九十八話 圧倒的ふるぼっこ
全員がタマモに動きを封じられ、絶望の渦中に飛来した希望。
誰もがハミルの登場に驚く中、ハバキは自分がその希望に睨まれている事に気が付いた。
「ま、待て! 先程の件は謝罪する。悪かった! フレム・アソルテは無傷だ! 俺の完敗だった!」
ハバキの発言を受け、ハミルはパンを咥えたまま目映いばかりに満面の笑みを浮かべる。
憂いの晴れたハミルはあぐあぐとパンを吸い込んでいき、ゴクリとパンを飲み込み終えた上で、ひよこハンマーをタマモに向けた。
「じゃ、改めて……。僕が来たからにはもう大丈夫だよ! 敵はこの人だね?」
「フィルセリアの退魔神官……。玉座の間に向かったのではなかったのだな……」
威勢の良いハミルがこの場に馳せ参じた事を不思議に思うハバキ。
この地下施設に来るなら、わざわざ二階に上がる必要はないはずなのだ。
「礼拝堂、御手洗い、応接間、誰かの寝室、果ては食堂を経由したところで諦めて一休みしていたのですが……。突然強力な魔力反応が我々の横から下に向かって降りて行くのを感じたのです!」
丁寧にこれまでの経路を説明するユガケ。
その話を要約すると、城内で散々迷った事で途方に暮れてしまい、仕方がないから勝手に食事をしていた。
そこにちょうど敵性反応が近付いてきたので、それを追って来たという事である。
「だから食糧庫からいくつか食べ物拝借してから駆け付けたんだよ!」
「ハミュウェル様! それいらない情報です! すぐに駆け付けなかった事がバレます!」
フンスとふんぞり返るハミルに、慌てたユガケが墓穴を掘る。
場の緊張感を滅茶苦茶にして周囲を混乱させているハミル。
だがタマモはおちゃらけたハミルを軽視してはいなかった。
「精霊神器の使い手……。しかも小娘自体の霊力も並みではない。これは厄介よの……。だがどうする? こやつらはすでに我が巣に囚われておる。そなたが下手に動けば……、一匹ずつ始末するぞ?」
タマモはハミルの実力を危険視し、人質を盾に撤退しようと画策する。
そんな緊迫する場の空気を読まず、ハミルの持つハンマー、その先端のひよこが小さな翼をばたつかせた。
「ピィ~!」
ひよこの鳴き声が鳴り響き、突如辺り一帯に重圧が掛かる。
精霊神器の力。ヴャルブューケの重力操作である。
「ほほ……。糸を切るつもりかえ? この程度の重圧で切れるはずがあるまい? ここは引いてやるから見逃せと……」
少し身体が重くなった程度の変化にタマモは余裕を見せていた。
捕らえられている仲間の身を案じての事であろうと考察していたが、その予想とは裏腹に糸が次々と崩れ落ちていく。
切れるのではなく、崩壊しているのだ。繭状にされていたガルシアさえも解放されている。
「何!? 何故じゃ! 何が起こった!」
「ふ……。ユガケ、説明してあげて!」
辺りを見回し慌てるタマモに対し、ハミルはユガケに説明を求めた。
術者であるハミルがまず、効力について理解していないのだ。
「ヴャルブューケの能力は土や石を操る他、水分にまつわる物を排斥及び吸収出来る力があるようです。なのでその糸の粘性を取り除いた結果、脆くなったという事でしょうね」
「と、言う事だよ!」
ユガケの能力説明の後、ドヤ顔で自慢するハミル。
解放された者達はほとんどが戦える状態ではない。とはいえ、糸を無力化してガルシアをも助けられた成果は大きい。
「陛下……、皆様……。申し訳ありません……。一矢報いる事叶いませなんだ……」
「構わん……。十分な足止めだ……。そして、よく生きていてくれた……」
ガルシアは倒れたまま起き上がる事が出来ないほど消耗してはいるが、命に別状はなさそうだった。
その様子を見て、心から安堵するゴルギアート。
「くぅ……、だがこの身体はどうする? わらわはただ取り付いておるだけじゃぞ? ジュホン帝国の者達の目的はこの姫の奪還なのじゃろう?」
タマモは一瞬焦りを感じたが、すぐに人質をその身にすげ替えた。
ジュホン帝国の第一皇女タマモ姫。その身は魔神に支配されていたのだ。
「やはり妖が取り憑いておったか……」
「姉上……、姉上ぇ……」
ハバキは苦渋の表情を浮かべ、ミコトもうつむき泣き始めた。
タマモ本人が生きている可能性を示唆されたなら、もはやハバキ達にはその身を傷付ける事など出来はしないのだ。
