私のこと好きだったの?
――あれ……?
私は自分の身に起きた違和感にすぐに気付いた。
――私……水の中にいる……?
昨日はいつも通り布団の中に潜り込み、冷房の利いた部屋で眠りに就くのを待っていた。筈。
それがどうして水の中にいるの。不思議と息苦しくなく、なんなら心地良い温もりに折角浮上しかけた意識がまた落ちていくのを感じた。
――多分焦らないといけないんだけど……どうでもいいや。
あまりに心地良くて、息苦しくないなら、このまま眠ってていいや、と私はまた眠りに就いた。
次に意識が浮上したのは肌寒さを感じたせい。眩しい光を当てられ、思わず目を開けた。
「あう?」
え?
何? と言ったつもりなのに、実際に発したのはこれ。なに、なに、と言いたいのに同じ言葉しか発せない。赤ちゃんの発する喃語っていうやつだよね。何がどうなっているか分からなくて慌てていれば「こーらこら、暴れるな。落ちるぞ」と低い声が。
「あう?」
「なんだ、随分元気そうだな」
私の眼前に現れたのはとてつもない美貌の男の顔。長い睫毛に覆われた青い瞳に日本人ではあり得ないプラチナブロンド。色気溢れる低い声は高校三年生の私には耳に毒。え? 誰?
「お前……へえ。『転移者』か」
「?」
『転移者』? 何それ。聞きたいのに赤ちゃんなせいで聞けない。
「暇過ぎて自分の子を魔法で作ったのは良いが……まさか『転移者』とはな。はは、長生きはするもんだ」
何言ってんの?
魔法? 小説やアニメの世界じゃないんだから魔法なんてある訳がない。
謎の男に抱き抱えられたまま、私は何が何だか分からず暫く呆然としたのだった。
――それから十七年後。
「お父様ー!」
「マルティーナ」
後ろに一つに結んだプラチナブロンドを揺らし、庭の花壇で土弄りをしていた父ルチアーノの背に飛び付いた。細身に見えるのに服の下は逞しい筋肉があり、私が飛び付いたところでビクともしない。地味に悔しい。
「何してるの?」
「見たまんまだ」
ほら、と指差された方にはミミズが二匹にょろにょろと動いている。
「大きい」
「土が肥えている証拠だ。マルティーナ、今日は登城するんだろ」
「うげっ」
「十七歳にもなってその声はなんだ」
「生粋のお嬢様じゃないもん」
「やれやれ」
呆れながらも本気で呆れている訳じゃないルチアーノから一旦離れ、彼を見上げた。赤ん坊の頃から見ている恐ろしい美貌も見続けていれば随分と慣れるもの。
私はふとルチアーノの両耳に手を伸ばす。私が触りやすいように腰を屈めてくれた。
「お父様はエルフなんだよね? 耳は人間なのに」
「ハーフなもんでな」
この世界には魔法が存在し、人間とエルフ、魔族、獣人族という複数の種族が暮らす。私がよく知るファンタジー世界そのもの。
私は『転移者』と呼ばれる。別世界の居住者の魂を呼び寄せる術に成功したせいだから。私就寝したばかりだったんだよ? と抗議したら、呼び寄せられる魂は肉体の寿命を迎える者に限られると話された。
まともに話せる年齢になって漸く説明を受けた私は愕然とした。だって、ただ布団に潜って寝ようとしただけなのに。
『じゃ、じゃあ、前の私は死んじゃったの……?』
『そうだろうな。魂に傷がないってことは突然死の可能性が高い』
『そんな……』
両親揃って健康で親族も病気知らず。殆どが老衰か事故で死んだ人ばかりと聞いていて、事故で死ぬのだけは嫌でよく神社でお参りをしたものだ。
ルチアーノの説明に最初はショックを受けるが嘆いたところで既に新しい人生は始まってしまっていた。多分ルチアーノが過保護なくらい私を大事に育ててくれたお陰かな。悲惨な生活だったら今でも嘆いていた。
