5.脱出(1)
人の気配を感じて目が覚めた。状況だけに、周囲の変化に敏感になっているのだろう。
微かな――床に耳をつけていなければわからないほど微かな足音が聞こえる。それはどんどんと近づいているように感じた。
ついに処刑の準備が整ったのかと身構えたが、それにしてはその気配が妙だ。まるでその気配は、誰にも気づかれたくないように思えた。そう、例えば忍び込んでるような――
「――お迎えに上がりました、救世主様」
女の声が降ってきた。
俺の入っている牢屋の前にまで来たその気配は、淀みなくそう告げた。
――魔王と呼ばれた俺を、である。
カチャカチャと小さく金属音が聞こえたと思うと、少し大きめの音でガチャリと響いた。牢の開いた音だと気づくと、その気配は牢の中に入り、俺の横にまで迫った。
「んむむむー」
誰だお前は、と尋ねた声はやはり塞がれたままだった。体を揺すって言いたいことをアピールするが、そっと肩に触れられて窘められる。
「お静かに……。今封印を解きます。どうか、落ち着いてください」
と、言うが早いがそいつは俺の後ろにまわり、横向きになっている俺の背中に手を当てた。
ぱきり、と、くしゃっ、という音が混じったような――ああ、卵を落とした時の音に似ているな、と思った時には、俺をぐるぐる巻にしていた帯が消滅し、体に自由が戻る。開放された視界にまず飛び込んできたのは、薄ぼんやりとした石造りの部屋と鉄格子だ。
目を瞬かせ、ゆっくりと上半身を起こす。あれだけぎっちりと拘束されていれば、体も動きづらくなっていると思ったが、そんなこともなくスムーズに体は動いた。むしろ調子がいいくらいだ。
体をさすりながら調子を確かめつつ、俺は助けてくれた人物を見やる。
美しい娘だった。
薄暗がりでもはっきりと分かる艶やかな銀髪を後ろでまとめ、まだ幼さを感じさせる目鼻立ちでありながら、その宝石を思わせる緑の瞳には強い意志を感じる。全体の幼い印象と裏腹に妖艶さを感じさせる唇が印象的で、それらの整ったパーツが褐色の肌をした小顔に収まっていた。
顔立ちの美しさに一瞬茫然としたが、よく見ればその格好は不似合いな――いや、彼女の美しさではどんな格好でも様になるのだが――戦士を思わせるような出で立ちだった。
ところどころに鈍色の金属が貼り付けられた、革製の鎧だろうか。腹部や首元には布が巻かれ、そして、腰には抜身の剣が張り付いていた。
「あ、ありがとう。君は――」
「私のことは今は……まずはここを脱出します」
手を引かれ立ち上がる。娘は首に巻いていた布――フードを被るとすぐさま牢の外を確認し、ついてくるように手招きしつつ走りだした。ここにいても死を待つだけだ、と覚悟を決め、俺はその後を追う。走りだす足も、もつれることもなく驚くほどスムーズに進む。ちらりと振り向いた娘が少しだけ驚いたように眉を上げたが、すぐに顔を前に向けて、更に走る速度を上げた。
壁に掛かった燭台が灯す明かりだけでは説明がつかないほど、石造りの通路は明るい。いや薄暗いのは確かなのだが、やたらとはっきり細部まで見えるのだ。最初はこの石が発光しているのかとも思ったが、この感じは例えるなら、映像を編集で明度を上げているような見え方だった。
今は見え方などどうでもいい。走る先が問題なく見えるならば。と、気持ちを切り替えて、結構な速度で走り続ける娘の後を追い続ける。
小さな足音と、微かな金属の擦れる音だけが通路を支配していた。
階段を登り、降り、通路を曲がり、時に飛び越え、だけれども、二人共息は乱れていない。
訓練を積んでいるであろう雰囲気の、この娘はともかく、自分で自分の体力に驚いていた。若い、全盛期の体を取り戻したとは言え、こんなに走っても息切れしないような体力を持っていた記憶は無い。
何か、自分の知らない体の変化が起きている事に気づかずにはいられなかった。
何度目かの階段を降り曲がり角に差し掛かった時、娘が足を止めて左手を上げた。止まれのサインだろうと察して、膝を軽く曲げて着地し、即座に勢いを殺す。
「巡回です。やり過ごすことはできなさそうですので、ここで仕留めます」
「……殺すのか?」
殺され掛かったとはいえ、人の命を奪うのにはためらいがあった。俺の気持ちを知ってか知らずか、娘は振り向くこともなく軽く横に首を振る。
「殺しはしません、すこし気絶させるだけです。ここで待っててください」
俺が頷くのを見もせずに、彼女は躍り出た。
「なっ! て、敵――」
相手は二人。彼女の姿に驚いて声をあげようとした矢先、右側の鎧を纏った男は、彼女が踊り出ると同時に投げた黒い球を顔面に食らうと、白目を剥いて後ろへ倒れていく。
もう一人の僧侶の格好をした壮年の男は、横に居た男が一瞬で倒れるのを驚愕の表情で見ていたが、次の瞬間、一瞬で後ろに回った娘の手刀を左右から首と顎に食らって倒れ伏した。
「――スゴイな」
ぽつりと零れた俺の言葉を聞いてか聞かずか、彼女は何でもなかったように少し乱れた前髪を払い、転がっていた黒い球を拾って腰元にしまう。
屈んだ時にちらりと見てしまった腰から下のラインは、確かな肉付きを感じさせた。
「先を急ぎます。もうすぐ出口ですので」
「あ、ああ」
いかんいかん、と頭を振り、俺は走りだした娘の後を再び追うのだった。
短くてもキリの良い所まで書けたら積極的に更新して行きたいと思います
主人公はケンゼンな男子です(肉体的には男子高校生が卒業するかどうかくらい)
5/19
なんか説明とかが所々抜けてたので追記。主人公の決意とか娘の瞳の色とか