リベンジマッチ3
そんなに下ばかり見ているならと、翔は試しにシザーズを繰り出す。
ステップオーバーとも呼ばれる、高速のまたぎフェイントだ。
おおっ、と湧き起こる歓声に気を良くして、翔は続けざまにファルカンフェイントも披露した。
こちらはまたぐだけではなく、足先を使いボールを実際に左右に動かすのだが、調子に乗った翔がいざ抜こうと重心を移動した瞬間、ボールを引き寄せ損ねてするりと猿渡に奪われてしまう。
ぎゃあ、バカバカ俺のバカ!
すぐさまボールをキープしている猿渡に迫ると、伸ばした左手で翔の体をブロックしつつ、じろり、と猿渡が視線を投げてくる。
「おまえのいう勝負ってのは、身につけたテクニックをただひけらかすことなのか?」
「ちがーう。そのテクニックで、目の前の相手をブチ抜くことだっつーの!」
答えたら、フン、と鼻で笑われた。
ムキになってボールを追った翔は、おもいのほか、時間をかけずボールを取り返すことに成功した。
すぐさま、今年になってようやく実戦での成功率が五割を超えたエラシコを一発かましてやろう、と決心する。
輪ゴム、という意味をもつその技は、右足のアウトサイドで外に押し出したボールを、同じ足のインサイドで瞬時に切り返し、相手の重心を逆に振るというフェイントだ。
アホ面かかせてやんぜ、覚悟しやがれ!
シザーズから入って、ここだっ、と右足を横に素早く動かす。
目にもとまらない早業、とはいかなかったが、見事に重心を左に取られた猿渡を置き去りにするには十分だった。
行けー、と翔の内と外で同時に声が上がる。
ややミニコーンまで距離があったが、翔は迷いなく右足を振り抜いた。
グラウンダーのボールは、赤いコーンに向かって一直線──に見えたものの、当たる寸前にイレギュラーして、コッとふちをかすめただけで倒すまでには至らない。
翔はこぶしをにぎったまま、突き上げることも振り下ろすこともできず、あんぐりと口を開ける。
「ぐがあ! そんなのアリぃぃ?」
抜いてやった、という達成感があっという間にしぼんでいく。
「とほほん。……まだ時間、あるー?」
時間を計っているはずの薮のすがたを探して問うた翔の背後から、声が返った。
「おまえの勝ちだ。俺を抜きたかっただけなら、今のでもう十分だよな」
一方的に言い、猿渡はあわてて振り返った翔に背中を向けてしまう。
「ええっ、ちょっ、待てよ!」
「──これで、こないだの負けはチャラだろ。おまえとの勝負はクソつまんねーから、もう俺に絡んでくるな」
背中をわしづかんだ翔に、ひそめた声がそう低く告げた。
ぞわッ、と翔の全身が粟立つ。
「なっ……ま、負け惜しみかよ、ソレ!」
「そうおもうなら、そう取ってろよサッカーエリート。ただおまえ、今のままだとプロで行き詰まる典型だとおもえ。なるまでが夢なら、べつにいいけどな」
今度のことばは、数人のサッカー部員の耳にも届いたらしい。
顔を見合わせる中を、猿渡は悠々と歩き去る。
「待った。おまえ、やっぱり現役だよな? どこでサッカーやってるんだ?」
腕を取って引き止めた薮の問いに、猿渡は視線を返した。
整った顔に、不意に微笑にも見えるなにかがひらめく。
「サッカーは、やめました。とっくの昔に」
ウソつけー!と、おもわず翔は内心で叫んだ。
が、その不遜なまなざしは、サッカーに対する愛情も敬意も持ち合わせているようには見えない。
もう一度対戦すれば、その実力もサッカー経験も何もかも詳らかにできるとおもっていた。
なのに、猿渡の真の実力も、なにが真実でどこまでが本気だったのかも、翔にはてんで分からない。
自分より上だとは言い切れないが、下だともおもえない何かがある。
一体、あいつは何者なのか?
予鈴がひびく中、猿渡は階段の学ランを拾いあげ、砂埃を払いながら去って行った。