百二十話 濃霧に舞う妖精
深い霧の奥へ奥へと進んで行く俺達。
すでに真っ白で何も見えないが、先頭を歩くラグナートとそれに並ぶザガンは何の躊躇もなく歩いている。
頼もしいがそれ以上に怖い。
コイツらは何で自信満々に歩けるのだろう。
目的地の当てもないよね? どこに向かってるのかも分からないよね?
歩けばどっか着くだろう……、そんな考え方をしてるのが透けて見えるようだ。
せめてもう少しゆっくり……とお願いしようとしたところ……
いきなり嘘のように霧が晴れ、そこには開けた空間があった。
広くはないが周囲は木々に囲まれ薄暗い。
上を見上げると霧が立ち込め、振り返っても霧で見えない。
この空間だけが不自然に見通しが良いのだ。
「どう考えてもおかしい。皆、気を付けろよ!」
警戒を促す俺の言葉に無言で頷く一同。
そうだ、こんな怪しい場所で気を緩めるなんて出来っこない。
予想通り、木々の合間から何者かがうごめいた。
俺はどっちにするか悩んだが……
とりあえずガードランスから手を離し、アガレスに手を掛け……
ようとしたが、ハミルを抱っこしてるから無理だった。
ただハミルを抱き締めただけである。対処は他の者達に期待しよう。
そして、俺の狭く僅かな視界に入るようにそれは姿を現した。
「キュ?」
木々の合間から半分顔を覗かせ、真ん丸い犬が鳴く。
体長は俺の腰より低いくらいか。
手足は短く、大きな耳は左右に垂れ、やたら横幅の広い二足歩行の犬だ。
顔面は潰れたように平たく、つぶらな瞳を輝かせこちらを見つめている。
「ありゃ……、コパルンじゃねぇか。まだ現存してたんだなぁ」
「あの……可愛いのがコパルンか……。で、どうなの? 危険なのか?」
ラグナートが懐かしそうに呟き、俺は横目でコパルンを見ながら聞いた。
可愛い見た目に騙されるなんて三下のする事だ。
いくら可愛くても、俺はこの完全防備を解くつもりはなかった。
可愛くても! モフみの誘惑に駆られてもだ!
「そうだな……。一応亜人の一種らしいが……、びっくりする程弱い。徒党を組んで人間の子供一人と互角くらいだな」
ラグナートの説明の直後、木々の隙間から次々と姿を見せるコパルン。
その数合計で五匹。キュッキュと鳴きながらこの空間に広がり、物珍しそうにこちらを観察していた。
手はぷらりと下がり、警戒しているようにも見えない。
なんとも無防備な生物だ。
俺はザガンから手を離し、そっとハミルを降ろしてその頭にマトイ乗せた。
まずは俺達が敵じゃない事を、この身一つで証明しなくてはならない。
この不可思議な状況に一石を投じる為、俺は友好的にコパルン達に近付いて行く。
「ふへへぇ……。撫でさせろぉ。モフらせろぉ!」
「リノレも~!」
俺とリノレは駆け出し、驚いて逃げるコパルンを追い掛ける。
手を後ろに投げ出して走るコパルンの姿。
とんでもなく可愛く、そしてとてつもなく遅い。
いつでも捕まえられるが、いつまでも見ていたい気もした。
「コパ……ルン……。神聖……生……物……」
「災禍を……止めし……神……獣……」
「ルーア。カイラ。オキテ」
立ったまま放心するルーアとカイラ。
子供の頃から育まれたイメージとの違いに、脳の処理が追い付いていないのだろう。
現実から目を逸らした二人の側で、ガードランスが心配そうに語り掛けている。
「ザガン! この子ウチに連れてけないかな?」
「この子も~!」
俺は両脇にコパルンを抱え、リノレは両手でコパルンを抱き締めていた。
そのまま俺達はザガンとチノレの元に赴き、ウチで飼えないかとお願いをしているのだ。
このコパルン。以外と人懐っこく、抱えても抵抗する事もない。
むしろ手をパタパタさせて喜んでいるようにさえ見えた。
きっとお世話も楽しいだろうし、簡単に承諾してくれると思ったのが……
ザガンは頭を抱えて首を横に振った。
「良いか。生物を飼うというのが如何に大変か。本来の生活圏から切り離し、強制的に新しい暮らしに馴染ませる業がどれほどのものか……。少し考えてみよ……」
「にゃ~……」
ザガンとチノレは俺とリノレに命の大切さを語る。
