第2-2話:消失
――――――第三段階――――――
消失から一週間後。
この頃から、消失による二次災害は一層深刻化していくこととなる。
消失から数日が経つ頃には、札幌市域の電力網が完全に死滅。
元より偶発的な停電が多発しており、その兆候は現れていた。
最初は数十分で復旧していた停電が数時間、十数時間と伸びていく。
ある日の停電は丸一日続いた。
そしてその後、消えた街の灯りが再び灯ることはなかった。
独立した太陽光パネルなどは生き残ったが、それ以外の電力網は完全に死滅。
それに伴い、インターネットも根こそぎ停止した。
それ自体は死の一線では無かった。
問題は、物流が止まったことによる弊害がより顕著に現れ始めたところだ。
前述の通り、物流停止は消失直後には既に発生していた事象だ。
当たり前の話、学生は日頃食料を生み出していない。
趣味で家庭菜園をしている者もいるかもしれないが、あくまで趣味の域を出ない。
つまり何が起こるか。
街から、食料が枯渇していく。
まだ死ぬレベルではない。
だが生鮮食品が腐り、冷凍食品は溶け、目に付くのは保存食だけ。
多くの者は、その後に控える危機に気が付かなかった。
いや、そうとは言わせない。
気付いても、気が付かぬふりをしたのだ。
また、治安の崩壊も深刻だ。
街には消失以後に出来た多くの血痕が散見された。
法を取り締まる者も居なければ、守る者も減ってゆく。
この世界では、日本国法は無いも同然のものとなっていった。
――――――――――――――――
実際、この頃になってやっと俺も動き始めた。
路頭に迷っている暇はなくなったのだ。
既に、消失後のモラトリアム期間は終わりを告げていた。
生存のタイムリミットが、迫っていたのだ。
とは言っても楽観視していた彼らを見下すわけではない。
俺が動き始めた消失後から半月というのは、本来なら遅すぎたぐらいだ。
だが、俺には行く宛があった。
神谷圭介の下へ。
俺は朱音とその弟たちを連れて、やっと母校である東豊学園高等部を訪れたのだった。
……これより先は、消失とは少々関係の無い内容になってしまう。
一旦傍へ置こう。
しかし、消失直後のことは顧みるだけで気が滅入る。
何か口にしようと思い、皿の方へと手が伸びる。
手にしたのは白い団子。
四つほどが皿の上に並べられており、手に付かないように片栗粉が軽くまぶされている。
そのうち二つは、大きさこそ変わらないものの、仄かに褐色を帯びていた。
手に取り口に運ぶも、真っ先に来るのは穀物臭さ。
生米を口にした時のような、枯れ草山に顔を埋めるような香りが口から鼻へと広がる。
加えて舌触りも悪い。
若干の粉っぽさに加えてぼそぼそとしたなんとも言えない食感。
それもそのはず、これは麦茶の原料になる大麦を製粉し、水と僅かな塩で練って焼いただけの代物。
噛み続ければ澱粉そのものの味はしてくるものの、旧文明時代であればもう二度と口にしないと断言できる。
では褐色の方はどうか。
口にすると、ぼそぼそとした食感と穀物臭さは残るものの、素朴な砂糖の仄かな甘みが舌へと染み渡る。
さっきより何段階もマシな、我慢せずに口にできる軽食だ。
とは言っても、俺のためだけに貴重な旧文明時代の砂糖を使って味付けさせているわけではない。
旧文明時代に作付けされ、それを東豊が引き続き栽培していた、甜菜という砂糖の原料になる根菜。
それから精製した砂糖を味付けに使った代物だ。
甘みというのは、旧文明時代には溢れていた味。
だが、そのありふれたものが、これほど活力になろうとは。
主食作物の作付けに影響の無い範囲で作付けさせるとしよう。
さて、気を取り直し続きを記そう。
ここまでで大人の手を借りないと生きていけない人々が死に絶え、電力やインターネットが途絶。
そして食料枯渇の兆候、終いには市井での暴力沙汰の横行など。
世紀末という地獄の釜は開ききったかのように見えた。
だが……まだ脅威はあった。
第四段階だ。
――――――第四段階――――――
第四段階は、消失から半月以降の段階だ。
この期間は、公衆衛生の本格的な崩壊の始まりにある。
疫病の脅威が、私たちの身を脅かし始める。
2025年、5月2日。
その日は、かなり強い雨脚だった。
とはいっても石狩や豊平の川が氾濫を起こしたり、暴風で街が破壊されるほどではなかった。
では何が問題だったのか?
