百一話 深き闇の化身
膨大な魔力を持って立ちはだかるアドラメレク。
この戦い、想像以上に危険なのでは?
そんな騙されたような思いが募るが、今更引けないのが現実。
「長期戦は不利だ、一気に仕掛けるぞ!」
「嫌だけど仕方ない! アガレス! 目眩ましと……、ついでに俺を上空に打ち上げられるか?」
「その程度ならなんとかなるが……。城の基礎が破壊されている。これ以降手は貸せんと思ってくれ!」
セリオスの提案を嫌々承諾した俺は決着を急ぐ事にした。
アガレスの助力が乞えるのはこれで最後。本格的に城の修復を始めたら本当に二人だけだ。
チマチマした戦いを続けていても、いずれこっちが力尽きるのは目に見えている。
アガレスの能力でアドラメレクの視界を遮るように、辺りを黒い砂煙が埋め尽くしていく。
直後、石床が弾けて一人上空に飛ぶ。
「くだらん……。時には無心、時には意識を意図的に逸らすなどの絡め手を使うセリオスと、何故か敵意や戦意そのものを感じられない者……。確かにお前達二人の気配は感知しきれん……。だが、お前達の持つ武具は違う……」
落胆したような口振りのアドラメレク。この期に及んで陳腐な戦略と言わんばかりだ。
それは俺達の剣が放つ気配が、それぞれの居場所を示していた事が原因だった。
暖かな生命力を発する聖剣グランフォウルが上空に飛び、禍々しい魔力を発する紅剣クリムゾンシアーは地上にある。
先程の会話は偽装。飛んだのはセリオスだと判断されてしまったのだ。
「まずは一人。仮に防げたとしても、攻撃に転じる余力は残しようがない。泡沫に眠れセリオスよ……。《ドラウジネス》!」
片手を上げたアドラメレクは暗黒魔術による精神拘束の陣を頭上に構築した。
そこから膨大な瘴気が黒い柱となり立ち昇る。
この気配は、強力無比な眠りの魔術だ。
続けて向かってくるクリムゾンシアーの魔力に狙いを合わせ……
アドラメレクはさっきも口にしていた幻糸傀儡、すなわち糸の牢獄で辺りを取り囲む。
「裂けて死ね小僧!」
糸の牢獄を縮小し、アドラメレクはクリムゾンシアーの持ち主をがんじがらめに拘束する。
そのまま五体をバラバラにするつもりだったのだろうが……
糸はあっさりと切れ、捕らえたはずの獲物がアドラメレクの眼前に姿を現した。
「効かないと言ったのはおまえだぞ? アドラメレクよ。すでにその術の糸口は見つけてある」
身を屈めながらクリムゾンシアーを振りかぶり、アドラメレクの胴体を一文字にて両断するセリオス。
魔力回路を搭載してないクリムゾンシアーの魔力飛散を防止するため、剣の柄には護符が巻いてあった。
「なんだ……と……。では上に飛んだのは……」
「当然俺だぁぁぁぁ!」
切断されたアドラメレクの胴体はすぐに修復を開始する。
その身体が結合する前に、当てが外れて狼狽している隙に……
上空から瘴気に巻かれた俺が、その手に持つグランフォウルでアドラメレクを頭から両断した。
「ぐぶぁぁぁぁぉ!」
苦悶の叫びを上げるアドラメレクは潰れるように瘴気の塊となって霧散し、上空で再び具現化した。
その姿は、黒を基調とした貴族のようなマント付きの衣装。
金髪で整った顔立ち、それでいて目付きの鋭い男になっていた。
俺とセリオスは魔力が消え行く剣を互いに投げて入れ替える。
お互いの込めた魔力は質が合わずに霧散していくので、いつまでも使っていられないのだ。
相手の感知能力を逆手に取った良い作戦だったが、何度も使える方法ではないな。
「コロコロとよく変わるな……。さっきよりはダメージ与えたと思うけど、やっぱこの程度じゃ倒せないか。多分アガレスとかと同レベルだぞアイツ」
「おそらくは食した者、体の一部でも取り込んだ事のある者の性質を写し取る能力だろう……。だが、ここまで見てそれは完全ではないと確信した」
げんなりする俺に自身の考察を伝えるセリオス。
アドラメレクの変身能力はデタラメではあるが、その魔力と知識で再現可能なものに限られる。
本体の記憶や能力の完全再現は出来ないという事だ。
「貴様……。精神を混濁させる睡魔の術が効いてないのか! 私の力は先程とは比較にならんのだぞ!?」