重くのし掛かる責任。短慮な決断でコパルンの安全と幸せを奪う事になると聞かされ、猛省する俺達。
確かにその通りだ。生まれ故郷から遠ざけ、家族や友人とも離れ離れ……
拐う事と何も変わらないじゃないか……
コパルンを通じ、命の尊さを再度学び直した俺とリノレ。
だが何故だろう。コイツらに言われるのはどこか釈然としない気もする。
「見てみろよシトリー。拾って来た奴らが拾われた奴らに説教してるぞ」
「ふふふ、拾われた子は呑気で可愛いですわね~」
面白そうに茶化すラグナートを見ながら微笑むシトリー。
シトリーの台詞は俺とリノレではなく、ラグナートへと注がれている。
そんなシトリーを不思議そうに、曇りのない瞳で見つめるラグナート。
悲しきかな……。ラグナートもまた、拾われた側なのだよ。
どちらにせよこの邂逅を大切にしよう。
そう思った俺は二匹のコパルンを抱き寄せモフみを堪能していたが、そこでやけに元気のないハミルに目が行く。
「コパルン……か……」
「どったのハミル?」
ハミルはコパルンを持ち上げ、何故か悲しそうな表情を浮かべていた。
それに気付いたのか、マトイがハミルの頭の上から問い掛けている。
「あ、ううん。大丈夫だよ! とにかくはぐれないように固まってなきゃだね!」
ハミルは慌てたようにコパルンを降ろし、近過ぎるくらい俺の側に寄って来て満面の笑顔を作った。
マトイはハミルの頭から飛び降り、宙を漂いながらコパルンとハミルを交互に見つめている。
「大丈夫……ね」
その言葉を咀嚼するマトイ。
先程ハミルは怯えにも似た目をしていた。
マトイはそれに何かを感じ取ったのであろう。
杞憂だと思いたいが、マトイが真剣だと俺も不安になるな。
今俺の見ているハミルの笑顔が、不安を拭う為のものでない事を信じたい。
とにかく現状は穏やかに過ぎている時間。
コパルン達は広場で転がったり走ったり、無警戒で闊歩していた。
挙げ句の果てには息の合った踊りを披露してくれている。
その様子を様々な心境で眺める俺達。だがいつまでも楽しんでいる訳にもいかない
俺はコパルンを泣く泣く解放し、唐突に我に返った。
「さて、冷静に考えてこれはあれかな? コパルンのすみかに迷い込んだか?」
「いいえ、たった今意図的に作られた空間だと思いますわ。コパルン達も迷い込んだだけですわね」
一頻りモフった俺は平常心を取り戻し、現状を確認する。
シトリーが言うには何者かによる誘導が行われたようだ。
不安を高める俺の腰で、突然アガレスが声を上げる。
「気を付けろフレム! 何者かがこちらを監視しているぞ!」
それを聞いて警戒体勢に入る俺達。
いきなり叫んだ以上、監視者はコパルンではない。
間違いなく俺達をここに誘導した者だろう。
緊張する俺達を囲むように、この空間に鳴り響く声が木霊する。
『この結界内でよく感知出来ましたね……。空間に作用する魔剣とは恐ろしい……。ですが、我々の領土に侵入して置いて随分な……』
柔らかな声とは裏腹に、重く敵意を感じる女性の声。
こんな場所で人間というのもないだろう……
亜人というヤツか……、はたまた魔神か……
「どこだ!? どっから声を出している!」
「キュ!」
俺は聞いて出て来る訳はないと思いつつ、念のため叫んでみた。
こういう時のお約束だろう。
だが反応を示したのはコパルン達。
呼ばれたと思ったのか五匹全員が整列し、ちっちゃい片手を上げている。
可愛いので俺は笑顔で手を振り返して置いた。
『迷い込んだ訳でもなく、武力を持って侵入した以上覚悟は出来ていますね? 行く事も退く事も、もはや叶いません……。ここで朽ち果てなさい……』
女性の声は完全に俺達を敵と見なし恫喝している。
すでに俺達を捕らえたという認識なのだろう。
くそ……、なんて事だ……。俺が手を振ったのがいけないのか、コパルン達が木々の向こうに帰って行ってしまった……
『卑しくも愚かな者達よ。その行いを嘆き、その身塵となるまでここで……。ち、ちょっと! 待って下さい!? ダメですって!』
威圧するような女性の声が途中から高くなり、明らかに動揺し始めた。
