球技大会3
ピイ、とひびいたホイッスルの音が消えきるのを待たずに、翔はすぐ左に立っていたチームメイトにパスを出した。
と、ワンタッチですぐにボールが返ってくる。
テニス部に所属する彼は体育の授業でしかサッカーはやったことがないようだが、瞬発力やフットワークの良さを買って翔とともに前線のポジションを務めてもらうことにした。
小学生のころにサッカーチームに入っていたという経験者もふたりいたが、彼らにはボールに触れることの多い中盤のポジションを任せてある。
べつに、翔はキャプテンでもリーダーでも何でもないのだが、翔の提案や意見は優先的にチームづくりに反映してもらえた。
それはクラスメートの側に、翔中心のチームをつくれば勝てるはず、という計算が働いていたからだろう。
自分を追い抜いていく経験者のひとりにボールをあずけると、翔はさらに彼を追い越して前に行く。
三つ目のショートパスを受けたとき、翔はすでに敵陣のペナルティエリアに片足を入れていた。
視界に入った相手キーパーは、やはりやる気があるのかないのか、判然としない表情でゴールマウスの手前に佇んでいる。
ここは、一発、撃っちゃえ。
そうおもうと同時に、シュートモーションには入っていた。
「姫田!」
いずこからか声がしたとき、翔はあらためてゴールを見すえた。
キーパーの位置を見てシュートコースを狙い定めるためだったが、キーパーのすがたは、ない──
流れのまま足元に視線をやった、そのとき。
黒い何かがボールにザッと這い寄る。
キーパーグローブ!
そう気づくのがもう一瞬遅ければ、翔の足はボールではなくキーパーの腕か脇を蹴り飛ばしていたかもしれない。
既のところで力を逃がすことはできたが、代わりに土を蹴りあげてしまった。
イケメン顔に、ぱらぱらと飛び散った土が降りかかる。
「うわー、ごめん。ていうか、あぶねー。そんな止め方するって、キーパーぜったい素人だろ。無茶な真似すんな。俺のキック力じゃ、病院送りになっちゃう。やだよ、俺」
ボールを抱えたまま立ち上がったキーパーは髪の土を払うと、つ、と翔を見返した。
土を浴びせられて怒っているようには見えなかったが、怪我させられずにすんだことを感謝しているようには、なおさら見えない。
次は蹴ってやろうか、コノヤロー。
内心で舌を出しながら、翔はゴールに背を向け、相手のディフェンスラインの手前まで下がった。
キーパーが蹴ったボールが翔の頭上を越えていく。
何気なく見送った翔は、センターサークルを越えたところでバウンドしたボールが赤いビブスを着た選手の前にあるスペースに転がったのをみて、ぎょっとした。
とっさに、背後のキーパーを振り返る。
三十メートル級のロングフィードを、味方に、正確につなげた──
仮に、味方の前に落ちたのがまぐれだったにしても、インフロントキックでボールを高く遠くにまっすぐ飛ばせる素人などいるはずがない。
いや、ゴールキックの場面ではなかったから、パントキックやドロップキックといった手で落とした浮き球を蹴る種のキックだったのかもしれないが。
いずれにしろ、即席キーパーがらくらくとボールを飛ばせるわけがないことに、変わりはなかった。
経験者なのか、あいつ──
疑惑は、時間が経つほど大きくなり、ディフェンスラインの裏に抜けたとたん飛び出してきた彼にボールをクリアされることをくり返すうち、強い確信へと変わっていった。
おそらくは、キーパーの経験者ではない。
シュートコースを塞いだり、シュートをセーブするといったキーパー本来の仕事ができないからこそ、シュートを打たれる前にボールを奪いに飛び出してくるのだ。
仮に、キーパーのセーブ力に加えてこのクリア力を持っているのなら、全国レベル、いや代表レベルでもおかしくはなかった。
しかし、キーパーでないなら、シュートに持ち込んでしまえばこっちのものだ。
パス、切り返し、ループ──突っ込んでくるキーパーを躱す手など、いくらでもある。
…………あるのだが。
ボールを扱うシューズが、スパイクではなくスニーカーなのだ、今日は。
どうしても、軸足はすべるし、靴先でボールを扱ってみてもイメージどおりにはいかない。