チキチキ☆姫討伐大作戦! ~途中参加の化け物王子と怨霊継母を添えて~
始まりは、メイドのけたたましい悲鳴だった。
まだ年若い娘であるメイドは、少し前に結婚したばかりの王子と姫を起こすため、いつもと変わらぬ時間に二人の寝室を訪れた。
けれど声をかけても返事がなく、何がしかの物音が聞こえるばかり。
おかしいと思って踏み込んだ先でメイドは、姫が王子の首元に食らいつき、血を啜っているのを見たのだ。
別棟にいたクラウスの元に報せが届いたのは、朝食後すぐのことだった。
「兄上が亡くなられたとは、一体どういうことだ!?」
「現場が混乱していて詳細は不明ですが、下手人は姫のようです!」
「姫が、だと?」
「殿下の首に食らいついていた、と。恐らく、手の施しようがないだろう、と」
「恐らくとはどういうことだ。なぜ確認が取れていない!」
「誰も寝室に入れないのです。姫は発見者のメイドを襲い、駆けつけた者も次々にやられて、現在は無理矢理寝室に押し込んでいる状態です。それも、いつまで保つか……」
愛用の剣を腰に差し、伝令の騎士に状況を聞きながら、クラウスは事件現場へと駆けつけた。
フロア全体に、濃い血の匂いが充満している。王子の寝室まではまだ距離があるはずなのに、幾重にも重なった呻き声が聞こえてくる。
廊下の角を曲がり、クラウスは息を呑んだ。
そこかしこに血に塗れた人間が倒れている。顔から血を流している兵士、肩を押さえている侍従、……肘から先をなくして泣いているメイド。
「一体何が……」
絶句していると、振動と共に重い打撃音が壁に響いた。
王子の寝室。その入り口で、武装を固めた騎士が数人、大盾を構えている。扉は蝶番からひしゃげ、廊下に転がっていた。
再びの打撃音。騎士の一人が、大盾ごと吹き飛び、廊下の壁に叩きつけられる。
ちらりと見えた。
張り付いたような笑顔を浮かべた姫が、口元を血で真っ赤に染め、入り口を塞ぐ盾に体当たりを繰り返している。
鍛え上げた歴戦の盾兵たちが、歯を食いしばり、その衝撃に耐えていた。
一瞬だけ呆けるクラウス。背筋を氷の手で掴まれたような気分だった。
「……っ、動ける者は怪我人を連れて退避! プレートアーマー装備の騎士をここへ集めろ! 発見者のメイドはどこだ!?」
「殿下、あなた様も退避を!」
矢継ぎ早に指示を飛ばす。クラウスの専属騎士が下がらせようとするのを振り払った時、寝室の物音が止まった。
寝室を塞いでいた盾兵の一人が、「ひっ」と怯懦の声を漏らす。次の瞬間、重装備の大男たちが一斉に弾け飛んだ。
盛りの付いた雄牛のような勢いで、姫が廊下へ飛び出してくる。周囲を見渡し、愛らしい笑みが陰った。
「で、でん」
以前聞いた時には可憐な花のようだった声が、低くしゃがれている。
「でででででででででんかぁ? 殿下、でん、かかかか」
何を探しているのだろう。かたりかたりとぎこちない動きで数歩進んだ姫は、クラウスの姿を認めると目を見開いた。
「わたくしの あいする でんかは どこぉ?」
抜剣。
姫が身を屈めたと思ったら、もう、目の前にいた。
鞘から半分ほど引き抜いた剣の腹で、辛うじて姫の爪を受け止める。
がきぃん、硬質な金属音。手に痺れが走る。
姫の動きが見えない。右、左、ほぼ直感で攻撃を防ぐ。
(一撃っ、が、重いッ!)
