家族3
「ああ。さっき帰った」
「うっそ。なんで? 俺たちもいっしょに乗っけて帰ってくれればいいのにー」
くちびるをとがらせた翔の肩を、兄が抱く。
「ママは先に帰ってごちそうを作らないと」
「ごちそう、なの? 今夜?」
「明日が誕生日だから、お祝いは今日にしよう、って言ってただろ?」
一拍おいて、翔はアッと叫んだ。
「誕生日って、俺のじゃん!」
「忘れてたのか? じゃあ、いっしょにプレゼントを買いに行くはなしは?」
聞いたおぼえがないと、翔は首をかしげた。
プレゼントというからには、自分への誕生日祝いだろう、とはおもうけれど、欲しいものを訊かれたおぼえもない。
「ママに、帰りに翔と買いに行くから、お金をあずかっておいてくれるよう頼んだんだ。俺にしては大金だから、目を離すと心配だろ?」
ぽん、と兄が肩に下げたスポーツバッグの横面を叩いてみせる。
「大金って、今年はなにくれんの?」
「スパイク」
「すぱいく……?」
たしかに知っている単語のはずなのに、翔はとっさに、それが何だったか思い出せない。
そのぐらい、予期しない答えだった。
というのも、これまで兄が誕生日にくれたものといえば、文具や小物など、ことごとくヴェミリオンのオフィシャルグッズだったため、翔はてっきり、近くにあるクラブのオフィシャルショップに行くものとして聞いていたのだ。
意味するところを理解できたとたん、翔は兄のジャージをむんずと掴んで詰め寄った。
「うっそォ!」
「ほんと。欲しいやつがあるんだろ?」
「エエッ、だってあれ、高いよ。ママに二足分もするって、ソッコウ却下されたもん」
「だから、兄ちゃんが誕生日に買ってやろうとおもって、夜、バイトしてたんだよ。ママたち、ちゃんと内緒にしといてくれたんだな」
ふわりとほほえんだ兄に、翔はことばが見つからない。
ぎゅっ、と両手に力がこもる。
「…………俺、兄ちゃんにくそやろうとか言ったのに。遊んでるんじゃ、なかったんだ?」
「おまえも、遊んでたんじゃなかったよな。ごめんな。あとで、おまえの着てた練習着、ちゃんと汚れていたことに気づいたんだ」
はっ、と翔は兄の顔を見た。
後頭部の髪を、くしゃくしゃと掻き回される。
「あれは、兄ちゃんのやつあたりだった。バイトしてる俺の気もしらないで、おまえはサッカーしないで何してるんだー、って」
困った顔で、兄が翔の瞳をのぞき込む。
「……でも、ほんとは何だっていいんだよ。おまえがよろこんでくれて、ウキウキするようなものなら、別にサッカーとは関係なくたって。息抜きするものでも、ママたちには頼めないものでも、兄ちゃんが買ってやるよ」
両手の甲に顔を伏せた翔の耳元で、兄が、何がいい、とやさしく問うた。
目を閉じる。
と、まぶたに浮かぶのは、実に明確なビジュアル、そのひとつきりだった。
思考のすみからすみまで探して、逆さにして振ってみても、他にはなにも出て来ない。
その事実に、翔は自分でおどろいてしまう。
「────スパイクが、いい。やっぱり、ぜったい、あのスパイクがいい!」
天然芝用で、朱色に近いオレンジで、アッパーがマイクロファイバー製の超軽量、ドリブラーモデル!
ねだる翔の顔を見て、兄の表情も晴れた。
「よし、じゃあ、買いに行こう」
促す兄の手を背中に感じて歩き出したとき、翔の頭には、あこがれのスパイクを履いてプレーする自分のすがたがはっきりと見えていた。
ちらりと、背後の練習場に視線をやる。
あのスパイクを履いて立っているのは、この場所ではない。
──そう気づいた翔の胸に、もう迷いはなかった。