百十二話 タマゴの守護者
胴体がビロンと伸びたチノレの飛行形態。
通称フライングロングチノレが抱える篭に乗り、空の散歩を満喫した俺とルーア、ついでにアガレス。
無事タマゴ村ことミトス村の入り口に到着した。
暖かい日の光により香る木々が俺の鼻をくすぐり、なんとも心地よい。
「う~ん。お散歩は心地良いなルーアよ。おや? どうしたうずくまって」
「おまえはずっと寝てたではないか……。乗り心地が悪過ぎ……うぷ」
俺はゴルギアートおすすめのグロータス製製品、安眠快眠アイマスクをして寝ていたので気分爽快だったのだが……
ルーアはやはり揺れと恐怖で悪酔いしてしまったようだ。
青い顔で涙ぐむルーアの背中を擦り、十分に落ち着いたところで村に入る。
村の子供達がすぐにチノレを連れて遊びに行ってしまったので、俺とルーアでいつも卵を交換してくれるおじちゃんの元に向かった。
「お、また可愛い子連れてんなフレムの兄ちゃん。今日は何が入り用だい?」
「卵と卵と卵だ。むしろ卵ありったけ下さいな」
気さくに軽口を叩くおじちゃんにさっそく卵を要求する俺。
この村には来る度に野菜や建築資材等を提供しているので、もうほぼ先払い状態なのだ。
ルーアは照れ臭そうに俺の背中に隠れて軽くお辞儀をしている。
なに? キミそんな人見知りだったの?
「あ~、ま~た例のアレだよ……。手伝ってくれたら大量に分けてやれんだが……」
「やっぱそうなるか……。分かった、俺とここに居る可愛い子に任せておいてくれ!」
言い淀みながら頭を掻くおっちゃん。
俺は予想してたので力強く承諾してその場を離れた。
目指すはすぐそこの森に隣接したニワトリ飼育場だ。
「おいフレム。態度がなんか怪しいが……。なにをさせる気なんだ?」
「あんまり警戒するなよ。ここメスのニワトリが飼育場を仕切っていてだな。運動させて疲れさせないと卵取らせてもらえないんだよ……。少し走り回らせるだけさ」
なぜか警戒心を高まらせているルーアの緊張を優しく解す俺。
ルーアの頭を撫で、安心させてやる事にした。
「心配しなくて良い。なんの不安も必要ないぞ? 元気余らせて置くと後でおっちゃん達が困るが……。最悪アガレスで眠らせればいいのだ」
「怖い! なんか今日のおまえ怖いぞ! 私をどうする気だ!」
俺の服にしがみつき更に不安を募らせたのか、再び若干涙目のルーア。
心配性だな。なにが気に入らなかったのだろう?
「さ、着いたぞ! 始めるか!」
「うん……。ニワトリにしては大きくないか?」
囲いのある飼育場広場に到着した。
意気込む俺にルーアは疑問を口にする。
現在俺達に視線を向ける三羽のニワトリが居るのだが、確かに少し大きめなのだ。
そうだな。三羽共トサカが俺の腰を越える大きさだ。
広場にあるニワトリ小屋は小さくてこの三羽は大体いつも外に出ている。
「あいつらちょっと発育良いからな。名前は左からセセリ、ササミ、テバサキだ。ちなみに俺が命名した」
「ちょっとじゃないぞ! 仕方ない……。さっさと済ませ……うい!?」
俺の懇切丁寧な説明でもいまいち納得出来ない様子のルーア。
とりあえずは仕事に移ろうとしてくれたのだが、いきなりルーア目掛けてニワトリ共が全力ダッシュで向かって来た。
突然の事で焦ったのか、ルーアは飼育場の中を走って逃げ始める。
「コケー! コココ!」
「コッケー!」
「コロケッポゥー!」
三羽共大喜びでルーアを追い掛け回していた。
よしよし予想通り。良いぞ、その調子だ。
「おい! なぜ私だけ追われるんだ! どういう事だ!」
「そいつらね~。男嫌いなんだよ。俺が近付くとほら……」
あっという間に柵の端に追い詰められているルーア。
その前にいるニワトリに近付き俺が手を差しのべると……
「コケェ!」
テバサキが俺の手を食い千切らん勢いで噛みつこうとしてくる。
もちろん避けたが。この巨体だ、黙って噛ませたら致命傷になりかねん。
「リヴィアータに行く前の話になるが、セリオスとハミルを連れて来た事もあってな。ニワトリ共はハミルに飛び付こうとして地面にめり込まされたり、セリオスの神々しさの前に頭を垂れて土下座してたりと……」
「分かった。分かったからまずは助けてくれ」
過去に想いを馳せている俺を放っておいて、ルーアはセセリやササミにスカートを捲られるのを両手で防いでる最中であった。
挙げ句引っ張られて転ばされ、更にセクハラが加速しようとしている。
俺は危険だから近づけないんだ。ごめんなルーア。
「ちょ……ちょっと待ってくれ……。これ以上は本当に」
「コッケー!」
