臨時コーチ5
十回もやればそれなりにスムーズにキックをするふり、ができるようになった勇に、翔はアウトサイドでちょん、とボールを持ちだす方法や、足の裏でボールを引き付ける、別のパターンなどもおしえ込む。
勇の吸収力は乾いたスポンジをおもわせるほどで、見ていた翔は、相手が五年生だろうが六年生だろうが、明日にでも抜けるはずだと確信した。
「そうそう! イサムって、アウトでボールをコントロールするのが上手いな。アウトサイドターンっていうのもあるよ。やってみる?」
うん、と元気のいい返事が返ってきた。
「これはねー、正面の相手を右に抜いて行く振りでそっちに引き付けておいてから、パッ、とターンして左側にできた大きなスペースを使うって技。お手本を見せるには、ここじゃちょっと狭いかなぁ。……あ。あそこ、試合が終わって、場所が空いてる。あそこ使ってもいいかな?」
田んぼ二区画を使っていたゲームがいつの間にか終わっていることに気がついて翔が指をさすと、勇の顔がみるみる内に曇っていく。
「ママがね、ゲームが終わったらすぐに帰って来なさい、って言ってたの」
「え。マジ? いつ終わったんだろ。えーっとね、今、八時十五分。ママに怒られる?」
携帯電話をズボンのポケットから取りだして時間を確認した翔の腰に、どん、と勇が体当たりをしてきた。
「あのね。また今度、なんとかターン、おしえてくれる、おにいちゃん?」
翔の左腿に腕をまわして、勇がじっ、と見上げてくる。
翔は、ぶんぶんとうなずいた。
「おしえる、おしえる。また今度にしよう。ママとの約束は、ちゃんと守らないとな。っていうか、イサム、親と来たんじゃないの? 家って、ひとりで帰れる距離?」
あっち、と勇が指を差した方角は、ほぼ闇に包まれていた。
家の明かりも、壁に隠れているのかまったくと言っていいほど見えない。
「ほんとにあっちか? 大丈夫? 俺、送って行こうか。途中でさらわれたりしない?」
大丈夫、と応じながらボールを拾いあげ、袋の中に仕舞い込んだ勇は、ばいばい、と翔に向かって手を振ってみせる。
「おにいちゃん、キックなんとか、おしえてくれてありがとう!」
「フェイントな、キックフェイント! イサム、またな。気をつけて帰れよ!」
手を振り返しながら、駆けて行くボールの揺れる小さな背中を見送った翔は、しばらくして、はた、とわれに返った。
「いや、待て。またな、って……俺今日、クラブの練習サボって来たんじゃなかった?」
ママとの約束は当然守るべきだが、初対面の子どもとの約束ならやぶってもいいのか。
いいや、いいわけがない。
むしろ、謝れば許してくれるママとの約束なんかより、ずっとずっと、やぶってしまうともう取り返しがつかない、そんな気がする。
ヤベえ、どうしよう。
うんうんと頭を悩ませながら、気づけば翔はあのまっ暗な坂をのぼり、裏門をくぐって芝のグラウンドまで戻ってきていた。
こちらも、試合は終わってしまったらしく、ちらほらとボールを蹴っているひとのすがたがあるだけだ。
校舎の中にはまだけっこうひとが残っているようで、あそこに行けばきっと蒸かしたじゃがいもがあるんだろうな、と翔はおもう。
少しばかり心は惹かれたものの、翔はそれよりも自分の帰る時間の方が気になった。
クラブの練習もそろそろ終わっている時間だし、何より、一本逃せば、次の列車は一時間後という路線だ。
今すぐ駅に向かったとしても、いつ家に帰り着けるか分かったものではない。