ななついわい・伍
車が山の峰を登り続けて1時間あまり、ようやく目的地に辿り着いた。
「起き給え、壇ノ浦大佐。いつまで呑気に眠っている気ですか」
時花の冷やかな投げかけに、壇ノ浦は深い眠りから呼び戻された。
「ハアッ……?!」
目が点になる。目前に、時花の顔があるではないか。どういうことだろうか。
自身の後頭部には、暖かく柔らかい感触を覚える。まるで人肌のような…いや、これは人肌そのものだ
この体勢は……もしかすると、いわゆる 膝 枕 というものではないだろうか。
「すみませんすみません私は何と言う無礼をおおおおお!!!
穴があったら埋ま…る所ではない!穴に入ることすら出来ず、穴の淵に頭をぶつけてしんでしまえばいいんだあああああ!!
ひいいいい!!どうか!どうかこんな僕を罰してください!!」
壇ノ浦はガバッと起き上がると、首を痛めるのではないかというほど深く、お辞儀をした。
そして懺悔はやがて自分を労ってくれた相手への賛美となって続く。
「このような、手厚い介抱をしてくださるとは!!貴女の慈悲深さと包容力たるや!!感激しました!!
こんなに良くして下さるとは本当に感謝してもしきれませんんんっ!!」
時花は一寸、疑問符が頭上に浮かんでいるような表情をすると男の過剰なまでの賞賛をバッサリと遮る。
「大佐。私が進んで介抱したとでもお思いで?」
「へ……??」
そうだ、膝枕状態ではあったが、彼女は一言も、自らの意思で進んでそのような奉仕をしたとは言っていないではないか。
ああ、もしかして私は恥を上塗りしてしまったのだろうか……
「何度も押し返したのですが……貴方ときたら、その度に私の膝に戻ってきてしまう。
今回は、仕 方 な く 私の方が折れたという訳です。仕 方 な く。」
仕方なく、の部分に大変、力が篭っている。
時花は一応、微笑んではいるが、その目は全く笑っていない。
「ひ、ひいいいいい!!なんという!!私は!私はああああ!!」
壇ノ浦の狂乱振りに、時花は思わず吹き出す。
そのあまりに残念な振る舞いに、怒る気もすっかり失せてしまったのだった。
「…まあいいです。これから大仕事なんですよ?
ほら、貴方もいつまでも呆けた顔をしていないで。これを食べるといい。気付けになりますから。」
時花は懐から、薔薇のモチーフを模った美しいエナメル細工の施されたピルケースを取り出すと、壇ノ浦の掌に白く透き通った一粒を与えた。
「は、薄荷飴ですか、い、頂きます……」
咽喉から鼻腔へすうっととおる、少し刺激の強い清涼感は、彼に平静を取り戻させた。
車から降りると、時花は運転手に耳打ちをする。
「明日の日没に迎えに来てくれ給え。我々が戻らなかった場合は、早急にこの場から退避し、父に報告を。」
「御意。」
【戻らなかった場合】とは……?
この先に一体どのような大事が待ち受けているのだろうか。
壇ノ浦は恐る恐る周囲を見渡す。目の前に広がるのは、小さな集落だった。
茅葺屋根の素朴な家屋が数件あり、それらは広場を囲う様に密集していた。
広場からは山頂へとまっすぐに伸びた急階段が設えてあり
その先には、霞が掛かってよくは見えないが、小さな建物があるようだ。
「村人が見当たらない。今日で丁度7日目……
皆、アレを見守る為に社の麓に集まっているのか?ふむ、今晩、いよいよか」
時花の物言いは、不自然に静まりかえった村の事情を知っているようだった。
壇ノ浦は階段の上の方に目をやる。
「この階段の先にあるのが社ですか。あそこには一体何が祭られているのでしょう」
「今はもう、名前も忘れられた……神のようなものさ。その呪力は折り紙つきだがね」
「呪い、殺めることを生業としている一族の祀るもの。
そこらのまじないもどきとは違うということですか……」
「我が国は【御三家】と呼ばれる機構を持つ。
私の家は【政の立桐】即ち政治経済を以って国を守り
貴方の家は【武の壇ノ浦】武力を以って国を守る。そして、もう一つ。」
時花は神妙な面持ちで社へ目をやった。
壇ノ浦ははっとして答える。
「【呪い(まじない)の足摺】しかし、何故今になって……?
足摺の呪術に拠る国防は、昨今の倫理観念からは不適切との判断を受け
数年前に廃止された筈、もはや彼らは名ばかりの存在になったかと。」
「そうだね。しかし、ここ最近は状況が変わった。我等二家では迫る列強の国々を抑えるには心もとない。それに、足摺の代替として推された【沙田家】は当初の予測とは全く異なるの結果ばかり出すものだから、我が家も、君の家も早々に元鞘に戻ろうってわけだ」
「沙田……帝都の怪異……」
壇ノ浦は沙田の名を耳にすると黙りこくった。
しかし、今議論すべき議題はこれではないと、再び会話を仕切りなおす。
「このご時勢、いかなる手段をもってでも国を守らねばならないという訳ですか……
それで、貴女と私を交渉役として使わせたのですね」
「ああ、我々二家の管理下で動く事を受け入れるならば、再びの繁栄を約束しようというわけさ」
二人の気配に気付いた村人達がぞろぞろと家屋から出てきた。
おそらく、部外者を警戒しているのだろう。
各々の手には、鍬やら鋤やら鎌、彼らなりの【武器】が構えられている。
「まあまあ、これは盛大な歓迎で……とほほ、参りましたねえ」
壇ノ浦はひきつりながら口角をぐいと上げて無理やり笑顔につくる。
しかし、なんとか繕った友好的表情に反して、手元はしっかりと腰に刺した刀剣に添えられている。
その手元をちらりと見て、時花はくすりと笑った。
「おや、ちゃんと戦うんだね」
「そ、そんな!!当たり前じゃないですか!!!僕は軍人ですよ!!」
「良かった。もし君が村民の不殺生を論じだしたら、
この場で眉間を撃ち抜いてやろうと思ってたよ、うん、よかった」
「えっ……」
壇ノ浦は、彼女のあっけらかんとした殺意に、絶句した。
しかし、またあの感覚が湧きあがってくる。
薔薇の娘の、無邪気なる魅了。
彼女が自分に向ける意識は、殺意すらも愛らしく、愛おしい。そう思わずにはいられない。
と、そのとき、村人をかき分けて、老人が前に出た。
「ようお出でなすった。立桐さんと壇ノ浦さん。ワシが足摺の当主じゃ」
老人が語ったその字を聞いた壇ノ浦の表情は思わず引きつった。
幾時代に渡り、人を呪い殺める事を司ってきた名前に遜色のない存在感。
【死臭】とでもいうべきか、対面した相手を不快にさせる気を纏っている。
「立桐様、度々足を運んで頂き、申し訳ありませんなあ…さ、我が家へお出でください」
「ついに、交渉開始というわけですね…」
壇ノ浦は唾を飲むと、時花を守る様に先行して老人の後につく。
そして時花は動じず、堂々たる振る舞いで後に続くのだった。