光の射す方へ
兄さんへ
お元気ですか。僕は元気です。
小樽は随分涼しくなりました。
福井はどうですか。
薫さんや美紀ちゃんは元気ですか。
2007.9.1. 忠より
2週間程前に父に届いたこの絵葉書は、恐らく父に読まれる事はないだろう。
裏を返せば、美しい海岸の風景が私の瞳に飛び込んでくる。小樽の海だ。
潮風が私の頬を叩く。敦賀で乗船したフェリーは海を切り裂き、北へ北へと進む。
絵葉書をしまい込み、一枚の写真を取りだした。
口を真一文字に結び、面白みの欠片もない背広姿の若い父の隣で、学生服を着た男の子が笑っていた。これが私の叔父だ。
このぼやけた全体写真にプラス22年の歳月。
どんな人だろうか。
まだ見ぬ叔父に対し、奇妙な親近感が沸き上がる。
海は、遙か小樽に繋がっている。
私が小樽行きを決めたのは一昨日だった。
一昨日。
忠へ
いつも葉書をありがとう。私も妻も娘も元気です。こちらは、まだ少し暑いです。夏休みに 入り東京の大学に行った美紀が帰ってきています。一度、是非北海道に行きたいと言ってい ます。とても、良くできた娘で…
「誰が良くできた娘だって?」
父の枕元にいた筈の母が、いつの間にか私の手元を覗き込み、呆れ顔で言った。その後ろで看護婦が3ヶ月前から植物状態になった父の点滴を慣れた手つきで取り替えている。
「私以外誰がいるの?」
私はペンを置き、絵葉書を裏返した。四角く切り取られた東尋坊の美しい風景が小さなテーブルにちょこんと残された。
去年の夏。
父が突然倒れた。
その頃、私は長い夏休みをバイトで潰していた。その知らせが来るまで、帰省する気などなかった。
「このぐらいの事でいちいち帰って来るな」
急いで帰った私に、父は不機嫌に呟いた。好きで帰ってきたわけじゃない、喉まで出かかった言葉を殺したのは、母の不自然な笑い顔だった。私にとって父は法律より重い存在だった。常に父は正しかった。煙草も酒も浮気も父には無縁だった。そして同時に、私には父の笑い顔を思い出す事もない。岩のような父の隣でいつも母は穏やかに笑っていた。東京に戻った後も何度か電話したが、母の明るい『大丈夫よ』の一言が返っただけだった。そして、その『大丈夫よ』がデタラメだと知ったのは、5ヶ月後、成人式の為に帰省した日だった。私は愕然とした。父は病院のベッドで半身不随になっていたのだ。大学に通い続けていいものかと悩んでいると、父は5ヶ月前と同じ調子で言った。
「このぐらいの事で退学など考えるな」
私は東京に戻り後期試験を受けた後、1年間の休学届けを学校に出した。その事を母に伝えると、母は激怒した。そして、その怒りは恐れだと分かった。父に隠した余命の短さ。母は悟られぬよう必死に一人で戦っていたのだ。だから、病院にいてもする事のない私が退学ではなく休学した事で父に事実を悟られるのが恐ろしかったのだ。
「でも、きっと父さんは知っているよ。知っていて騙されたふりしているんだよ。お母さんは、さらに騙されたふりしなくちゃダメだよ」
そして、私は父に自分の1年間の休学を告げた。それは、まさに父の余命を告げる行為だった。父はただ「そうか…」と、呟いただけだった。私はさらに父が騙されるふりをするのだと知った。
ある日、父は絵葉書の束を私に見せ、短く言った。
「弟からだ。すまんが、代筆をしてくれ」
父のこの言葉に私は止まった。母がこの言葉の後を継がなければ、永遠に口を開けたまま父を眺めていたかも知れない。それは、叔父の存在を初めて知った驚きではなく、父が私にお願い事をした事に対する驚きだった。
「父さんね、字が上手く書けないのよ」
「電話で話せばいいじゃない」
