ルイス抜き
「へいか!」
ポテポテと歩いてくる小さな甥っ子に、マナは顔を綻ばせた。
花々が綺麗に咲き誇る王宮の中庭。マナは仕事に追われる毎日の疲れがフッ、と消えるのを感じた。
「ガーディ、また大きくなったわね」
マナの兄、ガイラの息子である彼はここ最近軟禁状態だった。そしてそれはしばらく続くであろう事を思い、マナは彼の小さな手をとりキスを落とした。
「ごめんなさい、もう行かないと」
「はい!へいかもがんばって、ボクもがんばります!」
スダンの話では、まだ四つにも関わらず簡単な読み書き、算術、魔術が出来ているらしい。誇らしい限りだ。
「ありがとう」
ニコッ、と笑えばガーディも笑顔を返してくれた。
「もはやローリアである事は明白ではないか!」
「しかし、事を起こしているのは末端のさらに末端。ここからローリアへと繋げるには、少々強引というもの」
「ローリアなんぞ、気紛れな国。些細な事に目くじらを立てるなど、魔術大国の名が廃りましょう」
女王を中心に机に並ぶのは国を司るもの達なわけだが、マナの意見が求められることはなく、話は続く。
「しかし、不可解な事件が続きすぎるのもどうかと」
「それは今調査中ですので、追って報告させていただきます」
「悠長な事を言っている場合か!それこそ国の威信にかかわる」
「まことに」
会議室で飛んでいた中でも、一段と低い声が響いた。
内大臣。
国内の治安、環境を司る、この中で最年長の大臣だ。
「民は不安を徐々に出し始めておる。内輪のケンカが周りを巻き込み、暴徒化する者もいれば、酒や薬に手を出し事件を起こす者。猫の手も借りたいぐらい、日に日に事件は増え、凶暴化しておる」
そこまで言って、内大臣ノリントンは女王を見た。
「なぜ何もなされないのか。名ばかりの王など、この歴史ある魔術大国にはいりませんぞ」
この言葉に室内はざわめいた。マナは表情さえ変えないが、鼓動は早くなり、背中にいやな汗を掻いた。
――ここまではっきりと言うだろうか。
内大臣への非難やら同調やらがうるさいなか、ダルキスは疑問を抱いた。
調べによれば内大臣は反女王派。しかしそれを表に出し周りにあえて敵を作るような真似を、長い間政治の世界で生きたこの男がするとは考えづらい。何か考えがあっての発言だろうが、こちらにとってはあまり良い事ではないだろう。
「言葉が過ぎますぞ!」
「まったくだ。いくらあなたが長くこの国を支えてきたにせよ、陛下にそのような態度をッッ」
「落ち着いてください。ノリントン氏は国を思って言ったに過ぎません」
「その通り。感情的になるのは止しましょう」
周りが騒がしいにも関わらず、当のノリントンは目を瞑ってただ静かに座っているだけだった。
そのまま話は収束を見せず、会議は終わった。
「たぬきはたぬき」
その日の夜、ダルキスの部屋に二人の男が訪れた。
「それも尻尾のないたぬきだ」
外大臣、セクリアト。貴族出である彼は上品な容姿に似合わずズケズケものを言う。
「ノリントンめ。随分若手を手懐けているようだの」
黒大臣、ザーナル。ノリントンの次に古く、恰幅と気前のいい男だ。
「オーヤ様から知らせがありました」
何、と二人はダルキスを見る。
「九人の黒づくめに襲われたようです。幸いその場は切り抜けたようですが、重症を負われ、今は身を隠しているようです」
「オーヤ殿にまで……」
ザーナルは険しい顔つきをし、拳に力を入れた。
表立って報告が上がっているのは、貴族が二人殺され、一人が重症。大臣では行方不明と自殺者が一人ずつ。犯人を捕らえたが逃げられたり、白状してから何者かに消され、使い物にならなかったりしている。
「あの女狐がッッ」
ダンッとテーブルを叩くセクリアトは、ローリアに君臨するアンネリーと面識があった。
印象としては儚げで、とても国を治める人物でなかった。しかし不思議な魅力を感じたのは確かだった。話は途切れず、なぜだか特別な時間を過ごしている感覚に捕われたのを覚えている。
「目的はどこにあるのでしょう」
先の戦いからまだ数える程。しかもその後ローリアは隣国を吸収やなにやと忙しくしていた。今、イリューマと戦争を起こすとデメリットが目につく。
「狐の考えている事なんて、我々人間には解りかねる」
「そんな投げやりに言わないで下さい」
眉尻を下げて笑う。
「ともかく、私の方は片っ端から犯人を捕まえていきます」
「俺は金の流れだな」
「わしは外を」
ダルキス達が話し合っている頃、ノリントンは一人の客人を迎えていた。
「……」
「そのように難しい顔をなされますな」
ローリアとノリントンを結ぶ彼女は口元に笑みを浮かべていた。
「失敗ったようだな」
「お耳が早い」
オーヤの暗殺。女が笑みを消さない事にノリントンは内心舌打ちをする。
「連邦会議まであと一月もないというのに」
