第1-2話:求めぬ椅子
「……委員長も、泣いてらしたんですね」
一瞬、榎本が圭介の幻覚を見ているのかと勘繰る。
彼女は俺達より一つ歳下ながら、健気に付いてきていた。
彼女が圭介を「委員長っ!委員長っ!」と呼ぶ声は、最近のようにも、遠い昔のことのようにも感じられた。
……だが、ここで俺は気がついてしまった。
今の委員長は俺なのだ、と。
同じ「委員長」という言葉のはずなのに。
その重みが、まるで違うことに気が付かされた。
「……気付かれてたか」
頭の後ろを掻きながらも、榎本とは机を挟んで反対側に着席する。
机の上に置かれた、充電式のランプへと手を伸ばす。
少し時間を置き、暖かい光がぼんやりと広がった。
「ええ、目の周りを赤くしてらしたので」
そう口にする榎本も、目の下を赤く腫らしていた。
一つ歳が違えば、かなり価値観も変わってくる。
だが、今の榎本と俺は。
圭介の死という一点の下、お互いに分かり合えている。
そう確信できた。
「――外の帝国兵の様子は?」
藪から棒に質問する。
微かに上がってきていた口角が下がり、また少し引き締められる。
空気が読めていない問いだったかもしれないが、今からする話を考えるに、この問いは必要なことであった。
「昼間に比べれば少ないですが……それでも、監視の目が行き届いていると言い切れるほどには……」
「そうか……」
現在、ここ東豊学園は千歳帝国軍の占領統治下に置かれている。
何気ないどんな一言が、俺達の命取りになるか分からない。
常に聞かれている。
笑い話一つにも、いちいち言葉を選ばなきゃならない。
そんな窮屈さに息苦しさを覚えながら、ここ数日は過ごしていた。
だが。
そんな環境下でも、頼まねばならないことがある。
「榎本農部長……君にしか頼めない仕事がある」
「私にしかできない仕事……?」
そう伝えた後、ソファから立ち上がり本棚の方へと向かう。
ここの本棚は、一週間前はひどく散らかっていたものだ。
帝国軍の侵攻計画を受けて、委員長室は一日を通して混乱しており、出した書類を片付ける暇さえなかった。
だが、今は逆に整理されているといえる。
それはなぜか。
二日前、帝国軍のガサ入れが入った。
神谷圭介という個人を記したものは、片っ端から抜き取られて焼かれてしまった。
圭介の名が刻まれた行政書類やメモ書きは残されたが、それは神谷圭介という人間像を補いきるにはどれも足りない代物。
整理されているのは、荒らしたいだけ荒らした帝国兵が去った後に、書記たちに手伝ってもらい整理し直したからであった。
そんな棚の中から分厚いノートをそっと一冊取り出す。
ノートとは言っても、市販の厚手のノートを不格好に繋ぎ合わせた――
もはや、一冊の辞書と呼んだ方が良いような代物だった。
そんな代物を、榎本と俺との間にボスンと置く。
微かに溜まっていた埃がふわりと舞い、ランプに反射する。
「これは……?」
「委員会が創設されてはや十一ヶ月間の、行政記録や統計、諸々のルールや書簡をまとめたものだ」
目を通した榎本は、相変わらずぽかんとした表情を浮かべていた。
それもそのはずだ。
このノートは、圭介が殴り書きで書いたものだ。
内容も、日付も、そして書類の系統まで点でバラバラだ。
内容も実行されたものや案だけで終わったものがバラけており、内容を再整理してあとは焼却処分しても差し支えのない代物。
到底、価値のある代物には見えない。
「けどな。これを、こうすると……」
不規則なページに挟まっているノートのページが、ノート本体から分離する。
これだけは、ノートと結びついていない。ノートに挟まれただけの紙。
それを引き抜き、並べていくと……。
「これって――!」
彼女が声をあげようとした瞬間、「しーっ! 名前は出すな!」と囁きながら、俺は慌てて彼女の口を押さえつけた。
決して、彼の名前を出してはいけない。
彼女の目を見ながら、俺は小さく首を縦に振ると、彼女もそれに応じてまた小さく頷いた。
言葉は交わさない。
だがここから先、俺達二人が共犯関係になるということを、二人の間で共有できたのだと確信できた。
彼女の口を押さえつけた手を離し、バラバラになっていた紙を整理してゆく。
点でバラバラ、ちぐはぐだったはずの殴り書きは、それが一枚、また一枚と積み上げられるたびに形を持ったものへ変わっていく。
「これだけじゃないぞ」
使用済みのAEDやくり抜いた使用期限切れの消火器の中からも、書物がぼろぼろと出てくる。
中から出てきたのは、消失以前から圭介が書いていた日記や、個人的に宛てた手紙、独白がまとめられたメモ書きなど。
消火器の錆で汚れ、AEDの容器へ無理やり収めたがために紙に癖が付いてしまったが支障はない。
それを、紙に刻まれた僅かな切れ込みを頼りに整理していくと……。
神谷圭介の内心や考え、日記を時系列順に記した、仮組みの伝記とも言えるような代物がまとまった。
俺は圭介が死にに行った時点で、彼の存在が抹消される可能性を考慮していた。
だから帝国兵の視野の外を徹底的に攻め、圭介個人の重要文書を秘匿した。
幸い、帝国兵のガサ入れは徹底していたが、読み込むわけではない。
ページを数えるほど几帳面でもない。
ざっとめくって、目に付く人名と印だけを抜いていった。
ずさんなことこの上ないだろう。
俺ならこの部屋のガサ入れだけで丸一日は時間を費やす。
だが、これを何に使うのか。
榎本にはしばらく休ませて感傷に浸ってもらう?
