそらくこのじいさんの若かりし頃だったのだろう。
「アドラ……メレク? 空亡のこちらでの名だったか……。やはり真実……。やはり貴様は奴と正面から死合い、生き残ったのだな……。ワシが……。このワシに唯一、恐怖と絶望を植え付けた妖魔から!! 貴様のような若造がぁ!!」
生気の抜けたような顔から、ポツリポツリと声を絞り出すムホウマル。
その表情は突如憤怒とも悲壮とも取れぬ程に歪み、そして激昂した。
「悪鬼に姫を捧げ、奴への足掛かりを得ようとした! 力を欲し、誇りすらも捨て妖魔にこの身を投げ売った! せめて……、せめて一矢報いようと生き永らえてきた……。それすら叶わぬ今、もはやワシの生に意味など……無いのだ!」
地面に崩れ落ちるムホウマルは、無情を嘆くかのように慟哭する。
血の滴る右腕は剣を持つことも叶わず、震える手は自身の胸元を精一杯握り締めた。
無念を晴らす相手はもういない。
深い事情を知らぬ俺には掛ける言葉もなく、その所作をただぼんやりと眺めていた。
しかし急な胸騒ぎに襲われ、高鳴る自分の鼓動で我に返る。
「最後の悪足掻きに付きおうてくれ。さすればこれは、約束通り貴様の物だ……。さあ、この身を喰らえ、霊脈の魔皇!」
ムホウマルは乞うように言葉を繋ぐ。
纏っていた魔力の一つ、妖刀とやらは弾かれるように地面を転がった。
代わりに胸元から放たれる瘴気がムホウマルを包み込む。
尋常ではない瘴気の嵐。
町中の瘴気も呼応するようにその濃度を高めていく。
程なくその嵐は止み、黒い着物を纏った男が姿を見せる。
二十代程の、力強い気配を放つ男。
アドラメレクが化けたあの剣士の姿そのままで。
胸元にはドス黒い光を湛える円盤状の首飾り。
どこか見覚えのあるそれは、恐ろしい魔力をムホウマルに供給し続けている。
「かか……、かかかかか! 力が溢れる! 全ての焦燥が、全ての無念が晴れるかのようだ! 今一度立ち合えフレム・アソルテ! この戦で、何もかもを濯ぐとしよう!」
豪胆に吠えるその心身は別人と言って差し支えない。
ムホウマルの体は多分、マトイ同様魔力によって外側を形作る言わば鎧のようなものだろう。
ただし精神は闘争本能へと振り切っている。
腕も完治し、感じる魔力も桁違い。
もう完全に今の俺の手には余る魔神と化した。
対抗するにはクリムゾンシアーを呼び寄せるしか手はない。
だが魔力を無効化するラグナートの手にある以上、おそらくそれは不可能。
「いつまでも呆けてんなヴァルヴェール! 時間を稼ぐ。こいつは意地でもここで食い止めるぞ!」
「コロセ! コロセ! コロシアエ!」
「ヤツザキニシロ! ハラヲサケ!」
頼みの綱であるヴァルヴェールに声を掛けるも応答はない。
聞こえてくるのは、更に沸き立つ観衆の声。
もういつ暴れ初めてもおかしくない。
このままでは狂喜の殺戮が始まってしまう。
「ふふ……ふふふふふ……」
「フレム、やべぇぞこれ……。フロルも限界だ……」
泣きそうな顔で不気味に笑い座り込むフロル。
苦渋の表情で立ち上がろうとするアッシュ。
感じる不穏な熱気に冷や汗が止まらない。
思考が停滞し吐き気が喉を突く。
そんな中とても冷たい、寒気を覚える程に冷たく重い声が俺の手の内から聞こえてきた。
「何が楽しいのです? そうやって……また私を騙すのでしょう? 私から大切な者を奪うのでしょう? 私はもう迷わないのです……。大切な人を守るためなら、どんな犠牲も、どんな罪さえ……」
「な、何を言ってんだ? 落ち着けヴァルヴェ……」
いつも優しくお気楽なヴァルヴェールとは思えぬ程に、重苦しくも冷淡な声。