顕著だったのは、札幌市北区だ。問題は〝下〟からやってきた。
マンホールから、側溝から、住宅のトイレから。
下水が、溢れ出してきたのだ。
北区以外では、文明崩壊後でも上手く排水機能が働いていたためにこのような惨状にはならなかったと考えられる。
では北区はと言うと、比較的低地であったがために排水には電動もポンプが必要であり、結果的にこのような大惨事になったのだと予想できる。
とにかく、北区とその周辺は溢れ出た汚水の湖と化した。
北から吹いた風に乗った腐臭を、その南でも微かに嗅ぎ取った記憶が、今も脳に焼き付いている。
そして雨上がりの数日後、多くの者が腹痛を訴えたという。
赤痢、ノロウイルス、カンピロバクター。
汚水は、瞬く間に感染症を呼び起こした。
東豊でも、ごく少数ではあるが感染者が出た。
そして罹った者の少なくない割合が、死んだ。
筆者は、その現地の様子を見ていない。
だが派遣され、無事帰って来た者たちは、皆が揃ってこう口にした。
「……地獄だった」と。
以後、北区は無人地帯となった。
かつて北区と呼ばれていた場所には、今は市街地と汚泥の沼地だけが存在している。
北区から逃げ延びた人々の多くが、東豊や中央区へやってきた。
この時受け入れた労働力で、東豊は発展していくことになるのだが……これはまた別項で語ろうかと思う。
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派遣員の報告書に、俺は今になっても度々目を通す。
そこには、ただ単にこうとだけ書かれている。
「北区下水パンデミック 推定死者:数百人以上」と。
淡々とこう書かれていることが、より恐ろしく感じた。
北区の惨状は目にしていなかったが、赤痢の恐ろしさは身に沁みて理解させられた。
二〇二五年、五月九日。
俺は圭介から物資収集の指示の役割を与えられていた。
市井に出て、十数人を指揮。
食料や道具などの物資を集めてくる、最も危険な役割だった。
しかし、その任務は死と隣り合わせだった。
野盗の類などの、分かりやすい脅威がなかったわけではない。
だが、事の本筋はそこではなかった。
ある日、仲間の一人が過ちを犯した。
手をつけないよう指示したはずの、汚水が入り込んだコンビニの菓子に手を出したのだ。
厳密には、他の皆が消毒を徹底しながらものを口にしていた中、彼だけがそこから逸脱し、汚れた手で菓子を口にした。
結果、その仲間……宮里といったか。
彼は赤痢という病気に罹った。
当時の俺にはそれが赤痢だということは分からなかった。
病名は、俺が目にした症状を医療班と照合した結果、後から分かったものだ。
最初は食中毒か何かだと判断したが、その頃には北区の惨状が噂程度には流れてきていたこともあり、俺は一応の策として宮里を半ば監禁する形で隔離した。
潜伏期間の短かったこと、隔離が幸いしたことが要因となり、奇跡的に彼以外に感染者はでなかった。
しかし、彼にとっては辛いのはここからだった。
下痢、嘔吐、発熱、血便。
そういった症状に加え、感染防止のために彼を監禁したのもあり、発狂した。
痛み止めと水を求める彼の声が、鍵の掛かったドアを叩く音が、拠点にしていたビル中に響き渡った。
ゴーグル、マスク、ゴム手袋、全身長袖長ズボンで看病に挑み、吐瀉物や便、看病に使った用品はまるごと焼却した。
自ら看病を買ってでたとはいえ、共倒れになるわけにはいかなかったため、川で全身を清めるまでは水の一滴すら飲まなかった。
