百二十七話 魔界の門より来たる影
すっ転んだカイラは拳を握り締め、歯を食い縛るように立ち上がった。
腫れた頬を押さえ、真面目かつやたら男らしい表情でルーア達の元にノシノシと歩いていく。
「おーいてて……くそ! ……おい! そこのエルフの色男!」
「なんですか? 無粋な方ですね……」
低い声色、やや怒気を含んだ威圧を掛けるカイラくん改めカイラさん。
ルーアの前で跪いていたヘイムダルは、愛の囁きを邪魔された事で冷たい視線をカイラに投げ掛けていた。
「良いかよく聞け! そ、……そそそそそ……その、そいつ……は……あの……その……俺……の……」
男気溢れる剣幕は一瞬で塵と消え、顔も真っ赤でゴニョゴニョ喋るカイラ。
お帰りなさい小僧っ子カイラくん。
迷いなく歩いていった豪気な男は別人じゃないのか? と思う程には見る影もない。
やっぱ駄目だなこの二人。意識し合っているのは丸分かりだというのに。
周りが協力しないと永遠に進展しそうにない。
「なるほど……。分かりました……。貴方もルーア様に想いを寄せているのですね。……良いでしょう! 私も退くつもりはありません。古の作法に則り、決闘を持ってこの場を納めるとしましょう!」
「決闘!? そんな大袈裟にゃ! わた、わたた……」
ヘイムダルはカイラとルーアを交互に見据えた後立ち上がり、全て察したように決闘を申し出た。
こんな平和そうな里にそんな風習があったのが驚きだ。
多分どこからか仕入れて来た人間の悪習だろうがな。
ヘイムダルはルーアとカイラの間に何かしら感じたようだが、それでも諦めきれないようだった。
お顔が真っ赤なルーアちゃんの制止は一切通らず、睨み合い火花を散らすヘイムダルとカイラ。
ここでカイラが一皮剥け、ヘイムダルは間男のまま終わるのか……
はたまたヘイムダルの恋愛成就となるのか……
盛り上がって参りましたな。
「じょ、上等だ……。なんだか知らねぇが……。ルーアは……」
「静まれぃ!! 気高き妖精がなんと無様なものか!! 恥を知れ!!」
カイラが覚悟を決めたように真剣な顔付きに変わった瞬間。
空気を読めない偉そうなクソドラの声が大音量で響き渡った。
良いところでなんというふざけた妨害をするのだ……
恋愛脳ことシトリーさんがこのやり取りを見ていたら発狂するところだぞ。
よそ見をしていたようで、珍しく気付いて居なかったようだが。
更に気になったのはシトリーの手を握ったまま、イケメン二名が泡吹いて倒れている事……
シトリーさんエルフの手握り潰してないかな?
なんかお気に障る事でもあったのか?
それにしてもクソドラめ。鼓膜が破れるかと思った……
チノレは予想してたのか耳がペタりと下がっているが、瞳孔が縮んで殺気立っている様子が伺える。
そして立ったままチノレの腹に寄り掛かっているレーヴェさんの眼前に、風が塵を集め結集していった。
俺の膝頭より少し低い高さ、地面に這うように形成されたその姿はまるで潰れた団子のよう。
大きく平たい手がペロンと生え、下半身の足は魚のヒレに見える程短くなっている。
胴体は楕円形をしており、良く見ればズングリとした肉の塊だ。
顔は丸く犬に見えるが耳がない。
犬なのか魚なのか、はたまたブタなのか……
全身薄緑でお腹回りの大きな謎物質。正体不明の生き物が寝そべっていた。
まさかクソドラの動物形態か? なんだろうなあれは?
俺の知っているドラゴンはトカゲみたいな奴であんなタップタプではないぞ?
どう反応したらいいのか困る俺の側に、顎をカリカリと掻きながら寄って来たザガンが答えをくれた。
「我の持つ情報と照らし合わせた結果……。あれはアザラシという種族のようだな。どうやら精霊神器の具象形態に統一性はないようだ」
アザラシ……だと? 聞いたこともないが……
犬でも魚でもブタさんでもないらしい。
どういう基準でこんな見た目なのだろう?