それも悪くないだろう。
しかし、俺の考えは違う。
「俺は、この委員会の史書を編纂しようと思っている」
東豊学園自治委員会。
まだ成立して一年経たず、短い歴史しか持たない自治組織だ。
だが、こうして帝国により占領統治下に置かれている現在、 いつ俺の首が挿げ替えられるか分からない。
そして、今の東豊にそれへ抗う余力はない。
だから、つなぐのだ。
俺達に「もしも」があっても良いように。
東豊はもう小さな組織ではない。
「消失」後において札幌有数の組織となっており、優に万を超える人々がその日の食事を東豊の作物で繋いだ経験がある。
最悪、俺達が何も残せなくともその名は残り、その理念を継ぐ者も現れるかもしれない。
けれど、圭介は?
圭介は、一年弱の間委員会を治めていた。
きっと、何もしなくともその名だけは誰かの記憶に残るだろう。
だが、その神谷圭介という人間の人となりを知る者は多くない。
昔、札幌の端くれの自治組織にそんな人間がいた。
どうやら理想主義者で、帝国に敗れて死んだらしい。
そんな断片的なものしか残らなかったら――。
繋いでくれた彼自身が、忘れられる。
ただ「東豊学園自治委員会委員長、神谷圭介」という名だけが残り、誰も神谷圭介という人間を知る者はいなくなる。
そんなことがあって良いものか。
本当は、榎本には何もさせず休ませてやるべきなのかもしれない。
だが。これがきっと、彼女のためになると信じて。
意を決して口にする。
「君は疲れている。だからしばらく仕事を休め。そして君には……この分野の史書の編纂を頼みたい」
「……!」
榎本は両手で口を抑えながら、収まっていたはずの涙をぽろぽろと流し始めた。
「私が……っ!こんな大役、担っていいんですかっ……?」
「いいや……これはむしろ、君にしかできないことだ」
そう言って、彼女の背中を押す。
実際、これは圭介の幼馴染でもある榎本が適任だ。
俺と圭介の付き合いはせいぜい中学から。
幼少を共に過ごしてきた彼女にしか分からないこともあるだろう。
「農部長代理は、既に橘に頼んである。大丈夫だ、元はあいつが居た場所だ。元鞘に収まるだけ。気にする必要はない」
そう言って彼女の方へ紙束を差し出す。
榎本は俺からその束を受け取ると、目を閉じて必死に涙を堪らえようとした。
涙の粒が紙束を汚さぬよう、彼女は零れ落ちそうになる涙を、片腕の袖で必死に拭いながら泣いた。
しばらく鼻をすすったあと、真っ赤になった目でこちらを見上げると、口角を大きく上げて、はっきりとこう口にした。
「はいっ……わたしにやらせてください……!」
あれだけ、気の弱い彼女が。
圭介のことになると、これだけはっきりと決意の籠もった表情を浮かべる。
なあ圭介。
見ているか。
お前が死んで心の底から泣いてくれるやつは、少なくともここに二人もいる。
橘、黒川、猪木も。知っているやつで数えたらもっとだ。
俺が死んだら泣いてくれる人間は思い浮かぶが、実際に泣いてくれる人間がいるのを見ると、お前が少しばかり羨ましい。
確かに、お前は志半ばで死んだかもしれない。
だが、お前が繋いだものを決してムダにはしない。
今残念なことがあるとするならば、圭介本人の名前をここで口に出すことができないことだろう。
今は臥薪嘗胆の時。耐えるしかないのだ。
いつしか、彼の死を心の底から悼める日を夢見ながら。
俺は胸の内で燻る静かな闘志へ、そっと薪をくべたのだった。




