百四十四話 とっても怪しい王子様
妖精の国から帰還した俺達を待っていたのは、アーセルム王国第一王子セリオスとその婚約者エトワールだった。
疲れている俺達を気遣う素振りを見せたセリオス王子。
その献身的な姿勢に俺はすっかり油断してしまった。
俺は現在、セリオスの手によりまるで悪人のように椅子に拘束されている。
その上で話があると持ち掛けられ、もはや俺は聞く以外の選択肢を与えられてはいなかった。
ちなみに誰も助けてくれない。
ラグナートとエトワールは仲良くチノレを枕にして寝ているし、リノレとキャロルは被さるようにチノレの上で夢の中。
シトリーとマトイはゆったりと落ち着いてティータイムを楽しみ、ザガンはせっせと茶菓子の補充をしていた。
気配に敏感なアガレスも鉢植えでイビキをかいている。
まるで日常風景のように、あるがままに俺の惨状が受け入れられているのだ。
「い~や~だ~! 何が剣武祭だ! 俺はコンテストとか大会とかそういうのは大嫌いなんだ!」
「そう言うな。アーセルム国内、とりわけ貴族間でのおまえの信用は皆無に等しい。名声を稼ぐにはこれが一番手っ取り早いのだ……」
押し問答を続ける俺とセリオス。ようするにこういう事だ。
いまの俺の立場は便宜上、王子殿下の婚約者であるエトワールの兄。
チノレという眉唾物の御神体を掲げ、リヴィアータ戦役で功を成した男。
伝説の破壊竜討伐にもひっそりと関わり、国から爵位と領地を頂いている。
アーセルム国内の貴族間では胡散臭さの塊のような人物だ。
当初の俺の予想通り、セリオスの信用も下がりつつあるらしい。
そりゃそうだ。いくらなんでも都合が良過ぎる。ぽっと出の若造が何度も世界的事件に巻き込まれ、その度に戦果を上げるなど誰が信用するものか。
ザガン達の詳細を語る訳にもいかず、王子がエトワールをめとる為の口実ではないかとの見方が濃厚なのだ。
他国の要人からの評価はあるが、それすらセリオスの根回しと見られているらしい。
だから疑うそいつらの目の前でそれなりの武功を示す事、これが貴族共を黙らせる一番の手段だとセリオスは力説している。
「一度王都で盛大に剣武祭を開き、おまえの実力を知らしめれば……、少なくともあからさまに苦言を呈す者は居なくなり、繰り事を言われる口実も減る! おまえの平穏の為にも必要な事なのだ!」
「断る! 絶対絶対絶対嫌だ! よく回りを見てみろ! しれっと興味持ってる奴らが居るぞ! こいつら絶対参加しようとするからな!」
それらしい理由を並べ、王子たるセリオスが頭を下げてこようと、俺はそんなものには絶対何があっても参加はしない。
第一、軽く負けちゃったりなんかしたら逆効果じゃないか!
寝ているラグナートが意味深にニヤついているし、エプロン姿のザガンは不自然に仁王立ち。
アガレスのイビキも止まって、シトリーも紅茶を口に運ぶ途中でにこやかに制止している。こいつら全員参加する気満々だからな!