母は黙って病室から私を連れ出し、話を続けた。
「住所しか分からないのよ。…それに、父さん、叔父さんには病気の事を隠したいらしいのよ。…どうせここに居ても美紀にはやる事がないでしょ」
「…それも、そうだけど」
確かに私が毎日病院に来てもする事など無かった。完全看護の病院の上に、細かい部分は充分母がフォローしていた。
母は私が知らなかった父の話をした。
父には父親がいなかった。その為、昼夜働き詰めの母親に代わり、12歳年下の弟の世話をしたのは父だった。そして、父の就職が決まると同時に母親は過労で亡くなり、6歳になったばかりの弟を父は一人で育てあげたのだ。しかし、叔父は高校の卒業式の前日に、突然姿を消した。それ以来、兄弟は一度も顔を合わせていないという。
小樽は静かな街だった。
フェリーから降りた美紀は、葉書に記された住所と同じ名を持つ小さな木造アパートを見つけた。
静かに心臓が波打ち始める。私はまず謝らなければならない。父と偽り葉書の返事をかいていたのだから。それは、彼を騙していた事になる。
一つの扉の前で足を止める。私と同じ名字である『神田』の表札が住人の存在を確かにしていた。手が震えた。彼は私にどんな態度をとるだろうか?膝が笑ってきた。冷たく追い返されたらどうしよう。葉書を握りしめた。大丈夫。深呼吸してからゆっくりとベルを鳴らす。息を吐きだし、待つ。返事はない。もう一度鳴らす。やはり返事はない。
「神田さ〜ん」
と小さく言ってみた。
「すいませ〜ん。いませんか〜」
と今度は大きな声で言った。手の震えも足の震えも心臓の鼓動も収まっていた。いないのだ。私は腕時計を見て、溜息を吐いた。
平日の午前11時。留守にしていても不思議はない。出直すべきだろうか。私は担いでいたリュックを足下に置き、扉を背に座り込んだ。解けていたスニーカーの紐を結び直し、リュックから絵葉書の束を取り出す。まず、始めにグランドキャニオンが目に飛び込む。
兄さんへ
お元気ですか。僕は今アメリカにいます。
1990,8,31 忠より
22年前に家出した叔父から、私が3歳の頃、突然届いた絵葉書だ。これには差出人の住所はない。そして、私はさらに絵葉書を捲っていく。ブラジル。モスクワ。インド。香港。ベトナム。世界中のあらゆる所から不定期に届いた絵葉書が目の前を過ぎる。やがて、父から手紙を出すきっかけとなった珊瑚礁が広がる海の絵葉書で手を止めた。
兄さんへ
お元気ですか。
ここは世界で一番、海が綺麗です。
2002,11,23 忠より
5年前に届いたこの絵葉書には沖縄県座間味村の住所が添えられている。しかし、その後、葉書の住所はコロコロと変わった。父の手紙が宛先不明で帰ってきた時もあったという。家族の近況を細かにしたためた父の封書に対し、叔父の方はいつも短い文書がおまけのようについた絵葉書だった。父が入院した後も、そのやり取りは続いた。しかし、父の体が不自由になるにつれ、手紙の内容は短くなり、父も遂に葉書で返事を出すようになってしまった。
絵葉書を捲っていくと、遂に小樽に行き着いた。
兄さんへ
お元気ですか。
北海道は、まだ寒いです。
薫さんや美紀ちゃんは元気ですか。
2006.3.23 忠より
何故父は叔父に逢わないのだろうか?その問いに、母は小さく笑った。
「意地…だろうね」
「父さんがそう言ったの?」
「バカね。言うわけがないでしょう」
「今も、やっぱり逢いたくないのかな?」
「さぁね…、でも、今の弱り切った姿は見せたくないだろうね…」
