百四十九話 迷いの森の仲間達
予想だが、荒ぶるシトリーちゃんの目的は酒屋のおっちゃんを締め上げる事。
そしてお酒を根こそぎ奪う事だろう。
アガレスとザガンも協力しており、おそらく完全犯罪など容易い。
なんとしてでも今、この森で止める必要がある。
町に着いてから追いかけては、この俺は幼女を追い回す犯罪者にしか見えないからだ。
こちらの主力は俺とチノレ、愉快な三姉妹であるマトイ、リノレ、キャロルの総勢五名。
更に昨夜援軍として、マトイに頼んで森の仲間達にも声を掛けてもらった。
マトイによると、現在森に散らばって待機している気配はシトリーちゃんを除き四つ。
シトリーちゃん一名に仰々しい布陣ではあるが、相手はこの森の覇者と言って良い。
総力を結集して事に当たらなくてはならないのである。
「揃ったな……。フレム大師団の団員達よ……。今回、『鬼ごっこ』の標的はたった今走り去った幼女シトリーちゃんである! これを無傷で確保せよ! 危害など加えるな! おまえ達の身の安全が保証出来ん!」
俺の尊大な指令に片手を上げて応じるマトイとリノレ、キャロルの三名。
チノレは屋敷の前で腹這いに伏せ、前足を折ってそっと腹にしまい込んだ。
どうやら欠片も動く気はなさそうである。
「にゃ~ん」
「ほう……。チノレはなんて?」
「あのね。『あまり遠くに行っちゃ駄目よ』って」
一鳴きして目を閉じたチノレの意図をリノレに訪ねると、チノレは我々の引率に来ただけのようだった。
保護者もいるので、俺達は臆することなく鬼ごっこを楽しめるという事である。
「よし、まずは俺とマトイ副長が先回りし、港町への経路を塞ぐ! 残りは各自散開し、シトリーちゃんを追い詰めるのだ!」
「フレム大隊長~。シトリー港町向かってないよ」
完璧な作戦を提示し、俺は元気に猛る団員達を更に鼓舞する。
すると、目標の魔力から動向を探っていたマトイから思わぬ情報が舞い込んだ。
「え? なんで? あの子どこ行くつもりなの?」
「う~ん……。私達を撃退するつもりか、道に迷ってるかどっちかだね」
俺は出鼻を挫かれたような思いを胸に、疑問を口に出す。
マトイの考えではシトリーちゃんが戦闘態勢に入ったか、もしくは迷子になったかの二択だと言う。
この迷いの森は今でも、シトリーの魔力で結界が維持されている。
俺じゃあるまいし、自分の作った陣地で迷う訳はないだろう。
という事は、邪魔者である俺達を先に行動不能にするつもりという事になる。
「なら作戦を変えよう。反応を追い、正々堂々正面からシトリーちゃんを追い立てる。数で圧倒するのだ!」
「はーい!」
「ぎゅ~!」
出来る男である俺は臨機応変に計画を組み換えた。
リノレとキャロルも即座に同意して意気込む。
シトリーちゃんは我々を侮っているのだ。これは思ったより簡単に終わりそうだな。
なにせシトリー達の魔力反応は現在、下級魔神と設定された階級すら下回る。
おそらくクリムゾンシアーをうっかり部屋に置いて来た俺ですら、捕捉してしまえば簡単に捕まえられるであろう。
足早に進むリノレとキャロルに続き、俺も頭にマトイを乗せ、この戦地に身を投じた。
少し進むと、俺の背丈よりやや小柄な熊さんが近付いてくる。
怯える事はない。リノレの友達で俺とも仲良くしてくれている奴だ。
母熊の方は俺を見るとすぐ殺りに来るが、息子の方は俺にもよく懐いている。
名前はコタロウ。俺のネーミングセンスが文句の嵐なので、屋敷にある書物から登場人物の名前を拝借したのだ。
「来たなコタロウ。おまえも俺に付いてこい。ふ……セリオスにも見せてやりたいぜ……。俺にはすでに、多くの部下が従ってくれている姿をな……」
「グルルルゥ……」
軽く手招きをして呼び寄せたコタロウは、唸りながらゆっくりと俺の背後に回ったかと思うと、俺を押し倒して背中に乗ってきた。
俺のあばらが容赦なく軋み、肺が潰れそうだ。
この小熊。どうあっても俺の背後を取りやがる。俺の背中に何か恨みでもあるのだろうか?
