滕文公 上
滕文公 上
滕、文公、為、世子、将、之、楚、過、宋、而、見、孟子。
孟子、道、性善、言、必、称、堯、舜。
世子、自、楚、反、復、見、孟子。
孟子、曰。
「世子、疑、吾言、乎?
夫、道、一、而已、矣。
成覸、謂、斉、景公、曰。
『彼、丈夫、也。
我、丈夫、也。
吾、何、畏、彼、哉?』。
顔淵( = 顔回)、曰。
『舜、何、人、也?
予、何、人、也?
有、為、者、亦、若、是』。
公明儀、曰。
『文王、我師、也。
周公、豈、欺、我、哉?』。
今、滕、絶、長、補、短、将、五十里、也。
猶、可、以、為、善国。
『書』、曰。
『若、薬、不、瞑眩、厥疾、不、瘳』」
滕という国の文公が、世継ぎであった時、楚という国へ行こうとして、宋という国を通り過ぎる際に、孟子 先生に会った。
孟子 先生は、(文公に、)「性善説」、「人には善くなるための種のような性質が有るという説」を話し、堯や舜の話を必ず話して堯や舜をほめた。
世継ぎであった文公は、楚から帰る時に、また、孟子 先生に会った。
孟子 先生は言った。
「世継ぎよ、私、孟子の言葉を疑っているのですか?
真理は唯一なのです。
成覸が斉という国の景公に言いました。
『彼も、独りの男に過ぎない。
私も、独りの男に過ぎない。
私が、どうして、彼を恐れるであろうか? いいえ!』と。
顔回は言いました。
『舜は、どんなに優れていても、人に過ぎないではないか?
私、顔回も、どのような身であっても、人に過ぎないではないか?
為したい志が有る者もまた、この舜のように成れるのである』と。
公明儀が言いました。
『文王は、私にとって師なのである。
周公が、どうしたら、私を欺く事ができるというのか? いいえ!』と。
今、滕という国は、長い部分を切って短い部分に補ってみれば、まさに、ちょうど、五十里、四方くらいです。
善い国とする事が、今でもなお、可能です。
『書経』で言われています。
『薬が、めまい(などの副作用)を引き起こすくらい(強い薬)でなければ、その薬が効く病を治せない物なのである』と」
滕、定公、薨。
世子、謂、然友、曰。
「昔者、孟子、嘗、与、我、言、於、宋。
於、心、終、不、忘。
今、也、不幸、至、於、大故。
吾、欲、使、子、問、於、孟子、然、後、行、事」
然友、之、鄒、問、於、孟子。
孟子、曰。
「不、亦、善、乎?
親、喪、固、所、自、尽、也。
曾子、曰。
『生、事、之、以、礼。
死、葬、之、以、礼。
祭、之、以、礼。
可、謂、孝、矣』。
諸侯之礼、吾、未、之、学、也。
雖、然、吾、嘗、聞、之、矣。
『三年之喪、斉疏之服、飦粥之食、自、天子、達、於、庶人、三代、共、之』」
然友、反命。
定、為、三年之喪。
父兄、百官、皆、不、欲、也。
故、曰。
「吾宗国、魯、先君、莫、之、行。
吾先君、亦、莫、之、行、也。
至、於、子之身、而、反、之、不、可。
且、『志』、曰。
『喪、祭、従、先祖』」
曰。
「吾、有、所、受、之、也」
謂、然友、曰。
「吾、他日、未、嘗、学問。
好、馳、馬、試、剣。
今、也、父兄、百官、不、我、足、也。
恐、其、不能、尽、於、大事。
子、為、我、問、孟子」
然友、復、之、鄒、問、孟子。
孟子、曰。
「然。
不、可、以、他、求、者、也。
孔子、曰。
『君、薨、聴、於、冢宰。
歠、粥、面、深墨、即位、而、哭。
百官、有司、莫、敢、不、哀、先、之、也。
上、有、好、者、下、必、有、甚、焉、者、矣。
君子之徳、風、也。
小人之徳、草、也。
草、尚、之、風、必、偃』。
是、在、世子」
然友、反命。
世子、曰。
「然。
是、誠、在、我」
五月、居、廬、未、有、命戒。
百官、族人、可、謂、曰、「知」。
及、至、葬、四方、来、観、之。
顔色之戚、哭泣之哀、弔、者、大、悦。
滕という国の、(文公の父である)定公が死んだ。
世継ぎである文公が然友に言った。
「昔、かつて、孟子 先生と、私、文公は、宋で話した事が有ります。
(孟子 先生の言葉を)心から、ついに、忘れる事が有りませんでした。
今、不幸にも、父の葬儀をするに至りました。
私、文公は、あなた、然友に、孟子 先生へ(父の葬儀について)質問させて、そうした後で、葬儀を行いたいと欲します」
然友が、鄒へ行って、孟子 先生に質問した。
孟子 先生は言った。
「それはまた、善いではないですか?
