残者**
「ただいまぁ」
ゼンはルイスと同じ黒髪を濡らしながら帰ってきた。この日突然の大雨に見舞われ、嵐となる可能性があるため早めに学校が終わったのだ。
「おかえりなさい。あぁ、そんなに濡れちゃって。早くお風呂に入って体を温めなさい」
母親がタオルを片手にパタパタと玄関へと来て、雨で濡れたゼンを軽く拭いてやった。ゼンは母親の言うとおりにさっさと風呂場へいき湯船につかって冷えた体を温めた。風呂から上がると母親は台所でなにやら温かいものを作っている。ゼンは居間へいきテレビをつけた。
「……イルハウ大会?」
聞いた事のあるような無いような、ゼンはそのチャンネルを見入った。どうやら魔術大国のイリューマで開催されているらしい。割と歴史のある大会で、優勝者には望みのものが与えられるようだ。まぁあくまで出来る範囲内ではあるが。
ゼンはボーっとそのテレビを見てると、画面に見覚えのある人物が映し出され、思わずテレビに顔を近づけた。
「今人気が出てきているルイスチームです。彼はイリューマの姫君であるマナ様に魔術を教えているという情報が入っています」
「いやぁ、彼の強さには我々魔術学会も驚きと動揺を覚えます。なぜこのような逸材を我々が見つけられなかったのかと悔やむ声もあります」
「なるほど。そして錬金術師であるベルクス選手もまたかなりの使い手です。医術師であるテムイ選手は今まで一回も戦闘に参加をしていないのでその医術力がどれほどなのか知る事は出来ませんが、ルイスチームの一員ということはかなりの期待が持てそうです。続きましては……」
声を失う、目を丸くするとはまさにこの事だろう。ゼンは開いた口がふさがらない。
「ゼン、スープができたわよ。……ゼン?」
「あ、う、うん」
ゼンはテレビを消して食卓についた。出されたのは野菜たっぷりのスープだった。
「ねぇ、ママ?」
「なぁに?」
ゼンは聞こうかどうか迷ったが、意を決して口を開いた。
「お兄ちゃんてさ、今イリューマにいるの?」
ゼンのその問いかけに母親は雑誌を読もうと伸ばした手を止めた。
「……ど、どうしたの急に。お兄ちゃんは」
「さっきテレビに出てたよ。イルハウ大会っていうのに参加してるみたい。知ってた?」
ゼンは真っ直ぐに母親を見た。その視線に耐えかねた母親はまた台所に立って洗い物をした。
「どうして黙ってるの?」
「ゼン、もうお兄ちゃんの話は……」
「大丈夫だよ。僕はお兄ちゃんみたいに出て行ったりしないから」
ゼンの言葉に母親は振り返った。その顔は疲れに似た表情をしていた。
「パパの後継いで、ちゃんと立派な船乗りになるから。だからそんなに心配しないで?」
優しく言うと、母親はゼンを強く抱きしめた。ゼンが母親の背中をさすってやると、少しだけ声を出して、少しだけ母親は泣いた。
部屋に戻るとそこには船の模型や海図といったものがいっぱい置いてあった。ゼンの家は代々船乗りの家系で、曽祖父の代で町の海を仕切る地位についた。そして祖父の代では海だけでなく、町を取り仕切る長になり、その息子であるゼンの父親は今、オーヴァルガンの漁業組合長をしている。町を仕切る祖父に国の海を仕切る父親。ゼンの兄であるルイスは至極当たり前のように無言の期待がかかっていた。
『またこんな本を借りてきたのか!?お前は政治家になるんだ!』
よく父親が兄から魔術の本を奪い取り怒鳴り散らしていた光景が目に浮かぶ。
『ゼン、絵が描きたいなら二人に気付かれないようにするんだよ?』
ゼンは絵を描くのが好きだった。小さい頃はよくクレヨンや絵の具で服を汚したりしていた。その姿を笑って見ていた両親は、ゼンが成長するにつれて少し怒るようになった。
『また絵なんか描いてるのか?そんな下らない事してないで勉強をしろ』
そういわれた日、ゼンは布団に包まって泣いた。夜中、両親が寝静まった頃にルイスはゼンの部屋へ来た。
『これを目に当てて。そのままにしてたら目が腫れるよ?』
手渡された濡れタオルをゼンは目にかぶせた。
『お兄ちゃん……』
『何?』
『僕、絵描くの好きなんだ』
『うん、知ってる』
『真っ白な紙に、僕が色をつけるんだ。すごく綺麗に。まだまだ下手だけど、でもすごく楽しいんだ』
『うん』
兄はゼンのベッドに座って話を聞いていた。一言一言、ちゃんと聞いていた。
『でもね、パパがね……』
また涙がでてきた。今日言われた、あの言葉を思い出して。
『下らない、って……言っ、た、んだ』
ゼンの涙が枕に伝い、後を残す。ルイスはゼンの頭に手を載せて優しく撫でてやった。
『ゼン、僕のいうことをよく聞いて』
目に当てていたタオルを持ち上げ兄を見ると、とても優しい目をしていた。
『絶対に戻ってくるから。今よりずっと強くなって、お兄ちゃん戻ってくるから。だからそれまで、もう少しだけこの家で辛抱してて』
兄には夢があった。ゼンが絵を描きたいと思うような、自分の夢が。何度父親に本を奪われ、怒鳴られ、時には叩かれても、兄はその夢を手放そうとはしなかった。
『……うん。わかった。僕待ってるよ』
兄はオーヴァルガンのトップ校に入学した。しかし魔術の道を選んだため、両親とはその後もよくもめた。兄に会ったのがどれくらい前か覚えていないが、その時にした約束だけは覚えている。どちらも幼くて、どちらも泣いていた。
次の日、案の定嵐がやってきたので母も父も家にいた。ゼンは二人の目を盗んでテレビを見た。そこにはイルハウ大会で勝ち進んでいく兄の姿が映し出されていた。
「お兄ちゃん……」
確実に兄は進んでいた。兄の夢と、ゼンのために。
まぁそんな知識もスキルもなく、何より気力がありません。