キャンプ・ファイヤー
火の神様が山から降りてきた。
「火は、私たちの生活を便利にする。しかし、時として、私たち自身をも焼く」という警句を火の神様は言った。そして、火の神様は友情の炎、勇気の炎を分け与え、再び山に帰っていった。その比喩に満ちた炎を、初めて火を見たネアンデルタール人のような猫背で(持って松明が重くて前屈みになっていたのかも)、慎み深く頭を垂れて受け取った1組と2組の代表の男女が、キャンプファイヤーにその炎を移した。2組の代表は、学級委員長と、Hちゃんだった。
火の神様が降りてきて、そして帰るまで、「遠き山に日は落ちて」の曲が流されていた。
燃えろよ、燃えろよ。炎よ燃えろと、キャンプ・ファイヤーを囲んで、みんなで合唱した。
キャンプ・ファイヤーは、儀式のようだった。
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話は、三日前に戻る。
「この2組で、いじめが起こっている。それは悲しいことだし、情けないことだ」と林間学校の班分けをする予定だった時間にセンセイは言った。センセイの対応は、迅速だった。
センセイのそんな話の前日、クラスでも発言力があり、成績も優秀なS君と、S君と同じくらい発言力があり、女子に人気のあったY君(私も彼の事が実は好きだった)が喧嘩をした。昼休みに彼らは取っ組み合いの喧嘩をしたと、図書館に行っていてその現場は見ていない私に、前の席に座っているHちゃんが教えてくれた。
昼休みの後の授業で、センセイが黒板にチョークを擦りつけている最中に、Hちゃんがそぉっと、メモ紙を回して来た。
「Yをみんなで無視しよう。Yにはこの紙を見せるなよ。Sより」という内容だった。私は、くだらないと思いながら、そのメモ紙を後ろの席の子の机に落とした。
クラスの誰かが家に帰った後、自分の親にこのメモ紙の事を話したのだろう。それがすぐに、センセイに伝わり、翌日、センセイが緊急的に、クラスでいじめが発生していることについてのクラス会議を開いたのだ。センセイの対応は迅速だった。
「林間学校で、仲の良かったクラスにまたみんなで戻しましょう。クラスを再生して、やり直しましょう」と、センセイはそう言った。
そして、自分自身を表していると思う200円以内の小物を、林間学校に持ってくるように、と指示を出した。そして、学級委員長に、林間学校の班分けを一任し、教室から出て行った。
その後をセンセイから任された学級委員長は、男女別で、6人グループを作るようにと言った。既に班分けをすることは分かっていたから、既に班分けは終わっていた。班分けといっても、暗黙の内にクラス内で作られた班を、公認の班にするという、事務的な作業だった。五分くらいクラスがざわついた後、事前に落ち着くべきとされていたところにみんな落ち着いた。S君も、Y君も、それぞれの仲間がいたし、いじめ騒動が起こっても、事前に決めた暗黙の重力にみんな逆らえないようだった。女子も、なんだかんだ土壇場で騒ぎながら、重力によってリンゴが木から落ちていくかのように、班が形成された。私は、Hちゃんと同じ班になった。私の班の他のメンバーも、順当に、事前の暗黙のメンバーとなった。
最も時間を要したのは、どの男子と女子の班が、夕食のカレーを一緒に作るか、ということだった。私の班の中だけでも、Y君の班とがいいとか(私もそれを密かに希望した)、S君の班とがいいとか、意見がまとまらなかった。センセイに丸投げされた学級委員長の英断で、恨みっこなし、やり直しなし、のくじ引きで決めることになった。
くじ引きの結果、私の班は、S君と同じ班でカレーを作ることになった。
その日の放課後、私とHちゃんは一緒に下校していた。
「有沙ちゃんは、林間学校に何を持って行く? センセイの言ってた、小物」とHちゃんは聞いた。私は、センセイの「自分自身を表していると思う200円以内の小物」という言葉を聞いた時、直感的に私の長い髪を止めているヘアゴムに思い当たった。長い髪は、私のトレードマークだった。お母さんがしてくれる、お団子、三つ編み、ポニーテール、ダウンテール、ハーフアップ。どの髪型だって、可愛い、うらやましいとみんなから言われた。
そして、ヘアゴムは1個200円以下で、ちょうどよいと思った。
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林間学校の当日、夕ご飯のカレーを作る前、私達2組は、井の形に組まれたキャンプ・ファイヤーの薪の前に集められた。センセイが段ボールを用意していて、私達は、それぞれ林間学校に持って来た「自分自身を表していると思う200円以内の小物」を、その段ボールに順番に入れていった。私は、予定通り、ヘアゴムを入れた。Hちゃんは、ピンク色の小さなカドケシだった。その消しゴムのケースに印字されている、にっこりと笑っているキャラクターは、いつも笑っているHちゃんを連想させた。Hちゃんも、その笑顔を自分と重ねて、その消しゴムを持って来たのだろうと思った。
学級委員長は、二等辺の三角形定規だった。私は、彼の几帳面な彼のノートの字や、彼の真っ直ぐな性格と定規を関連付けることがすぐにできた。定規というものが彼自身を端的明快に表していた。そして、彼は、公平な男の子だった。彼が、直線を引くだけの定規でもなく、60°・30°・90°の三角定規でもなく、天秤のような二等辺三角形の定規を選らんだことは、容易に想像できた。
そして、Y君は、キラシールだった。なんのキラシールかは分からなかったけど、銀色のシールが光で反射していたから、キラシールで間違いないと思う。たぶん、ビックリマンか、ポケモンのメインキャラクターのキラシールだろう。