親の葬儀は、本より、自ら、尽くす物なのです。
曾子 先生は(孔子 先生の言葉を)言いました。
『(親孝行とは、)父母が生きていれば、礼儀をもって父母に仕えることである。
父母が死んでしまわれたら、礼儀をもって父母を葬ることである。
父母の死後は、礼儀をもって父母を祭ることである。
そうできたら、親孝行と言えます』と。
諸侯における礼儀を、私、孟子は未だ学んだ事が有りません。
それでも、私、孟子は、かつて、このように聞いた事が有ります。
『三年間、喪に服す事と、斉疏という名前の喪服を着る事と、おかゆを食べる事は、天子から庶民までが達している、夏王朝と殷と周王朝の三代の、共通認識なのである』と」
然友が(文公に)結果を報告した。
文公が三年間の喪に服す事を決定した。
文公の父兄と、諸々の役人達が、(三年間の喪に服)したくないと欲した。
そのため、文公の父兄と、諸々の役人達が言った。
「私達の宗主国である魯の先祖代々の君主は、三年間の喪に服しませんでした。
我が国の先祖代々の君主もまた、三年間の喪に服しませんでした。
あなたの身、代に至って、それに反するのは、良くないです。
また、記録書で言われています。
『葬儀と祭儀については先祖に従いなさい』と」
文公が言った。
「私、文公には『三年間の喪に服すべきである』と教えを受けさせてくれた先生がいるのである」
文公が然友に言った。
「私、文公は、今まで、未だかつて学問を学んでこなかった。
(私、文公は、)馬を走らせる事や剣を試みる事を好んできた。
今、私、文公の父兄と、諸々の役人は、『私、文公には知恵が不足している』と思ってしまっている。
(このままでは、)恐らく、父の葬儀という一大事に力を尽くす事ができなく成ってしまいます。
あなた、然友よ、私、文公の為に、(どうしたら良いかを)孟子 先生に質問してきてください」
然友が、また、鄒へ行き、孟子 先生に質問した。
孟子 先生は言った。
「そうですね。
(葬儀の方法は、)他人へ求めるべき物ではないのです。
孔子 先生は言いました。
『君主が死んだら、冢宰を務める最高位の役人の命令を聴いて遂行するだけにします。
(世継ぎは、)おかゆを飲み、顔面の色は憂いに沈み、即位して泣く物なのです。
諸々の役人達も悲しむのは、(世継ぎが)これらの役人達よりも先に悲しんでいるからなのです。
上位者が好んでいる物が有ると、下位者達も必ず、その物をさらに好む事が有ります。
王者の徳、善行、善い言動は風のような物なのです。
矮小な人の徳、力は草のような物なのです。
この草(のような矮小な人の力)に風(のような王者の善い言動)を加えてあげると、草は必ず伏せて(従って)くれるのです』と。
それは、世継ぎである文公次第なのです」
然友が文公に結果を報告した。
世継ぎである文公が言った。
「そうですね。
それは、まことに、私、文公次第なのである」
(文公は、)五か月間、庵にこもって、命令しなかった。
諸々の役人と、血族達は、「(文公が喪に服したのは、)善い」として、「(文公は)知者である」と言った。
文公の父の国葬に至るに及んで、四方から人々が来て観た。
文公が悲しんでいる顔色と、文公が悲しんで泣いた事に、弔問者達は(文公の様子と行動に対して)大いに喜ばしさを感じた。
滕、文公、問、為、国。
孟子、曰。
「民事、不、可、緩、也。
『詩』、云。
『昼、爾、于、茅。
宵、爾、索、綯。
亟、其、乗、屋。
其、始、播、百穀』。
民、之、為、道、也、有、恒、産、者、有、恒、心。
無、恒、産、者、無、恒、心。
苟、無、恒、心、『放辟邪侈』、無、不、為、已。
及、陥、乎、罪、然、後、従、而、刑、之。
是、罔、民、也。
焉、有、仁、人、在位、罔、民、而、可、為、也?