受けきれなかった爪が、鼻先を掠める。血の雫が舞う。
「クラウス殿下ッ」
専属騎士が横から、姫に鎧ごと突進した。庇われたクラウスは、よろめいて膝をつく。
小柄な体は簡単に倒れ込んだ。しかしすぐに起き上がり、ふらふらと顔を上げる。
「ででっででで殿下じゃ、ないのぉ?」
騎士たちが一斉に姫を取り囲んだ。クラウスは次の指示を躊躇わなかった。
「仕留めろ!」
突き出された幾本もの槍と剣が、姫の体を貫いた。
「ぎ……っ」
軋んだ声を上げながら、姫は動きを止める。しかし、それはほんの数秒のことだった。
めちゃくちゃに暴れた腕が、突き刺さった武器を振り払う。その傷口から、血は流れない。
姫はそのまま大きく飛び上がり、天井に張り付いた。
「なっ……!」
姫はそのまま、天井伝いに四足で走り出す。どこからか、悲鳴が上がった。人と思えない動きで、姫はあっという間に姿を消してしまう。
「お、追え! 絶対に城から出すな!」
及び腰の兵士が、叫びながら後を追いかけて行った。
クラウスはがくりとその場に座り込む。何が起きたのか、まるで理解が及ばない。
「殿下、ご無事ですか!! 傷の手当てを……!」
「ああ……、問題ない。俺のは掠り傷だ。それより重傷者を優先しろ。姫の状況は逐一報告を」
「はっ」
理解は出来ないが、対処はしなければならない。非常事態だ。城内には非戦闘員も大勢いる。まずは彼らを安全な場所へ避難させなければ。
姫を城から出すことも許されない。すぐ外は王都だ。街にアレを放つ訳にはいかない。
王城への出入りを封鎖し、ありったけの兵力を集め、姫を捕らえて――。その後は。
(どうすれば、あの姫を止められるのだ……?)
四方から刺し貫かれても、ものともしていなかった。人間ではないのだろう。それがいつからのことなのか、クラウスには分からない。
隣国の王女として生まれ、継母であった女に三度殺された姫。アマーリエとは、「復活劇は王子と結婚するための狂言ではないか」と話していた。しかし、あの姿を見た今となっては、三度の蘇りも本当のことではないかと思えてくる。
「クラウス様、発見者のメイドなのですが……」
周囲で動き回っていた騎士の一人が、やや口ごもるようにして声をかけてきた。
クラウスは頭を振って立ち上がる。
「ああ、話を聞きたい」
「……まともに話せる状態ではありません」
騎士の言うことはすぐに理解できた。最初の発見者だと示されたのは、先ほども見た、腕を無くして呆然と座り込んでいるメイドだった。
瞬きもせずに涙を流しながら、「ひめが、でんかの首を、かんで、のんで」とブツブツ呟いている。
「他のメイドもいたのですが、全員が錯乱状態です。ただ、姫が王子を襲っていたのは確かなようで、みなが似たような言葉を口走っています」
「そうか……。兄上は、まだ部屋に?」
クラウスの問いに、騎士はたじろいだ。そして、小さく頷く。
それだけで、良い状態ではないのだと、分かってしまった。
少しだけ震える足で、兄の寝室へ向かう。
そこは血の海だった。扉の周辺を中心に、おびただしい量の血が溜まっている。しかし、奥にあるベッドの周辺は綺麗だった。
まとわりつく鉄の匂いを振り払い、血だまりを踏み越えてクラウスが見たものは。
一切の温度を感じさせない白い肌。血で赤く染まった唇。半分ほどちぎれて、頸椎を剥き出しにしながら、あらぬ方向にぶら下がっている首。
生命の気配をなくし、ただの物になり果てた、兄の体だった。
確かに、手の施しようはなかった。
城全体が大騒ぎだ。国王は最初に避難した。クラウスは自分の意思で残った。
せめて兄の仇を取りたい。性格はお世辞にも良いとは言えない人だったが、それでも兄弟としての絆はあったと思う。
だが、一体どうすればいいのか。姫は何かを探すように城の中を動き回っているらしい。このままでは被害者が増える一方だ。
国王不在の執務室で頭を抱えるクラウスの元へ、アマーリエ付きの侍女がやってきたのは騒動が起きてすぐのことだった。
「アマーリエが城内で消えた!? いや、そもそも何故彼女が城にいるんだ!」
「は、はい。クラウス殿下にお会いするため、朝からこちらへ……。報せは出していたのですが、事件のせいですれ違いになったと聞きました。それで……」
真っ青な顔をした侍女は、震えながらアマーリエに起きた出来事を説明する。
「お嬢様は、事件について知っている情報があるから、殿下に伝えたい、とおっしゃいました。私が代わりに行く、と申し上げたのですが……」
アマーリエの性格は、クラウスもよく知っている。義務は必ず果たそうとする女性だ。情報の正確性のため、自分でクラウスに伝えようとしたのだろう。
