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2/6

始まりはいつも雨

 酷く頭が痛む。

 酸素が脳まで通っていないという実感。

 苦しさ紛れに手を伸ばすと、水を掻くような感触と共に誰かの手を握ったような錯覚を覚えた。

 ――――いや、錯覚ではない。目を開けると俺は水の中にいて、俺が伸ばした手を誰かが握って引き上げてくれていた。

 数秒後、俺の体は水の中から引き上げられた。喉の奥まで流れ込みそうだった水を吐き出すと、息切れしたように呼吸をした。

「大丈夫ですか?」

 澄んだ声がした方向を向くと、そこには自分を引き上げてくれた少女が心配そうな顔でこちらを覗きこんでいた。

 長い黒髪を水に濡らした少女。年は15歳ほどだろうか。

「ああ、ありがとう」

 少し呼吸も落ち着いた俺は、目の前の少女にお礼を言った。

「驚きました。急に空から降ってくるんだもの。下が湖じゃなかったら死んでいましたよ」

 少女ははにかみながらそう言った。

「空……から……?」

「ええ、空からです。間違いありません。何もない空から、急に。いったいあなたはどこから来たんです?」

 少女に問われ、自分の記憶を思い返す。しかし、頭痛がするばかりで空から降ってきた経緯はおろか、自分のことすら思い出せなかった。

「わからない。記憶が混濁しているようなんだ」

「記憶が……? でしたら、思い出せるまで、近くにある私達の村で休んでいきますか? 今日のことも、村長に報告したいですし」

「ああ、悪いがそうさせてもらうことにするよ。ありがとう」

 俺がそう答えると、少女は嬉しそうに笑った。

「私はチヒロと言います。あなたのことはなんとお呼びしましょうか?」

「名前は思い出せないが、……そうだ、ハッセという綽名で呼ばれていた、そんな気がする」

「ハッセ……ですか? 少し変わった綽名ですね」

 そう言うとチヒロは笑った。その笑顔があまりにも無邪気で、俺も思わず笑い返した。



 村に着き、村長の家に案内されることとなった。

 記憶が無い俺に代わって経緯はチヒロが説明してくれた。

「そうですか……。空から落ちてきて、記憶が無いと……」

 70歳ほどの白髪の男性。村長と呼ばれた人物がこちらに視線を向けた。

「はい、申し訳ありません。彼女に助けてもらう前の記憶がどうしても思い出せなくて」

「……そうですか」

 村長は、神妙な面持ちで顔を伏せた。

「昔、そのような話があったと聞いています。私が幼い頃にも一度、空からあの湖に人が落ちてきたと」

「そうなの? でも私はそんな話、聞いたこともないよ?」

 チヒロが不思議そうな顔で村長に尋ねる。

「その人は湖に落ちて、そのまま溺れ死んでしまったらしい。村のみんなが不安にならないように話はふせられた――」

「――そして残っているのは落ちてきたという目撃談と、埋葬する際に残った衣服です」

 そう言うと村長は、後ろにあった棚の一番下からボロボロになった服を取り出して広げた。

「この服の造りは、ここらの地方のものとは原形からことなる。……そして、あなたの着ている服も」

 言われて見比べると、確かに違った。造りだけではない、素材からして別物のように見える。

「私達はこの服を着ていたものを、別の世界から来た人間、そう考えました。……そして、おそらくあなたも」

「別の世界の、人間……」

 3人の間に緊張感のようなものが走った。助けたはずの人間が自分達とは別の世界の人間だと分かったのだから当然だ。今すぐ村から追い出されても文句は言えない。

 しかし、俺の不安を払拭するかのように、村長は優しく笑った。

「ハッセさん、だからといって私達はあなたを排斥するつもりはない。記憶が戻るまでこの村に滞在してもらってかまいません。ただ、一つだけ約束して欲しいのです」

「約束、ですか?」

「ええ、そんなに難しいものではありません。ただ一つ、記憶が戻ったら、どんな些細な事でもいい、私達に報告してください。それだけです」

「それだけで……いいんですか? 監視したり、追い出したりは?」

 俺がそう言うと、村長は優しそうな顔で微笑んだ。

「そんなことはしません。これも何かの縁ですから。元の世界に戻れるかはわかりませんが、何か力添えができるのなら力になりたいのです」

 村長は、穏やかな笑顔のままでそう言ってくれた。後ろでチヒロも微笑んでいる。

「――ありがとうございます」

 彼らの恩義に対して失礼のないように、頭を下げて精一杯のお礼を言った。


 外では出会いを祝福してくれているかのように、雨音が聞こえ始めていた。

 自分の目には、なぜか涙が滲んでいた。

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