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第1-1話:求めぬ椅子

 不愉快だ。

 今、この椅子に座っているという事実が。


 東豊学園自治委員会委員長室もとい、旧東豊学園高等部校長室。

 そして本来、委員長が座っているはずの椅子に俺……藤原英治は座っていた。

 

 事務机用の椅子だというのに、ウールをふんだんに使っているのか非常に座り心地が良い。

 音もなく傾く背もたれも、滑らかなキャスターも。

 この「消失」後の世界では、非常に贅沢とされる品々だ。

 

 一つ気に入らないことがあるとすれば、この椅子は彼にはフィットしないことだろうか。

 理由は単純だ。長い間圭介が座り続け、椅子があいつの座り癖を覚えているからだ。

 

 では、椅子の方から拒まれているのか?それは本質を射抜いているとは言い難い。

 厳密にはどうかと言えば、この椅子に座るべきは俺ではなく、神谷圭介だと。

 自身がそう思っているからだ。


 では、なぜこの椅子に座っているのか?

 理由は単純だ。

 前委員長の神谷圭介が死んだからだ。

 神谷圭介、あいつはお人好しが過ぎた。

 誰にでも手を差し伸べ、外交の場ですら贅沢を嫌い、帝国侵略の直前ですら誰を犠牲にすることも算段に入れていなかった。

 

 消失以前の旧文明時代。

 圭介は政治家志望だと自分で口にしていた。

 だが、この際はっきり言おう。

 あいつは政治家に、あまりにも不向きだった。


 それだけじゃない。俺には野心もあった。

 委員会での発言力をこのまま増やしていずれは主導権を掌握。

 いつしかあいつの口から「委員会をお前に任せる」という言葉を貰って、委員会の長に就こうと本気で思っていた。

 だが。それが、こんな……こんな形で叶ってしまった。

 

「俺は!こんな結末は望んじゃいないっ!」


 絞り出すような独白が溢れ出ると同時に、自分が座る椅子の肘掛けへと思わず拳を打ち付ける。

 筆入れのペンが僅かに揺らぐも、二往復もするとまた静止した。

 脳裏には、圭介の棺を閉じる直前の瞬間。

 苦しみから解き放たれたような表情をしていた圭介の顔がちらついていた。

 手が微かに熱を持つとともに、物言わぬ家具に当たった自分自身に嫌気が差す。


 俺は、あいつからバトンを受け取りたかった。

 あいつが無念の中落としたバトンを拾い上げるような行為じゃない。

 

 だが、その圭介はもういない。

 やるせない気持ちに乗せられるまま、外へと目を向ける。

 

 校長室をそのまま転用した委員長室は、窓の一面がガラス張り。

 室内はロウソクの光で若干明るいのもあり、窓には俺の顔がよく映った。

 

 黒のスーツに対して肩幅が広すぎるのか、生地が窮屈に張り詰めて見える。

 毛束の強い黒髪に、凛とした顔つきが我ながらよく映えた。

 薄暗いこともあり、仄かな小麦色をした肌はこの程度の明るさでは闇に調和してしまう。

 だが、この椅子に座る者としては。相応しくないと断言できるだろう。


 ガラス張りの窓の下、目に入るのは黒い喪服に身を包んだ小さな人集り。

 ある者は腕を組みながら俯き、ある者はハンカチで目を拭い、ある者は悲しみを分かち合おうと抱き合っていた。


 葬儀そのものに心残りがあったとすれば。

 遺体をきちんと焼き切れる火葬の方法を知らなかったがゆえ、遺骨を拾うことができなかったことだろうか。

 半端な火力で焼いて遺体が生焼けになっては元も子もない。

 

 そのため圭介は、自然公園の小高い丘の上に掘られた深い、深い穴の中に埋められた。

 かつての葬儀屋から棺を引っ張ってきての葬儀だった。

 せめて、棺だけでも自慢できるものにしてやりたかったからだ。


 だが、その丘に埋められるのは圭介だけじゃない。

 帝国軍の侵略で、圭介以外にも百名以上が犠牲になった。

 札幌全体で見ればもっとだ。

 あまりにも多くのものをこの侵略で失いすぎた。

 

 そんなことを思いながら再び校舎の下、喪服に身を包んだ者たちへ目を向ける。

 その中には、黒川や橘などの知っている者たちもいた。

 他には圭介と個人的な繋がりがあった者や、葬儀を執り行った職員などが屯していた。

 

 だが、その中に榎本の姿がないのだけが気がかりであった。

 まさか、早まった真似をしてはいないか。

 最悪の結果が頭を過る。

 彼女……榎本は特にかわいそうだ。

 聞いたところによると、榎本と圭介は帝国軍侵攻の直前に身体を結んだらしい。

 お互い、初めての恋人だった。それがものの(ひと)(つき)足らずで未亡人同然とは……。

 ……言葉が出ない。


 とにかく、今は皆が胸に秘めた思いを語りつつ、神谷圭介の死を乗り越えようとしているのだ。

 