考え過ぎだな。不遜な態度が目に余って面白くしたのだろう。
きっとそうだ。俺ならそうする。
アザラシの姿を確認したエルフ達は一様に押し黙りアザラシに向かって跪く。
この里において、あのアザラシが一番偉いとでも言うのか。
エルフ……なんて可哀想で難儀な一族なんだ。
場が静まった事を確認したクソドラアザラシは、ブヨっとした体に風を纏わせ垂直に浮いた。
威厳など感じられず、不格好でむしろ愛らしい。
ついでに平たい手を上げようとしたがすぐに下げた。
カッコ付けてポーズでも決めようとしたのだろう。
しかし構造上の問題か、想像主の嫌がらせなのかは知らないが、体を動かすのはしんどいのかもしれない。
変なところで融通が効かないようだ。
これを作った神々の王、その底意地の悪さが窺い知れる。
「レーヴェ!! 注意点を話せ!!」
「はい。先程取り逃がした魔妖精達は本来の守備範囲、魔界の穴周辺に戻っているはずです。あれらはもはや解魔書の加護下より外れています。なので魔界の穴に近付く以上、戦闘は避けられないでしょう」
振り返りもせず、直立不動のクソドラが背後に居るレーヴェさんに説明を促した。
レーヴェさんは真剣なセリフを並べてはいるが、その身はチノレに預けたままだ。
口調とは裏腹に大変情けない愉悦顔である。
とりあえず後ろを振り返るんだクソドラ。
レーヴェさんの痴態を見せたいんじゃない。
チノレがおまえを狙っているのだ……
何が気に入ったのかは知らないが、今にも飛び付きそうに凝視している。
おまえ実はお魚さんだろう?
「魔妖精……。フレムの周りに居た子達ですわね……。悪意は無いようでしたので、倒すのは忍びないのですが……」
「心配は要りません。あれらは解魔の書で独自進化した野菜や果実の突然変異。呼称さえ与えなければ、いずれ消滅する種なのです。情けはいりませんよ」
シトリーは泡を吹くエルフを解放し、気乗りしない様子を匂わせた。
それについてレーヴェさんは慈悲を与える必要はないとばかりに付け加える。
なんてこった……。魔妖精ってパルピー達の事だったのか……
次に出会ったらまた逃がしてやろう。
せっかく出来た俺の友達を殺らせる訳にはいかねぇのだ。
そもそも、ここに魔界へと続く穴がある事自体が初耳である。
何故そんな恐ろしい場所に向かう事になっているのか、全く分からないのだが……
今更慌てるのも恥ずかしい。きっと観光とかだろう。そうに違いない。
ともかく、いつまでもここで遊んでいても仕方ないのも事実。
そろそろ本当に出発しようという雰囲気が流れ出したその時。
突如空間が歪むような錯覚を覚え、大気が震えた。
森からは大量の鳥が飛び立ち、辺りが緊張感に包まれる。
「今度はなんだ! この峡谷イベント多過ぎだよ! 久し振りの客だからって張り切らなくて良いんだよ? 俺そういうの気にしないから」
「魔界の門がまた拡張したのだろう。想定内だ。ギュローフとブューケの所持者は今の内に気を引き締めろ。……そういえば解魔書の保有者には説明をしていなかったな……。我とした事が迂闊だったわ……」
怯える俺の遠回しな苦情にクソドラが淡々と答える。
クソドラは寝転がったチノレに後頭部を噛み付かれ、更に後ろ足で下半身を蹴られているが動じる様子は見せなかった。
蹴りが入る度に散っているのは木屑のようだ。
抱え込まれているというのに、もしかして気付いてない? 驚異の鈍さだな。
体格差もあるし、アザラシの体はあっという間に無くなりそうである。
「いや待て。何かが空に居るぞ……」
「なんだと? 生体反応はないが……。まさか!」
手を水平に額に当て、いつの間にか霧の晴れた遠くの空を見上げるラグナートが訝しげに呟く。
一瞬薄い反応を示したアザラシは思い当たる節があったのか、すぐにそのつぶらな瞳を細め、チノレにかじりつかれている頭を反らして空を見上げた。
「あ……、あれは……。滅びの天使……」
「バカな……。多少穴が広がったくらいで封印を突破出来るはずが……。く! やはり『鍵』が揃い過ぎていたか……。第一種警戒態勢! 来るぞ! 結界を張れぃ!」
チノレに跳ね飛ばされたのか、横たわるレーヴェさんが明確に対象の名前らしきものを口にする。
そしてアザラシの命を受け、レーヴェさんを筆頭として数十人のエルフ達が両手を突き出し里を覆う結界を構築した。
里全体を覆うガラスのような膜。大量の魔力を注ぎ込んであるようで、俺が見ても生半可ではない強固な結界である事が分かる。
だが次の瞬間、結界はガラスが割れるような破壊音を奏で、俺達の周囲に一陣の風が流れた。
遠くに点として見えたその物体は消え、いつの間にか俺達の前方に奇妙な鎧が立っている。
慌てるでもなく警戒を見せるラグナートやシトリー達。
つまり、空に浮かんでいたという物体が一瞬の内にここに来たという事なのだろう。
全身を覆う黒金の鎧で鉄の翼を広げた容姿。
左手にはギザギザの刃の付いた先の丸い剣を装備しており、右手にはライフルを巨大化させたような太く長い砲身の銃を所持している。
体型はアガレスやガードランスのように、中に人が入ってるんじゃないかと思えるポッチャリ系ではない。
細身で全体的に刺々しいフォルム。足なんかバランス取るのが難しそうな程細い棒のようであった。
「さっき見えたって言ってた奴か!? 瞬間移動でもしたのかよ!」
「魔界の主、その配下とでも思っておけ。さすがに想定外だ。早急にこれを仕留め、魔界の門を閉じねばならん。こいつはただの斥候だ! 直に後続が来るぞ!」
幻でも見ているかのように、俺達の前に現れた恐怖の鎧ヤロウ。
俺の質問にクソドラは言葉を濁したが、ようは魔界に封印されている災厄の配下らしい。
どう見ても強そうだというのに、コイツはただの偵察だと言うのか?