「それで、消えたというのは」
「……分からないのです。本城ではなく、クラウス殿下の宮ならばまだ危険は少ないはずと騎士の方にお聞きし、そちらへ向かっておりました。しかし教会の近くを通った時……」
王城の敷地内には、教会が建っている。主に王族が通うための場所だ。
アマーリエはその教会の前で、忽然と姿を消したのだという。
侍女の前を歩いていたアマーリエは、誰かに呼ばれたように「え?」と振り向き……、そのまま。
護衛についた騎士はもちろん、ずっと彼女を見ていたはずの侍女でさえ、アマーリエがどこへ行ったのか分からなかった。
話し終えた侍女は、耐えきれないというように、ぽろぽろと涙を零す。
「お嬢様は一体どちらへ……、何があったのでしょう。今回の事件と、何か関係が……?」
「……分からない。とにかく、人手を出して教会の近くを探させる。君は城から出るんだ。何かあったら、アマーリエに申し訳が立たないからな」
ですが、と言いかけて唇を噛んだ侍女は、きっと自分でアマーリエを探したいのだろう。だが、それが出来ないことは彼女自身がよく分かっている。
そしてきっと、クラウスの気持ちも察してくれたに違いない。
クラウスとアマーリエの婚約が成立したのは、つい先日のことだ。婚約破棄から少し間を置いたのは、あらぬ噂を避けるためだ。あの婚約破棄について、アマーリエに非はない。
元は兄の婚約者であったアマーリエだったが、昔から隣にいたのはクラウスだった。
兄にとってのアマーリエが、ただの幼馴染であり、意に沿わない婚約者でしかないことは、よく知っていた。二人はお互いを嫌ってはいなかったが、夫婦としてやっていけるほどの情も育ってはいなかった。
自分が彼女の隣に立てたら。
そう思ったことは一度や二度ではない。だが、それは決して叶わないはずの夢だった。
だからこそ、アマーリエが正式に婚約者となった時、絶対に彼女を幸せにするのだと誓った。誓ったのだ。
「……アマーリエは必ず見つけ出す」
なんとしても、この手で。
クラウスは愛用の剣を持って立ち上がった。
アマーリエを探さなければならないが、姫の対処も疎かにはできない。報告される姫の近況を聞きながら、クラウスは護衛の騎士と共に城内を移動する。
正面からやり合うことは避け、文官や使用人の避難を優先するように命じてあるが、怪我人は少しずつ増えている。
アマーリエが持っているという情報が、現状を解決する手立てになればいいが。
(そのためにも、一刻も早くアマーリエを)
彼女が情報を握っていて良かった、とクラウスは思う。
そうでなければ、この非常事態に、婚約者だからという理由だけで駆けつけることなどできなかった。クラウスは執務室で、悶々とアマーリエの無事を祈るだけだっただろう。
未だに暴れている姫の現在地を聞き、鉢合わせしないように迂回ルートを取る。奇しくもそれは、今朝惨劇が起こったばかりの、兄の寝室前を通る道だった。
血で真っ赤に染まったままの廊下を、顔をしかめて小走りに駆ける。
ちらりと目をやった寝室には、まだ兄の遺体があるはずだ。
「……早く解決して、兄上を弔って差し上げねば」
王族は城の裏庭に立つ教会、その傍らに作られた墓地に埋葬される。
兄の首に出来た凄惨な傷を隠し、血で汚れた体を綺麗に拭って、棺に納める。そうして、静かに兄を思いたい。
あんな、ぼろぼろに崩れた寝室に放置するのではなくて。
そう、決意を新たに呟いた瞬間だった。
「……くらうす?」
通り過ぎた寝室から、兄の声がした。
「……」
隣にいる騎士が、剣の柄に手をかける。
クラウスは生唾を飲み込み、自身も剣に手を置いた。
だって、そんなはずはないのだから。
「クラ、ウス」
この目で確かに、兄が死んでいる所を、見たのだから。
「……あにうえ」
振り向くと、血に塗れた寝衣を着て、傷一つ無い姿で立つ、兄がいた。
クラウスと目が合うと、兄は穏やかに微笑む。よくよく見知った、兄の笑み。
変わった人だったし、アマーリエに向ける態度に不満を覚えたこともある。でも、あの優しい笑顔で頭を撫でてくれた幼い思い出は、クラウスにとっての宝物だ。
兄はクラウスを抱きしめるように、両腕を広げる。
「クラウ、スすすすすすすすすすす」
微笑みながら、兄は掴みかかってきた。
「おれの おとうと!」
反応が遅れた。
物凄い力で抱きしめられる。辛うじて、剣を鞘ごと持ち上げ、間に挟み込んだ。
背骨がぎしぎしと軋むのに耐えながら、剣で兄の体を必死に押し返す。鍔の向こうで、唇を捲り上げた兄がガチガチと歯を鳴らした。
兄の視線が、クラウスの首筋に注がれている。
(喰われる!!)