五月の札幌の川はまだまだ冷たく、身体を震わせながら身を清めた。
だが、感染し宮里と共倒れになる恐怖のほうが勝り、身体を刺す痛みに耐えながら身を清めた。
幸い、綺麗な水と食料を十分に与えられたこともあり彼は完治した。
だが赤痢が治ったあとの彼は、見るも無惨なほど痩せこけてしまっていた。
あまりに急速に痩せたため、頬の皮が老人のように弛んでいたのを今になっても思い出す。
後になって分かったことだが、赤痢は極限の脱水症状を現すため、水は水でも砂糖や塩で作った有り合わせの経口補水液が有用らしい。
またいつかのために覚えておこう、と思ったが……立場の都合上、実践する機会はとうに来そうにない。
その後、探索班は無事に東豊に帰ることが出来た。
東豊でのパンデミック発生という最悪の結末を防ぐため、俺達の班自身も東豊から自主的に隔離していた。
そのために東豊へは十日ほど戻らなかったこともあり、圭介達には心配を掛けた。
文明崩壊によって再び脅威となった感染症の恐ろしさを、身を持って体験することとなった。
だが、これはあくまで俺が指揮していた班の話。
感染の中心地だった北区の惨状は、もはや考えたくすら無い。
――以上が、消失からごく短期間で現れた弊害だ。
消失は、厄災だった。
そう言うほかは無いだろう。
結果から言えば、俺達は仮初の自由と代償に大きな試練を強制的に背負わされた事となる。
しかも、これは札幌に限定した話だ。
他の地域では、その地域特有の厄災が舞い込んできているのだと、容易に想像出来る。
ひとまず、消失から一ヶ月までの整理はここまでだ。
残りは、また夜に時間が出来た時にでも書き足せばいい。
だが、生憎情報量が多い。
これをどうやってまとめるか、だが――。
その時。
誰かが委員長室のドアを「コンコン」とノックする。
「……帝国兵か?」
だが、誰であったとしても入れないわけにはいくまい。
「入ってく――」
そう告げた途端、言い切る暇もなく一人の女性が駆けてくる。
茶髪にロングのポニーテール。
確かこの女性は、外交室で働いていた女性だ。
高校制服は前ボタンがかけられておらず、仕事着だったところに急いで制服を羽織ってきたのが見て取れる。
「外交室副室長の橋倉と申します……ぶ、無礼をお許しください……」
「大丈夫だ、だがそんなに急いでどうした?」
副室長ほどの地位の者が自らの足で駆けてやってくるだと?
一瞬脳が理解を拒んだが、その右手には一通の手紙が握りしめられていた。
通常、俺宛の手紙や書簡は事務室を通すものだが……。
「こ、こちら最重要案件です……原文そのままです、どうか今すぐ……!」
息を切らし、直す余裕のなかったような乱れた髪のまま、震える手で差し出された手紙を、俺は努めて冷静に受け取る。
手紙は、 一見なんてこと無い封筒。
しかし、外交部が確認するためにそうしたのか、既に蝋封は開けられていた。
「こ、これは……!」
その手紙の外側を目にしただけで、思わず息を飲む。
赤黒い蝋には「帝」の文字が刻まれている。
今の札幌で、わざわざこんな装飾を刻む余裕のあるやつは一人しか居ない。
しかも、この封を見るのはこれが初めてじゃない。
まだ圭介が生きていた頃、帝国からの最後通牒の蝋封にもこの「帝」の文字が刻まれていた。
俺は手を震わせながら、その中身を丁重に取り出す。
茶色い紙に筆で書かれた文字が目に入った。
差出人は、俺達を抑圧している千歳帝国の皇帝。
輝井雄御からの、千歳と東豊の首脳会談の要請……いや、要請とは名ばかりの、絶対的な召喚状だった。