ルチアーノはこの世界で最も長寿の類に入るエルフと人間のハーフ。小学生の頃プレイしていたゲームじゃ、ハーフエルフは忌み嫌われる存在なんだけど、この世界じゃ珍しいだけで忌み嫌われることはない。それを聞いて安心したのは言うまでもない。
母親が人間、父親がエルフらしく、どうも父親……私の祖父に当たる人が祖母に一目惚れをしたようで、自分よりも遥かに短い生の祖母にぞっこんだったという祖父は現在行方知れず。私は会ったことないけれど、ルチアーノに娘が生まれたと知るとお祝いの手紙が届いたらしい。
「さっさと準備してこい」
「だってあの王子私のこと嫌いだもん」
「今日は婚約解消についてお偉いさんに話しに行くのに?」
「準備してくる!」
ルチアーノの言葉を聞いてすぐさま準備をするべく私は私室へ急いだ。
私室に入った私は扉を閉めると溜め息を吐いた。
私はルチアーノが子育てをしてみたいという、どう感想を述べれば良いかよく分からない理由によって生まれた。魔法で人間を誕生させるのは禁忌中の禁忌。『転移者』なのも魔法によって生み出された副作用的なもの。
なので私には母親がいない。厳密に言うと材料に卵子の記載があったから、卵子提供者が私の母親。ただ、ルチアーノの極秘の研究に報酬目当てで協力する女性は多かったらしく、誰が母親かはルチアーノにも分からない。私の見目がルチアーノそっくりな分余計に。
姿見の前に立ってみた。
長いプラチナブロンドはちょっと癖があり、瞳の色はルチアーノと同じ青。前世の自分と比べれば圧倒的美女。これはこれで嬉しいのに、婚約者には全く相手にされていない。
「でも、今日でお別れになれるなら願ったり叶ったり」
悩んだって仕方ない。今日でお別れになるんだからと準備を始めた。
場所は移って城の中。王国の象徴とも呼ぶべき建物なだけあり豪華絢爛を表す内装はいつ見ても慣れない。
「陛下に話をつけてくる。マルティーナはその間、庭園にでもいてくれ。王妃には事前に許可は貰ってる」
「分かった」
途中ルチアーノと別れ、騎士の方と庭園へとやって来た。
「入ってはいけない場所とかありますか?」
「庭園でしたら自由に散策して大丈夫です。温室も入っていい許可を得ていると管理長から聞いております」
「分かりました」
管理長とはルチアーノを指す。
代々王家が管理をしている魔導研究所の管理を任されているのがルチアーノ。元々、祖母が二百年前の王女でエルフの祖父が一目惚れしたこともあり魔導研究所の管理を当時の国王陛下に任命され、二人がいなくなるとルチアーノが管理長を務めることになったという経緯がある。
季節によって咲く花と魔法の触媒や薬の材料となる花によって花壇が分けられ、温室には王妃様お気に入りの花が育てられていると聞く。
どの花壇に行こうかなと考え、まずは季節の花が咲く花壇を選んだ。今は春なだけあって豊富な種類の花が咲き、見ているだけで長い時間を過ごせる。
早速行きましょうと騎士の方に声を掛けると「マルティーナ?」と呼ばれた。げ、と内心顔を歪めながら振り向けば、私の婚約者ヴィクターがいた。
「御機嫌よう、殿下」
相手は王族。内心どう思おうと敬意は示さないと。ヴィクターに礼を執ると早速何故此処に居るかを切り出された。
顔を上げた私はヴィクターを見つめた。さらさらな紫がかった黒い髪、私やルチアーノと同じ青い瞳。祖母が二百年前の王女だったのだ、同じ瞳の色をしていたって不思議じゃない。
私の顔を見るなり表情を歪ませるヴィクターに辟易としつつ、彼の問いに答えた。
「今日はお父様と登城しました。お父様が陛下とお話ししている間、私は此処で待っているだけです」
「父上と話し合い? ……ああ、私とお前の結婚の話か」
へ? と言いそうになったのをグッと堪えた。結婚? 私とヴィクターが? 私のこと嫌いなくせに?