「まあ、落ち着けよセリオス。そいつ緊張とストレスで極限まで弱体化するからな。本当にそういうのは合わねぇよ」
「ふむ。なるほど……。勝利を期待された戦いは苦手なのだな……」
やはり起きてたラグナートが寝そべりながらフォローを入れてくれた。
セリオスはあっさりと納得し、腕を組んで悩んでいる様子を見せる。
「ではこれはどうだろう? 軽い領地の視察と、そこを管理する緩い騎士団の結成で心証を高めるというのは……。それぞれこちらで手配はするが?」
「む~。それくらいなら……良いかなぁ」
代替案を出すセリオスに俺は茶を飲みながら渋々妥協を考えた。
俺の気持ちを理解し、申し訳なさそうにしているセリオス。
この生活を守るためでもあるし、俺も協力するべきなのは分かるが、根底として俺は目立ちたくないと言って置いたはずなのである。
だが軽い緩いと俺の機嫌を伺っているのが分かり、気を使わせてるのは悪いとも思う。
でも自分の騎士団とか領地の視察とか大変そうだしな……
と悩んでいるとセリオスが怪訝な目で俺を見てきた。
真面目に思案しているのにそんな目で見られると軽くショックを受ける。
「ところでフレムよ。縄はどうした?」
「あん? これ? ほどいたけど?」
セリオスが気になっていたのは俺を拘束していた縄のようだ。
俺はほどいた縄を摘まんで見せてやった。
今更こんなもので俺を縛ろうなど笑止千万。
緩急付けて縄をほぐす、細かく傷を入れる。対処方法は多岐に渡る。
幼少期から数え、ラグナートや友人達に何百回縛られたと思っているのだ。
指先でも縄に触れられれば大抵何とかして見せるぞ俺は。
「フレムを拘束したいなら丈夫な鎖を鍵付きで用意しないと無理だぞ? それでも鍵穴は身体から離し、両手両足の指は一本も動かせないようにしなきゃ脱出される恐れがある。無理だ無理だと泣き言言い始めたら間違いなく逃げられるぞ」
「ほう、なるほどな。縄での拘束は無効である……と。それと弱音を吐くのが攻勢の狼煙……か」
ラグナートが俺への対策を語り、セリオスは懐から出した紙に何やら書き込み始めた。
チラッと紙の端に『フレムプロファイル』と書かれていたのが見えたが……
なに? このストーカー王子は俺の情報を書き記しているって事かな?
ともあれつい調子に乗ってしまった。相手に舐めさせておき、土壇場で有利に事を進めるのが俺のスタイルだ。
これは迂闊に俺の脱出秘奥義『八武芸』は見せられないな。
後微妙に伝言も上手く伝わっていない。立ち向かわないよ? 逃がしてくれ。
それはそうと、俺はまた危うくコイツに騙されるところであった。
「まあいい。ではこれで段取りを取ろう。まずは……」
「ちょっと待って~。そういやさ……。爵位上がってるよね? ひょっとして領地も増えてない? 後さ、俺の情報書き留めてるみたいだけど……。俺個人が参加するお祭りは嫌いって情報は書かなかったな? 知ってたんだろう?」
せかせかと話を進めようとするセリオス。
俺は引っ掛かっていた事を思い出し、更に疑念が確信へと変わり言及した。
つまり、先程の剣武祭は俺への牽制。端から視察と騎士団設立が目的なのだ。
なんでここまでして性急に事を進めようとしてるのかは不明だが、罠にはめようというなら遠慮はしない。
ちょうどそこでチノレが寄り掛かるラグナートとエトワールを転がし、寝ているリノレとキャロルを背中に乗せたまま散歩に出掛けようとしているのが目に入った。
「うぐ……。そ、そうだな。確かに子爵としては領地は広く取ってある。しかしこれは……って居ないだと!? どこに行った!?」
セリオスは席を立って心底驚いたように辺りを見回している模様。
反論を受けたセリオスが一瞬目を逸らした隙を突き、俺は気配を消して姿を隠したのだ。
気配を絶ち煙のように逃げる。これぞ我が妙技、『落城降魔』の真髄よ。