クスクス、と手を口元に持っていく。
「何を焦っておいでか。この魔術大国を長きに渡って支えてきたあなたが」
癪に触る女だ、とわずかに目を細める。
ちょうど前国王、ガイラが床に伏せた頃やってきた。
「それより、そちらの準備は大丈夫なのでしょうか?」
「下らない事をきくな」
妹君であるマナが国王に少しずつ、毒を盛っている。
「我が主人は気紛れな方。あなたに興味を無くせば、計画はお蔵入りですよ」
あのマナ姫に限って、そんなバカな話があるか、と思いながらもなぜか調べてしまった。
「そんな事になれば、ローリアも無駄骨ぞ」
ノリントンの声に重みがつく。決して逃がしはしない。そんな目を向けられ、女は一瞬笑みを消してしまった。
「……約束は守る御方です。何よりあなたのシナリオを楽しみにしていますから」
女がいなくなってから、ノリントンはテラスに出て遠くを見た。
――アンネリー……。
腹の底が見えない女。よもや自分は、あの女の手の平で転がされているのでは。そんな考えが頭をよぎる。
夜の深い闇。そんな中ポツリポツリと灯っている光はノリントンを悩ませる。
国民は女王マナを大いに歓迎していた。若く、美しく賢い彼女を。それが嘘偽りのないものと信じて。
「カガリ」
「なんでしょうか」
「いらないわ」
マナはベッド脇のテーブルに用意された睡眠薬を拒んだ。
「……では、本でも読みましょうか?」
冗談で言った言葉に、マナは目を吊り上げて声を上げた。
「あなたまで私を子ども扱いするの!?」
さすがのカガリも内心驚いたが、それを表に出すことはしなかった。
「っ何がいけないの?!言いたい事があるならハッキリ言いなさい!命令よ!」
人差し指を床にむけている。
カガリは跪き、頭を下げた。
「毎日山ほどある仕事をしてるわ!皆の意見もきいてる!常に冷静に、公平に振る舞っている!」
「はい、女王陛下」
もはや陰口は耳を塞いでも聞こえてくる。
「犯罪が増えているのは私のせい?!」
味方はまるで見当たらない、たった独りの玉座。
「ローリアが手を出してくるのは私のせい?!」
本来なら背負わなかっただろう、責任。
「答えなさい!」
肩で息をしながらマナはカガリを見下ろす。頭は上がらない。
「恐れながら」
その声に体が震えた。答えはわかっている。長くはない付き合いだが、カガリという男をマナは理解していた。
「全て、陛下の責任ですな」
「ッッ出ていきなさい!!」
静かに、カガリは部屋から出ていった。
「はっ……あ、ぁあ」
開いた口が塞がらない。涙も止まらない。
「あ゛っ……ぁあ!」
そのままベッドに倒れこみ、枕に顔をうめる。思い切り声を上げるには、こうするしかなかった。
いらなかった。こんな事、一度だって望んだことはなかった。
「な、んでッッ」
父がいなくなり、兄はベッドから起き上がるのがやっと。母と義姉は地方に追いやられ、唯一の支えであるガーディとの面会も規制されている。
「お、父様……お母様!」
涙が止まらない。どうしたらいいのかまったくわからない。誰も教えてくれない。
「う"ぅ……」
――助けて……。
独りでは立っていられない。
――誰かッッ。
私に「大丈夫」だと言って。
「〜〜!」
ガタガタと音がした。
――暗殺?……それも悪くないかもしれないわ。
マナは涙の後を拭いもせず、窓へと近づいた。
「あっ」
カーテンを開けそこにいたのは、思いがけない可愛らしい天使だった。
「シルフっ、ちょっと待ってて」
慌てて窓を開けると、羽をパタパタさせたシルフは勢いよくマナに抱き付き目に涙を浮かべていた。
「大丈夫?大丈夫?ママ泣いてるの?どこかいたいの?」
きゅっ、と服を握り見上げてくるシルフに、マナは笑みをこぼした。
「大丈夫よ、何でもないわ」
「パパに言う!ママを苛めたの、やっつけてもらう!」
シルフはマナから離れ、外へと飛んでいこうとしたが止められた。
「ダメよ!シルフ。ルイスさんには内緒にして?」
頭を撫でられながらシルフは気持ち良さそうにベッドへと一緒にもぐった。
「どうしてパパに言っちゃダメ?」
「心配をかけたくないの。だから、言わないって約束してくれる?」
マナに笑顔が戻ったからか、シルフは上機嫌に首を縦に振る。
「ふふっ、ありがとう。シルフはいい子ね」
「パパはボクに怒るの。ママは優しいから大好き!」
「ありがとう、私もシルフの事大好きよ」
シルフと他愛無い会話をしているうちに、マナは気持ちが落ち着いていくのを感じた。
先程までの怒りや悲しみが嘘のように思えてくる。
「あ!そうだ、パパからお伝えなの!」
「なぁに?」
「パパはね、実はパパと仲良くないんだけどね、頑張ってるんだって!」
「う、ん?」
頭にハテナマークを浮かべてシルフの話を聞いてみる。
「終わったらね、ママに会いに来るんだって!」
――えっ?