「睡魔? なるほど……。確かに眠いが……、俺はいつも眠い! 無駄だ!」
アドラメレクは改めて俺を見て不思議がる。
なにせ俺はグランフォウルの防衛機構を使えていなかった。
胸元に隠れている魔道具たるネックレスも大した魔力を放ってはいない。
それはつまり、ほぼ丸腰で術を受けたのに効果がなかったという事である。
眠りの力ならアガレスから常に受けているからな。
我ながら謎理論の答えになったがこの程度は慣れており、正直効かないとは思っていた。
「怪奇なりフレム・アソルテ……。だが楽に死ねなかった事をすぐに後悔する事になる! 天を焦がせ、『天空を祓う者』よ!」
「させん! 《グランフォウル》!」
アドラメレクが叫ぶと同時にセリオスは頭上にグランフォウルを水平に掲げ、俺とアガレスを覆う程の結界を構築した。
直後に空が輝き、玉座の間をほとんど囲うほどの雷光が轟音を奏で落ちて来る。
「ぐく……う!」
セリオスはグランフォウルの結界で辛くも雷を凌ぎきり、その身体はプスプスと煙を上げる。
完全には防げなかったが致命傷ではない。
本当に怖かった。ありがとうセリオス。
「な、ならば! 先程しくじった光の翼だ! 今の魔力なら八割方再現出来よう! 『閃光を纏う者』よ!」
「天使ルーアだと!? 変態め! かじってやがったのか!」
服装は簡素な黒いドレス。アドラメレクは以前相対した生意気そうな天使ルーアの姿を模した。
巨大にして大量の光剣を円盤状にして背中に背負っているアドラメレクを、俺はこれでもかと罵倒してみる。
「私は魔力や瘴気を浴びるだけで十分情報を解析出来る! これは先の戦いであの女の術を受けたからで……」
「なるほど……な!」
アドラメレクが術を操る手を止め説明を始めた瞬間を狙い、俺は霧状に撒いた生命波動を斬り上げと同時にアドラメレクに放った。
霧は淡く紅い粉雪程の粒に肥大し、立ち昇る赤い雪嵐がアドラメレクの身体ごと背後の術式を削り取っていく。
「か……、お……のれぃ!」
術を破られ、手傷を負って地上に落下したアドラメレクは再びその姿を変える。
顔は天使ルーアに酷似した、どこか物憂げな金髪の美女。
「はぁ……はぁ……。『閃光を祓う者』よ……。凍てつかせよ……」
呟くアドラメレク。辺りは突然暗闇に包まれた。
一辺の光も射し込まず、自分の手足さえ見えない完全な闇。
恐怖を助長し、平衡感覚さえ失うその闇は、俺達の身体の熱をも奪い取っていく。
手足がかじかみ凍り付いていく中で、セリオスと俺は目を閉じて小さく呟いた。
「万象仙界……」
「落城降魔……」
セリオスは直前の状況と大気の流れから膨大な情報をまとめ上げ……
俺は精神力で強引に感覚から視覚を遮断し、触覚と聴覚を高める。
セリオスは縮瞳、俺は散瞳となった眼を開き、二人同時に駆けた。
何度も一緒に稽古を続け体得した技だ。互いの状況や位置など、手に取るように分かる。
俺達は躊躇う事なく、深い闇に剣を突き立てた。
二人の剣が、姿の見えぬアドラメレクを捉える。
「んな!? 化け……物かお前ら……」
闇が晴れ、金髪美女と化したアドラメレクが驚愕したような言葉を吐く。
その胸部にもたれ掛かるように、深々と剣を突き立てる俺とセリオス。
アドラメレクの身体は黒煙となって膨張し、俺とセリオスは跳ね飛ばされて後退する。
「なんとかいけそうか? アイツ、魔力の割には思った程じゃないぞ」
「模した性質に寄せようとする余り、力が出し切れないのだろう。事実、ヤツの今の魔力は以前対した二級天使を越えている。油断はするな。使いこなされたら終わりだ」
俺は少々安心したが、セリオスが言うにはまだ慣れていないだけのようだ。
アドラメレクはまだ錯乱しているのか、姿をいちいち変えずに単純な魔術や攻撃を行った方が余程有用である事に気付いてないのである。
わざわざ劣化能力を使ってくれている内に、さっさと仕留めないと詰む可能性が高いという事だな。
「くそ、次は……次は何に……ナニニ……」
声色が曇り始めるアドラメレク。その姿は形容し難いものに変わっていく。
うごめく黒い肉のような塊から狼や虎、骸骨のような顔の付いた蛇腹がいくつも飛び出し、筋肉質で異質な腕が何本も生え、大量の触手が床にうごめいている。
