百五十九話 俺の居場所
目を覚ますとそこは俺が倒れた男爵邸の一室。
体も元の大きさに戻り、絶望的な症例も消えている。
どうやら大した時間差もなく夢から帰還出来たようだ。
自らの膝に俺の頭を乗せるシオンに、俺の左手を固く握るエトワール。
俺の右手にはアガレスが握られており、胸にはクリムゾンシアーが置かれていた。
執拗に金角で脇腹をつつくバサシに心配そうに覗き込むラグナートもいる。
仰々しい様子に、かなり迷惑を掛けたのが見てとれた。
だが俺は帰って来れたのだ。現実に、俺の居場所に……
「無茶をしおって……」
「悪い……。でも戻ってこれた。ありがとう……。本当に……」
安堵したようなシオンの優しい言葉に応え、俺は笑顔を返した。
感じる肌の温もり、伝わる優しい想いが嬉しくて仕方ない。
あの世界では口を開く度に後悔を感じていた。
何を言えば正解か、何を思うのが正しいのかも分からなかった。
体の変調、他人の顔色、虫の動きに怯える日々。
だがこの世界。俺はこの暖かな世界に救われたのだ。
言葉や行動に応えて笑顔を貰えるこの世界に。
だから絶対に、俺はこの世界で後悔を口にしない。
それが俺を認識してくれる皆と、この世界に報いる唯一の礼儀だと信じているから……
「あれから……どうなったんだ? 上手くいったのか?」
「大忙しだ。治療に留まらず、取り憑いた悪魔の情報をクライズ卿から吐かせたりとな……」
俺の問い掛けに頷くシオンの話によると、あれからすぐにラグナートがクリムゾンシアーを拾って俺に抱えさせてくれたらしい。
それでも覚醒せず、アガレスを握らせるも変化は無し。
その間別室に移って行われていたルーミアの治療は一応の成功を見せ、クライズ男爵からもある程度の情報が得られたらしい。
そこで得た悪魔の情報を元に、ザガンが悪魔の除去を行うと言って俺の内部に入り込んだようだ。
ところがそこで異常事態が発生する。
俺の体が辺りの魔力を吸収し始めたのだそうだ。
クリムゾンシアーの魔力を根こそぎ平らげ、エトワールが持つ膨大な魔力を半分程奪う。
皆の不安と混乱が頂点に達しようとした辺りで、ようやく俺は目覚めたのだとか。
あれだけ息巻いておいて……、なんて格好悪い有り様だ。
「本当に……迷惑掛けたな。エトワールもごめん……」
「いいえ。ご無事で何よりですお兄様……」
俺は情けない思いを胸に謝罪をしながら体を起こす。
エトワールは立ち上がる俺を見上げながら、安心したような微笑みを浮かべてくれた。
「この……バカヤロウ!!」
ラグナートの怒声が立ち上がったばかりの俺に浴びせられる。
お叱りは覚悟の上の行動。俺に言い返す言葉はない。
同時にラグナートの鉄拳が俺の顔を殴り付けた。勝手をした俺に愛ある鉄拳制裁だ。
「おまえは昔からそうだ! 何べん言わせりゃ気が済む! まずは自分が生き残る事を考えろ!」
「ラグナート殿。フレムは向こうです」
うつむき目を閉じ、なおもお説教を続けるラグナート。
シオンはそんなラグナートに現在俺が居る場所を指差してくれた。
俺は最初の鉄拳制裁で部屋の壁に叩き付けられ、床に崩れ落ちているのだ。
もうおまえ達の目の前にはいない。
「お兄様ぁ!!」
「死ぬ……。今度こそ……死ぬ……」
一瞬の間を挟んで叫ぶエトワールの声を聞きながら、俺は死を感じていた。
魔道具の守護すら一切ない俺にとって、ラグナートの軽いゲンコツは超高速で放たれる鉄球となんら変わらない。
体捌きでどうこうなるものではないのだ。
頬は痛みを通り越し感覚もなく腫れ上がる。脳は揺れて昏睡寸前。
指一本動かせない。間違いなく死の一歩手前だ。
それからエトワールにバサシ。更にはシオンの持つ聖剣グランフォウルの力でなんとか俺の体は一命を取り留めた。
幼少時代に比べ、俺も随分と頑丈になったものだ。
もっとも、イリスに拾われてから割りとすぐ健康体にはなった。
なので体が弱かったのは多分当時の食生活が主な問題だったのだろう。
この国に来て一番衝撃的だったのって、水の美味しさだしなぁ……