「パパすごく楽しみにしてるの!」
――会いに、来る?
「シルフ、それっていつ頃のお話?」
「うんと……いっぱい前!」
「もしかして、もうイリューマに?」
「え?う〜ん……たぶん!」
シルフはニコニコ笑い、マナは笑顔を引きつらせた。
――今は、今は会いたくない!
お飾りの女王、陰口をたたかれている自分。そんな情けない今を、彼にだけは、見てほしくないと強く思った。
「ママ、どうしたの?」
「なんでもないわ。それよりもう寝ましょう、シルフも疲れたでしょ?」
そう言って二人は仲良く眠りについたのだった。
「あ、陛下」
スダンは廊下を走るマナを発見した。
ん?走ってる?
「って陛下!なんてはしたない!」
慌てて後を追った。
「あらスダン、どうしたの?」
いつもより軽装で、しかも書類を片手にしている姿に女王の面影は見当たらない。
「何をしてるんですか?!女王が廊下を走るなど」
「用がないなら行くわよ?」
さっとスダンをかわし、再び走り始めた。
「なっ、まっ!」
早かった。マナの足はとても早かった。
「……なぜ?」
訳が分からずその日の夜。
ダルキス曰く、今までとは打って変わって政務を積極的にこなしているとか。
しかも、スダンの伯父であるカガリの助言で、今の女王を取り巻く状況も説明済み。今まではまだ伝えるのは早いと判断していたのに、なんとも早い展開。
さらに驚く事があった。
それは翌日に開かれた会議を、マナが仕切ったのだ。
今までただ座って聞いていただけだったにも関わらず、見事とまではいかなくともなんとかまとめたらしい。
「どうしたんでしょう」
スダンは首をかしげ、ダルキスは微笑んだ。
「理由はともかく、いい流れが出来そうです……それより……」
「それより?」
「オーヤ様が気になります。それと、ノリントンも……」
オーヤとは一切連絡が付かないでいた。ノリントンに関してはどうやら署名を集めているらしい事を耳にした。一体どんな内容なのか、あまり想像したくない。
「……まさか退位要求とか、ないですよね?」
スダンは嫌な汗を覚えるのだった。
アンネリーは小さくため息をついた。それを聞くものはただ一人。
「ねぇフェリエ」
「はい」
「マナちゃん、なんだかちょっとやる気が出ちゃったみたい」
予想がハズレ、あまり気分はよろしくない。
「……隣国を下し、属国をつくり、まだ他にもとめるのですか」
姿無き声に感情はみられない。
「イリューマはね、今度開かれる連邦会議で王が変わるの」
それはノリントンのシナリオ。
「多分オーヤとかいう切れ者がそれを阻止しようとする」
それは女王派のシナリオ。
「そして私はね」
ニッコリ笑う。優しさより先に恐れを抱く笑顔。
「戦争をするの」
――なぜ?
なぜ彼女はそれを求める?
「イリューマはすぐには手に入らない。だからゆっくりゆっくり、時間をかけて手に入れるのよ」
「あなた様のお望みは、一体なんなのですか?」
アンネリーはイスから立ち上がり、壁に掛けてあった地図を見上げる。
「……て」
「?」
「全てよ」
――私は全てを手に入れる。だってそれは、手を伸ばせば届くのだから……。
フェリエは衝撃を受けた。
とろけるような眼差しをしている彼女。
――いけない……イケナイイケナイ!