父の代筆を頼まれた日から7ヶ月間、実際に代筆と言えたのは、数回だけだった。父の呟く短い言葉を葉書に書き付けた。その後、言葉は途切れがちになり、私が作った文書を父に見せ、父が頷くとそれをポストに投函した。徐々に父の意識が薄れていくのが分かった。私の書いた文書を理解しているのかどうかも疑わしくなっていく。そして、3ヶ月前、遂に父は目を覚まさなくなった。私は僅かな罪悪感を抱きつつ、叔父から届く葉書に自分の言葉で返事を出していた。彼に抱く親近感はこの文通の為だろうか。叔父の方は決まってこちらの近況を問い、小樽の季節の移ろいを送ってきた。
今日の小樽は晴れていた。透き通るような水っぽい空に薄い雲が流れている。木々が擦れる音。近くを走っている車の排気音。遠くに聞こえる赤ちゃんの泣き声。1年半、彼が吸っていた空気。
「神田さんの知り合いかい?」
顔を上げると竹箒を持ったおばさんが私を覗き込んでいた。ジーンズに付いた土埃を叩きながら、私は立ち上がった。
「あ。はい。でも、留守みたいですね」
「多分。暫く帰ってこないよ」
十分にふっくらとした体付きのおばさんは、楽しそうに実にあっさりと言った。
「一昨日、自転車に荷物乗っけて、行ってしまったよ。前ン時は3週間帰ってこなかったから、今度は、いつ戻って来るやらねェ」
よくある事なのだろうか。おばさんは何でもない事のように笑っている。
「どこ行ったか分かります?」
「さぁね〜。道東って言っていたような…」
相手は世界中をバッグパック一つで旅するような人だ。
「この辺にレンタサイクルの店ありますか」
おばさんは目を見開いた。
「自転車で追いかける気かい?無茶よォ。神田さん、出て行ったの、一昨日よ」
私には免許はない。自転車を列車で捜すのは不可能だ。逢えないと分かると何が何でも逢いたくなった。
「はい。追いかけます」
「分かったよ。そんな思い詰めた顔しないでよ。おばさんが自転車貸すわよォ。仙台に行った息子の自転車があるから。おばさんにはあんなでっかいモン乗られんから」
「でも…」
「いいから。おばさん、ここの管理人だから。神田さんの知り合いでしょう?」
おばさんはすぐに息子が残したと言うマウンテンバイクを引いてきた。埃をパッと払い、ニッと笑った。
「ありがとう。おばさん。必ず返しに来るから!」
嬉しさのあまりそれだけ言うと、自転車に跨り、おばさんに手を振って漕ぎ出した。
とりあえず、東に向かおう。
私は北海道の広さを舐めていた。
あっという間に辺りは暗くなった。
札幌の小さなビジネスホテルのベッドに体が鉛のように沈むのを感じた。途中コンビニで買った北海道の地図をウンザリと投げつけた。
「バカヤロ〜。北海道はでっかいど〜」
それでも、私には出直すなんて選択肢はなかった。何故だか分からないけど…
翌日、鉛の体は重量を増していた。1センチ動かす度に1Kgの重力が何倍にも感じられた。関節に響く痛みがイチイチ私の動きを止めた。それでも、私は自転車に跨った。
逢いたいと思った。父に育てられたという私の叔父に逢って話がしたいと思った。
北の太陽はチリチリと静かに肌を焼き、筋肉は鈍痛を伴いながら収縮を繰り返す。
叔父さん。何故、貴方は家を出たのですか?
牧草地に一本伸びる道をひたすら走った。渇いた喉が痛い。呼吸は音を立てて喉から漏れる。体中の血液が全開で回転する。目の前に続く道は真っ直ぐに伸び、地平線に消えている。その先は、見えない。
叔父さんは父から逃げたのですか?
空が目一杯広がって、背中に衝撃が走った。転んだのだと気が付くのに一体どのくらい掛かっただろう。私は車の通らないアスファルトに転がったまま、草の匂いを嗅いでいた。
叔父さん、どこにいるのですか?