「ほほほ、どちらにせよ仕切り直しじゃ。いずれまたまみえよう……ぞ? びゃ!」
「よっと……」
笑いながら空に向けて浮かび上がった魔神タマモの顔面に左拳をめり込ませ、空中で殴り落とすハミル。
華麗に着地を決めたハミルはヴャルブューケを腰に収納し、胸の前で両拳を打ち鳴らした。
「よく分からないから、殴り倒してから考えるね。ふるぼっこだよ!」
「な……、な……、なんと非常識な!」
取り憑かれている事などお構い無しなハミルに戦々恐々な魔神タマモ。
この状況で人質を無視されるなど選択肢に加えている訳がなかった。
ハミルは一瞬で立ち上がったばかりの魔神タマモの懐に入り拳を振るう。
動かそうとした間接や手を狙われ、魔神タマモは身動き一つ出来ず、倒れる事すら出来ずにボコボコにされる。
「ち、調子に……乗るなぁ!」
「わぷ!」
魔神タマモから放たれた瘴気に驚き距離を取るハミル。
瘴気が白糸を形作り、蜘蛛の巣が空間を覆うようにあちこち張り巡らされていった。
「わらわとて齢千年を生きる妖魔。シュテン様に及ばなくとも、小娘一匹あしらう程度!」
上空に張り巡らされた蜘蛛の巣に飛び付く魔神タマモ。操る瘴気が数多の糸に変化してハミルを襲う。
ハミルは瞬時にユガケを取り込み、和装の狐耳姿で対応する。
「アサヅル!」
一声したハミルは異現魔法で作り出した長い鞭を手に取った。
全方位からハミルを捕らえようと伸びてくる糸を、全てその鞭で弾き飛ばす。
「こしゃくな! これならどうじゃ!」
魔神タマモは鞭の射程外から糸を巻き、ドーム状の繭にしてハミルを包み込んだ。
そこから徐々に圧迫しようと繭を収縮していくが……
その繭の上部を破り、現れた閃光が魔神タマモの肩を撃ち抜く。
「ぐぁぁぁぁ!」
繭は消し飛ばされ、呻く魔神タマモ。
肩の傷口からは巨大な蜘蛛の足が一本飛び出し、異形の本性が垣間見られる。
繭の内部から矢を放っていたハミルは構えた弓を消し、弓を射る為ほどいた右側の髪を括り直す。
「ぐ、ぐぞぉ! ぐぞぉぉぉぉ!」
眼を赤く染め、魔神タマモは焦燥感を剥き出しにする。
ハミルは追い討ちとばかりに、腰から抜き放った地天の杖をその場で振り下ろす。
地天の杖から発生した超重圧が、蜘蛛の巣ごと上空の魔神タマモを叩き落とし、地に縫い付ける。
「え、ちょっとハミュウェル強すぎない? ドン引きなんだけど……」
「噂以上のハチャメチャっぷりですね……」
フォルテやシャルディアを筆頭に、上位魔神相手に圧倒的過ぎる実力を見せつけるハミルに苦笑いを浮かべるしかない一同。
魔神タマモの動きを封じた事を確認したハミルは、地天の杖ヴャルブューケを再び腰に納め、タマモの前まで歩を進めた。
「とどめだよ! 魔を払う一撃、天波笄。その身体が生きてるなら、これで解放してあげられるかもしれない!」
「いや、ここまでじゃ」
勝負を決めようと拳を引いたハミルの動きが、起き上がろうとする魔神タマモの声に合わせて止まる。
魔神タマモの胸元で光る円盤の魔力が、ハミルの動きを封じていたのだ。
小刻みに震えるハミルの身体から、ユガケが弾き出され地面に転がった。
「ハミュウェル様ぁ!」
即座にユガケはハミルに飛び付くも、ハミルは虚ろな目で震えるばかり。
ユガケの言葉に反応することはなかった。
「あれは……、姉上が守っていた黄泉の鏡……」
「なんだそりゃ!?」
ミコトの呟きにフォルテが疑問を投げ掛ける。
怯えて震えるミコトに代わり、その問いに答えるハバキ。
「我が国に唯一残っていた本物の三種の神器の一つだ。魔性を封じ、魔性を解き放つ霊具……」
「その通りじゃ。わらわを数百年封じてきた魔導器であるが……。人の身にも効果はある。その身から妖気と霊気、そちらの言い方では魔力と生命力を身体から切り離す効果がな! だが、油断はせぬぞ。払い退けられる可能性を考慮し、直ちに息の根止めてくれる!」
ハバキの説明を捕捉した魔神タマモはハミルに向け、肩から飛び出した蜘蛛の足を振りかざそうとする。
だがこの場で唯一動ける者が、それを黙って見ているはずはない。
「させません!」
ユガケは苦し紛れに魔神タマモに特攻を掛ける。
背に背負った玉石ごと、タマモの内部に溶け込み、強制融合を決行した。
「か、馬鹿か! 貴様……なに……を……」