ルーアはかなり涙目になっている。さすがに可哀想になってきたので助けに入ろうとしたその時、テバサキが勢いを付けてルーアの胸に飛び込んだ。
そして怯えるルーアの胸でテバサキは数秒制止した後、ゆっくりと俺達の元から離れていった。
「コケェ……」
テバサキはとても残念そうに地面を見つめている。
なにか期待とは違っていたらしい。
「はは……ははははは! 良い度胸だぁ! 覚悟は良いなおまえ達! 目にもの見せてくれるぅ!」
ルーアがキレた。当然だな。なんて失礼なニワトリなんだ。
杖で払い除けられたニワトリ達は逃げ惑い、鬼の形相をしているルーアの杖から放たれた火球で丸焼き寸前になっていた。
ハミルの時といい、学習しないやつらである。
「ふう……、ふう……。これで終わりだな……。まったく、とんでもないニワトリ共だ!」
息を切らせるルーアの前で煙を上げて倒れる三羽。
辛うじて生きている。こいつら意地でも生き延びるつもりだろう。
食卓には上がらず天寿を全うする気がする。
だがルーアの言っている事は検討違いだ。
「なにを言ってるんだ? ボスはメスだと言っただろう。ほら、良く見てこのトサカ。こいつら雄鶏だぞ?」
俺の発言が意外だったのか。目を丸くして固まるルーア。
ちょうどその時、飼育場に隣接する森の奥から地鳴りが響いた。
ズズン、ズズンと重々しい地鳴りは着々とこちらに近付いてくる。
「お、来たな。ここのニワトリ長、コッコ姉さんが」
「ゴゲェ……」
全長おそよ六メートル程の巨体から発せられる低く重い鳴き声。
巨大にして可愛らしい雌鳥が翼を広げて威嚇してくる。
「ニワ……トリ? 待て、どうみてもニワトリではないぞ!?」
「ニワトリって聞いたぞ? ちなみにチャームポイントはおっきな瞳だ。愛らしいだろう?」
慌てたように震えるルーアに俺は出来るだけ優しく答えた。
少し緑色の尻尾が特徴的だが、この白い羽毛はニワトリで間違いあるまい。
ギョロリと見開かれたコッコの瞳は完全にルーアを捉えていた。
「大丈夫だ。あの三羽程狂暴じゃないから」
「ほ、本当だろうな……」
俺の言葉を疑っているルーア。
大きさは異常かもしれないが動きは鈍いしセクハラもしない。
あの三羽程面倒ではないというのは事実である。
「ああ、俺にとってはな」
「ゴゲ!」
俺がポツリと呟いたと同時に、コッコが一鳴きして頭を反らす。
そして勢いを付けたコッコのくちばしが、ルーアの眼前の地面に深々と突き刺さった。
「し、死にゅ!」
「女には容赦ないが、男は舐め回すくらいしかしない。それもこないだセリオスを連れて来てからなくなった。セリオス連れて来ないと暴れ出すようになったがな!」
怯えたように固まるルーアに、俺は軽く説明してあげる。
かなりな男好きだったコッコはセリオスを連れて来てからというもの、他の男に見向きもしなくなってしまったのだ。
「それあの王子が原因じゃないか!」
「凶暴化の理由はもう一つあるぞ。コッコがハミルとやりあってからだな。リノレの通訳によると『人間思ったより丈夫ね』という事らしい」
ルーアの叫びは一理ある。罪作りな王子様だよまったく……
でも女性に対する攻撃性はハミルがコッコと死闘を演じたからだ。
ユガケは俺と一緒に震えて見てただけだが、ひよこ神器はフルに使っていたな。
「人間の女性の基準をハミルと一緒にされると迷惑なんだが~!」
コッコのついばみを走ってかわしながら叫ぶルーア。ごもっともだ。
俺は飼育場に置いてある椅子に座り、いつの間にか逃げ惑っているルーアの奮戦を眺める事にした。
「貴様~! 覚えてろよ! 荘厳なる一陣の風、天翔る恩寵をここに……。《アークウェイ》!」
ルーアが呪文を唱えると手にした杖が空中で静止し、ルーアはその杖に座る。
それと同時に魔力を発露させた杖とルーアが、弾けるように回りながら空に舞い上がった。
杖自体を操作する魔術のようである。
ついでに舞い上がった石ころが放物線を描き俺の方に飛んで来たが……
俺は座ったまま寝ているアガレスを抜き放って地面に突き刺し、柄頭を軽く拳の裏で小突く事でバリアを発生させた。
石ころは全てアガレスの寝相により発生した空間固定障壁で止まっている。
俺は悠々とテーブルのコップに注いだエサ用の水を満喫した。
「おのれフレムゥ!」
「余所見してると危ないぞ?」
空の上から吠えるルーアに俺は警告をしておく。
なびくルーアのスカートに視線を向け、俺の側で翼を口元に持って来て声援を送ったり羽ばたいて興奮しているうるさい三羽の事ではない。
というかこいつら中身おっさんじゃねぇの?
