僕の身体のなかで死ぬ君は笑っている。
『キキィーーー』というブレーキ音より少し遅れて鈍い音が辺りに轟く。一瞬何が起こったのかわからなかったが、子供ながらに段々と理解する。さっきまで僕と話していたはずの彼女から、体中の血が全て無くなってしまうんではないかと思うほどの血が湧き出ていた。このままでは彼女が死ぬ。そう思ったとき、僕はようやく叫んだ。
『誰か、誰か、助けてください!!!!!』
また、同じ夢を見た。いつもその内容は覚えていないけどきっとそうだ。小学生の時の夢。
小学生の冬、僕と一緒に下校していた女の子が死んだ。彼女の名前は『黒木ユリ』透き通るような長い黒髪に静かな笑顔が似合う大人びた女の子だった。彼女の命を奪った車の運転手は、酒を飲んでいた。僕には傷ひとつ無く、彼女の命だけが無くなった――。
それから五年が経とうとしている。僕ももう、高校2年生だ。これまで何度もあの子が生きていたら…と思った。でもその度に見る夢に、僕は現実に引き戻された。その夢は、僕に楽しい事があったとき、嬉しい事があったときには必ず現れた。
その事もあって、高校では部活にも入らず、友達も作らず、ただ、大人になるのを待つだけの日々だった。
そんなときだった。
僕にガンが発見された。
風邪のような症状が続き、親に勧められ、検査を受けてみたところ、肺がんだったみたいだ。といっても、早期に発見したため、治る確率が高いらしい。でも不安で仕方がなかった。僕の心の中に巣食う彼女に「大人になるな」と言われている気がしてならなかった。
病院で化学療法による治療が始まった。そこでは、髪が抜けるのは当たり前、小さい子も自分の病気のことを分かっているのかと疑うほど楽しく遊んでいる、という不思議な光景が広がっていた。同じガンなのに、僕よりも小さい子が前を向いて生きている。そう思ったとき、不思議と肩が軽くなった気がした。
そこでの光景が当たり前になった頃、僕は『白河 こんこ』に出会った。
「私の名前は白河 こんこ。あなたの名前は?」
「鬼灯 かがり…です……。」
「鬼灯 かがり…か……。面白い名前だね!」
「…あなたのこんこってのよりはマシだと思うんですが。」
中庭にある椅子に座っていた僕に話しかけてきた白い毛糸の帽子を被った彼女は、同じくガンになっていた女の子だった。彼女の歳はひとつ上で、彼女のガンも早期発見で治る確率が高く、だいぶ治療も進んでいるんだとか。何故かはわからないけど、彼女は僕に色々と教えてくれた。病院のこと、看護士さんの性格や、病院の七不思議、彼女自身のこと。きっと彼女も病院へ来てから、誰かに教えてもらったのだろう。この病院の伝統みたいなものなのかなと、勝手に思う事にした。
僕の入院が二週間になろうという頃、彼女は退院した。僕は彼女とは中庭で少し話すくらいの仲だったが、そのときはとても嬉しかった。きっと僕は本当に治るのかという不安があったのだと思う。そんななかの彼女の退院で、自分も治るのだと、安心した。だからきっと嬉しかったんだ。
彼女は病院から出発する前に僕のもとへ来て、「連絡先、交換しよ?」と言った。僕は彼女に言われるがまま、連絡先を交換した。
人に好かれるのは悪くないな。
その日、久しぶりに夢を見た。いつもと同じ、小学生の時の夢。だが、いつもとは違う事があった。
夢の中では、何度も轢かれたであろう真っ赤な彼女が、笑っていた。
ひどい汗をかいた。夢のせいなのかどうか、僕の退院予定が一週間伸びた。こんことは、彼女が退院した後もメールのやり取りをしていた。延びる前の退院予定に合わせてカフェで退院祝いをしようと誘われていたため、断りの連絡と、退院予定が延びたという旨を伝えた。
次の日、彼女はお見舞いに来てくれた。彼女はいつもと違った似合わない険しい表情をしながら、僕の病室に入ってきた。彼女の顔を見た瞬間、僕の頬を雫が滴り落ちた。きっと彼女の顔が怖かったに違いないと自分に言い聞かせながら、彼女に抱きついた。自分の両親にも聞かせられないようなくらい大きな声で泣いた。少しだけ、ほんのすこしだけ、退院予定が延びたことが、不安だったのかもしれない。
そのあとは、何事もなく退院することができた。
彼女が毎日お見舞いに来てくれたからだろう、そう思った。もう彼女とは冗談を言い合えるような仲になっていた。退院してから、もう2週間が経とうとしている。体調も、だいぶよくなってきた。
『退院祝いにカフェでも連れてって下さい』
今度は自分から連絡した。
『当たり前じゃない!』
彼女から5分も経たないうちに返事が返ってきた。
時刻は午後1時。大泣きして以来、会ってなかったので、どんな顔をしていいかわからなかったが、待ち合わせ場所に行くと、彼女が笑顔で待っててくれた。彼女に、「待った?」と聞くと、彼女は「ぜんぜーん待ってないよー?」と言った。彼女の顔は、僕と初めて出会ったときよりも顔色がよく、頬が少し、ピンク色だった。
カフェにはあまり行ったことがなかったけれど、彼女が今日の予定を立ててくれていた。最初は、駅前にある女子に人気のカフェだった。店に入ると、そこは辺り一面がピンク色で、僕には絶対似合ってなかった。そこで彼女に「絶対僕がいるところじゃないと思う。」というと、彼女はまるで今にも泣いてしまいそうな顔をして僕を見つめてきた。そうすると、僕が根負けて、「連れてきてくれて、ありがとうございます。」と言った。