「なんだよ!? まだ上がるのか! あの異常な魔力……、もうザガン達を越えてるぞ!」
「取り込んだ性質が膨大な魔力と共に暴走を始めたか……。こんなもの、よく今まで制御出来ていたものだ……」
危機を察した俺とセリオスは、変異したアドラメレクに向かって飛び出した。
アドラメレクはすでに壁や床を破壊しながら無秩序に暴れ始めているのだ。
これ以上暴走を続けられたら手が付けられなくなる。
襲い掛かってくる触手を切り払いながら俺達は近付いていくが……
上方から叩きつけられた巨大な手を、剣で受け止めたセリオスが身動きを封じられた。
俺は蛇腹の一つに飛び乗り虎の顔に一太刀浴びせるも、触手の薙ぎ払いを腹部に受け壁に叩き付けられてしまう。
すぐにセリオスもがら空きの胴体に触手を叩き込まれ床に転がった。
「や……ばいぞ……」
「ぐ……」
「おぉぉあ……ガデ……ス……」
衝撃の痛みで意識が飛びかけている俺。セリオスも相当な痛手を被っただろう。
アドラメレクは俺達の事を気にも止めずに苦しげに、そして悲しそうにガデスの名を呼んだ。
そしてアドラメレクの身体から吹き出した薄い瘴気が部屋中に広がり、玉座の間の様子が変わり始めた。
まるで何事もなかったかのように修復された床や壁、天井。
だがそれは先程まで見ていた玉座の間とはまったく違う空間だった。
その部屋にある玉座に、ゆったりとした白いドレスに身を包み、どことなくエトワールに似た緑色の髪をした美しい女性が座っている。
目に見えるこの空間と女性は、アドラメレクの作り出した幻であることは瞬時に理解できた。
女性の周囲には朽ち掛けた剣や鎧が大量に転がっており、不意に窓から入ってきた小鳥が煙のように溶けて女性の身体に吸い込まれる。
女性はまるで人形のように身動き一つせず、その目は驚く程に空虚で、恐ろしい程に冷めていた。
その女性の目に突然光が灯り、顔を正面に立つ俺達に向けて話し始める。
「また来たのですか……。懲りませんね……。こうしている間も私は貴方の命を奪っているのですよ?」
「これは分体だ。外にある本体から少量ずつ補給を続ければ、そう簡単に消えはせんよ。エサにしかならん人の温もりを知りたい等と、おかしな事を言うお前が哀れで仕方なくてな」
女性の言葉に答える男の声、その声の主は俺達の背後に現れた貴族風の男性から発せられた。
その男性は俺達の横を通り過ぎ、女性の元に歩いていく。
「これはまさか……、アドラメレクの記憶……。だとすればこの女性がガデスか……」
セリオスはこの空間に広がっている映像は、アドラメレクの記憶を元に構成されていると推測していた。
ならば男はおそらくアドラメレク。
先程までうごめいていた黒い塊の動きが緩くなり、代わりにアドラメレクの気配がその男から強く発せられているからな。
「そんな話をしに来たのですか? せめてもう少し回復してから来てください。随分弱っておいでですよ」
「まあそう言うな。血肉の味を知らん哀れなお前に朗報を持って来てやったのだ。お前の魔力を制御する術をいくつか考案した。それと、魔導王が諦めおった転生魔導器というものもあってだな……」
ガデスは呆れたように嘆息するが、アドラメレクは矢継ぎ早に言葉を綴る。
次々とアドラメレクが語る内容を、ガデスはただ微笑んだまま聞いていた。
「最初は人形みたいで怖いと思ったが……、随分と人間味のある子じゃないか」
俺は想像以上に人間らしいその姿に拍子抜けする。
マトイが話してたのをちょっと聞いていた事があるが、とても世の中に絶望しているようには見えなかったのだ。
楽しそうな二人の語らいが空間ごと歪み、映像が切り替わる。
そこには小さな赤い球体の前で膝を折り、今にも消え去りそうな程、薄く弱々しいアドラメレクが叫び声を上げていた。
「何故だ!? 何故私を待っていてくれなかった! 何故ゼラムルなどにその身を委ねた! もう少しだ……。もう少しなのだ! ヴァンパイアシード! 転生魔導器! 時期に完成の目処が立つのだ! お前の望みを叶えるなど……、私にしか出来なかっただろうに!」