「ここまで高度を上げてるんだ。危ない訳が……。ん? あのニワトリどこいった?」
十数メートルは舞い上がっている事で安心しきっていたルーアは、巨大ニワトリが飼育場から消えている事に気が付いたようだ。
あのナリでそんなに素早く森に隠れられる訳もないからな。
急に自身に影が落ちた事で悪寒を感じたのか、ルーアは視線を上空に向けた。
「ゴゲェ……」
「え? なんで飛んでるんだ?」
不敵に鳴くコッコが、ルーア以上の高さからルーア目掛けて落ちてくる。
ふんわりとしたコッコのヒップアタックを受け、両者共に地上に落下していく。
「叩き付けられるところだった……。なんでニワトリが飛べるんだよ!」
「飛翔ではない。跳躍だ。コッコの脚力を甘く見るな!」
地上スレスレで浮き直したルーアはなんとか無事に着地した。
俺はもはや他人事のように声援を送っているが、さすがに今のはひやっとしたぞ。
そろそろ俺も動かねばならないだろう。
ちなみにコッコは地面に叩き付けられたがポウンと軽く跳ね、無傷である。
「くそ……。こうなれば攻撃に移るしかないな……。悪く思うにゃ。おみゃびぇか……。ありぇ?」
「言い忘れてた。コッコの吐く息は生物を痺れさせるようだぞ? 特に目の前に立つのは危ない」
ルーアは先程同様、攻勢に出て動きを止めようとしたようだが遅かった。
コッコの吐く痺れる吐息で動きを制限されてしまったのだ。
なんたる悲劇。
「にゃにがニワチョリら! まちゅうコキャトリャスりゃらいか!」
何言ってるか分からねぇ。明らかに舌が回っていないルーア。
俺は大事な事を伝え忘れていたが……。なんにせよ楽しそうで何よりだ。
だがここまでだな。満足に動けない以上ルーアはここでリタイアだ。
「良く頑張ったな小娘、後は任せたまえ。コッコよ……、この俺が相手になる!」
「ゴゲェ? ゴゲ、ゴゲゴゲェ!」
カッコ良く椅子から立ち上がり、にじり寄る俺にコッコが何か喚いている。
これはアレだ。きっと恋する乙女の瞳だ。
「セリオスは来れないっていつも言ってるだろう! 俺じゃ……、俺じゃダメなのかコッコォ!」
「ゴゲェ……。ゴッゴゲェ! ゴッゲェ!」
俺の必死の呼び掛けに一瞬だけ項垂れたコッコ。
しかし突然鋭い眼光を俺に向け、叫びながら翼をはためかせた。
翼より発生した突風により飛ばされた俺は飼育小屋に叩き付けられる。
背中越しに聞こえる小屋の中のニワトリ共がうるさい。
「いてて……、好きなだけ暴れるといいニャ。その思い、俺が全て受け止めてやるニャ……。ん? なんか俺おかしくないかニャ?」
なんか俺の痺れ方おかしいんだけど? 語尾だけおかしいんだけど?
警戒を忘れてうっかり痺れてしまったお茶目な俺は、この不可思議な現象を伝えようとルーアに目線を向けた。
意見を聞こうと思ったがルーアは杖を空中に浮かし留め、目を瞑り魔力をみなぎらせている最中のようだ。
「ルーアにゃん?」
「ほりょびりょ……」
嫌な予感のする俺の耳にかすかに聞こえたルーアの声。
目を座らせ、滅びろと言ってますねこれは……
杖から放たれた魔力が弾け、突然飼育場の柵内の砂が舞い上がって空気の爆発が起こった。
俺やコッコ達は成す術なく砂塵と共に空に舞い上がる。
しばらくして砂ぼこりが収まり目を開けると、俺は見事にコッコの下敷きになっていた。
コッコは目を回しており、残りの三羽も散り散りに飛ばされ倒れている。
俺も当然無事ではなく、結構な痛手を被っていた。
耳鳴りもするし身体痛いしコッコがとても重くて動けない。
頭と手はなんとか動かせるが脱出はちょっと難しい。
「よ、良くやったルーア。無詠唱とはやるじゃないか……。腕を上げたな。ああ、良かった。お陰様で痺れも抜けたようだ」
「ああ、元々呪文や詠唱の類いは理に精神を誘導させる為のもの。術式自体はこの転魔の杖に込められているからな。やって出来ない事はないと思っていた……」
誉めちぎる俺の目の前に来たルーアは手を腰に当て、冷たい笑顔で見下ろしてくる。
うむ、悪くない。この構図はなかなかクセになりそうだ。ではなく……
そうなのだ。俺は今動けない。散々ルーアを囮にしてサボっていたから仕返しが怖い。
「何か言いたい事はあるか?」
「ルーアちゃん……。パンツ見えてる」
ニッコリ笑って勝ち誇るルーアに俺は思うまま答えた。
可愛らしいピンクの下着。おそらくシトリーの趣味だろう。
だが正直者は時として損をする。口は災いの元なのだ。
真っ赤になってしゃがみ込んだルーアの往復ビンタを受け、俺の顔は腫れ上がっていく。
このままでは俺まで討伐されてしまうだろう。
仕方なく俺は帰りの命綱たる安眠快眠アイマスクを交渉材料にし、泣く泣く譲り渡す事でなんとか許してもらう事が出来た……