一昨日。
「誰が良くできた娘だって?」
父の枕元にいた筈の母が、いつの間にか私の手元を覗き込み、呆れ顔で言った。後ろで看護婦が3ヶ月前から植物状態になった父の点滴を慣れた手つきで取り替えている。
「私以外誰がいるの?」
私はペンを置き、絵葉書を裏返した。四角く切り取られた東尋坊の美しい風景が小さなテーブルにちょこんと残された。
叔父からの葉書に返事を書き続ける日々。私は父を演じ続ける事に疑問を感じ始めていた。父の意地は兄弟に永遠の別れをもたらす事になる。しかし、もう遅いのだろうか?夕暮れのオレンジ色の光が動かなくなった父の横顔を照らし出していた。父は自ら叔父に逢いたいとは言わないだろう。それが、父の正しさだろうか。その正しさは、楽しい?嬉しい?父には何も残らないじゃない。じゃあ、私には何が残っている?私は何が楽しい?嬉しい?私はなかなか書き進まない絵葉書をペンの先でつついていた。
「美紀。そんな暗い所で書いていたら、目が悪くなるわよ」
「大丈夫よ。その分、瞳孔開いているから」
「何ワケ分かんない事、言っているの」
母が簡易ベッドに腰掛けた。父が植物状態になって以来、母のする事もなくなった。ただ毎日のように、目を覚まさない父を眺め、返事をしない父に話しかけている。時折、母は羨ましそうに葉書を書く私を見ていた。
「お母さん。人は死ぬ瞬間、何が見えるの…」
「さぁねぇ…。母さん、死んだ事ないから分からないよ。ん〜、でも、天国から一杯光が射し込んで来るんじゃない?」
「…違うと思う」
「あら。父さんは、いい人だったのよ」
「知っている。父さんはいつも正しかった。でも、最後に人が見るのはきっと闇だよ。…だって、死体は瞳孔開いているもの」
人間の瞳孔はカメラのレンズのように光の入る量を調節する。光が強い時は、瞳孔を絞り。逆に暗い所では瞳孔を開く。死んだ人間が瞳孔を開くのは、きっと、最後に深く永遠の闇を見たから…
「…お母さん。私、小樽に行って来る。叔父さんを連れてくるよ」
母は一瞬、驚いたように私を見つめ、それから、本当に小さな溜息を吐いた。
「そうね。ここにいてもする事なんて無いからね…」
北海道のだだっ広い大地に転んだまま、暫く動くことを忘れていた。
携帯の着信音が、私はようやく動かした。
『美紀?お母さんだけど、アンタどこにいるの?忠さん。小樽にいないでしょう?』
「え?どうして、知っているの…?」
母に連絡を全然入れていないことに気づいた。
『今日、葉書届いたのよ。釧路にいるって』
「釧路?それから?なんて書いてある?」
『何って…、兄さんへ。お元気ですか。今は釧路に来ています。風が気持ちいいです。忠より。2007年9月15日って、これだけ』
「釧路ね」
自転車を起こした。方向は間違っていない。私はR274をさらに東へと走った。
叔父さん。教えて下さい。貴方は何て言って父の前から姿を消しましたか?今、後悔はしていませんか?私はとても酷い事を言いました。そして、残酷にも父は眠ったまま目を開いてくれません。
…少し後悔しています。
帯広で途中一泊し、釧路に着いたのは夕暮れだった。暖かなオレンジ色の光が街を包んでいた。駅に着くと旅行者がチラホラと見られた。22年前の写真の叔父に22年の年を重ねる。ろくに顔を知らない人を必死に捜した。バカな事をしていると思った。今日は18日。彼が葉書を出したのは15日。遅かっただろうか。自転車を木に立てかけ、側の花壇に腰を下ろした。夕焼けに濃いグレイの闇が混じり、空は不思議な色に染まっている。
「もしかして、誰か捜している?」
黒い革ジャンに破れたジーンズをはいた長髪の男が隣に座った。ラッキーストライクを私に勧めるように差しだし、私が首を振ると、一人で吸い出した。
「さっきからこの辺ウロウロしていただろ?」
「うん…」
「その写真の人?」
そう言って私の手から写真を取り上げた。
「ふ〜ん。2人いるけど、どっち?」
若い方を指差した。首を捻りながら考えている男を、私は半ば疑いながら見ていた。煙草の煙が風に揺られ私の鼻孔を擽った。
「カンちゃんに似ているなぁ」
「カン…、神田って言うの!どこにいるの」
「まぁ、まぁ。お〜い。マルオ〜」
彼は私を無視して、遠くで自転車を引いていた背の低い男を呼びだした。元は白だと思われる灰色のTシャツにジャージをはいた無精髭の30代の男が写真を覗き込み、頷いた。
「こりゃ、カンちゃんやろ。カンちゃんはもう釧路におらんけど、ジイちゃんと仲良かったから、聞けば何か分かるんちがう?」
2人は私を連れて歩き出した。