「同族殺し捕捉。最優先で抹消します」
「え?」
感情の起伏が読み取れない言葉を発する黒金の鎧。
それが右手に持った銃口を躊躇なく俺に向けた。
背筋に悪寒の走った俺は咄嗟に身を逸らし、その瞬間。
銃口から放たれた弾丸は俺の真横を暴風と共に通り過ぎていく。
家や木々を薙ぎ倒して程なく、後方からとてつもない発光、爆音と爆風が駆け巡った。
嵐のような突風と噴煙が晴れ、背後を見る俺の目に映ったのは……
大きく変容した遠く離れた山。
山は削られポッカリ丸い穴が空き、歪な崖のような形に変化していたのだ。
「なんだよ……あれ……。あんな威力反則だろ……」
「戦闘経験のないエルフとコパルン共は下がれ! 戦力は神器の起動者と魔神共、ムーヴディザスターと……赤い剣を持つ貴様だ。それと……、闘竜眼を極めし者……。確かリノレと言ったな!」
凄まじい威力を目の当たりにし、震える手を押さえる俺。
魔術と言うには余りに物理的、大砲と言うには余りに現実離れした破壊力だ。
あんなもの防げる訳がない。少なくとも、この場に着弾したら大勢の者が死に絶えるだろう。
クソドラは敵の異常性を知っているようで、瞬時に戦えるメンバーを選出した。
俺がメンバーに組み込まれている事にビクリと怯えてしまったがそれよりも……
リノレを駆り出そうとした事に、俺は脳が急速に冷えていくのを感じた。
俺の心境など知るはずもないリノレは、無邪気に嬉しそうな声を上げる。
「リノレ? リノレ役に立てるの?」
「無論だ。神に成り代わる者、支配者の玉座がここに来て完成していたのは行幸だった。気配に些かの懸念があるが……、最初の発現者だ。存分に役立ってもらわねばならん」
リノレの顔は晴れるように嬉しさを露にしていた。
クソドラは先程の神器の説明を高唱に語り、それを聞いたリノレは両拳を胸に添えやる気を見せ付けるが……
「ふざけんな! リノレは戦わせない! リノレをこれ以上危ない目に逢わせられるか!」
「おにいちゃん! リノレ役に立ちたいよ! リノレだって強くなる!」
クソドラに対する俺の怒声に、頑張って目尻を上げたリノレが必死に食い下がる。
気持ちはありがたいが、俺は全力でリノレの参戦を拒否するぞ。
さっきのリノレの笑顔は、力を示せる事が嬉しいんじゃない。
状況がどうであれ、俺達の横に並び立てる事に喜びを感じているだけだ。
「リノレの活躍は聞いた……。リノレが強いのは……出会った時から皆知ってる。でも、こんな奴はおにいちゃん達だけで十分だ。たまには……俺のカッコ良いところも見てくれよ……」
とんでもない力を発揮して活躍した事。
破壊竜に立ち向かった事。大型戦艦を撃沈した事。
正直、そんな事はどうでも良かった。
俺達の居ない所で、危ない目にあってた事。
リノレを危険に晒した己の不甲斐なさと恐怖。
それはアソルテ館の皆が抱いた共通認識。
リノレが強いのは知っている。腕っぷしじゃない。その心の強さだ。
一度前に出したら、多分もう止まらない……
だから俺達の側では、弱くても良いことを知ってもらわなきゃならないんだ。
「リノレには重要な役割がある。皆の回復係だ。後で沢山癒してもらうからな!」
「重要……なの? 分かった、リノレ頑張る! おにいちゃんのカッコイーところ見てる!」
俺が出した重大指令に納得してくれ、ニパッと可愛い笑顔をくれるリノレ。
さっそくの癒し効果。これだけで俺の戦闘力はかなり上がった気がする。
俺が決意を示し、クソドラが選出したメンバーが戦意を高める中、ハミルの様子だけがおかしい。
戦闘準備を整えようと腰のヴャルブューケに手を掛けてはいるが、下を向いて足は異常な程震えている。
理由は分からないが、先程の夢の恐怖がまだ残っているのかもしれない。
「ちっ! ブューケの起動者も当てにならんか……。貴様……、大口叩いたからには無様は晒せんと思えよ!」
「当たり前だ! 丁度いい……、ハミルにも俺の勇姿を見せてやる!」
クソドラの恫喝に怯えている余裕なんてない。
言われるまでもないのだ。
リノレにもハミルにも、今後安心して頼ってもらうためには……
俺がここで情けない姿を見せる訳にはいかない!
意地でも楽勝気取りを通してやるんだからな!