狼狽する魔神タマモ。タマモの身体から狐の耳や尻尾が生え、代わりに肩から吹き出した瘴気が絶え間なく上空に溜まっていく。
瘴気が出切ったところでタマモの身体は仰向けに倒れ込んだ。
上空に漂う瘴気が形を変え、おぞましい妖魔が実体化していく。
八つの赤い目玉と八つの巨大な足を持つ大蜘蛛が、その本性を現したのだ。
「おのれ! 下等妖魔の分際でわらわを押し出すとは……。許さぬ……。その美しい身体はわらわの物ぞ! 小狐め! 全員食い殺した後でゆっくりと引きずり出し、八つ裂きにしてくれよう!」
激昂する大蜘蛛の周囲に蜘蛛の巣が再び形成される。
先程よりも大きく、強く禍々しい邪気がその場の全ての生き物の身体を覆い始めた。
「三種の神器、期待していた戦力が敵側にあるとは……。まずいな……、誰か動けぬか……」
「残念ながら……、意識を保つので精一杯です……」
打開案を模索するゴルギアートだが、答えたシャルディア含め全員が再び糸にからめられていく。
大蜘蛛の糸で体の自由と共に意識さえ奪われていく一同。
だが、その場に居る者全てが繭に閉じ込められたところで異変が起きる。
「なんじゃ? この静けさは……。まるで時が止まっているかのような……」
大蜘蛛は風の流れも、ハバキ達の呼吸すら感じ取れない事に違和感を覚えた。
離れた糸も何か引っ掛かっているかの如く動かす事が出来ず、不気味な程の虚無感がその心中に影を落としている。
次の瞬間、突然ハミルから輝く光が発せられ、その身を包む大蜘蛛の糸、繭が溶けるように消えていった。
「なんじゃと!? もう黄泉の鏡の呪縛を解いたのか!?」
後退り驚愕する大蜘蛛。
大蜘蛛の見据える先に立つハミル、その背中には翼が生えていた。
白く輝く、神々しい十二枚の翼が……
「この霊気と妖気……、五級天使……。いや、違う! 明らかにその位を越えておるぞ! 冗談ではない! 上限が見えんではないか! この娘、一体何をその身に宿しておったのじゃ!?」
理解不能の窮地と悟った大蜘蛛は飛び上がり、末尾から大量の糸を吹き出した。
それはハミルに届くことなく、まるで自壊するように消滅する。
ハミルは先程とは別人のように悲しげな表情を大蜘蛛に向け、静かに口を開いた。
「私は……、世界から拒絶された存在……。死を……望まれる者……」
ハミルが軽く翼を羽ばたかせると、光の嵐のような暴風が発生する。
輝く光の帯はゴルギアート達を覆う残りの糸、繭を余さず蹴散らし消滅させた。
「なんという……馬鹿げた力じゃ……。こんな奴が居るなど聞いておらんぞ……」
戦慄する大蜘蛛を尻目に、一歩ずつゆっくりと歩き出すハミル。
そのスカートのポケットから何かが溢れ落ち、地面に転がった。
それはフレムと共に買った液体砂時計。
砂時計は割れ、中の油が地面に広がる。
その光景を立ち止まり、ぼんやりとした眼でじっと見つめるハミル。
程なくしてハミルが放っていた神々しい力は、その輝く翼と共に忽然と消え去った。
まるで止まっていた時間が再び動き出したかのように、辺りは喧騒を取り戻していく。
「う……、うわぁぁぁぁぁん!!」
堰を切ったように突然大声で泣き始めるハミル。
今度は腰のヴャルブューケが反応を示し、辺りを重力場が席巻した。
「あがががが……! 落ち着けハミュウェル~!」
「なんだ? なにがどうなった!? いつの間にか糸が消えている……。この退魔神官……。メチャクチャではないか……」
フォルテは潰されたカエルのように仰向けで奇声を発する。
ハバキは自由奔放に事態を掻き回すハミルに恐怖すら抱いていた。
「姉……上……。生きて……おられるか?」
重力場の中、ミコトは倒れている姉のタマモを見つめ、その名を呼び掛ける。
その声は期待と不安が混じり、かすれた涙声で震えていた。
「ほほほ、ミコトか。世話を掛けたのぅ。しかしまぁ……あれじゃ、目覚めたばかりでこれはいかん。つぶれて死ぬぞ」
目覚めていたタマモは呼び掛けに答え、おどけながら笑う。
その姿は慈しみに溢れ、残忍な一面は妖魔の物であった事が伺い知れていた。
「おにーさんのプレゼントが……。許さない……。もう、絶対に許さないから!」
泣きながら怒りを口にするハミルの左手に緋色の弓が現れる。
髪型もサイドテールに変化し、右手に現れた光の矢を番え、打ち起こしから大蜘蛛に向けて引き絞っていくハミル。