「あの〜。神田さんのお友達なんですか?」
「カンちゃんて、神田って名前だったんだな。マルオ、知ってたか?」
「名前なんてどうでもイイんとちがう?俺達は友達だけど旅人やし。なぁ、ネェちゃん。俺はママチャリダーなんや」
マルオは自慢げにママチャリを指した。
「ママチャリダー?」
「そや。コバみたいなバイク乗りの事をバイカー。チャリンコ乗ってるヤツをチャリダー。ママチャリはママチャリダー。原チャリは…」
「原チャリダー?」
「おっ。鋭いね」
面白そうにコバは笑った。彼のラッキーストライクは短くなり、白い部分は殆ど消えている。彼等は北海道を一人で旅をしていた。気が向けば、同じく旅をする者と言葉を交わす。年齢も性格も環境も違う彼等は名前も知らないくせに昔からの友人のようだった。そして、『ジイちゃん』は、60を越えた本当のジイさんだった。彼は若いバイカーに自分のハーレーダビットソンを自慢していた。
「お〜い。ジイちゃん。カンちゃん、どこ行ったん?このネェちゃん捜しとるんやって」
マルオの声に振り向いたジイちゃんは、白髪の混じった髭をごつい掌で撫で、私をマジマジと見て笑った。
「お前等が、ナンパしたのか?」
「人の話聞けよ。カンちゃんは?カンちゃん」
「お嬢ちゃんは人捜しの旅か?」
「旅っていうか…」
「旅じゃよ。旅。道があり町があり人がある。そこを通り過ぎる道程を旅と言うんじゃよ。道を外れても、迷っても、それが逃げ道でも旅は旅じゃよ。立ち止まらない限りはな…」
ジイちゃんは広げた地図を指差した。
「ヤツは羅臼岳に登る言うとった…。羅臼のキャンプ場に行けば逢えるじゃろ」
釧路から北上した辺りだ。そこに、叔父がいる。私は叔父をグッと近くに感じた。彼が通った道。彼が会った人達。彼が感じた空気。そして、彼が得たモノ。捨てたモノ…
北海道に着いて5日目。私は羅臼に向かって走っていた。体中の筋肉が連日のハードな運動に悲鳴を上げ、沸き上がる期待感がペダルを踏む。熱い、と感じた。汗を流し続けても体の体温は内部から燃え、冷める事はない。子供の頃からよく人に冷めていると言われた。その理由が今なら分かる気がした。でも、冷めているのではない。私には何もなかったのだ。心の空洞に熱を感じるモノは何もなかったのだから。
20日の早朝、羅臼キャンプ場に到着した。
「カンちゃん?…あぁ、カンちゃんね。彼なら、羅臼岳登るって、もう行っちゃったよ」
キャンプ場の水道で歯を磨いていた女性は、カンちゃんを知っていた。
「私も登るつもりだけど、一緒に行く?」
私は即決した。
羅臼岳に登ってやろうじゃないか、と。
その1時間後、後悔していた。
「…あの、…先行って下さい。私は、…後からゆっくり行きますから。お願いです…」
「わかった。どっちみち下山も同じ道だしね。無理せずゆっくり来るといいよ」
そう言って、私より随分と年上のおねえさんはポンとペットボトルを差し出した。
「途中、湧き水有るから、汲んでくといいよ」
何の苦もなく山道を登っていくおねえさんの後ろ姿を眺め深い溜息を吐いた。まだ、十分の一も登っていない。麓で待てばよかったのかも知れない。足の指は靴ズレで血が滲んでいる。スニーカーは泥まみれになり、ジーンズは擦り剥けた。それでも、私は歩いた。彼は自分と同じ道を歩いた。同じ空気を吸った。同じ思いをした。湧き水を貪るように胃に流し込んだ。呼吸困難に酸素を求めて、激しく息をする。この苦しさに涙が溢れる。それでも、歩いた。彼が自分と同じ道を歩いたから?同じ空気を吸い、同じ思いをしている?グルグルと思考が回転し始めた。私は何をしている?筋肉はもう悲鳴を上げる元気すらなくなり、固い石になったようだった。こめかみは激しく波打ち続け、耳鳴りが響く。父さん。生きていくのは辛いよ。デモね、死ぬのも怖いよ。どうしたらいい?私は父さんの子供でいられる程、強くなれないよ。幸せにはなれないよ。私は意識が遠退き朦朧としている父に向かって耳元にそんな言葉を吹き込んだ。復讐だった。自分をこの世に生み出し、父という四角い箱に閉じ込めた父に対する復讐だった。休学したのも同じだ。父の醜い姿を見続ける事は私の暗い愉悦を満たしてくれた。不意に視界に入った太陽に立ち眩みを覚え、吐き気が襲った。いつからか私の中に巣くった深い空洞。その空洞にこびり付いた汚物は、父の弟の存在を考える度に加速度をつけ増殖していった。今の父を弟に見せ、父のプライドを粉々にしてしまいたい。自分自身に吐き気がする。教えて下さい。叔父さん。貴方はこの途方もない闇が続く空洞から逃れる事ができたのですか?