王国では男性は十八、女性は十六で成人を迎える事となっており、同い年の為ヴィクターが十八を迎えたら結婚式を挙げる予定にはなっていた。なっていたが本気で結婚をするつもりはない。ヴィクターだって同じ気持ちな筈なのに何故。
「はあ……父上の、陛下の命令は絶対。お前との結婚は政略結婚。仕方なく結婚してやるというのを忘れるな」
カチンときた。私じゃなくてもカチンとくる。
護衛を引き受けてくれた騎士の方が戸惑うも相手は第二王子。下手に意見は出来ない。
私がヴィクターの婚約者に選ばれたのは十歳の時。母親不明にしろ、私がルチアーノの娘であるのは間違いなく、ハーフエルフのルチアーノの娘の私にも薄いながらもエルフの血が流れており、豊富な魔力量を持ち扱える魔法の数も多い。一番の理由はエルフ族と関わりを持ちたいというのが大きい。聞いたところによればエルフ族はあまり他種族と交流を持とうとせず、同族同士でしか交流を持たない。そう考えると祖父は変わり者だったんだ。
第一王子には既に婚約者がいて現在は仲良しな王太子夫妻として有名。
第二王子のヴィクターには好きな人はいたものの、爵位の低さから認められず、二百年前の王女の孫でかつルチアーノの娘である私に白羽の矢が立った。
ルチアーノは反対してくれたが一度会うだけならと私が了承し、顔を合わせる運びとなった。
初めて会った時、とても綺麗な男の子だなと、不覚にも一目惚れをした私だが。
『私には好きな人がいる。お前を好きになることは絶対にない』と二人っきりになった際告げられ、私の初恋は一瞬で終わった。
ヴィクターの好きな人は男爵家のご令嬢。名前は興味がなくて知らない。ご令嬢は珍しい聖属性魔力を持っているようで現在は未来の大神官と期待され、日々国の為、民の為と働いている。
どうして好きなのか話された気はするも初恋を強制終了された私は興味がなく聞き流した。
「殿下。殿下は私が嫌いですよね」
「今更なんだ。お前は私が好きなようだがな」
「自惚れも大概に。私は一度でも殿下が好きだと言った覚えは御座いません」
「何?」
ぴくっとヴィクターの眉が動いた。まさか、自分は嫌ってもいいけど嫌われるのは嫌とか言わないよね?
「初対面の時、婚約者になった私にいきなり“お前を好きになることはない”と言った相手をどうやって好きになれと?」
「……」
あ、顔を背けた。覚えていたんだ。というか、自覚はあるんだ。
「私も王命が絶対であるとは心得ております。殿下のように、好きでもない相手と結婚しなければならないと受け入れるしかないと覚悟はしていました」
「愛人を作りたいと言いたいのか?」
「いいえ。その必要はありません。お父様が今日登城したのは、私と殿下の婚約を解消する為の話を陛下にするためです」
「なっ」
何で驚くの? 喜びなさいよ。
「馬鹿なっ、王命は絶対だぞっ」
「その王命を初対面の時からずっっっと嫌がり、私に会う度に嫌な態度を取り続けたのは殿下です」
「……」
「どうしました? 喜ばないのですか」
私としては喜ぶと思ったのに。実際私は喜んだ。
「お前は……私と婚約解消をして嬉しいのか?」
「勿論。まさかと思いますけど、私が本気で殿下が好きだと思っていたのですか?」
「そうでなければ、今の今まで婚約者でいた意味はなんだ」
「殿下の言う王命に従っていただけです」
「……」
また黙った。自分の都合が悪くなると黙ってしまう。
「殿下も一応王命に従っていたではありませんか」
月に一度のお茶会、誕生日プレゼント、社交界デビューして以降は毎回エスコートをしてくれた。但し、私達の間に甘い会話等一切ない。空気だってそう。
「殿下の好きな人は未来の大神官と期待されている方です。殿下の初恋が叶うかは知りませんが今の彼女なら婚約をしたいと陛下に申し出ても許されるかと思います」
初めは男爵家の令嬢という理由だったにしろ、現在の地位とヴィクターが第二王子という点を踏まえると婚約出来ないこともない。
俯いたヴィクターにこれ以上話すことはないので私は騎士の方と違う場所に行きましょうと声を掛けた。ヴィクターを気にしながらも騎士の方は了解し、移動を始めた矢先。
「マルティーナ!」
「へ」
突然ヴィクターに名前を大声で呼ばれた。まだ用事があるの?
驚いて振り向こうとしたものの、その前に「お待たせ」という声に釣られ振り向かなかった。
「お父様」
「終わったぜ。お前とヴィクター殿下の婚約解消が決まった」
「やったー!」
淑女としてあるまじき両手を上げて喜ぶ私に笑うルチアーノ。不意にルチアーノの瞳が私の後ろへ流れた。あ、とヴィクターがいるのを忘れていた私が振り向くと青い顔をしていた。
なんで?