そのアドラメレクは魔力が枯渇する寸前なのだと、俺達はすぐに悟った。
自らが消滅しかけている事すら分からないほどの悲痛な想いが、映像と共に俺達の心に入り込んでくる。
「ガデスへの執着が、アドラメレクの自我を保っていたようだな……。やはりヤツはかつての私によく似ている。何者も信じず他者を遠ざけて来た者に、温もりを欲する者はさぞ滑稽に見え、そして……、眩しかったのだろう……」
心に波が立ったかのように悲しげに語るセリオス。
もし、俺達やエトワールと出会っていなければ……
セリオスも人の温もりを知る事はなかったと考えたのだろうか……
俺達が見る幻の映像。赤い球体の前で項垂れるアドラメレクの側に、ガデスの姿がうっすらと浮かび上がり、それと同時に俺の胸元から淡い光が溢れた。
出所はネックレス。その光からは微かに声が聞こえてくる。
(おねが……)
イリスからの連絡かと思ったが、その声は今しがた聞いていたガデスのものだった。
俺とセリオスはうっすらと佇むガデスに目を向けた。
すると彼女は俺達の方を見つめ、優しげに微笑んでくる。
(お願いします……。アドラメレクを……、私から……解放してあげてください……)
その言葉は彼女の心からの願い。ガデスは絶望して封印されたのではなかった。
自分に会う度に弱っていくアドラメレクを……、これ以上見たくなかった……
死なせたくなかったのだ……
共生が望めないのなら、俺達にアドラメレクを救うことは出来ないだろう。
それでも……
「セリオス!」
「ああ!」
俺の呼び掛けに応えるセリオス。俺達は並び立ち、再び剣を構えた。
ネックレスから声が聞こえた直後から、不思議と身体の痛みは消えている。
アドラメレクはここで仕留める。
だが幻想に囚われたまま、ガデスの想いが届かないまま、その自我を失う事など許せる訳がない!
その俺の意思に応えるように、俺のネックレスから供給される以上の魔力をクリムゾンシアーは放ち始めてくれていた。
「「はあぁぁぁぁぁ!!」」
戦いを決するため気合いを込める俺達。
俺の剣に紅い魔力が、セリオスの剣には白い生命波動が炎のように立ち登り、幻の空間が消し飛んでいく。
弾けるように駆けた俺達二人は、身体中を掠りながらも大量に襲い掛かってくる触手を切り捨てた。
黒い塊から生えた巨大な手が動き始め、振り下ろされた手がセリオスを再度押さえ付ける。
俺はその手を駆け上って腕を両断し、蛇腹に切り込みを入れながら、中央で肥大し続けるうごめく物体に降り立った。
セリオスも覆い被さっている巨大な手を弾き飛ばし、手や触手を切り付けてアドラメレクの胴体を駆け上がっていく。
「ガデス……、ガァデェェスゥゥゥ……。なぜ……、ナゼェェ! お前の力を制御する術を見付けたのだ! お前と共に歩む価値のある者も見付けたのだぞぉ!」
「やはり、私に目を付けたのはそういう理由か……」
嘆くアドラメレクの言葉に、セリオスは納得したように呟く。
俺には分からない話だがとどのつまり、それすらガデスの為であったという事か。
「ガデスはおまえと共に生きたかったのだろう……。おまえを……殺めたくなかったのだ!」
「そんな……はずが……。そんなはずがあるかぁ! 私はガデスの欲するものを、食らって生きる事しか出来ぬ存在だ! 私はあの女の側に居てはならんのだ!」
セリオスの言葉を、躊躇いながらも否定するアドラメレク。
アドラメレクはガデスと共に生きる選択肢を持てなかった。
持ってはならないと、自らに言い聞かせていたのだ。
「彼女の表情を思い出せ! 彼女は温もりを知っていたぞ! おまえが……、おまえが与えたんだ! アドラメレク!」
「温もり……を……私……が?」
語り掛ける俺の言葉で、アドラメレクの様子に変化が生じた。
黒くうごめく瘴気の塊の中心に、アドラメレクの自我がはっきりと浮かび上がる。
セリオスは足元に感じるその毛色の違う魔力に向け、グランフォウルを突き立てた。
俺も少し遅れて、その剣に重ねるようにクリムゾンシアーを刺し入れる。
二つの魔力が結合し、眩い桜色の閃光がうごめく物体内部で輝きを放ち始めた。
「切り離せグランフォウル!」