「もう少しよ。頑張って」
明るい声が私を現実に引き戻す。下山している中年夫婦に声を掛けられたのだ。顔を上げると急斜面が目の前にはだかっていた。そして、聞き覚えのある声がした。下山し始めているあの女性だった。
「カンちゃん、この斜面の上で休んでいたよ」
鼓動が跳ねた。
張られていたロープを掴んで必死に登った。掌の潰れたマメも擦り剥いた膝も頭になかった。私の中の深い闇の空洞。思考を重ねると辿り着くソコは何もないトコロだった。叔父も同じトコロにいると勝手に思った。彼と私は同じだったから…。同じ父という存在に育てられたから。斜面を登り切ると、なだらかな平地に高山植物が咲き乱れていた。その中に一人の男性が私に背を向けるように立っていた。他には誰もいない。彼がカンちゃんだ。私の叔父だ。
「…叔父さん?…叔父さん!」
私は叫んでいた。
そして、彼は私に気が付いた。
「はぁ〜?オジさん?俺の事?俺、コレでも20歳なんだけど」
不機嫌そうに振り向いた彼は、22年前の叔父によく似た若い男の子だった。私は写真の叔父に似たカンちゃんという他人を追っていたのだ。今まで張りつめていた気がパンと弾けた。体中の力が抜け落ち、膝から倒れ込んだ。喉から乾いた嗤いが漏れた。
私はジイちゃんに彼の年を伝えていなかった。古い写真だから、勝手に20年以上前のものと分かってくれていると思い込んでいた。
…もう、帰ろう。
無意味に視界に入り込んでいだ名も知らぬ高山植物の隅に、膝を折ったカンちゃんが不思議そうな目で入ってきた。
「…もしかして、美紀さん?」
「どうして…、私の名を…?」
「…やっぱり。君の親父さんからの手紙に写真が入っていたから。美紀さんの親父さんはここには来てないの?」
「…来れないわ。父さんは3ヶ月前から病気で意識がないから…。それより、アナタは?」
「3ヶ月前?」
カンちゃんは奇妙な顔で私を凝視した。
「俺はアンタのいとこだよ。…神田忠の息子なんだ」
叔父に息子がいるとは初耳だった。
「叔父さん…アナタの父さんはどこに?」
彼はポケットから小さな小瓶を取りだした。中に砂のようなものが入っている。
「親父だよ。羅臼岳、好きだったから…」
彼は蓋を開け、中身をばらまいた。砂は緩やかに風に散った。全ての砂が地に沈んだ時、口から出た言葉は意外な程、呆気なかった。
「…死んだの?」
「うん。これは遺灰。…1年前に事故でね」
「…1年前?ウソでしょう?だって、一昨日絵葉書が届いたばかりだよ」
「君の父さんが訪ねてきたら、謝ろうと思っていた。葉書は、1年前から全部俺が書いていたんだ。親父の遺言だったから…。もしかして、美紀さんも親父さんの代わりに…」
私が頷くと、カンちゃんは困ったように静かに笑った。
「…俺達は、お互い何をしていたんだろうね」
頂上付近の寒さに今頃気付いたように私は震えた。何も言えず、ただ自分を抱きしめた。カンちゃんは着ていたジャケットを私の肩に掛けてくれた。
暖かくて…、泣けた。
彼は私の横に腰を下ろし、空の小瓶を見つめた。