是故、賢君、必、恭倹、礼、下、取、於、民、有、制。
陽虎、曰。
『為、富、不、仁、矣。
為、仁、不、富、矣』。
夏后氏( = 夏王朝)、五十、而、『貢』。
殷、人、七十、而、『助』。
周、人、百畝、而、『徹』。
其、実、皆、什、一、也。
徹、者、徹、也。
助、者、藉、也。
龍子、曰。
『治、地、莫、善、於、助。
莫、不、善、於、貢』。
貢、者、校、数歳之中、以、為、常。
楽歳、粒米、狼戻。
多、取、之、而、不、為、虐、則、寡、取、之。
凶年、糞、其田、而、不足、則、必、取、盈、焉。
為、民、父母、使、民、『盻盻』然、将、終歳、勤、動、不、得、以、養、其父母。
又、『称貸』、而、益、之、使、老、稚、転、乎、溝壑。
悪、在、其、為、民、父母、也?
夫、世、禄、滕、固、行、之、矣。
『詩』、云。
『雨、我公田、遂、及、我私』。
惟、助、為、有、公田。
由此、観、之、雖、周、亦、助、也。
設、為、『庠』、『序』、『学』、『校』、以、教、之。
『庠』、者、養、也。
『校』、者、教、也。
『序』、者、射、也。
夏、曰、『校』。
殷、曰、『序』。
周、曰、『庠』。
学、則、三代、共、之。
皆、所以、明、人倫、也。
人倫、明、於、上、小民、親、於、下。
有、王者、起、必、来、取、法。
是、為、王者、師、也。
『詩』、云。
『周、雖、旧邦、其命、維、新』。
文王之謂、也。
子、力、行、之、亦、以、新、子之国」
使、畢戦、問、井地。
孟子、曰。
「子之君、将、行、仁政、選択、而、使、子。
子、必、勉、之。
夫、仁政、必、自、経界、始。
経界、不正、井地、不均、穀禄、不平。
是故、暴君、汚吏、必、慢、其経界。
経界、既、正、分、田、制、禄、可、坐、而、定、也。
夫、滕、壌地、褊小、将、為、君子、焉、将、為、野人、焉。
無、君子、莫、治、野人。
無、野人、莫、養、君子。
請、野、九、一、而、助。
国中、什、一、使、自、賦。
卿、以下、必、有、圭田。
圭田、五十畝。
余夫、二十五畝。
死、徙、無、出、郷。
郷、田、同、井、出入、相、友、守望、相、助、疾病、相、扶持、則、百姓、親睦。
方、里、而、井。
井、九百畝。
其中、為、公田。
八家、皆、私、百畝、同、養、公田。
公事、畢、然、後、敢、治、私事。
所以、別、野人、也。
此、其大略、也。
若、夫、潤沢、之、則、在、君、与、子、矣」
滕という国の文公が孟子 先生へ国の政治について質問した。
孟子 先生は言った。
「『民事』、『庶民の生活』を導くのを緩めるべきでは、ありません。
『詩経』で言われています。
『昼、あなたは、茅を取りに行きなさい。
夜の宵、あなたは、縄をより合わせなさい。
速やかに、屋根に乗って、屋根を点検して直しなさい。
諸々の穀物の種を播き始めなさい』と。
恒常的に財産が有る者は平常心が有るのが、国民についての道理、真理であるのです。
恒常的に財産が無い者は平常心が無い(場合が多い)のです。
仮に、平常心が無ければ、思うがままに悪事だけを行い見下し思い上がるだけなのです。
こうして、罪に陥るに及ぶと、その後、従って、この罪を犯した国民は処刑されてしまいます。
これでは、国民を死刑に追い込むような物なのです。
どうして、思いやり深い知的な人がいて、王位に在位していて、国民を死刑に追い込む事ができようか? いいえ!