「封殺しろクリムゾンシアー!」
セリオスと俺。互いの剣が力を増幅し合い、グランフォウルがアドラメレクの本体と言える自我から余剰魔力を切り離す。
そしてクリムゾンシアーの魔力が、分離した異質な体を包み崩壊させていく。
俺とセリオスはその場から飛び降り、崩壊するアドラメレクを対角線で挟み込むように降り立った。
魔力のほとんどが霧散し、崩れ掛けた老体をさらけ出すアドラメレク。
自我を侵食していた瘴気が消し飛び、平静を取り戻したような表情。
だが俺とセリオスの剣気に当てられ、もはや身動きは取れないようだ。
「私としたことが……。くだらん妄執により滅びるのを……、人間などに救われた挙げ句……、憎々しいゼラムルの拵えた剣で最後を迎える事になるとは……な……」
「それは違う。諦観していたおまえを救ったのは、おまえが救ったガデスだ。そして……」
「それを終わらせるのは……、俺達人間だ!」
力なく立ち尽くすアドラメレクに、セリオスと俺は言葉を投げ最後の攻勢を仕掛ける。
挟撃する俺達の剣がアドラメレクの身体の中心でぶつかり合い、擦り合わせるようにその身体を切り抜いた。
「そうか……、そう思えば……悪くはない……か……。くく、げに恐ろしきは……人間の小賢しさよ……。絶対迷宮と皇竜、お前達には……二度と……会いたくないわ……。うるさくてかなわん……」
穏やかに笑い、俺達の間で嬉しそうに語るアドラメレク。
風に溶けるアドラメレクを見送り、俺とセリオスは勝利を確信するように左手の拳槌を空中で打ち合わせる。
「勝ったんだよな……」
「そうだ、我々の勝利だ……」
下を向いたまま、俺は隣に立つセリオスに確認した。
反対方向を向いているセリオスは顔を見せることもなく、ただ答えをくれる。
俺は最後の最後で、ようやく敵意を持ってアドラメレクと対峙した。
状況から人類の敵である事は分かっていたが、俺はアドラメレクの行いなど知らない。
覚悟が足らないのも、甘いのも理解している。
だが明確な被害を受けていない俺にとって、アドラメレクは敵対者足り得なかったんだ。
それを動かしたのはアドラメレクとガデスの想い。そして願い。
「それはそうと……。その目、落城降魔の効果が切れていないぞ? そのままでは心身に負荷が掛かり過ぎるだろう……」
「随分長く使ったからな……。癖になったか? まあすぐに解けるさ。痛みもあるだろうから今はこの方が都合が良い。まだ終わっちゃいないだろう? ハミルやゴルギアート達も気になるし、街もまだ戦闘中だろうしな……」
セリオスは俺の瞳孔が開いたままなのを警告してくれた。
だが今落城降魔が解けたら、この物悲しさで号泣しかねない。
このまま他の戦場に向かうなら、泣きっ面を晒すのも恥ずかしいからな。
奴は正しく敵だった。心に残る悲しさは、このまま深く封じてしまおう。
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セリオスはこれ以降の戦闘から、フレムを外す事を考えていた。
滅ぼすべき相手に対する慈悲とも言える感情で動けるフレム。ただでさえ感受性が強過ぎるのだ。
万感の思いが飛び交う戦場で、精神に負担を強いる技は危険である。
「いや、おまえは少し休んでいろ。痛覚が薄いと言うことは精神が過敏になっている恐れがある……。その状態で万が一……」
周囲を見回していたセリオスがフレムに声を掛けて振り返る。
だが、そこにはもうフレムの姿はなかった。
「なに!? もういないだと!? アガレス殿! フレムは!」
「ゴゴゴ……すぴー……。ゴゴゴゴゴすぴー……」
セリオスは床に刺さるアガレスに呼び掛けたが、すぐに顔を引きつらせて固まる。
戦闘が終わったからか、もしくは戦闘中からなのかは分からないが、アガレスは比較的静かな寝息を立てて寝ていたのだ。
「気が緩み過ぎだ……。嫌な予感しかせぬ!」
この言葉はセリオス自身にも当てはまった。
戦闘直後の安堵に気を取られてしまった事が失態と言える。
石床や壁が緩やかに修復されているので、この状態でもアガレスを動かす訳にはいかない。
セリオスは不安を募らせ、急ぎ玉座の間を後にした。