 ……そろそろ認めよう。

 かくいう俺も、さっきからハンカチを手放せていない。

 涙を拭きすぎているせいか、目の周りがじんじんと熱くなっている。


 瞬間、下の人集りの誰かと目が合った。

 ハンカチを隠し、窓から目を背け、机の方へ目を向ける。

 泣いているところを見られたくないわけではない。

 むしろ、許されるのであれば下の中に混ざりたいぐらいだ。

 だが、俺はもう人に涙を見せられる立場には居ないのだ。

 

 机の上には、春の開墾や配給計画に関する書類や書籍の山々が積み重なっている。

 あいつは根っからの働き者だった。

 寝る間も惜しんで計画を練っていた姿が、頭の片隅から浮かび上がる。

 その開墾計画も、大規模な開墾と農作業従事者の待遇改善を同時に行う無茶なものであった。

 だが、それも札幌の全ての人が飢えないようにしたいという思いと、農家たちを労いたいという圭介の「理想」あってのものだった。

 圭介が出した理想論に、俺や橘が文句を垂れながら手を加えていくようなことも二度とない。

 そう思うだけで、胃に何か重たいものを感じる。

 

 今になって思ってみれば、俺はあいつを慕っていたのだろう。

 あいつにはカリスマ性があった。

 カリスマとは言っても身近で、親しみやすいそれだ。

 彼の口にする言葉には魅力があった。

 秩序が無くなり、飢えや暴力の跋扈するこの終末世界で、彼は到底実現のしようがない理想論を口にした。

 皆が飢えない世界を。

 かつてのように安心して暮らせる平和な世界を。

 委員会が打ち立てられて一年、それが達成される兆しはない。

 

 かくいう俺や猪木も、圭介に惚れ込まされた人間のうちの一人だ。

 それだけじゃない。

 この委員会の下で暮らす数千人の上に圭介は立っていた。

 凄まじい重圧だろう。


 だから、まだだった。

 あいつには、もっと長い間俺の上に立ってもらいたかった。


 だが、あいつはその前に死んだ。

 四日前の帝国軍侵攻の際、あいつは帝国軍の発布した「神谷圭介の処刑と引き換えの即時停戦」に、まんまと乗ってしまった。

 俺は止めた。

 

 「行くな」

 「俺達にはまだお前が必要だ」

 「お前が勝手に死ぬのは許さない」

 

 そんな言葉には耳も貸さず、あいつは最期に二つの命令を遺した。

 「次期委員長を藤原英治とする」そして「絶対に助けに来るな」のたった二つの命令。

 

 猪木は、その命令を下されてもなお。掴みかかってまであいつを止めようとした。

 

 だが、俺は耐えられなかった。

 あいつの覚悟は決まっていた。

 確かな志を持ち、死にに行く男の目。

 そんな男の覚悟を、それ以上無碍にはできなかった。


 そんな経緯(いきさつ)を経たうえでの葬儀だった。

 圭介の遺体が返ってきた時は目を疑った。

 本来敗戦側の殉職者の葬儀など、普通に考えて許されるわけがないのだから。

 しかしどういうわけか、帝国からは二〇人未満の個人葬であればと許可が出た。

 

 代わりとして、圭介の墓は帝国軍の監視下に置かれる事となるとの達しもあった。

 監視に置かれるのは墓だけじゃない。

 東豊の校庭、校舎と対になるように帝国軍が数百人規模でテントを張って駐屯している。

 監視、抑圧、反乱の防止。

 理由はいろいろ考えられるが、どれもこちらにとって心地のよいものではない。

 その上で墓参りに行くにしても帝国の監視が入る。


 圭介の葬式も、指導部の敵対心を少しでも和らげるための懐柔策だろう。

 帝国側に相当頭のキレる奴がいるのか。

 圭介の棺へ土をかけていた最中に、その事実に気が付いてしまった。

 この葬儀すら、帝国の掌の上にあるという事実に――


 ――その時思わず催した軽い吐き気は、記憶に新しい。

 屈辱だ。


 たった一人きりの委員長室に鼻をすする音が響き渡る。

 それと同時に、不意に涙がこぼれた。


 その時。委員長室のドアに、誰かが二度コンコンとノックをする。

 ハンカチで目元に残った涙を拭き取り、ポケットへ仕舞う。

 帝国兵の見回りだろうか。

 ずっと張り付かれていないだけマシだろうが、気がつくとドアの前に居たりして毎度肝を冷やす。


「入ってくれ」

「では……失礼します」


 そう言って入ってくるのは。

 ロングボブのブロンドヘアーが特徴の小柄な少女。

 「榎本ちあき」だった。

 世間一般には歳に対して幼い顔つきをしており、可憐に映るようだ。

 

「もう、いいのか?」

「……ええ。もう、大丈夫です」


 そう言う彼女の手の甲にはまた一つ、新しい涙の粒が落ちた。

 ……どうやら、まだ大丈夫ではないらしいな。

 だがそれをわざわざ口にするのも野暮だ。


「何か飲むか?」

 

 そう何気ない会話を挟みながら、榎本をソファに案内する。

 とは言っても、冷めた茶ぐらいしかないが。

 

 そんなことを考えながら急須から緑茶を注いでいると。

 榎本が俺の顔を見て、ふとこんなことを言い出した。


「……委員長も、泣いてらしたんですね」

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