このため、賢明な君主は必ず、他人を恭しく敬って自身は慎み、下位の国民に礼儀をもって接し、国民から税を取り立てるのには税制が有った。
陽虎は言いました。
『富を作ろうとすれば(、私腹を肥やそうとすれば)、思いやりと知恵が無い事に成ってしまいます。
思いやり深い知的な行動を為せば、富を作れない(。私腹を肥やせない)』と。
夏王朝では、五十畝で、『貢』という税制であった。
殷王朝では、七十畝で、『助』という税制であった。
周王朝では、百畝で、『徹』という税制であった。
それらの税は、実は、皆、十分の一でした。
税制の『徹』とは、『取る』という意味の『徹』に由来し、収穫量の十分の一を税として取ります。
税制の『助』とは、『借りる』という意味の『籍』に由来し、国民の助力を借りて公田を農耕してもらい公田の収穫量をそのまま税として取ります。(税制の『助』は一つの公田を八家族分の国民達で分担したので、国民一人当たりの負担は十分の一の税に相当します。)
龍子は言いました。
『土地を統治するのに、税制の助よりも善い税制は無い。
(逆に、)税制の貢よりも善くない税制は無い』と。
税制の『貢』とは、数年間の中央値を調べて、恒常的な数値と見なします。
豊作の年は、米粒が散乱するほど、余裕が有ります。
この豊作の年に多く税を取っても虐政ではないのに、この豊作の年に少なく税を取る事に成ります。
凶作の年には、田に肥料をあげても税よりも不足しているのに、必ず満額の税を取り立ててしまいます。
このため、国民の父母である王に成っても、国民に、『盻盻』然と怨みの目でにらまれるし、年中いつも、勤務、労働しても、自分の父母を養う事ができ得ないようにさせてしまいます。
また、金銭などを国民に貸しても利息を取ってしまうので、国民の税を増やしてしまい、老人や幼子を餓死などで道端で死なせてしまい、死体が道端に転がる羽目に成ってしまいます。
どうして、国民の父母である王に成っていられるでしょうか? いいえ!
ところで、役人の給料の世襲は、滕という国は本から行っています。
さて、『詩経』で言われています。
『私達が担当している公田に(恵みの)雨が降れば、遂に、私達の私田にも及ぶのである』と。
税制の『助』だけに公田が有ると見なせます。
このため、この詩経の詩を観ると、税制が『徹』であったといえども、周王朝もまた、税制の『助』も同時に運用していたのです。
次に、『庠』、『序』、『学』、『校』という学校を設けて造って、国民を教育します。
『庠』とは、『養』、『養老施設 兼 学校』、『学校』という意味です。
『校』とは、『教』、『教育施設』、『学校』という意味です。
『序』とは、『射』、『弓で矢を射る競技場 兼 学校』、『学校』という意味です。
夏王朝では、学校を、『校』と言いました。
殷王朝では、学校を、『序』と言いました。
周王朝では、学校を、『庠』と言いました。
夏王朝、殷、周王朝の三代で共に、高等学問の学校を『学』と言いました。
これらの学校は皆、人の倫理、道理を明らかにするのを目的としていました。
上位者である王から、下位者である国民へ、人の倫理、道理を明らかにすれば、矮小な国民達は親しみ合う事ができます。
王者が立ち上がる事が有れば必ず、学校へ来て、法を取り入れます。
それで、王者は、(人々の教)師であるのです。
『詩経』で言われています。
『周は、古い国といえども、天の神からの任命は、新しいのである』と。
この『詩経』の詩は、文王について言っています。
