第2-1話:消失
「うーむ……」
翌日の三月七日、事務机に向かいながらそう声を漏らす。
左腕で頬杖を付き、リズムを刻むように中指でこめかみを擦る。
考えが、浮かんでこない。
このままでは埒が明かない。
気を紛らわせるため、椅子を回して外へと目を向ける。
ここ数日、札幌では雪が見られなかった。
とはいえまだ北海道の大地は冬の最中だ。
校庭や瓦で葺かれた屋根など、人の通りが少ないところにはいまだに深く雪が積もっている。
その中でたった一箇所、雪の積もっていない――。
最近設営されたばかりの、帝国軍の野営地だけが厭に目立っていた。
……あれが目に入る限り、外を眺めて気を紛らわすというのは逆効果だ。
現状を変更できないという諦念を溜息とともに吐き出し、机へと向き直る。
俺が何に悩んでいるのか。
政務に関することかではない。
今日片付けなければならない開墾や作付けの計画は午前中既に片付けた。
もっとも、今は休憩時間。
貴重な憩いの時間の最中でも、俺は相も変わらず事務机に向かっているのだ。
課題は、史書の編纂。
昨日、榎本と交わした約束。
俺は委員会の、榎本は神谷圭介の伝記を編纂する。
そういう約束だった。
午後には帝国による被害の視察が控えているため、そう長い間記すことは出来ないが……。
二十分ほどの余裕はあるだろう。
委員会の史書と伝記。
これは、二つが同時に存在して初めて意義のあるものになる。
どちらも欠けてはいけない。
いけないのだが……。
「わからん!」
思わず、そう独り言を口にしてしまう。
当たり前だが、一年前までは俺もなんてことない高校生。
史書の編纂などという行為は、しようと思ったことすらない。
とりあえず、形式としては年表でまとめたものや一人称視点など、様々な編纂方法があるが……。
委員長就任後の貴重な時間を使うからには、全て書き直しとなることは避けたい。
とはいえ、最初に何を記載するべきかぐらいは、既に見当がついている。
それは……。
「消失……だな」
あれを抜きにして今を語ることは不可能……というよりも無謀だ。
これは例え話だが、ある日「一足す一が三になる」「水が百度よりも低い温度で沸騰するようになる」。
そんなレベルの「この世が根底からひっくり返るレベルの事象」こそが”消失”なのだ。
「とりあえずまとめるか……」
ひとまずノートパソコンを開き、書き連ねる予定のことを記していく。
本当なら紙に直接書きたいところだが、紙は製造技術が無いため貴重。
太陽光や水力から電力をある程度供給できるため、軽い事務作業はパソコンでこなす方がまだ経済的だ。
もっとも、それを書き起こすには直筆で書き出さねばならない。
そのためこれはあくまで殴り書き。
とりあえず思いつくことを書いていって、後から紙へ直接本稿として整理すれば良い。
自分の考えだが、消失の””初期”は四つの段階に分けられると考えている。
そう、あくまで初期だ。
最初の一ヶ月の時点で、四段階に分けられる。
まずは第一段階、消失だ。
――――――第一段階――――――
消失は2025年の4月9日、世界標準時20時50分ごろに発生した。
日本では4月10日の日本時間5時50分ごろ。
生物学的年齢が19歳以上の大人が「突然にして」消えたのだ。
これは、大人の「消失」を目の前で目撃した者の証言による。
文字通りの「消失」。
大人は死体や血痕の一滴どころか、身につけていたものすら残さずに忽然と「消失」したのだ。
これはもちろん、札幌に限った話じゃなく世界中で同時多発的に例外なく発生している。
「消失」後、僅かな期間残っていたSNS上で言語圏問わず大混乱が発生していたのは、筆者の記憶に新しい。
間違いなく人類史で最も甚大な被害を及ぼした災害だ。
しかし、こと日本での被害はと言うと、時間が早かったこともあったのか。
舵手を失った自動車が大破し、クラッシュした果てに響く轟音。
……だが、それ以上に不気味だったのは、人の悲鳴がほぼ一切しなかったことだ。
なんせ、本来なら上がるはずの悲鳴ごと人間が消えていた。