「そ、そんなっ……本当に婚約解消を……?」
「ああ。陛下も長年のマルティーナに対する殿下の態度に頭を悩ませていた。件の神官にずっと片思いしているせいだと話してやれば、やっと婚約解消を受け入れた」
「そんな……」
悲壮感を漂わせ、打ちひしがれてしまったヴィクターに疑問しか浮かばない。ニヤニヤと笑っているルチアーノを見る限り、理由を知っていそう。
「帰るぞ」
「え、う、うん」
ルチアーノの言葉に従い、私は護衛の方にお礼を述べ彼の後を追った。
ちらっと視線を後ろに流し、すぐにまた前を向いた。
屋敷に帰宅後、庭に設置している長椅子に座ったルチアーノの隣に座った。
「ヴィクター殿下の態度が意味不明だったんだけど、理由を知ってる?」
「あれか? あいつの今の片想いの相手はお前になっていたんだ」
「は!!?」
ルチアーノと二人きりで良かった。だって、ヴィクターが好きなのは聖属性魔力を持つ現在神官となった男爵令嬢。ずっと片想いをしていたんじゃなかったの?
「お前と会っている内に、感情表現豊かなお前が気になって、気付いたら好きになっていたんだと」
「全然知らない!」
「陛下は気付いていたみたいだがな。おれは興味なくて気付かなかった」
「私も全然」
私を好きだと気付いたのは四年くらい前から。ただ、初対面の時から一貫して好きな人がいると言い続けた手前、今更私が好きだと言えず、私の方もヴィクターに愛想笑いすら浮かべないものなので素直になる機会もなく、このままきてしまった。
「それであんなに悲壮感を漂わせていたんだ……」
「撤回する?」
「しない」
したところで私の気持ちは変わらない。
「第二王子と婚約解消になるんだ、お前宛に大量の求婚者が現れるとは覚悟しておけ」
「嘘」
「ほんと。おれとお近付きになりたい輩が大量にいるもんでな」
「それもそっか」
傲慢な物言いだけどルチアーノが言うと説得力がある。
私はルチアーノに抱き付いた。
「まだまだルチアーノの娘でいたい。結婚は当面の間無しの方向で!」
「はーいはい」
適当な返事をしつつも、私を抱き締める腕は私を離したくないと言っているようでとても強い。
「ところで殿下が片想いしている神官様は、殿下に片想いされてるって知ってるの?」
「知らん。例の神官は聖属性魔力を持っていると判明した時から、現在の大神官の弟子になったもんで、社交界にはあまり顔を出していない」
「確か、殿下が彼女に会ったのは……」
何だったっけ……私を好きになる事はない発言以降、ヴィクターへの興味が失ってしまったせいで、殆どの話を右から左へ流していたせいで何にも覚えてない。
私は素直に忘れたと言うとルチアーノも「おれも知らねえ」と興味がないと首を振られた。
「私達親子だね。変なとこでそっくり」
「正真正銘親子だ」
「まあね」
誕生の方法は普通とかけ離れていようと私とルチアーノが親子であるのは違いない。
「今度、期待の神官を見に行けばいい。毎朝、外で掃き掃除をしてる」
「え? 未来の大神官って言われてるのに」
「実力が凄かろうとまだまだ新米神官。扱いは新米と同じってこった」
「そうなんだ。でも、行って殿下と会うのも嫌だからパス」
「そうか」
「うん。それより、明日以降来る予定の私宛の釣書を止める方法ってない?」
「ない」
あっさりと言われてしまう。貴族の娘なら、自分でお断りの返事くらい書けと言われてしまえばそれまで。
こうなるならヴィクターと婚約解消するのはもう少し待った方が良かったかも。……とか一瞬思ったけど、会う度にあの態度を取られるのはいい加減限界で、一年過ぎれば結婚式になってしまうと焦るくらいなら、潔く婚約解消してスッキリするのが良い。
「しつこい相手がいればおれに言いな。排除くらいはしてやる」
「物騒!!」
口では突っ込みながらも私が最も頼りにしている人が本気で私を嫁がせる気がないことは、よく知っている。