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寒月に

作者: 幾乃 葉

 たびびとさんはいいました。

「さがしているものが、あるんだ」

 それはなに? ってきいたけれど、

『ソンザイイギ』なんてことば、きいたことがなくって、ぼくはくびをかしげました。

 たびびとさんは、わらっていいました。

「いつかわかるよ」

 そういっていたから、ぼくは、いつかわかるのならいいやとおもいました。

 でも、

「きみはさがすようになっちゃだめだよ」

 ともいっていました。

 たびびとさんは、わらっていたのに、なんだかいたそうなかおをしていました。

「どこか、けが、してるの?」

 そうきいたけれど、むねのあたりをとんとんとたたくだけで、なにもおしえてくれませんでした。

 しばらくして、たびびとさんはいいました。

「そろそろ、きみもきみのいえにかえらないとね」

 いろいろ、よくわからなかったけれど、たびびとさんがわらいながらぼくのあたまをなでてくれたので、うれしくなってぼくもわらっていました。


 たびびとさんとは、そのつぎのひにさよならをしました。

 またあえるといいなあ。

         *


 寒い日、立ちのぼる煙が遠くに見えた。おそらく母を火葬しているものだろう。

 昨日、出かけ先から家に帰ると、床一面が血の海だった。殺されたのだ、と認識したのはたっぷり三回深呼吸してからだった。

 村の大人を呼んであとを頼み、それから一度も母の亡骸は見ていない。

 悲しみはない。俺を生んで、母一人で育ててくれたことには感謝している。居場所を与えてくれたことも。

 でも、それだけだった。ろくに会話もしなかった。する必要がなかった。

 村の大人たちは、お前の母親は獣に襲われたのだと言っていた。そしてそれは嘘だった。

 獣の仕業に見せかけて、村の大人たちが母を殺したのだ。

 気づいたわけは、獣の毛が一本もなく村人の証であるペンダントの羽根飾りが落ちていたから。

 そして、母と俺はペンダントを持っていない。


 母は余所から流れてきた。村人は移住を嫌がったが、俺を身ごもっている母を見捨てられなかったらしい。

 また、母は俺を生んでからも村人を幾度となく助けてきた。だから、あまりに金がなくて税が払えなくても追い出せなかった。

 だが、さすがに村人の証であるペンダントは渡さなかったようだ。

 そして大人たちは、母がいなくなった今、税を払えないことを口実に厄介者の俺を村から追い出そうとしている。


 村に未練はなかった。

 どうせ出ていくなら売れるものは売って路銀の足しにしようと思い、家の中を整理していたときだった。

 古ぼけた赤い表紙の、小さな手帳のようなものが視界に入った。それは昔書いていた日記だった。

 懐かしくなって読み返すと、ある日の日記に旅人のことが書いてあった。

 憶えている────憶えている、ぼんやりと。長い髪の旅人だったが、性別はわからなかった。

 つたない字を追い、昔の自分に苦笑する。

『ソンザイイギ』は存在意義。探すようになってはいけない、それは居場所が見つからないということだ から。胸を叩いていたのは、痛いのは心だと伝えたかったから。

 俺も年を取ったな、とぼんやり思った。無垢だったあの頃わからなかったことが、今はよくわかる。

 年を取ったと言ってもまだ数えで十四だが。

 ……ああ、そうだ。俺も旅に出よう。

 突然思いついた。一度そう思うと、それ以外の道は考えられなかった。

 少し楽しみになって、また片付けを再開する。


 コートを羽織り、鞄を背負う。食料と、少しの金と、悩んだがあの日記が入っている。

 どうせ出ていくなら、暗いときに。

 ──なあ、旅人さん。

 何の因果だろうね、俺も旅人になるよ。

 しかもあなたと同じ、『ソンザイイギ』を探す旅だ。

 あなたは見つけたのだろうか。──俺にも見つけられるのだろうか。

 あなたの名前すら知らないけれど。この世界は広すぎて会えないはずだと十分わかっているけれど。

 いつか、もう一度あなたに会いたい。

 真っ暗な空に浮かぶ、冴え冴えと冷たく光る、細く儚い月を仰ぐ。

 歩き出そうとしたとき、唐突に思い出した。


 旅人と別れるときのこと。

 ──いっちゃうの?

 旅人の顔が、記憶の底でゆらめく。

 ──たびびとさん。また、あおうね!

 また会える、となんの根拠もなく信じていた小さな子どもを、驚くように見つめた旅人。

 ──ありがとう。

 泣きそうな声だった。

 そのあと、なにか呟いていたけれど聞き取れなかった。

 でも、もしかしたらそれは。


『ソンザイイギ』を探す旅。

 無邪気に言われた「またあおうね」、未来の約束。

 それは、


 自分がいないと成立しない。

 ソンザイイギが、そこにはある──……?


 あの「ありがとう」は、万一、もしかすると。

 ひとつ、ソンザイイギをつくったお礼、と考えていいのだろうか。

 過去の自分は、未来の自分が欲しているものを、自分で気づかぬ間に人にあげていたのだ。

 ──その言葉だけで、救われる。

 拾いあげられなかった声が、聞こえた気がした。

 歩き出す。

 つっ、と頬を液体がつたう。

 上を向いたって涙はあふれ出すから、好きなように流してあげた。

 歩く。

 歩く。

 失くしたソンザイイギを、見つけるために。

 月が冴え冴えと、しかし先ほどよりは少し優しく照らす道を、一人、歩いていった。


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