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凄惨なシーンを思わせるセリフがあります。ご注意下さい。
長いです。
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ブラッディダイヤモンドを求めて瑞輝が訪ねたのは、
ロンドン郊外にあるクリストファー・ハミル侯爵の屋敷だ。
霧の深い森の中にあるその建物は、
屋敷というよりは古城と表現した方がふさわしい佇まいを見せている。
「…ブラッディダイヤモンドについてお伺いしたいのですが。」
応対に出た執事らしき老人に、瑞輝は単刀直入に言った。
逆にそれが良かったのか、瑞輝は応接間に通され、ハミル侯爵と対面できることになった。
現れた侯爵は、瑞輝が思うより若く、まだ三十代に見えた。
だが、その瞳に湛えられた深遠な影は、若々しさを殺して余りある。
「ブラッディダイヤモンドについて、教えて頂きたいのですが…。」
改めて瑞輝が言うと、侯爵は物憂げにゆるゆると首を振った。
「…あなたが、どういった経緯であれのことを知り得たのか判りません。
そして、どういった目的で追い求めるのかも…。」
執事が紅茶を持って現れても、伯爵は何も見ていないような瞳を彷徨わせている。
「ですが、これだけは知っておいて頂きたいのです。
あれに関わると、あなたの人生は崩壊します…。」
「…崩壊?」
侯爵は力無く頷いた。瞳の焦点は未だ合わない。
「あなたの大切な人も、あなたの大切な夢も、あなたの大切な時間も、
全てあれに喰われてしまう…。だからお止めなさい。あれを追い求めるのは…。」
言い残して、侯爵は席を立った。物音ひとつ立てず、扉の向こうに消える。
後に残された執事が口を開いた。
「…失礼致しました。
ですが、クリス様はあの宝石の為に、一番大切な方を失ってしまわれ、
それから幽鬼のようになられてしまわれたのです、あのように…。」
「…大切、な?」
「はい。クリス様には婚約者の女性がいらっしゃいました。」
ブラッディダイヤモンドの為に屋敷を訪れたのは、
どうやら瑞輝が初めてではないらしい。
こうやって自然に主人の話の後を引き取り、
事情を説明する執事の様子がそれを物語っている。
「アンジェ様とおっしゃるその女性は、とても明るく朗らかな女性で、
お二人はとても仲が良うございました。
ですが、言葉が足りないと、心も信じ合えない時がございます。
照れ屋であったクリス様がはっきりアンジェ様に愛をお伝えになれなかった為でしょうか、気が付くとシリル様は、クリス様にとって自分は親の決めた婚約者でしかなく、
愛されてはいないのだと、そう思うようになっていらっしゃいました。」
「…確かに、女性の多くは言葉を欲しがるな。」
瑞輝が言うと、執事は頷いた。
「おそらく女性にとって言葉は心の拠り所と成り得るものなのでしょう。
そして、多くの女性がそうであるように、
アンジェ様も一度愛されていないと思い込まれてしまわれたら、
何をどう説明されても、クリス様の愛を信じては下さらなかったのです。」
恋人のいない瑞輝だが、
女性の、そういった思いこみの激しさや疑いの根深さは判る気がした。
「クリス様は、世にも名高い大粒のダイヤモンドを贈れば、
アンジェ様に愛が在ることを判って頂けるのではとお考えになり、
追い求めるようになられました。
そうして手に入れたダイヤモンドは指輪の状態で、
その石は純粋な色ではなく、深い深い黒でした。」
「黒?」
「はい。」
執事は頷いた。
「それが数多の人間の欲望を、血を吸って、
紅を通り越し黒くなったということは後から知ったのですが、
その時は黒い石がとても珍しく、美しく見えたのです。
これなら間違いなくアンジェ様の疑いを晴らし、
愛によって二人が結ばれるということを信じられる程に。
事実、アンジェ様はその黒いダイヤモンドを殊の外お喜びになりました。」
「まぁ、自分の為に大粒の珍しいダイヤを手に入れてくれたとなったら、当たり前ですね。」
「クリス様もそう思われ、アンジェ様に愛が通じたものとお喜びになられました。
アンジェ様はその指輪を左手の薬指に嵌められました。
あとは式を挙げて幸せな結婚生活を始めるばかりでした。
ですが、それが実現することは無かったのです。
アンジェ様が、完全にブラッディダイヤモンドに魅入られてしまったばかりに……。」
瑞輝は首を傾げた。
「…魅入られた?」
「はい。来る日も来る日も指輪を見つめ、食事も摂らず会話もしない。
やせ細ったアンジェ様は、ただ眠るか石を見つめて何かを呟くだけでした。
もう明るく朗らかなアンジェ様の面影すら見出せない程の状態でした。」
瑞輝は軽く俯き、頭を振った。それでも執事の話は続く。
「クリス様は指輪を渡したことをとても後悔なされて…、
ある日、アンジェ様の眠っていらっしゃる間に指輪を抜こうとなされたのです。
ですが、それはピッタリとくっついて、外すことは不可能でした。
まるで、アンジェ様の指と同化してしまったかのようでした。」
執事は視線を落とした。
「そのうちアンジェ様は目覚められ、
クリス様が指輪を取ろうとなさっていることに気付かれました。
半狂乱になったアンジェ様は、枕元に飾られていた薔薇の入った花瓶を割り、
その破片で自害なさいました。
その時、流されたアンジェ様の血は、全てあのダイヤモンドが吸ってしまい、
後には抜け殻のようなお姿のアンジェ様が残されたのです。」
「…凄絶な話だな。」
瑞輝が言うと、執事は頷いて顔を上げた。
「ですから、どうかお止め下さい。
あの宝石のことは忘れて、今の生活を大切になさって下さい。」
と、耳元で微かに風の精の囁きが聞こえた。
「…相手はダイヤモンド、つまり炭素です。
ですから、びとーの炎で浄化、消滅させることができますよ。」
そう。ダイヤモンドは純粋な炭素故、燃えるのだ。
しかもびとーは限りなく高温の炎を出すことができる。
前に浄化の炎も扱えるという話も聞いた。
彼にさえ渡せれば、今後の被害は食い止められることになる。
瑞輝は微かに頷き、執事に向き直った。
「私は、その呪いを打ち破り、浄化させる為にあの石を追っています。
今後、伯爵や婚約者の方のような悲劇を生まない為にも。
ですから、あの石の所在を教えて頂けませんか?」
執事は力無く首を振った。
「…私共にも判りません。
あの石は、アンジェ様の血を吸収した後、霧のように消えてしまいましたから…。」
瑞輝は眉をひそめた。
「消えた…?」
「はい。」
執事は頷いた。更に続ける。
「あれが、そんなに簡単に浄化できる代物だとはとても思えません。
どうか、あの石のことはお忘れになって、大切な方々のところにお帰り下さい。」
瑞輝は答えず、深々と頭を下げた後、侯爵の屋敷を後にした。
「…どうなさいます?」
風の精に問われた瑞輝は、ニヤリと笑った。
「諦める訳ねぇだろう?」
風雅も笑い返す。
「そうですね。」