助けを求めたかったが、リノレとキャロルはすでに森の奥へと走り去っていた。
「大隊長~。置いてくよ~」
「待って。副長が居るから安心してるんだよ? 普通にこの子怖いから! 助けてお願い!」
マトイの奴も宙を飛び、地面に潰されてる俺を置いて行こうとしている。
それはあまりに無慈悲。俺は掠れる声で懇願し、なんとか獰猛な肉食動物と二人だけの状況は回避する事が出来た。
ーーーーーーーーーー
微かな魔力を纏っただけの幼女。装備は玩具の棒と何も出来なさそうなぬいぐるみ。
楽しく遊びつつ、簡単に捕縛してお説教の始まり……
と高を括っていたのだが、さっそく二名が返り討ちにされてしまった。
犠牲者は超戦力キャロル。それと以前仲良くなった金色の角が生えた子馬、リノレを乗せられるくらいに成長したユニコーンの子供であるバサキチだ。
「マトイ副長……。状況はどうなっている……」
「キャロルとバサキチはニンジンの奪い合いで仲違い、その隙に眠らされたみたいだね……」
俺とマトイの前には、キャロルとバサキチが半分に割ったニンジンを咥えて眠っていた。
キャロルにオヤツを持たせていたのが仇になったか。
いくら感知妨害を始めたシトリーを見失い、我々が分断されたとはいえこの体たらく……
相手の戦力を過小評価したのではなく、こちらの戦力を過大評価していたようだ。
コタロウなんか立ち止まる度に俺の肩に手を乗せる。むしろそれしかしない。
統制など、この獣共には無理だったということだろうか?
「一部始終を黙って見てたテバサキからの情報だけど……。どうする? こいつやる気ゼロだよ?」
「テバサキは女性限定だが追跡のプロだ。シトリーちゃんを見付けられるかもしれない」
マトイからの情報は大きなニワトリこと、プロのストーカーであるテバサキの言葉を通訳したものだ。
部下を嗜めるようなマトイに、俺はこの鳥を高く評価している事を告げる。
だが現在、並の犬猫よりも大きいこのニワトリに元気はない。
片方の羽で頭を支え、さながら休日でだらけるおっさんのようである。
こいつの骨格おかしくないかな? そもそもニワトリってこんな格好で寝たっけ? という疑問は全て捨て置く事にした。
「テバサキ。シトリーちゃんはどこに行ったか分かるか?」
「コケ~ココ。コケココ~……」
俺は寝っ転がったデカイニワトリに問い掛けた。
テバサキは非常に淡白な鳴き声を上げるが、俺にニワトリ言語は理解できない。
「副長。彼はなんて?」
「うんとね。『ガキばっかじゃん。やる気出ねぇよ……』だって」
迷わずマトイに通訳を頼み、事態は飲み込めた。
鬼ごっこにお子様しか居ない事に気付き、この鶏肉は熱意を失っていたのだ。
「なあテバサキ……、今度また、ルーアの奴を連れて来てやっからさ……な? ちょっと協力しようぜ?」
「コケ? コケ~ココ!」
俺が側で耳打ちしてやると立ち上がり、元気を取り戻すテバサキ。
これなら俺にも分かる。『マジで? 約束だぞ!』ってな感じだろう。
やはり捕捉はしていたのだろうテバサキは飛び上がって羽を広げ、猛烈な速度で走り出した。
「フレム大隊長。私の口は羽より軽いよ」
「チクる気か。ハハハ大丈夫さ。マトイ副長のお口は食い物詰めとけば固くなる」
走る鶏肉を見ながらマトイとそんなやり取りをし、俺達も鶏肉の後を追い掛けた。
随所でシトリーの気配と魔力を放つ綺麗なお花が咲き乱れ、もはやマトイでさえシトリー本体を捕捉するのは不可能なようである。
