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第3-1話:出立

 午後二時過ぎ。

 東豊学園の校門近く。

 その近くの庭園に建てられた馬車小屋に愛馬「こひばり」は繋がれていた。

 いつもは牧場で飼われているが、こうして用が入ったために急遽、連れてきてもらった。

 

 本来控えていた午後の被害視察を先送りにし、馬上へと跨る。

 自転車などの無機質とは本質的に異なる、生き物の鼓動と温かみが太ももへと伝わってくる。


 しかし調教師の慣らしが甘かったのか、それとも一月ぶりに乗ったということもあったのか。

 こひばりは興奮し、その四足(よつあし)を多少バタつかせた。

 その鼻から吐き出される熱が真っ白な蒸気となり、俺の視界を埋め尽くす。

 「どーどー」と口にしながら首元を強めに撫でてやると、こひばりは荒らげた息を落ち着かせながらその場に留まった。


 周囲を見渡すが、俺と目線が合う者はいない。

 別の場所で馬に乗ろうとしている同行者はいるが、少なくとも今は俺だけの目線が高く、また孤独だ。


「し、視察へ来るんじゃなかったんですか!?」


 その傍ら、東豊が所有する農地のうち清水農区を管轄する野上(のがみ)という男。

 彼は持っていた鞄を手放してこちらへと足早に駆け寄り、そう口にした。

 ただ約束を破られそうになり怒っている、とは形容できない。

 その様相は必死さそのものとすら言え、鬼気迫った表情に血眼を浮かべ、こちらのことを睨みつけてきている。

 

 それもそのはず、清水農区は帝国の侵略による被害を最も受けた農区だ。

 話によれば、家畜は全て殺されるか連れ去られ、農家の一部が奴隷として攫われた。

 野上の怒りの根っこは、その(じつ)本人から来ているのではないのだろう。

 被害に遭った鋤や鍬を握っている連中から来ている。

 そう確信できた。

 もし可能なら、今すぐにでも視察に行ってやりたいところだが……。


「……申し訳ありません、急用が入ったので」

「被害視察を後回しにする急用っていったいなんなんですか!?」


 圭介へは丁寧な口調をしていた野上(のがみ)

 俺が直前になって視察を反故にすると言い出したのもあるが……言葉を荒らげた。


 コート越しに、帝国から受け取った首脳会談要請の手紙に手を添える。

 感じるはずのない「帝」の文字の入った蝋封の感触。

 それに触れるとともに、その凹凸が俺の指先を凍てつかせる。

 これを、口にするべきなのだろうか?

 

 理由を説明すれば、野上はきっと納得してくれるはずだ。

 それが最も楽に説得する方法だ。

 

 だが、そうするわけにはいかない。

 既に答えは決まっていた。


 〝東豊の委員長が帝国の皇帝と会談を行った〟

 

 少しでも広まれば、その報は瞬く間に札幌を駆け巡り、様々な憶測を生むだろう。

 人の口に戸を立てることはできない。

 清水農区長だけならまだしも、他の民へと広まれば混乱の波及は避けられない。

 今はまだ、明かすべき時ではない。


「機密事項ですのでまだ言えません。ですが、そう遠くない時期に、事の大小は分かりませんが発表があると思います。その時までお待ち下さい」


 そう告げると野上は眉間にシワを寄せ、まだ何かを告げようとした。

 だがほんの少しの間だけ言葉を迷わせたのち、諦念の表情を浮かべながらふっと腕の力を抜いた。


 やっと諦めた、のではない。

 「諦められてしまった」のだ。

 その事実が、俺の心を音もなく抉る。

 指導者にとって何にも代えがたい、信頼という確かなものが削がれてしまったのを実感する。

 

 申し訳なさから手綱を握る手へ無意識に力が入り、縄が軋む音が響く。

 視線を逸らしたくなるが、その衝動を堪えながら続きを述べる。

 

「分かっていただけたようで何よりです。道中、視察できる箇所は視察します」

「じゃあ清水も、ちゃんと視察してくださるんですか?」

「すみません、清水は正反対(せいはんたい)ですので……視察は後日、時間を作って必ず行います」

「……分かりました」


 そう告げると、野上はため息混じりに俯きながら、校舎の方へと向かっていった。

 しかし、その場に居たのは俺と野上の二人だけではない。

 遠くには、作業で通りかかった農民や労働者。

 窓越しには委員会の官僚も不安げにこちらのことを見つめている。


 野上が声を荒らげていたのもあるだろうが……やはり、目が痛い。

 彼らが無意識にこちらへ注ぐ期待と不安が、無数の針となり突き刺してくる。

 生憎、俺はまだ委員長に就任して日が浅い。

 

 それだけでなく、(みな)から見たら帝国の侵略が明けたらリーダーだったはずの圭介が死んでトップの首が俺にすげ変わっていた。

 そう見えてしまうのだろう。

 だからさっきのような求心力が下がるようなことは避けたいのだが、今回ばかりは仕方あるまい。


 背筋をピンと伸ばし、手綱片手に群衆へ手を振る。

 少しでも「これから大きな成果を掴んできます」と言わんばかりに胸を張るのだ。

 これもリーダーの最大の役割の一つ。

 リーダーが不安では、その下につく者達も不安に思うはずだ。

 胸を張って堂々とする。

 それだけで皆の心理的負担は減るはずだ。

 

(橘、お前も少しは愛想よくしろ!)

(へいへい)


 直前に合流し、馬へ跨りながら俺へ同行する者たちの一人。

 橘貴弘(たかひろ)へひっそりと注意をする。

 彼は東豊の外交部長。今は、榎本から農部長の地位の引き継ぎも行っている。

 前髪はパッツン、耳からうなじまで覆うほどの直毛ロン毛だが、これでも男だ。

 出っ歯なのもせいもあり口を閉じていても先が尖っていて、目は細目。

 頬にはそばかすが付いている。


(俺はどうせ顔が良くねえから愛想よくしても変わんねえよ)

(いいからやれ)

(はいはい)


 自分の口でこう言ってはいるが、こいつはなかなかのやり手だ。

 外交官としての凄みは、何も単純な話術や媚びへつらいだけによってもたらされるものではない。

 情報収集や、その組み立て。

 構造の体系的な理解とその間隙を的確に突くという、ある種の空間幾何学(立体構造)への理解がもたらすのだろう。

 昨年中央区との間で交わされた収穫に伴う労働者契約や、ギャング組織の西部連合の平和的解体などもこいつの手腕だ。

 まさにその雄弁ぶりを象徴する言葉……「銀の舌」と言うほかないだろう。

 

 だが、俺はまだこいつの手腕の詳しいところを知らない。

 大抵は一人で仕事をこなしてくるか、もしくは圭介がその付き添いに行くことが大半だったからだ。

 加えて、こうして興味や目的の外から一歩でも外れると労力のムダだとか言って聞かないのだが……。

 まあ、そうした些細なデメリットと比較して有能が過ぎる。

 多少は見過ごすとしよう。


 そうして、俺達は群衆に見守られながら東豊学園を出た。

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