青薔薇咲く
ある日、両親を無くしたばかりの私の元を
父の旧友であるA伯爵が尋ねてきた。
国でも有数の名家である、この家を支えていくのは
なんの取り柄もない、世間の事もまるで知らない齢15ばかりの……私だ。
きっと一人ではうまくやっていけないだろうからと
彼は私に対して、さまざまな面での支援を申し出てくれたのだ。
父と母を失い、ジャコビアン様式の邸宅で鬱鬱とひとり暮らしていた私には
客人の来訪は歓迎すべきものだった。
親戚とはいうものの、A伯爵の素性については実のところ当時の私はよく知らなかった。
だが、そんなことはどうでもいい。
それよりも私が話しておきたいのは、私を訪ねてきた伯爵の傍らに控えていた、とある少女の事だ。
彼女は艶々と輝く豊かな黒髪を蓄え、目は深い青色。
華美ではないが決して悪いものではないと思われる、ドレスを纏っている。
夜の海のような色をしたその服は、彼女の瞳の美しさをより一層際立たせていた。
A伯爵の娘なのだろうか、それにしてはこの2人の間には何か違和感を覚える。
なにより、この娘の不思議なところは
高名な家柄である上に若くして両親を失った悲劇の若き当主
そんな肩書で世間に騒がれている私にはまったく目もくれず
常にA伯爵の眼差しを捕らえようと、彼の目線を追いかけているのだ。
私はなんともたとえようの無い奇妙な感覚を抱いた。
伯爵は、私の日々の暮らしを見ながら
今後何を教えるべきか見極めたいと言い
娘共々、暫くの間この屋敷に滞在する運びとなった。
例の娘はいつでも伯爵の傍をついて回っていたのだが
ある日、珍しいことに彼女は一人庭先を散歩していたのである。
なんとなく、伯爵のいる手前では彼女に声を掛けるのに気が引けていたが、今ならば…
私は思い切って、彼女に声を掛けた。
「やあ。どうして君はいつも彼の傍にいるの?」
「あの人のまなざしを捕らえておかないと。そうしないと…いつ取られてしまうか分からないから」
「いつだって伯爵は君の事を見ているじゃないか。そんなこと絶対ありえないよ」
「どうしてそう言い切れるの。私は【絶対】という事こそ、ありえないと思うわ」
彼女のどこか達観した物言いは、随分と大人びた印象を私に与えた。
「私、不安なの。あの方が咲かせたいのはわたしではないかもしれないから」
少女は淡々と己の不安を吐露する。
普通、不安というものはこんなに落ち着き払って口にするものだろうか。
それに私には、彼女の不安の元がさっぱりわからない。
ここ数日、ふたりの様子を見ていた限り、伯爵が娘以外に心移りするとはとても考えられないのだ。
「君は何をそんなに不安がっているの?伯爵は君をとても大切にしていると思うよ、それに…」
私は思いつく限りの言葉で彼女をなだめようと試みる。
「そう…目に見えないものは、疑うよりも信じた方がずっと楽だわ」
「ねえ……あなたは青い薔薇を見たことがある?」
「あおいばら……?見たこと無いけれども、それがどうかしたの?」
「貴方は自分の目で見たことがないからといって、この世界に青い薔薇は存在しないと言い切れる?
もしかしたら、誰も見たことが無いだけで、どこかに存在しているかもしれないのに…」
「じゃあ、僕が青い薔薇を探すよ!うちの家、色んな事業をやっているからさ。
僕がちゃんと稼業を継いで軌道に乗ったら、貿易船で世界の果てまで幻の青薔薇を捜しにいくんだ!」
「まあ…今のは、例えだったのだけれど。だけど…貴方なら本当に見つけてくれるかも
…本当にあるのかもしれない。私達がまだ出逢っていないだけで」
少女も大人びた表情をほんの少し崩して笑ってみせた、
「ああ、そうだよ!本当に、この世界のどこかに、青い薔薇は咲いているんだよ!
それに…そう思って日々を過ごしてゆく方が、きっと、ずっと素敵だ!!」
その日、その会話を境に、私の彼女の距離は急速に縮まっていった。
私が彼女を異性として意識するのにそう時間は掛からなかった。
ある日、伯爵はそろそろ此処を離れると私に告げた。
私に足りないものが何か、これから何を学び
この家の主たる風格を身に着けるべきなのか分かったというのだ。
その知らせを聞くと、いてもたってもいられなくなった。
私は足早に彼女の部屋に向かった。
私の思いを、あの娘に伝えよう!
伯爵と共に、ここを去るのは止めておくれと
私と共にこの家を支えてほしいと、私の傍に居てほしいと。
君の眼差しを、私に向けてほしいと、どんなに君を思っているのか伝えなければ!
彼女の部屋の扉をノックする。返事はない。
だが確かに部屋の中に人がいる気配はする。私は思い切って扉を開けた。
部屋の中には一糸まとわぬ姿の、彼女が居た。
そして彼女の傍らには、A伯爵。
彼女と彼の関係が、どういったものなのか、やっとわかった。
「嘘だ…嘘だ、嘘だ、嘘だ」
頭が真っ白になった。
私は、嗚咽の混じった、叫び声を上げながら
咄嗟に懐に携えていたナイフを手に、彼女に飛び掛かった。
彼女の胸元に真っ赤な花が咲いた。
ひとつめの大輪を引き立てるように、後から、彼女の上にどんどん赤い花が咲いた。
あっという間に娘は死んだ。
凶行の最中にも、ずっと彼女は伯爵を見つめ、彼に助けを求めていた。
事切れて尚、彼女の眼は伯爵の方をじっと見据えていた。
ところが伯爵の方は、私の凶行を止めるでもなく
むしろ、うっとりと見つめていた。何故彼女を助けようとしなかったのかその理由はすぐに分かった。
彼は、面倒そうに彼女の死体を押しのけると
私を熱い眼差しで見つめてこういった。
このことは誰にも言わないから、今日から君が代わりになってくれるね?と。
彼女の言ったことは本当になってしまった。
この瞬間から、この男の眼差しは私だけに向けられる事になったのだから。
彼女から視線を奪ったのは私だ。こうなる事を彼女は恐れていたのだ。
こうして私の初々しい日々は終わりを告げた。
後になって分かったことだが
A伯爵が私の元を訪れたのは、初めからそういった目的があったからだった。
娘は不思議な事に、私によく似た顔をしていた。
イーストエンドのスラムの道端で死に掛けていたそれを、偶然見つけた伯爵が拾い、傍らに置いていたらしい。
あの日から、少女が捉えようとしていた男の眼差しは、私が一身に受ける事となった。
青い薔薇の少女の亡骸は、屋敷の庭に埋めてある。
彼女が埋まっている場所のすぐ隣にはもうひとつ穴を。
そしていつの日か、お前にあの眼差しを返してやろう。
そして、仲良く並ぶ二人の上には、青い薔薇を手向けてやろう。