程なくして先行していたテバサキに追い付いたが、彼は岩のような氷塊に閉じ込められた状態で発見された。
恐怖にまみれたように羽を広げ、ドクロのぬいぐるみに抱き付かれた状態でだ。
事情を知らない人が見たら、夜寝られなくなる程怖い光景である。
シトリーちゃんは余程テバサキが気持ち悪かったのか、ぬいぐるみと化したザガンを投げ付けて対処したのだろう。
そのシトリーちゃんはここから目視出来る距離で、リノレに追い駆け回されていた。
幼女の身体能力では逃げ切る事は出来ない。ここで勝負が決しようとしているのだ。
俺とマトイとコタロウは木の影に隠れ、しばし成り行きを見守る事にした。
「まてまて~!」
「く……。振り切れましぇんわ!」
獣のように突撃するリノレ。シトリーちゃんは小さな体で飛んだり跳ねたりしてなんとかかわしては居るが、それも時間の問題。
シトリーちゃんはリノレの突進をギリギリかわす事しか出来ないのだ。
しかもシトリーちゃんは時折転びながら、完全に翻弄されてしまっている。
反射的に動くリノレに、黒い棒きれ一本で対応出来る訳がない。
ザガンを手放した事も大きいだろう。あれは意外と切り札になったかもしれないのだ。
どのみち今のシトリーちゃんに勝ち目がないのは明らか。
そして、幾度となく繰り広げられた近距離鬼ごっこは唐突に終わりを迎えた。
ついにリノレがシトリーちゃんの体に飛び付いたのだ。
やはり勝負は簡単に決し、俺は安堵の溜め息をつく。
「はい。次はおねえちゃんが鬼だよ。リノレ隠れるね!」
「え? はい。分かりまちたの……」
輝く笑顔を放つリノレはすぐにシトリーちゃんを解放し、足早に森を疾走していった。
驚いたようなシトリーちゃんは突然の言葉に同意するも、しばし駆けて行ったリノレを呆然と見送っている。
「う~む。おや? これはどうした事か」
「大隊長が鬼ごっこなんて言うから……」
「俺のせいかい? 仕方ない。俺達でシトリーちゃんを捕縛した後、真剣に鬼ごっこを継続するか……」
疑問符満載な俺であったが、マトイの呆れ混じりの言葉で正気を取り戻した。
洒落で言った『鬼ごっこ』という単語を、リノレは額面通り受け取っていたのだ。
これは完全に俺のミス。なのでこの事態はこちらで消息させ、リノレの笑顔を守るため、鬼ごっこ自体は続行するしかない。
「とにかくこの好機を逃す手はない。俺達に気付く前に勝負をかけるぞ。それいけ、副長マトイ!」
「おっまかせ~!」
俺はマトイを掴み、大きく振りかぶってシトリー目掛けて投げ付けた。
景気よく飛ぶマトイが真っ直ぐにシトリーを捉える。
しかしこれは性急。罠だったのだ。
「残念。気じゅいてまちたわ! あがれしゅ!」
シトリーはこちらに振り向き様、手にした黒い棒を飛んできたマトイの顔面に叩き付けた。
黒い棒はしなり、『くぴん』と鳴くだけでマトイの勢いは微塵も止まらない。
だがマトイはシトリーの横を通り過ぎ、地面を滑り仰向けに横たわってしまう。
「むふ~……。私がたいちょうだ~……。げこくじょ~……」
良く眠っているマトイの寝言から、俺から大隊長の称号を奪おうとしていた事が判明した。
こんな身近に裏切り者がいようとは、油断も隙もありゃしない。
というかこいつ、今のアガレスの眠りの魔力なんて防げただろうに。
ちょっと油断し過ぎじゃない?