「ところでザガンはどこだ? あいつにもお礼言わないと」
回復した俺は部屋を見渡す。男爵共は別室で待機してるとして、ザガンの姿だけが見当たらないのである。
加減を間違えて反省の色を見せるラグナートを筆頭に、皆揃いも揃って困ったような表情で俺を見据えていた。
「へ? まさかまだ俺の中……あ……ぱ……うぇ?」
ザガンの状況に答えを得た瞬間、俺は息苦しさに襲われる。
喉の奥に異物が現れたかのような不快感。
苦しいなんてもんじゃない。息が出来ない。
本日何度目かの死の予感である。その異物は喉から口の中に登ってきて、ついに俺の口からひょっこり顔を出す。
『外的要因から去り際の魔力提供。されど形成魔力に若干の不足。故に転送失敗。対象の食道内に現出』
「うぐお……ぺっ!」
人の口元で訳の判らん事をほざく人形を文字通り吐き捨てると、それは予想通りザガン人形。
ボトリと落ちた人形は動力を失ったかのようにピクリとも動かない。
「はぁ……はぁ……。ありがとなザガン……。手間……掛けたな……」
『さもありなん』
肩で息をしながらお礼を言ってみると、一応返事が返ってくる。
ザガンも無事なようだし、この形態からいつ戻るのかも分からないので一先ず放置する事にしよう。
俺は胃液で汚い人形を掴み、残りの面子と共に男爵が待つという執務室へ向かった。
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執務室の扉を開くと静かに我々を待っていた三名の姿。
椅子に腰掛けるルーミアの向かって左隣には、巨大コウモリのワイトがこじんまりと座る。
右隣には床に固定された棒に縛り付けられる男爵の姿。
ぽっちゃりお肉を締め付けられて青い顔で項垂れる、そんな奇っ怪なオブジェが見える。
なんでこの人縛られてんの?
「このような格好で失礼します。先程はお助け下さりありがとうございます」
「あ、ああ。それは構いませんが……」
先刻のにこやかな表情はつゆと消え、キリリと粛然とした態度のルーミア。
その表情と声色とは裏腹に、両手はワイトの羽と男爵のズボンをしっかりと握ってまるで怯えている子供のようだ。
「ザガン殿が言うには、両足が機能不全を起こしているらしくてな……」
「完全回復は出来なかったって事か……」
シオンがポソリと俺に耳打ちをしてくる。
ザガンやエトワールにバサシまで居た状況で完治しないとなると、ここでこれ以上の助力は出来そうもない。
一先ず俺は視線を男爵に移し、話を聞いてみる事にした。
「それで、二重スパイとか言ってたな」
「そ、その通りだ。我輩席はアーセルムにありながら、アズデウス公国の魔導研究所と繋がっておった。もっとも、あの腹黒王子はそれを知りつつ泳がせていたようだがな」
俺の声で青白い顔をした男爵は我に返り、瞬時に答えてくれる。
やはり腹黒王子セリオスはこの一件の全容を把握していた。
今すぐ隣にシレッと佇む仮面の騎士シオンこと、腹黒王子を問い質したいが堪えよう。
「だが細かな動きは悟られてなかったろう。あの腹黒イケメンは我輩をアズデウス侵攻の足掛かりとして放置していたのだ。ところがあの腹黒、最近になってアズデウス公国の貴族連合と内密に同盟を組んだようでな。となれば我輩、ただの邪魔者であろう?」
男爵の考えでは、真っ黒イケメンは男爵を利用。
最悪は国家の礎にするつもりで放置してたのだろうと言う。
確かに以前のブラックセリオスならやりかねない。
しかし今の綺麗なセリオスから見たら、その行いは黒歴史だろう。
なるほど。その過去の過ちを明かし、俺の功績として取り上げるのが狙いだったのか。
なんとも回りくどい男である。
「この一件を追及されて腹が痛むのはアズデウス公国側も同じ。だが同盟となれば話は違う。アズデウス公国からの引渡し要請に怯えていたが、どうも少し前に我輩どころではない事件が起きたようでな。新体制に変わった魔導研究所があたふたしてる内に、死を偽造する事にしたのが今回の顛末よ」
「アズデウス公国の事件だと? 大変な事態なのか?」