クラスの全員が、それぞれの小物を段ボールに入れた後、センセイは、その段ボールごと、キャンプ・ファイヤーの薪の上に置いた。
そして、
「いじめのあったクラスを燃やし、クラスを再生して、やり直しましょう」と言った。
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燃えろよ
燃えろよ
炎よ燃えろ
揺らめく炎を見ながら、燃やされているのは、私自身のように思えた。友情の炎と、勇気の炎が、私を燃やしている。ゆらゆらと揺れている炎は、助けを求めている私自身であるかのように思えた。風にゆらゆらと揺れている炎は、呼吸と共に吸い込んだ熱気で、声帯が焼け切れ、「熱い」、「苦しい」、「助けて」、という声を発することができず、逃れられない炎から逃れようとして体を左右に揺すっている私ではないのかと。
キャンプ・ファイヤーは、儀式のようだった。
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後日談(月日が経ちすぎた後日談だけど)をしておく。
私も結婚をして、子供を産み、その息子がすくすくと育った。そして、「林間学校の開催についてのお知らせ」という冊子を学校から持って帰って来た(学校から帰ったらすぐ渡さないで、なんで土曜日の夕方に渡すの? という小言は言わないで、黙って受け取ったことは書いておく)
そのパンフレットには、事細かく林間学校に関わるスケジュールや、教育的意義や、費用の明細が書いて合った。もちろん、キャンプ・ファイヤーの事も細かく書いて合った(「オクラホマミキサーの曲でフォークソングを踊ります」なんてことまで書く必要もないと思ったが、自分が子供の時とは、教育環境ががらりと変わったのだろう)。
学校から書かれているキャンプ・ファイヤーに関するパンフレットには、「火の神様」の役は、息子の担任のT先生がするということだった。
そして、わたしは思った。あの時のキャンプ・ファイヤーで、「火の神様」はだれだったのだろうかと。私が記憶している「山の神様」の身長からして、子供が扮しているということは、明らかだった。しかし、あれは誰だったのだろう。キャンプ・ファイヤーの炎の授受の時の記憶では、Hちゃんよりも、身長は低くかった。しかし、そんな男の子は1組にも2組いない。
そして、「火は、私たちの生活を便利にする。しかし、時として、私たち自身をも焼く」と、火の神様は、言ったが、その声は、確かに男の子の声だった。
私は、キャンプ・ファイヤー以後のことを思い返してみた。
キャンプ・ファイヤーの後、私はY君の事を好きではなくなった。英雄のようだった彼の行動が、どこか空回りしているように感じられるようになったからだと記憶している。
学級委員長は、大学卒業後、急進的な政治家となった。彼の、正直さを欠いたまったく根拠のない話は、不思議と居心地のよいもののように聞こえるのだ(現に、最近の選挙でも、議員として出馬した彼の耳障りのよい演説を聴いて、私は酔っ払ったように彼に票を入れている)。
Hちゃんとは、林間学校後、疎遠となってしまった。彼女の笑顔が、のっぺらぼうの薄っぺらい笑みのような、居心地の悪いものと感じるようになり、私は彼女と距離を置くようになったからだ(そして、いまは、彼女が何処で何をしているのかも分からない)。
私は林間学校のあと、長かった髪を母に切ってもらっていた。なんとなく、切って欲しいと、母さんにお願いしたのだった。それから今に至るまで、髪をあの頃のように長く伸ばしたことはなかった。
私の身に偶然が重なり、髪の毛を伸ばすという気がその後に起きなかっただけだろうと思った。そして、久しぶりに、髪を伸ばしてみようかとも思った。しかし、明日(執筆現在で、明日は日曜日)、美容室の予約を入れていたことを思い出した。もちろん、髪をカットするためにだ。気分の悪い偶然だった。
私は、気持ちが悪くなった。「山の神様」は、本物の「山の神様」だったのではないか、という気持ちの悪い仮説が頭から離れなくなった。「山の神様」は、「時として、私たち自身をも焼く」というこを実践したのではないかと。
灯りは、松明の炎だけだったし、遠近感が損なわれて、「山の神様」を演じている子が小さく見えたのだろう。女の子の声を、変声期前の男の子の声と聞き間違えたのかもしれない。
自分の頭に浮かんだ、気持ちの悪い仮説を否定するための仮説を、全力で構築することに努めた。
髪の長い私は、あのキャンプ・ファイヤーで灰になった。もうこの世から失われてしまたのではないだろうか。あの炎で焼き尽くされてしまった「自分」があるのではないか。そんな不安に襲われた。
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私の夫は、この小説を書くキーボードの音で、眠れないらしい。
「明日はゴルフの接待があるので、早起きしなければならないから、早く寝かせてくれ」とのことだ。
そういえば、いじめ騒動の発端となった、S君は、何をキャンプ・ファイヤーで燃やしたのだろうかと、夫の寝顔を見ながら考えた。
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最後に、自己紹介をしておこう。私の名前は、佐々木有沙。小学校の同じクラスだった男の子と、結婚をして名字が「佐々木」と変わった。結婚の時の仲人は、小学校のセンセイだった。
読んでくださってありがとうございます。感想をお待ちしております。