騎士がクラウスに絡みつく腕を引き剥がそうと飛びついたが、兄の身震い一つで弾かれる。
それを横目で見て、抵抗する力を更に強めた。
「兄、上! やめてくれッ」
叫んだ瞬間、抱擁する力が緩んだ気がした。
「殿下、お許しをッ」
しゃがれた必死の声と共に、騎士が剣を一閃した。
ごろりと、兄の首が落ちる。
クラウスは力の抜けた兄の体を、ぐいっと押しのけた。崩れ落ちた体は、間違いなく温度を持たない骸でしかない。
荒い息を吐いて、兄の遺体の前に膝をつく。
「どうして……、こんなことに」
姫と同じだった。兄は人ではなくなってしまった。きっとまた蘇って動き出すだろう。
「クラウス様、申し訳ありません!」
護衛騎士が血の付いた剣を取り落とし、床に頭を打ち付けた。
「王族に剣を向けるなど……! 首を落とすなどと!」
「いや……、あれは、仕方が無かった。俺を守るためだった」
そう、もうどうしようもないのだ。
騎士の肩を叩いて立ち上がらせる。
「行こう……。アマーリエを探さなければ」
姫と、そして今となっては王子も。二人をどうにかするために、アマーリエの元に急がなければいけない。
教会は、本城の裏、限られた者しか入れない所にある。王族が祖先や家族を偲ぶための場所だ。
そして今は、隣国の王妃が安置されている場でもある。
王子と姫の結婚式で踊り死んだ王妃は、「既に王家から追放された者」として隣国から引き取りを拒否され、行き場に困って教会に運ばれた。
姫の暗殺を企てたことで罪に問われたらしいが、こちらにその処分を押しつけないで欲しい。
もう勝手に送り返してしまおうか、という冗談めいた話まで出ていたが、城内が落ち着くまでは放置されることになりそうだ。
クラウスがそんなとりとめも無いことを考えているのは、緊張を紛らわせるためである。
アマーリエに何があったにせよ、これもきっと人知の及ばぬものの仕業だろう。護衛の騎士は既に、剣を抜いて周囲を警戒していた。
教会の大扉に手をかけ、クラウスは意識して背を伸ばした。
「……アマーリエ!」
教会の中は、肌が粟立つほどに寒い。クラウスは体を震わせ、白い息を吐きながら首を巡らせた。
「アマーリエ、どこだ!」
彼女は夏の装いをしているはずだ。こんな所にいては体を壊してしまう。
一番奥には王妃の棺がある。その傍にドレス姿の女性が倒れているのを認めて、クラウスは駆け出した。
「アマーリエ!?」
抱き起こしたアマーリエの体は、酷く冷えている。先ほど触れた兄の冷たい体を思い出して、クラウスは喉を引きつらせた。
「だ、駄目だ……。アマーリエ、目を開けてくれ。こっちを見て、」
目を閉じたままの彼女の顔を、震える手で撫でる。揺さぶっても抱きしめても、アマーリエは何も言わない。口から零れる呼吸は、今にも途絶えそうなほどにか細い。揺らす動きに合わせて、頭がぐらぐらと動く。
クラウスの瞳がひび割れる。首をぎちぎちと締め上げられているようで、上手く声が出ない。
はっはっ、と息を喘がせながら、クラウスは冷たい婚約者に頬をすり寄せた。
「頼む、もうこれ以上は……。アマーリエ、いなくならないでくれ……!」
そう、懇願した時だった。
王妃の棺から、ずずず、と引きずるような音がした。
アマーリエを抱えたまま飛びすさる。騎士がすぐに間に入り、剣を棺に向けた。
閉じられているはずの石の棺が、僅かに開いている。誰も触れていないのに。
微かな隙間から、響くような声がする。
『鏡よ、鏡』
それはいつか聞いた隣国の王妃の声に、よく似ていた。
『この世で一番、美しいのは、だあれ?』
問いかけに応える者はない。
クラウスはじり、と足を下げた。
『鏡よ、鏡よ』
王妃はなおも問いかけ続ける。
『この世で一番、美しくなるには、どうすれば?』
ぞわりと寒気が走った。棺の隙間から、青白く痩せ細った手が覗く。
徐々に開いていく、棺の蓋。
王妃が、踊り死んだ王妃の魂が、ここにいる。
『あたくしが、一番美しくなるために』