男爵の言う通り、一応アーセルムの貴族という肩書きがあっては他国が勝手に捕まえるのは難しい。
だが悪徳魔導研究所に加担していたのなら、その国に送還して裁きを受けさせるのも筋である。
その辺りは俺も納得したが、それを後回しにする程の事件など聞いていない。
「ああ、大した話ではない。そんな事より、今後の流れについて交渉をしたい」
「凄い気になるんだが……。流れか……。その前に、以前の魔導研究所って悪い奴等が好き勝手やってた所なんだろ? なんでそんな所に協力してたんだ? バイトか?」
何やら結論を急ぐクライズ男爵であるが、こちらも事情を知らねば進めない。
俺は男爵の立ち位置を明確にするためにも、今までの経緯を尋ねた。
「単純な話よ。我輩幼少から趣味で魔導書を読み独自で研究をしていてな。主に自動人形作成ではあるが……。それが当時の魔導研究所所長であるザラスの耳に入り、声を掛けられたのだ。好きなだけ研究されてくれると言われてな……」
話を聞くに、クライズ男爵の趣味は気味悪がられてはいたが、アーセルム国内ではさして気に留められていなかったらしい。
それが大変な技術と知識の結晶であると目を付けたのが、当時のアズデウス公国悪人代表ザラス・イーラと言う男らしい。
その男自体は勇者ハシルカ一行の手で失脚。及び事故死という結末で幕を閉じた。
しかし男爵の作った人形等は人拐いや死体偽造など数々の悪行に利用され、手を貸した男爵の犯した罪は大きい。
悪事の片棒を担がせられていると気付きつつも、気が弱く逃げられもせず、ズルズルと研究を続けていたらしい。
「あのマオとか言う少年は何者だ? 顔見知りなのは間違いないだろう?」
「若かりし頃、女性職員の人気を得るため美少年人形を作ってな。それの動力源に、未踏大陸コキュートスより流れて来たと噂のあった魔石を冗談で埋め込んだのだ。それが眠りについていた危険な魔神だったらしく、心底慌てたものよ。な~はっはっはぁ!」
続けて俺は怪しく危険な香り漂うマオ一行の事を尋ねる。
男爵が高揚したような口振りで話した内容はとんでもないものだった。
当時は大層焦りを覚えたと言うが、マオは予想に反して友好的だった模様。
器のお礼と称し、様々な物品を持ち込んで来たらしい。
「その魔神からもたらされる悪魔の核、未知の素材や魔道具に胸が踊ってな。マオの依頼で様々な物を作った。吸血鬼の花を媒介に作りし魔喰いの盾。大天使の血結晶で拵えた守護闘神の鎧。そう、何を隠そう奴等が所持していたのは我輩の最高傑作の品々で……いたたたた!」
「こいつは危険だ。早々に始末しよう」
なおも面白おかしく笑顔で語る男爵のプヨンとした腹を、俺はクリムゾンシアーの柄で力いっぱい押し込んだ。
ただの悪人ではない。この男爵、危険物生成マシーンなのである。
「待ってください。この暗黒大福には罪を償わせなければなりません。もう少し……。あ、あと五十年くらいは罪を償わせないと……」
努めて冷静な口調ではあるルーミア。その指先は盛大に震えている。
表情も暗く、意思を示せなかった幼い日の俺を彷彿とさせた。
ああ、そういう事かと得心がいく。年の頃なら二十代前半の女性。
されど物心付く前から監禁されていたのなら……
その心は成長を止め、心理は幼子となんら変わりはないのだろう。
彼女にとって俺達は知らない大人。どんなに悪態をつこうと、ルーミアが頼れるのはワイトとクライズ男爵だけなのだ。
俺は一先ず冷静になろうと努める。
話を聞いたであろうラグナート達も縛り上げるだけに留めたのだ。
それに、確かに命一つで償えるものではない。
「我輩の知り得る全てを明かし、持ち得る全てを捧げよう。どのような無理難題にも応じる。その上で我輩の首を取り、あの腹黒王子に差し出すが良い。それでお主の立場も磐石なものとなるだろう。……ただ、勝手は承知で頼みがある。ワイトとルーミアの今後の生活だけは……。保証して貰えぬだろうか……」
打って変わって真面目な表情で覚悟を決めたようなクライズ男爵。