全方位から響いていた声は消え、代わりに広場の奥、俺達の見据える木々の向こうから声が聞こえてくる。
「キュッキュッ! キュッキュッ!」
「ちょっとやめて下さい! 今大事なところなのです! 今は遊べないのですよ!」
コパルン達が女性の手を引っ張り、身体を押し、こちらに連れ帰って来た。
ああ、なるほど。俺の『どこだ!?』に反応して『こっちだよ』って連れて来てくれたんだな。
まあ賢い。俺達もう友達だな。
連れて来られた女性は目に涙を溜め、先程のような威厳は全くなかった。
穏和で優しそうな顔立ち。水色の長い髪を束ねたポニーテール。染み一つない透き通った白い肌。
独特な紋様の描かれたドレスを身に着けた美人さんだ。
スタイルもまあ凄い。出るところは出て、引っ込むところは引っ込む。
やや耳が尖っている事を除けば、最近良く見る人外クラスの美女である。
「ふ……ふふ……。無粋な侵入者相手に隠れる必要などありません! 望み通り出て来てあげましたよ!」
片手を突き出し宣言する美女。
自ら出て来たと言わんばかりだが聞き流そう。
美女の両肩と頭、背中にはコパルン一匹ずつが張り付き、更にドレスの裾を引っ張るコパルン。
なんて羨ましい格好だ……。多分この姉ちゃん良い人だな。
「浅ましき人間の皆様。このルリーフガーデンの族長レーヴェが、貴方達を恐怖のドン底に……。おや? これは……魔神に……竜に……、古代帝国の……」
良く見てなかったのか、ようやくこちらの戦力に気付いたようだ。
レーヴェと名乗った美女は突き出した手も下がり、青い顔でプルプル震えていらっしゃる。
「くっ! 殺しなさい!」
「諦めるの早いよ!?」
奥歯を噛み締めたまま、こちらから目を逸らし座り込むレーヴェさん。
勝ち目が無いのを悟ってくれたのは良いが、その変わり身の早さに俺は驚きを口に出した。
「原初の妖精。いわゆるエルフというヤツだな」
「エルフだと!? あれが噂の……」
ザガンが言うには、あの項垂れている間抜けそうな美女はエルフらしい。
俺も噂というか、大昔の物語として聞いた事があった。
美男美女揃いで簡単に言えば、人間の上位互換のような存在なのだとか。
「いえ、同胞のためにも……この世界のためにも、何より盟約のためにも! 私が諦める訳にはいきません!」
「ちょっと待ってくれよ……。まずは俺達の話を聞いてから……」
「ええい! みなまで言わずとも分かります悪漢の方々! 狙いは私の身体ですかハレンチな! それとも魔界の穴でも広げに来ましたかいやらしい! かくなる上は総力戦です! ただではやられませんよ!」
レーヴェさんは勝手に立ち直った挙げ句、ラグナートの言葉を無視して話を進めていった。
捲し立てるように喋った後、おもむろに両手を天に掲げるレーヴェさん。
その頭上に魔法陣が描かれた直後、風が霧を巻き込んで吹き荒れ、徐々に視界が濃霧で満たされていった。
「迂闊に動くな! 視界を惑わす術だ! 固まってやり過ごすぞ!」
動かなければひとまず問題はないとザガンが声を張り上げる。
俺は隣に立つハミルと目を合わせ指示に従う事にした。
楽しそうに走り回り始めたコパルン達もここに集めよう。
あの子達ももう俺の仲間だからな。一緒にこの窮地を脱するのだ。
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ザガンの推測通り、数秒と立たず風は収まりを見せた。
しかし、依然として辺りは深い霧の中である。
「嫌な予感がする……。点呼を取るぞ! 一番怪しいフレムからだ! 居るかフレム!」
ラグナートは怪訝な表情を浮かべ、人数確認を行う事にした。
急な異常事態に一番騒ぎそうな男が大人しいからだ。
案の定、フレムはいつまでたっても返事をしない。
「よ~し、予想通りだ! この数秒ではぐれやがったな!」
「ラグナート先生~、ハミルも居ませ~ん!」
怒鳴るように諦めの声を上げるラグナート。
追い討ちを掛けるように、マトイは空中で敬礼しながら報告をする。
あれだけ警戒していたというのに、さっそく二名が迷子になってしまったのだ。