俺は震える声でなんとか意志疎通を図ろうとするも、上手く声が出てこない。
精神を抉られるような、強制的に魔力を作り絞り出されるような感覚。
不自然に下がり続ける気温と、不気味に熱を発する刀身。
昏倒しそうな気持ち悪さが俺の身体にのし掛かってくる。
「……やれやれ。水を差してくれる……。停止せよ蒼天の剣。その想いを忘却の彼方へと追いやり、眠りに就くがいい」
消えそうな意識の中、酷く残念そうなムホウマルの声が聞こえた。
同時に俺の持つ水竜の剣から、ヴァルヴェールの気配が消滅する。
「な……に? なん……で?」
自然と口を衝く疑問。
しかし突然の事態に狼狽える間もなく、ムホウマルから放たれた瘴気が俺に襲い掛かった。
瘴気は巨大な黒い蛇を象り、俺から水竜の剣をむしるように奪い取る。
ムホウマルは黒蛇が奪った水竜の剣を手にし、感情の読み取れない、とても空虚な瞳で眺めていた。
「試しの儀だ。再起せよ蒼天の剣。そして、かつて英雄アグニスが振るった力の一端、ワシに見せてみよ! 《万物起源》!」
ムホウマルは水竜の剣を地面に突き刺し高らかに命じる。
途端に辺りの気温が急激に減少し始めた。
それはまるであらゆる熱を奪い取るかのよう。
神器を起動させたムホウマルを含め、理解が追い付かない。
急速に冷え行く大気と大地。目の前は白く染め上がっていく。
体温も急速に低下し、このままでは意識が……途絶する。
「多分無理だろうが……。こうなりゃダメ元だ! 来い……クリムゾ……」
「おにいちゃん!」
「ぎゅ~!」
振り絞る俺の声は、突如上空から聞こえた声で押し止まった。
見上げると空から振って来るものが複数。
それはリノレとキャロル。
ついでにニンジンの形をした大量の炎槍。
次の瞬間、俺の視界は完全に吹雪に飲み込まれた。
襲い掛かる痛烈な寒気と、気絶しそうな感覚。
それらを乗り越え、俺はそっとまぶたをあける。
そこはまるで別世界。
氷に閉ざされた極寒の景色。
辺りは静けさが席巻し、声を上げる者など一人も居なくなっていた。
地面も、建物も、人々さえも白く凍り付き、生命の息吹きが欠片も感じられない。
俺の周囲とムホウマル以外、町中目につく物全てが凍り付いているのだ。
「アッ……シュ? フロ……ル?」
呟く俺の息は白く、凍える寒さが肌を刺す。
フロルも、アッシュさえも物言わぬ氷像と化し、俺は身を裂かれるような感情を必死に押さえ込む。
燃え盛っていた槍は俺を囲むように大地に突き刺さっていた。
すでに炎は絶え冷えきっているが、俺が無事なのは多分そのお陰だ。
守るように俺を抱き締めるリノレと、俺の頭にしがみつくキャロル。
二人が来てくれなければ俺も氷漬けだっただろう。
「助かったよ。リノレもキャロルも……、ありがとうな」
「ぎゅっ!」
「うん! リノレ急いで戻ってきたよ!」
我ながら情けない程にか細い声でお礼を伝えた。
嬉しそうなキャロルと明るいリノレの声が、少しばかり俺の心を和ませる。
それでも思考はぐちゃぐちゃで纏まらない。
アッシュ達の、この現状を認める事が出来ないでいた。
「舞い戻ったか、鬼神の玉を宿す幼子……。遥か昔、天下泰平の象徴とされた真なる三種の神器。よもやこのような形で目にする事になろうとはな……」
ムホウマルはこちらに向けて感慨に耽るように語り出す。
話が気になり視線を向けると、俺はその手に持つ水竜の剣に意識を奪われた。
青かった刀身は神々しい黄金色の輝きで満たされている。
まるで太陽の如く暖かい光。
だが俺はふとその光に、この冷えた大地すら霞む程のうすら寒い恐怖を感じていた。