「アンネリー様」
心の震えは、声に出なかった。
「なあに?」
「理に反します」
ソレは正しくナイ。イケナイ。
「数多の命を弄び」
止めナケレバ。
「己の欲に身を沈め」
マチガッテイル。
「ただやみくもに進んでは」
過チハ許サレナイ。
「いけません」
きょとんとした後、部屋中に響く笑い声。
フェリエはその後、アンネリーと言葉を交わすことはなかった。
連邦会議は二十以上の国が参加して行う会議で、主に国策や現状報告をする場になっている。イリューマとローリアは参加国の中でも第一軍の先進国で、その発表に多くの国が耳を傾ける。
その前に、イリューマ国内でいざこざがあった。女王マナを退け、四つになったばかりのガーディを王にすえようという動きだ。ご丁寧に有力者の過半数を、ピッタリ署名して集めて提出してきた。しかしザーナルが女王派の署名を見せ、一旦保留とした。
「ついに明日かぁ」
ゴウのメンバーの一部が、会議が行われる街の一画にいた。他のメンバーはすでに会議場にいる。
「ピタ、ひま」
「アルドちゃん逃がしちゃったもんねぇ」
実は一、二週間前、ゴウはオーヤの襲撃を受けていた。その場にいたのはピタ、ミーア、ハラスだけで、まんまと人質を奪還させられてしまったのだ。その時のピタの落胆の仕方は大変なものだった。
「ピタ、悲しい」
涙ぐむピタの頭をサザビリは優しく撫でてやった。
「きっとまた会えるわよ。だから泣かないの」
ゴウがオーヤ暗殺の失敗をしているにも関わらず、まだ生かされているのには勿論わけがある。
オーヤを探し切れずにいた彼らは王宮に目星を付けた。最悪、オーヤがいないにしても女王派を引っ張っている者の首を持っていこう、という考えだった。オーヤには辿り着けなかったが、彼らは見事、魔術師団のトップにいたダルキスの首をとったのだ。
補足するならば、これがきっかけとなり女王派の署名が一気に集まってしまったわけだが、このイリューマでのゴタゴタはアンネリーを喜ばすのに十分だった。
「それでぇ、あたし達はぁ、ここにいるだけなの〜?」
今回の任務はまだ聞いていなかった。今夜会場から戻ってくるジェイとハラスが教えてくれるらしいが、どうやら大したことはしないらしい。
そして夜も遅く、会場から戻った二人は説明を始めた。
「イリューマのノリントン、って知ってるか?」
皆首を縦に振る。
「あの古狸を始末するようだ」
「あたし達はぁ?」
「今回は場所が場所なんで、ギザルさん、ラーシャンさん、カリーナさんだけでするそうです」
ジェイに続くハラスの顔色はどうもすぐれない。
「どうしたのよ〜。まさか、ギザルちゃんに限って失敗するとでも思っちゃってるの?」
サザビリがおどけてみせた。ハラスの心配ももっともだと思ったからだ。
「そうじゃないですけど!ただその……」
例えばギザルという男は、仲間のために傷を負うことをいとわない。
「たしかに今回はだいぶ危ない橋を渡ることになるな」
ゴウの中で実質ナンバー2であるジェイが今回参加しないという事は、ゴウに何かあってもいいように、という配慮からだ。過去にも何度かあったが、今まではなんとかやってこれた。だが決まってギザルは瀕死状態で帰ってきたわけだが。
「ギザル、強い」
「たしかにギザルさんは強い。けどな、今回は場所、タイミングともに悪い」
「もぅジェイちゃんったら!不安をあおいでどうするのよー」
ジェイは一つため息をつき、話を終わらせた。
「これはこれは、お初お目にかかります。私、ローリアを束ねております、アンネリーと申します」
はかなげな声音がマナの耳に入った。
明日から始まる連邦会議の前パーティー。各国のお偉い顔が並ぶ中、彼女はあまりにはかなげだった。
「……イリューマ国女王、マナです」
これがっ、とマナは怒りを抑えた。
イリューマ国を混乱させ、民と、臣下を奪った張本人。
怒りを爆発させなかったのはマナの自制心の強さか、はたまたアンネリーの纏う雰囲気のためかどちらとも判断しにくい。それほど、彼女の存在感は独特のものだった。
「イリューマに置かれましては、最近なにかとお忙しいとか」
「貴国が憂いることなど、ありはしません。どうぞ」
「とはおっしゃいましても、まさか魔術大国であるイリューマの師団長が何者かの手にかかったとあっては、私も立場上心配でなりません」
マナの言葉を遮り、アンネリーは心底気をもんでます、という態度を示した。
「さらには今女王陛下の求心力も……と申し訳ありません。出過ぎた事を。それでは、失礼致します」
一礼し、アンネリーはマナのもとを去っていった。
「……やられっぱなしですな」
「カガリ、やはりあなたを連れてくるべきではなかったわ」
マナにとって初めての国際舞台での公務。嫌味を言われるのは重々わかっていた。
「恐れながら陛下。私を連れてこられたのは正確かと思われますな」
「あら、その自信は一体どこからくるのかしら」
マナは呆れながら、他国への挨拶を再開したのだった。