「こちらはほぼ全滅か……。町に向かわないとは中々の決断だったなシトリーちゃん……。俺達全員を相手取る自信があったという訳だ……」
「違いましゅの。道に迷ったんでしゅの」
仕方なく姿を見せた俺は警戒しつつ威嚇を仕掛けてみるが、実際迷って居ただけと聞かされ、俺の方が気圧されてしまった。
シトリーちゃんは、自分の作った陣地で迷子になっていたと言うのである。
ここの結界は知的生物を精神誘導にて森の外へと導くものだが、半端に抵抗した時のみ内部で迷子になる。
迷ってる自覚あったなら結界解けば良いのにな。
「自分で張った結界で迷ったの? まあいいや。残るは俺とコタロウだけだが、そんな遅い太刀筋。何度振るおうと当たりはしな……」
どっちみち油断しなければ、やはりこんな幼女に負ける気はしない。
玩具の剣になっている弱化アガレスをくぴくぴ言わせ、とてとて駆けてくるシトリーちゃん。
あまりにも遅いので仁王立ちで迎える俺だったが、すぐに異常に気付いた。
余裕ぶっこいていたが、俺の足が植物の蔦に絡まっており、まったく動かせなくなっていたのだ。
シトリーちゃんは何も出来ない幼女ではなかった。
か弱い俺くらいなら簡単に拘束する事が出来たのだ。
ついでに後から来た子熊のコタロウが、なんと俺の両肩を押さえ付けた。
俺は体を固定され、身を捩る事さえ不可能になっているのだ。
「うっそ!? 油断したぁ! ちょっと待って! これはズルいって!」
狼狽える俺の足に向かい、容赦なく振るわれる玩具の剣。
それは『くぴん』と音を立て、周囲にほんのり瘴気を漂わせた。
「えいでしゅの! えいでしゅの!」
初撃が当たってからも、烈火の如くシトリーちゃんは一心不乱に剣を振り回す。
俺とコタロウの周囲を回りながら、俺達は幾度となくその猛威に晒された。
真綿で殴り付けられる感覚。これが全く全然微塵も痛くない。
コタロウはすぐに倒れて寝てしまったが、俺には何の効果も発揮していないのだ。
「あれ? どーちて効きまちぇんの?」
「ふ……、俺は平常時でさえ、眠気とだる気に苛まれているのだ。出力の低下しているアガレスの力が効くはずがあるまい? 警戒心皆無なマトイと一緒にしないでくれたまえ」
小首を傾げて疑問を投げ掛けるシトリーちゃん。いつもなら俺よりも先に予測しているはずだ。
やはり判断力が凄まじく低下しているらしい。
俺は初めから余裕だったと言わんばかりにふんぞり返る。
そして目の前に居るシトリーちゃんの襟を掴み、そのまま持ち上げた。
シトリーちゃんは『放ちぇ放ちぇ』と可愛く暴れるが、体重そのものがお花のように軽いので全然驚異にならない。
すぐにシトリーちゃんは諦めたのか、両手足をぷらんと下げて大人しくなった。
「暴れても駄目です。一旦帰ってお説教……。!? シトリー! 拘束を解け!」
事態が終息したと思った矢先、不意に感じた敵意に俺は反射的に叫ぶ。
それと同時に足の拘束が緩み、俺はシトリーを摘まんだままその場より飛び退いて距離を取った。
明らかな敵意が、少し離れた木の影からこちらに向かい放たれたのだ。
こんな悪意のある敵意を飛ばす奴は、この森には居ない。
「やっぱり敵が入り込んでたのか? どうなんだシトリー」
「すぴ~……でしゅわぁ……。くか~……でしゅわぁ……」
「なにそれ寝息!?」
目の前の気配に警戒しつつ、俺はシトリーの知恵を頼ったが……
この幼女。俺の手からぶら下がった状態で完全脱力で寝てしまっている。
冗談のような寝息に文句を入れてみるが、どうやら本当に眠っているようだ。
金髪黒ドレスでお人形のような子が、よだれを垂らして寝てる姿はなんともアホ可愛い。
そうだね。疲れたんだね。子供ってなんかいきなり寝るよね。
「まあ、そんな気はしてたけどね……」
実は聞くまでもなく、俺はとっくに気付いていた。
付かず離れず、一つの気配が俺に視線を飛ばしていたからな。
最初にマトイが察知した四つの気配。その最後の一つは援軍じゃなかったという事。
森の監視役である三魔神が子供や玩具と化している間に、侵入者が入り込んでいたのだ。
俺はシトリーちゃんをコタロウの上に寝かせ、その腕に拾ってきたマトイを抱かせた。
大事な仲間の寝顔を見つめ、俺はそっと右手を握り込む。
テバサキはいいや。放っといても大丈夫だろう。ザガンが付いているのだ。多分死にはしない。
「狙いは俺一人だろ? 付いて来い。場所を移すぞ……」
俺は背後に向き直り、隠れた追跡者にそう告げる。
身の隠し方。気配の消し方。俺に向けて注がれる情熱的な視線。
間違いない。この気配は、俺が一人になるのをじっと待っていたのだ。
右拳を握り込みながら、俺は感じる気配に不思議な高揚感を覚えていた。