ただ機械が壊れる音だけが響く街。それを消失の始まりとして記憶している者も少なくない。
だが、逆に言えば消失の直接的な被害はその程度に収まる。
大人の消失という事象については、ある者は咽び、ある者は歓喜した。
――――――――――――――――
こんなところだろうか。
大抵の場合「消失」が起こり消えた人々のなかで、遺された人々が最も悔いるのが親の存在だろう。
今まで当たり前に居て、食わせてもらっていて、面倒を見てもらっていて。
そんな人々が、ある朝起きたら姿形もなく消えていた。
信じられないうえ、信じたくもないだろう。
だが、俺は元より親との関係が良くなかった。
父は俺のことを祖父に復讐するための道具としか見ておらず、俺の事はこれっぽっちも見てくれちゃいなかった。
だから、消えて精々した。
……少しだけ、寂しくもあるが。
これが強がりであるのは、言わずとも分かるだろう。
この話は一旦傍に置いておくとして、問題はまだ終わっていない。
生き残った者たちへ降り注ぐ厄災は、むしろこれから待ち受けているのだった。
第二段階。
消失発生直後から一週間の期間だ。
――――――第二段階――――――
第二段階の特徴は、大人による「管理」の概念が消失したことによるインフラの停止である。
電力、インターネット、食料供給、上水道など。ありとあらゆるインフラの管理が停止する。
発電所では炉への燃料の投入が止まり、業者による食料の運搬も途絶えた。
電力は蓄電や再エネ発電、食料は店舗などに備蓄などがあるため、即時枯渇とはならないが、それらの「枯渇のタイムリミット」が始まったという事実からは目を背けることは出来ない。
次に、親の手を要する乳幼児や医療・介護の助けがなければ生きられなかった人々の多くが数日のうちに命を落とした。
実数値は不明だが、推定では乳幼児の八割以上が管理を受けられずに死亡したとの試算も存在する。
また来たるべき第三期、第四期の脅威に対して、多くの学生がこの第二段階の時点では気が付くことが出来なかった。
これも後の被害を大きくした要因だろう。
市井には減少した人口を数ヶ月賄うだけの食料が存在し、公衆衛生もまだデッドラインを割ることはない。
そのため、大抵の学生にはこの期間は「多少不便な自由」として写ることだろう。
もちろん、その後に控える食料枯渇などの分かりやすい危機の可能性を察知した場合でも。
多くの者が見て見ぬふりをした。
しかし、消失発生後から六時間後。
東豊学園の生徒会長、神谷圭介は学園共同体として東豊学園自治委員会を発足した。
これは非常に先見性のある行為であった。
――――――――――――――――
――こんなところが第二段階だ。
委員会発足の際、圭介に創設メンバーに誘われたが……俺は一旦拒否してしまった。
代わりに、恋人の芹沢朱音とその弟たちと共に過ごすことを選択した。
元より勉強三昧の日々。
どう生きれば良いか分からず、路頭に迷っていたのもあったのだろう。
だが今になって考えれば、この選択は愚かだったと言わざるを得ない。
それは、次に控える悲劇を予見しても見て見ぬふりをしたからではない。
見えないところで、既に次なる悲劇は始まっていたのだ。
前提としてこの世には大人の助けが無いと生きていけない人々がいる。
乳幼児は、その筆頭格だ。
多くの乳幼児が飢え、乾き、死んだ。
その頃の俺には、そんなことは考えつきもしなかった。
……時間を巻き戻せるならば、消失前に戻りたい。
だがもしも神が消失前への巻き戻ししか許さないならば。
俺は、一人でも多くの子供を救うように動くだろう。
時期にして五月の頭ごろ、ベビーホテルを探索している時に目にした、名前も知らない乳児の遺体が脳裏にチラつく。
排泄物と人間の腐敗臭が混ざる匂い。
微かにでもそこに、あのつんざくような泣き声があれば、それがどれほど救いだっただろうか。
可能なことなら思い出したくはない。
だが、忘れるわけにはいかない。
もう俺は、忘れられるような無責任な立場には居ないのだから。
そして期間は、第三段階に入っていく。