未練と恨みを込めた声で、しがみついている。
『若く、美しい娘の体を、もらえばいいのね』
一層深い冷気が、棺の中から溢れてきた。
クラウスは薄い上着を脱ぎ、アマーリエの体を包む。何もないよりはマシだ。
シャツ一枚となったクラウスは、がたがたと震えながらも立ち上がった。
王妃が、アマーリエを狙っている。ならばここで引くわけにはいかない。
棺から起き上がった王妃が、こちらをじっと見つめていた。
「隣国の王妃よ」
意識して声を張る。そうしなければ、寒さで口が凍りつきそうだった。
『なにかしら、隣国の王子よ』
「貴女は何故、美しさを求めるのだ」
『美しくないあたくしには、価値が無い』
確かに、死人となった今の王妃でも、その美しさは見て取れる。結婚式で見た彼女も、それはそれは眩い女性だった。
だが、クラウスにはその価値とやらが分からない。
「分からない。そも、美しさとはなんだ」
王妃は首を傾げた。
『美しさとは、絶対的なもの』
「そうだろうか? 兄上は、姫が一番美しいと言っていた」
みるみる間に、王妃の整った顔が釣り上がった。怒りに合わせて、吹き出す冷気が強くなる。
クラウスは腹から声を出した。
「だが! 俺にとってはアマーリエが最も美しい!」
『何を!』
「そう思うのは、俺がアマーリエを愛しているからだ!」
冷気が止まった。
王妃の顔がゆっくりと元に戻る。どこか困惑しているようだった。
『その娘がか』
「そうだ」
『あたくしでも、あの憎き姫でもなく、その娘がこの世で一番美しい、と』
「その通りだ。隣国の王妃よ、」
喉に突き刺さるような冷たい空気を大きく吸い込んで、クラウスは王妃をひたと見据えた。
「貴女の思う美しさは、誰にとってのものか」
『……』
「貴女が、自身を最も美しいと思うのならば、きっとそれが答えなのだろう。そしてその美しさは、アマーリエの体を乗っ取ったとて叶うものなのだろうか」
しばし黙った王妃は、おもむろにどこかを見晴るかすように天を振り仰いだ。
それは、隣国のある方角だ。
青紫の唇が、へいか、と動く。
そして、棺の中から立ち上がった。
白いドレスを着た女が、冷気を引き連れて歩く。扉も窓もない壁に向かい、まっすぐと。
故郷のある方角へと、ピンと伸びた美しい姿勢で、王妃は歩いて行く。
やがて、壁をすり抜けるようにして彼女の姿が消え、教会の中は初夏の温度を取り戻した。
アマーリエを抱いたまま、クラウスは腰を抜かして座り込む。
慌てる騎士に向かって、大丈夫だ、と手を上げていると。
アマーリエが深く息を吐き出した。
「アマーリエ!」
急いで顔を覗き込むと、目を開いたアマーリエがきょとんとしてクラウスを見ている。
「クラウス……? わたし、何が」
「ああ、良かった……!! アマーリエ!」
「どうしたの、クラウス。泣いているの? 大丈夫よ、わたしはここにいるわ」
戸惑いながらも柔らかい声で宥めてくれるアマーリエを、クラウスは再び強く抱きしめる。
その体は、ちゃんと温かかった。
クラウスの宮に移動し、アマーリエと侍女が再会した後。
ベッドに押し込んだアマーリエはやはり困惑していたが、事件に関する情報についてはしっかりと話してくれた。
「我が家の何代か前の先祖に、隣国から嫁いできた女性がいるのを知ってる?」
「いや……。しかし、珍しいことでもないだろう? 隣国とは昔から交流がある」
「その女性は、隣国の王家に連なる家の出身だったの。それで、彼女が子供たちに寝物語として伝えた話に、今回の騒動と似たようなものがあって」
クラウスは息を呑んだ。
姫は隣国の王女だ。そして、同じ血筋の人間が残した情報がある。
「どういう話なんだ」
「……『愛した者を喰らう呪い』」
「愛した、者を……」
襲いかかってきた姫の姿を思い出す。探していた。王子を。
自分が殺したはずの王子を探して、今も暴れ回っている。
そして、同じように蘇った兄は、クラウスを喰らおうとしていた。