「その異現魔法はどこから来ているのじゃ! なんというデタラメな存在じゃ! もはや付き合ってられぬ!」
発狂寸前の大蜘蛛は重力場が和らいだ瞬間を狙い、空に向かい飛び上がろうとした。
しかしそれは地面から動かせなかった一本の足に妨げられる。
「まあ待て。せっかくこうして対面したのじゃ。もう少しゆるりとしていけ。お主とは長い付き合いじゃがのぅ……。わらわの大事な妹を……。わらわの姿と声で愚弄した罪、これだけは許容出来んぞ!!」
「おの……れぇぇぇ!」
仰向けのまま、タマモが大蜘蛛の足を尋常ならざる力で掴んでいた。
大蜘蛛は逃げることも出来ず末期の叫びを上げる。
ハミルの放った巨大な閃光の矢に、大蜘蛛は為す術なく身体を削り取られ絶命。
後に残った蜘蛛の足も、追従して煙のように消え去っていった。
「なんとか終わったな……。おいハミュウェル! さっきの翼はどういう……」
「うわぁぁぁぁぁん! あぁぁぁぁん! ふえぇぇぇ!」
フォルテは痛む身体を押して立ち上がり、先程の力の正体を問い詰めようとする。
だが弓も消えツインテールに戻っていたハミルは、立ったまま天を仰ぎ再度号泣しており話を聞くどころではなかった。
「フォルテ殿。翼とは何の話だ?」
「へ? 見てなかったのか? ハミュウェルの背中から……、え? 気のせい?」
訝しげなゴルギアートを始めとして、皆不思議そうにフォルテを見つめている。
フォルテは一瞬見間違いだったのかという考えに至ったが、先程ハバキも糸が消えた理由に気付いてなかった事に少々疑問を感じた。
が、とりあえず面倒そうなので考える事を放棄する。
「う……む……。まあ良いか。おいハミュウェル! 退魔神官って簡単な治療も出来るんだろ? とりあえずボルトとそこの姫さん達を見てやってくれよ」
「ふ……ぐぅ……」
フォルテの呼び掛けに、泣き腫らしたハミルは溢れる涙を堪えた。
よたよたとおぼつかない足取りでハミルはボルトの元に歩みより、その身体に両手をかざしてボルトの生命力を活性化させていく。
「これこれ、まだ出るでない。主の主人がわらわの身体を散々痛め付けてくれたのじゃ。今出てこられては痛みで死にかねんぞ……」
「ハミュウェル様が泣いているのですよぉ! 私が慰めなくてどうするんですかぁ!」
タマモはその身体からなんとか這い出ようとするユガケをもぐら叩きのように押し戻していく。
今ユガケという魔力回路を切り離されては、尋常でない痛みが押し寄せてくるのは目に見えているのだ。
ハバキはコントをしながら倒れているタマモの側に歩いていき、立ったまま頭を下げた。
「俺は、俺の判断のみで主君を身限った。覚悟は……出来ている……」
「なんという顔をしておるのじゃ……。胸を張れ、そなたの判断に間違いはない。そんな下らないことよりまだ問題が残っていよう。大鬼と大蜘蛛と共に居たあやつ……。コウメイの姿を真似たあの妖魔……、底が知れんぞ……」
ハバキは主君の命を身限った責を果たそうとするが、タマモは些事であるかのように取り合わない。
代わりに提示された妖魔の危険性についてはハバキも考えてはいた。
コウメイが捕らえられたか、すでに消されたかはともかく、ハバキには先程までのコウメイが本物か偽物かの区別すら未だにつかなかったのだ。
「退魔神官! 緊急性の高い者の治療がある程度終わったら……、すまんが俺の治療を先に頼む。フレム・アソルテに救援を約束したのだ。すぐにでも向かいたい」
ハバキのその言葉を聞いたハミルの両手から発せられる光が強くなる。
事態が終息したのではなく、今は泣いている場合ではない事に気付いたのだ。
「救援って、まだ何か居るのかよ? 俺なんも感じないぜ?」
「俺も感じん。だからこそ妙なのだ……。この城の周囲にも大量の妖魔がひしめいているはず、その妖気も感じないのは不可思議でならん」
あっけらかんとするフォルテにハバキは神妙な面持ちで告げる。
狙いを定めたシュテンの邪気は辛うじて捉えられたが、大蜘蛛の妖気ですらあそこまで接近されるまで気付かなかったのだ。
おそらく、感知することすら困難な程の強力な結界が張られている。
ハバキはコウメイに取り憑いた、あるいは化けていた妖魔に並々ならぬ脅威を感じていた。