ふふふバカめ。俺から一瞬でも目を離したのがいけないのだ。
「フレムならチノレのお腹に張り付いてますわよ~」
逃げ切れると思い勝ち誇っていたのに、シトリーが俺の居場所をあっさり暴露する。
その場に居る全ての者が目を離した隙を突いたが、やはりシトリーには通じなかったようだ。
俺はセリオスの視線が練り歩くチノレの腹に移るのを察した。
「ダッシュだチノレ!」
「にゃ!」
俺の言葉にびっくりしたように反応し、チノレが部屋を飛び出した。
チノレも俺が張り付いた事に気付いていなかったのだ。
これは俺の能力が凄いのではない。チノレがもの凄い鈍いだけである。
こうして俺はセリオスの魔の手からなんとか脱することが出来た。
いくらセリオスとてチノレには追い付けまいが、油断が過ぎれば痛い目を見る。
余裕でチノレと並走した退魔神官の前例もあるしな。
廊下を過ぎて大広間に到着し、立ち上がったチノレが玄関の扉を開く。
内心急いでくれと焦る俺の心はそこで唐突に落ち着きを取り戻した。
諦めるより仕方がない。俺の脱出劇は幕を閉じてしまったのだ。
「やっぱデケェ猫だなおい!」
「あらフレムくん。楽しそうね」
「フレムさんお久しぶりです!」
玄関先で見知った四名の来訪者が俺の行く手を遮っていた。
身の丈程もある剣を背中に担いだ逆立った髪のアッシュが声を張り上げ……
一見慎ましくゆるゆると優しげな暴力女フロルがにこやかに笑いかける。
そしてしっかりとした爽やかな可愛い少年レオが挨拶をしてきた。
彼等の背後には死んだような目をしたイリスが首をもたげて立っている。
いつもの厚手の服装ではなく、綺麗なおべべを着ているところから察するに、イリスの冒険者活動は父親から厳しく禁止されているのだろう。
チノレのお腹に張り付き背中を見せる不恰好な俺。
そんな俺に訝しげな視線を送る者は一人として居ない。
この幼馴染み四名にとって、俺はこういうやつなんだと思われている事がなんだか情けなく感じる。
仕方なくイリス達を屋敷に招き入れ、俺も円卓の間に引き返した。
チノレのお腹に張り付いたまま、どうするか思案する。
セリオスから逃げてきた事はこの際どうでもいい。
すでに表沙汰になっているチノレはともかく、一度見られているとはいえマトイの説明が難しい。
なんせドラゴンとか一般的ではないのだ。見たことがある奴などそうは居ない。
物語に綴られるドラゴンは大概悪い奴だしな。
最悪は角と翼の生えた良いトカゲだと説明するとして、更に問題なのがザガン。
コイツだけは絶対見られる訳にはいかないのだ。
骨だけで動いてる奴なんて一切説明のしようがない。
「早い帰宅だなフレムよ」
「ただいまセリオス。なに、すぐにおまえの顔が恋しくなってな。ついでに俺の友人が訪ねて来たので紹介しよう」
円卓の間に着いた早々悪態を飛ばすセリオス。
俺はチノレの身体で入口を塞いでる間に対策を取ってもらおうと目配せする。
セリオスはついっと目を泳がせ、俺はその視線を追った。
そこには白いドレスを身に纏った金髪美女と、仮面を被った怪しい魔道士。
マトイの人間形態と仮面着用ザガンが居た。
アッシュ達の来訪に気付きさっそく対応してくれていたのだ。
仮面はいつもその辺に転がっていたし、ドレスは多分テーブルクロスだろう。
安心した俺はチノレから降り、アッシュ達を円卓の間に招き入れた。
「おお! 美人がいっぱい!」
「アッシュさん。無礼ですよ!」
「そうですわアッシュさん。殿下の御前ですわよ」
興奮するアッシュをレオが嗜め、なんか気持ち悪いくらい淑女然としたフロルがスカートを摘まみセリオスに一礼。
そしてフロルとレオはセリオスの前で膝を付き頭を垂れる。
アッシュも二人の真似をするように続いた。
生きる屍のようなイリスも両膝を付くが、頭は何の支えも無しに床に接触している。
「招致に……いえ、お久し振りですセリオス殿下」