「…親父って本当に好き勝手に生きた人だったよ。俺を母親に預けたきり海外に行っては、たまに俺に土産買ってきて。美紀さんの父さんの事もよく話したよ。立派な人だったって。立派すぎてついていけなかったとも言っていたかな。自分は一人でも幸せになれるって言って家を飛び出した手前、帰れなかったみたいだ。でも、本当は家のことが気になって、旅を口実に葉書を書き始めたようなことを言っていたな。小樽で、二人で暮らすようなったのはお袋が死んでからだよ。親父は葉書に住所を書いて、相手から会いに来るのをずっと待っていたんだよ。もし、自分が死んでも向こうから訪ねてくる前に絶対に知らせるなって。だから、葉書を書き続けろって。ガキみたいだろう?本当は逢いたかったくせに…。結局、事故で呆気なく死んじまって…。俺は親父に届く手紙やアンタ達の写真を見ながら、どんな人達だろうって想像した。親父のバカな意地に付き合わずに何度も会いに行こうと思ったよ。でも、よかった。待っていて」
一言、一言懐かしがるようにカンちゃんは話してくれた。
私はその隣で理由の分からない涙をボロボロと流し続けた。
「…お願いです。父に会って下さい」
「うん。でも、とりあえず頂上に登ろう。ゴールはもう少しだから…」
そして、私は叔父がかつて登った頂上を目指した。
母は叔父の死を残念そうに聞き、カンちゃんを快く父の病室に通してくれた。
「父さん。弟の息子さんが来てくれたよ」
意識のない父にカンちゃんを紹介した。
「叔父さんは父さんに会いたがっていたよ。きっと、叔父さんは後悔していたよ…」
逃げる必要なんてなかったから…。
跪いて父の手を握った。視界の父が酷く遠くにぼやけた。父という名の立派すぎる箱からはみ出すのを恐れたのは、自分の弱さ。正しい父に否定されるのを恐れ、憎んだ。そして、逃げようとした。私の空洞は空洞ではなかった。弱さからくる盲目さ故に何も見えてなかった。父から逃げなくても私はどこへだって行ける。何者にも為れる。例えゴールが見えなくても、そこへ向かう旅は続けられる。障害となる人や環境や自分の弱さのせいにしない限り、人や環境や自分自身の力でそこへ向かい続ける事はできる。
「ねぇ、起きてよ…」
私は父の肩を揺さぶった。母が止めるのを振り払って、さらに父を激しく揺さぶった。謝りたかった。父に酷い事を言った。自分の形のない不幸を全て父のせいにしていた。
「…お願い。父さん。目を覚まして、聞いてよ。ごめんなさい…ごめんなさい…、ごめ…」
シーツに顔を押し付け、謝り続けた。
「美紀。父さんが…!」
母の声に顔を上げると、父の潤んだ瞳が僅かに開いていた。私はカンちゃんを引っ張り、父の目の前に彼の顔を押しやった。
「ほら!父さんの弟よ。弟が会いに来てくれたのよ。本当は逢いたかったんでしょう!」
僅かに父の唇が動き、潤んだ瞳が窓から射す光に輝いた。
…そして、それだけだった。
父の声が聞き取れたのだろうか、母は穏やかに呟いた。
「…どういたしまして」
そして、私に微笑んだ。
「ね?美紀…」
そして、父は静かに息を引き取った。
父が眠った病室に窓から光が差し込んできた。人が最後に瞳孔を開くのは、この世の光を名残惜しみ、光を出来る限り集めようとするからかもしれない。だったら、父が最後に見たのは、やはり、溢れる光だっただろう。
カンちゃんへ
お元気ですか。とうとう来月からスペイン留学です。
私は気が小さいので不安ですが…
「誰が、気が小さいって?」
「私以外、誰がいるの?」
母が私の言葉に呆れたように笑った。窓からは光が射し込んでいる。光は闇を照らし私にモノを見させてくれる。そして、私はペンを止め、光が射す方を向いた。光の落ちるその先に、一枚の絵葉書がある。
美紀ちゃんへ
昨日、羅臼岳に登りました。
三度目になります。
美紀ちゃんも頑張って下さい。
2010,7,20 圭吾より
光は空彼方まで繋がり、美しい絵葉書は今も増え続けている。