ななついわい・壱
ななつになったら特別なお祝いをしましょう。
この村の人々は、母に冷たい。
事あるごとに、母を責める。そして息子である僕にもつらく当たる。
母の口からは、周囲から冷遇される理由が語られる事は無かったが
言葉の端々から伝わってくる自責の念が
かつてこの村と母に、何かしらの浅からぬ因縁があった事を物語っていた。
今から数日前のことだった。東京に住んでいた母と僕は
ちょうど僕が7歳の誕生日を目前にした折に、母の故郷に呼び戻された。
母は、僕を身篭ったのを機に村を出たらしいのだが
東京に住んでからは、村と関わる事をなるべく避けていたようだ。
その証拠に、僕は今回の召還があるまで僕は自分の出生についても
村の独特の風習についても何も知らされていなかった。
なぜ今になって村から声が掛かったのか。
母もまた、どうして呼びかけにこたえたのだろうか。
「ななついわい…」
僕は初めて聞かされた、この村の祭事の名をぼそりと呟いた。
昔からの風習など。陰気くさくて、面白い事などなにもない。
僕は都会が恋しかった。
これといった娯楽もなく、同世代の子供らにも相手にされない、文字どおりの村八分。
この村は最悪だ。
畦道でうずくまって、仕方なしにそこらのミミズをつついていると、見知らぬ人に声を掛けられた。
「君がもうすぐ、7歳になる子?」
「ん…そうだけど」
この頃、人との会話をひどく苦手としていた僕は、客人へは顔を向けずに、首を縦に振った。
ふと、濃く、甘い香りが鼻の奥を刺激した。薔薇の香りだ。
湿った土のかおりがたちこめるこの地には不似合いな香り――
品の良い芳香の持ち主に興味が湧き、目線を上へあげる。
僕にしては珍しく、この時は苦手意識よりも好奇心の方が勝ったのだ。
ここの住民とは明らかに外見も雰囲気も異質な…女。
どこか冷たい印象を与える、おそろしく端整な顔立ち。瞳は深い青。
蓄えられた豊かな黒髪は瞳と良く似た色のリボンで後ろにひとつに束ねられている。
糊の効いたシンプルなシャツの上に、深い青色をした上質な外套を纏っている。
それは軍服のようなデザインではあったが、都会で見かけた兵隊さんのそれよりも
洗練されている印象だ。それにしても…
「姉さん、なんで男の格好してるの?」
人見知りの僕はどこかへいってしまったらしい。
もしかしたら、母以外の人と話すのが久しぶりで、つい楽しくなってしまっただけかもしれないが。
とにかく、この女ともっと話してみたい、そう強く思った。
「あはは、参ったな…子供は正直だね。
大人は皆、十中八九そう思っても口には出さないというのに。」
バツの悪そうな顔をすると女は続けた。
「女という、ただそれだけの事で、可能性の芽は摘まれてしまうものなのだよ。だから私は男を装う」
そういうと彼女は、まっすぐな瞳で僕を見据えた。
強い決意を秘めた眼差しにとても興味を引かれた。自分でも驚くくらいに惹きつけられた。
「君、明日からの神事に参加するんだろう?」
「うん…僕がニエの役割をやるんだって。この村では、選ばれたこども…ニエって呼ばれてるんだけど。その子が6歳の最後の日に、山頂のお社で1週間の間、神様にお供えをして一緒に暮らすんだって。そうしたら神様が次におなかが空くまでは村に恵みをくださるんだってさ」
「君はこのまま無駄な儀式に付き合うつもりなの?」
「無駄なんかじゃ…」
僕は彼女の問いかけに反論をしかけたが、途中で口ごもってしまった。
何故ならば、僕自身の考えはむしろ彼女の意見と概ね一致していたからだ。
一度口に出しかけた、(この村における)模範的な回答を腹の底に押し込め
改めて自分の意思で言葉を返すことにした。
「僕がちゃんとやったら、かあさんは村の奴らにいじめられなくなるって、村長が言ってた。だから僕はニエの役目をやるよ。でも…」
「死んだ慣わしに従っていても、根本的な解決になるとは思っていないんだね」
「…うん」
女は僕の本心をぴたりと言い当てた。そして続ける。
「いつだってそうだ、あらかじめ決められた結末ばかり。私はね、なぜ前途ある若者がたかだか慣習に従って、死を受け入れなければならないのか、ちっともわからない」
「死……?僕は、ただ、神様のお世話をしにいくだけなんだけど……?」
彼女の言っていることが、よくわからない。
地元の祭りを手伝う、その程度の認識でいたのに。生き死にについて忠告されるなんて。
「忌むべき因習とはまさにこのことだ。何の理由もなく摘まれる芽の多いことよ」
女は僕の動揺する様子になど全く関せず、ひどく苦々しい顔をした。そして僕の耳元でそっと囁く。
「ねえ君。君は生き残りたい?そしてこの村の因習を破りたい?」
「…しにたくない。それに、かあさんにつらくあたるこの村のやつらに仕返ししたい」
「そう……」
女は満足そうに微笑むと、ポケットからハンカチーフを取り出し、僕の胸元のポケットに滑り込ませた。
「これは……?」
僕は戸惑いながら問いかけた。
「お守り。どうか君よ、死なないで。どうか力を手にして、戻ってきなさい」
彼女の手が僕の頬にそっと触れた。
陶器のように肌理が細かく、冷え切った指先がひんやりと心地よい。
眼前に晒された女の顔は微笑んでいたが、なぜだろう、それはひどく悲しげだった。
女は去っていった。まるで白昼夢のような出来事だった。
夜が更けた。
僕は昼間出会った、薔薇の女のことをぼんやり思い返しながら床についた。
目を閉じると、彼女が去り際に浮かべた、儚げな笑みが思いだされる。
明日は儀式の日――――そして、それが終われば僕の7歳の誕生日。
村のやつらの用事なんか、さっさと済ませてしまおう。
毎年母が作ってくれる、お祝いの赤飯と特製のケーキが楽しみだ。
こんな僻地でケーキの材料は揃うのかな、などと他愛も無い事を考えながら眠りについた。