「うむ。労いが遅れてすまなかったな。『スティルクインテット』。リヴィアータへの遠征ご苦労だった。感謝するぞ」
恭しく口を開くレオ。セリオスは冒険者チーム『スティルクインテット』に対し、先の戦争での助力に感謝の言葉を掛けた。
何かが怪しい。おまけに人の家でするお話しではないぞおまえら。
「楽にせよ。ここはフレム卿の屋敷だ。私を気に掛ける必要はない。此度はフレム・アソルテの爵位昇格の祝いで来たのだ。貴公らも友人として祝ってやってくれ」
ここぞとばかりに名君主の片鱗をちらつかせるセリオス。
俺の気持ちを拾うように読み取り、下々の者への配慮も欠かさない。
こんなのが王になるんだから本当、良い国に住んでるよな俺達。
「まあ、フレムさん凄いですわ!」
「おめでとうございますフレムさん!」
「よく分かんねぇけどやったなフレム!」
両手を合わせて気持ち悪い笑顔のフロルに怪訝な視線を向けてやり、心から祝ってくれているであろうレオには複雑だが笑顔を返した。
アッシュにはとりあえず頷いておく。コイツは本当に俺以上に何も分かっていないのだ。
「これがフレム卿が統治する領地だ。実は今私設騎士団の募集もしている」
地図をテーブルに広げて説明するセリオスにやいのやいのと騒ぎ喜ぶフロル達。
我が事のように喜んでくれている。気持ちは大変嬉しいのだが……
再度祝いの言葉を俺に投げ掛けるフロル達の背後で、セリオスがニヤリとほくそ笑んでやがるのが見えた。
やられた……。やっぱりそうだ。フロル達を呼んだのはセリオスだ。
間違いない。俺の退路を外堀から絶とうとしている。
「さて、私はそろそろ戻らねばならん。が、フレムよ。少しの間エトワールを匿って……。いや、休ませてやってはくれまいか?」
「そりゃ別に構わな……。匿う……だと?」
言い出し辛そうに目を伏せたセリオスからの頼み。
俺は二つ返事で了承しようとするが、その真意に気付いてしまった。
また何者かにエトワールが狙われているという事だろう。
何故、それを言ってくれないんだセリオス……
そうだよ。兄とされている俺がしっかりしなければ、エトワールを貶めようとする輩が現れるのも想像に難くない。
確かにここに居れば安心だ。ぶっちゃけ軍隊が来たって笑いながら蹴散らせるだろう。
しかしエトワールの安住の地はセリオスの横だ。
それは間違いないしそうでなくてはならない。
俺は床に転がされ、スヤスヤと眠るエトワールを見て決意を固めた。
「水臭いなセリオス……。遠回し過ぎる。可愛い妹と親友の為だ。俺に出来る事なら精一杯やるさ」
「フレム……。感謝するぞ……」
逃げといてなんだが、俺はしっかりとセリオスを見据え、出来うる限りの事をしようと心に誓った。
セリオスは手で顔を覆い、泣いてるとも笑ってるとも取れるような声でお礼を言ってくる。
そのこっそり立てた親指がザガンへと向かい、ザガンも堂々と親指を立てて返していた。
テメェら。人が居ない間に何か段取り取ってやがったな。
「では色々と準備があるのでな。後は頼むぞ、サーブビネガー」
「はっ! お任せください!」
ころっと態度を戻したセリオスはレオに一枚の紙を手渡すと、呆気ないほど簡単に屋敷から出ていってしまった。
どうやらエトワールの心配はしなくて良さそうだ。
打ち合わせとか特にしなかったけど、俺は待ってれば良いのだろうか?
「ふむむ……。ところでレオ、セリオスからなんか頼まれてんの?」
「ええ、ですが国秘なので……、ごめんなさい。フレムさんにも教えられないんです……」
ふと先程のやり取りが気になった俺はレオに確認を入れるが、かわすように苦い笑顔で謝罪してくるレオ。
俺が気になったのはその手に持つ紙切れ、『フレムプロファイル』の事なんだがな。
仮にそれが国秘なら、俺はセリオスという男の恐ろしさをまだまだ甘く見ていた事になる。