それが男爵の言う今後の流れ、そして言い含められた交渉なのだろう。
男爵がどんな悪人だろうと、俺の答えはもうとっくに決まっている。
「断る。それはおまえの仕事だ。おまえにはこの町の管理維持と、引き続きルーミアとワイト両名の安全確保を命じる」
「な!? お主聞いてなかったのか! 我輩ただでさえ二ヶ国の貴族共に怪しまれておるのだ! お主の信用も地に落ちるぞ! 第一そんなもの、あの腹黒王子が許すはずがなかろう!」
俺の裁定に文句を言う奴は一人だけ、クライズ男爵本人だ。
他の連中は何も言わない。予想してはいたのだろう。
当の罪人だけが騒ぎ始め、どうでも良い声を張り上げる。
「そんな簡単に落ちる名声なんて鼻から欲しくない。その腹黒王子が俺に裁定を委ねたんだろうが。だったら……文句は言わせないよ。セリオスが抱えてたもんを、俺が一つ持ってやるだけの話だ」
「しかしそれでは……。我輩の罪は償えん……。我輩は……この世に居てはならん存在なのだ!」
始めから俺にとって必要のない名声。なので痛む腹など存在しない。
罪を償いたい男爵や、その技術による被害者には悪いが。
俺は自分の周囲、そして目の前のものを大事にしたい。
今ここで終わりにしても、きっとセリオスの心には責が残る。
ならこの一件。その責ごと俺が貰うのが丁度良い。
それになにより、そんな事をしたら男爵の願いも叶えられなくなる。
「言葉にしなきゃ伝わらない事がある。伝えて良いんだ……。一度思いっ切りワガママでも言ってみろって……」
俺は震えるルーミアの頭に手を乗せる。
この子がクライズ男爵に恨みを持っているなら、あるいは極刑も考えただろう。
しかしキツイ言葉とは対照的に、ルーミアにそんな意思は微塵も見られない。
大罪が事実でも、クライズ男爵がルーミア達に注いでいた慈愛は本物なのだ。
諭すように、促すように言う俺の言葉に、ルーミアの目に涙が溜まっていく。
「イヤ……。クライズ……。居なくなっちゃヤダ! ヤダァ!」
「ぼ、僕も……。兄ちゃんと姉さんが一緒じゃないと、この先生きてたってしょうがないよ!」
両拳で目を拭い、子供のように大声で泣くルーミア。
追従するように泣くワイト。それを見ながら驚いたように唖然とする男爵。
「簡単に償えると思うな。おまえの価値を決めるのは、もはやおまえじゃない。それとも、これ以上罪を重ねる気か? ルーミアとワイト……。いいや、この子達の心を踏みにじって……」
「……ああ、そうか。そうであるな……。すまなかったルーミア……。ワイト……。我輩無責任であったな。我輩、また罪を……犯すところであった……。進言有り難く……。フレム卿、貴殿の指示に従おう……」
ようやく俺の裁定に従う意を示すクライズ男爵。
大きな声で泣くルーミアとワイト。縛られてるせいで涙の拭えぬまま泣くクライズ男爵の顔はぐっちゃぐちゃだ。
ところで、シオンのヤツは部屋の片隅で天を仰いで何をやってるのか?
エトワールに背中を擦られ、こちらに背を向けて仮面を外して目元をゴシゴシやってるのは分かる。
あれかな? また勝手な事した俺に怒りが頂点に達しようとしてるのかな?
「ま、良いか。アズデウス公国への打診も含め、後でセリオスにこってり絞られるさ……」
俺のような者が騒いだところで、結局はセリオスに頼らざるを得ない。
それでも、自分の決めた事に後悔はない。
張り詰めた空気が消え去った部屋で、自然と俺は笑みを浮かべる。
(やっばい……。これって確か……)
そして、吹き出る冷や汗と死闘を繰り広げた。
なんと俺は、ポケットの中に入っている指輪に今気付いたのだ。
確かこれは悪魔を操作出来る魔道具だったはず……
これを使えば、あんな危険な事をせずに済んだのではないか?
俺には使えないという可能性もあるが、話に出すのは危険が伴う。
幸い誰も彼も気付いていない。ならば、俺も全てを忘れる事にする。
ポッケの中には何もなかった。俺は自分にそう言い聞かせ……
一件落着を醸し出す集団に交ざりながら、何食わぬ顔で笑顔を作った。