「わたしが伝え聞いた話では、元は隣国王家に向けられた呪いだったそうよ。痴情の縺れが原因で。広まった呪いによって、一度は血筋が途絶えかけたのだとか」
「姫が、その呪いにかかっていると?」
「きっと。呪いをかけられた者は、人ではなくなってしまう。愛する者の血肉を喰らい、そうでない者は無差別に殺し回る化け物になる。それだけでなく、呪われた人に喰われた者も同じ呪いにかかるの」
王子は姫に喰い殺された。だから呪われたのだ。
「では、兄上が俺を襲ったのも」
クラウスの呟きを聞いたアマーリエは、ハッとするほど暗い顔をして、「そう、」と呟いた。
「……対処するには、首を落とし、その体を炎によって浄化するしかない。体が残っていると、何度も復活するという話だったから」
「姫が三度蘇ったのも、この呪いのせいか……」
つまり姫は、自分の国にいた時には既に、呪われていたということだ。
どういった経緯で姫が呪われたのかは分からないし、この城に来てから暴れ始めた理由も不明だ。だが、今はそれを気にしている状況でもない。
首を落とし、火にかける。それで倒せる。
「……よし」
やることは決まった。
「伝令を。中庭にありったけの薪を集めろ。現在姫を追跡している兵は、彼女を中庭まで誘導するように。とにかく手練れの者を集めるんだ」
「はっ」
「それから……、兄上も、同じように」
首を落として体を焼くなど、王族の最期としてはあり得ない。
だが、これ以上被害を出すわけにはいかないのだ。
それが王子としてのクラウスの責務であり。弟として、兄のためにできる最後のことだった。
「兄上も、それを望んでいるはずだ。……せめて、眠れるように」
「……御意」
同室で話を聞いていた騎士が、急ぎ足で出て行く。
その背を見送り、アマーリエに視線を戻す。
彼女は、ぽろぽろと涙を流していた。
「……ごめんなさい」
「何がだ?」
「……わたしは、知っていたのに。何もしなかった。何も……」
「アマーリエは何も悪くないだろう。呪いの事なんて……」
違うの、と身を屈め、顔を覆って、アマーリエは嗚咽を漏らす。
「違うのよ、クラウス……。あなたがこんなにも傷つくなら、わたしは……」
うんめいなんて、と泣きじゃくるアマーリエの背を、クラウスは撫で続けた。
多くの犠牲を出しながらも、化け物となった姫と王子は、中庭に誘導された。
二人の首を切り落とす任は、クラウスが担った。
浄化の炎は、長く、長く、燃え続けていた。
「殿下、わたくしね」
「なんだい、姫」
「こんな気持ちになったのは、初めてなの」
「そうかい? 僕は、君を見た瞬間に胸が高鳴って仕方なかったよ」
「ふふ。わたくしは、よく分からなかったの。だけど、殿下になら心から言えるわ」
「あいしているわ、わたくしの王子様」
それは、王子と姫の結婚式から、季節がひとつ終わる頃。
木々の色が濃くなる初夏に交わされた、秘め事。
――昔むかし、あるところに、お妃さまがおりました。
深い雪の頃、窓を開けて外を眺めながら、お妃さまは針を刺します。
一つひとつ、心を込めて、布に針を刺します。
ぷつりと刺してしまった指先から、血が流れて、雪に落ちました。
それを見て、お妃さまは思います。
この雪のように白い肌を持ち、この血のように赤い唇を持ち、この黒檀の窓枠のように黒い髪を持つ、美しい子供が欲しい、と。
(わたくしは、もうあの方にとって、美しくはないから)
お妃さまは、丁寧に刺繍をします。
(あの方の心を奪った憎い女よりも、美しい娘を)
心を込めて、一針ひと針、布を縫います。
(あの方が、あの女よりも愛することになる娘を)
呪いと恨みを込めて、もうすぐ生まれる子供に着せる産着を縫います。
(そしていつかあの方が、愛する者に殺されるように)
昔むかしの、お話です。
前作も含め、読んでいただきありがとうございます!
コメント欄でご要望が多かったため、続きを書きました!
楽しんでいただけると幸いです。
もしよろしければ、他の作品も見ていただけると嬉しいです!