2番目は落ち着いた雰囲気のカフェ。彼女はたくさんの予定を、分刻みで考えてくれていたみたいだけど、最初のカフェで彼女が興奮して長居したせいで、辺りはもう薄暗くなっていた。彼女は予定通りにいかなかったのが不服だったのか、頬を少し膨らませ、自分にブツブツと文句を言っていた。
僕にとってはとてもこっちの店の方が居心地がいい。店内には、落ち着いたメロディの音楽がなっている。きっと『ジャズ』というものだろう。そんな落ち着いた雰囲気に浸っていると、彼女は語りだした。
「あのね、実は、小学生の時、君に会ったことがあるんだよ。私は、小さい頃から病気がちだったから、病院に何度も入退院を繰り返してた。入院すると、外で遊べなくなっちゃうからね。とても嫌だったの。」
「あはは、君らしいね。」
「えへへ。ありがと。」
「でもさ、やっぱりそんな日々に嫌気がさして、一回だけ、病院を抜け出したの。そのときだよ。君に出会ったのは。」
「君は、看護士のお母さんにくっついて、いつも 黒髪の女の子と遊んでた。そんな姿が羨ましくて、私、泣いちゃったんだ。」
「そしたら君が近づいてきて、こう言ったの。『どうして泣いてるの?どこか痛いの?僕が君の痛いところを飛んでけしてあげる。』って。」
「僕、そんなこと言ったの?ごめん、覚えてないや。」
「別に覚えてなくてもいいの。でも、当時はそんなこと言われたことなかったから嬉しくて、胸が痛くなって、君に、『痛いの痛いの飛んでけっ』ってしてもらった。でも痛みは無くならなかったな。」
「君の事を励みにして、数年が経って、君が入院してきた。最初は見間違えかと思った。でも、君は間違いなく君だった。一目見て『あ、あの子だ。』ってわかった。」
「なんか恥ずかしいな。」
「私もガンになるとは思ってなくって、心の整理がついたときに、君が来た。よかった、変な姿見せなくて。」
「どんな姿でも、君は素敵な君のままだよ。」
「体調がよくなって、君が中庭に出るようになったとき、チャンスだと思った。あのとき話しかけたの、けっこう勇気が必要だったんだよ?」
「君とそこで出会ってから、だんだんと僕は変わっていったんだ。君と中庭で話すのが、1番の楽しみになった。君が退院して、少し経って、退院予定が延びた。あのときは、実はとても不安だったんだ。親にも辛い顔は見せたくなくて、いつもひきつった笑顔が癖になってしまった。そんなとき君が来た。君は、僕の前に来てくれた。」
「君から連絡が来たとき、ビックリしたよ。でも、君のためだから、苦にはならなかった。」
「君に抱きつきながら大泣きしちゃったな…。」
「あのときの君は、子供みたいで可愛かった。」
「そんなこと言わないでくれよな。あはは。」
「………。」
「………。」
「私、君に伝えたいことがあるんだけど。」
「奇遇だね、僕もなんだ。」
「じゃあ、一緒に言おっか。」
「そうだね。」
「せーのっ」
「せーのっ」
『君が好き』
「…僕と付き合ってくれないか?」
「…はい、よろこんで。」
僕たちは、付き合い始めた。
―――それから約一年がたった。
1年の間に、色々な事が起きた。彼女が大学に受かったり、僕が部活に入ったり、僕が看護学校を目指していたり、とにかく、色々なことが起きた。
僕が、ガンになったとき、心のケアをしてくれた看護士に憧れたのも、もう過去の話だ。
2度目の受験生になった僕は、久しぶりに彼女に会うため、告白をしたカフェに来ていた。彼女は、肩まで伸びた、茶色がかった髪で、とても美しかった。いや、彼女にはかわいいと言った方が似合うだろう。
「私、君のことが好きで好きでしょうがないみたい。」
「どうしたの?急に。」
「君が小学生の時、『黒木 ユリ』さんが、亡くなったんでしょ?君はいっぱい苦しんだ。だから私もその分、君を幸せにする義務があると思うんだ。」
「だから、君とひとつになりたい。」
「かがり君、大学を卒業したら、私と結婚してください。」
「もちろん!」
「でも、条件があります。」
「何?」
「そのときは僕に告白させて下さい。」
「ふふ、君らしいね。こちらこそお願いします。」
「私は、君の笑顔が好きなんだ。ねぇ、これからはずっとその笑顔でいてね。私を君に夢中にさせた罰だ!」
「わかったよ。でも、君もずっと笑顔でいるんだよ。」
「もう遅いし、帰ろうか。」
そう言って、僕と彼女はそとに出た。外には真っ白な雪が降っていた。その時、舞い落ちる雪が煌めいた。
『キキィーーーーー!!!!』
目覚めたときには、彼女の姿はもうなかった。
自動車事故に遭い、僕はかなり危ない状況だったこと、やむを得なかったとはいえ、彼女の心臓を僕に移植したことを、医者に聞いた。
僕は泣いた。たくさんたくさん泣いた。声をあげて泣いた。声が枯れるまで泣いた。最後には、もう出す声は残っていなかった。
でも僕は、彼女と約束していたから、約束だけは守らなければならない、そう思った。だから、僕は笑って前を向いた。そうすると、胸が熱くなって、涙が出た。
僕は、彼女とひとつになったこの身体で、最後まで生きていこう、そう決めた。
事故に会った日は、『黒木 ユリ』の命日だった。
きっと、僕の身体なかで彼女は笑っているだろう。
僕は、涙を拭い、病院を出た。
窓ガラスが、鏡のように『キラッ』と光った。