あなた、文公が、努めて、これらの事を実行すれば、あなた、文公の国へもまた、新たに、天の神からの任命があるはずです」
また、文公が、畢戦に、孟子 先生へ土地の制度について質問させた。
孟子 先生は言った。
「あなた、畢戦の君主である文公は、思いやり深い政治を実行しようとして、あなた、畢戦を使者に選択したのです。
あなた、畢戦は必ず、この土地の制度を勉強していきなさい。
さて、思いやり深い政治は、必ず、土地の境界から始めます。
土地の境界が不正であれば、土地の制度が不均等に成ってしまい、役人の給料も不平等に成ってしまいます。
このため、暴君や、汚職をしている役人は必ず、土地の境界をでたらめにします。
土地の境界が既に正しければ、田を分ける事と、給料を制度化する事は、座ったままでも決定する事が可能です。
さて、滕という国は、土地は狭く小さいですが、王者であろうとする人もいますし、役人ではない在野の人であろうとする人もいます。
王者がいなければ、役人ではない在野の人々を統治できません。
役人ではない在野の人々がいなければ、王者を養う事ができません。
請い願わくば、田畑は、利益の九分の一を税にして、『助』という税制にしてください。
国の都市の中は、利益の十分の一を税にして、自ら納税させてください。
高官以下の役人には必ず祭儀用の神田を所有させてください。
祭儀用の神田は、五十畝にしてください。
役人以外の残りの国民の、祭儀用の神田は、二十五畝にしてください。
(こうすれば、)死者の葬儀でも、引っ越しでも、故郷を出る必要が無く成ります。
一区画の田を『井』の文字の形に九つに分けて、周囲の八つの田を八つの家族に分けて、中央の一つの田を公田として共同で農耕させれば、出入りで相互に助け合えるし、見張りも相互に助け合えるし、病気の時も相互に助け合えるので、全ての人々が親睦を深める事ができます。
一里、四方の田を『井』の文字の形に九つに分けます。
『井』の文字の形に分けた九つの田の合計は、九百畝です。
その『井』の文字の形に分けた九つの田の中央の一つの田は、公田です。
八つの家族は皆、各々、百畝の私田を私有し、公田の世話を共同でします。
公田での仕事が終わった後で、あえて、私田の仕事を統治します。
こうする理由は、役人ではない在野の人々に公私を区別するのを教えるためです。
これらが、その土地の制度についての大まかな概略です。
この土地の制度の大まかな概略を活用するかは、あなた、畢戦の君主である文公と、あなた、畢戦次第です」
有、為、神農之言、者、許行。
自、楚、之、滕、踵、門、而、告、文公、曰。
「遠方之人、聞、君、行、仁政。
願、受、一廛、而、為、氓」
文公、与、之、処。
其徒、数十人、皆、衣、褐、捆、屦、織、席、以、為、食。
陳良之徒、陳相、与、其弟、辛( = 陳辛)、負、耒耜、而、自、宋、之、滕。
曰。
「聞、君、行、聖人之政。
是、亦、聖人、也。
願、為、聖人、氓」
陳相、見、許行、而、大、悦、尽、棄、其学、而、学、焉。
陳相、見、孟子、道、許行之言、曰。
「滕、君、則、誠、賢君、也。
雖、然、未、聞、道、也。
賢者、与、民、並、耕、而、食、饔飧、而、治。
今、也、滕、有、倉廩、府庫。
則、是、厲、民、而、以、自、養、也。
悪、得、賢?」
孟子、曰。「許子( = 許行)、必、種、粟、而、後、食、乎?」
曰。「然」
「許子( = 許行)、必、織、布、而、後、衣、乎?」
曰。「否。許子( = 許行)、衣、褐」
「許子( = 許行)、冠、乎?」
曰。「冠」
曰。「奚、冠?」
曰。「冠、素」
曰。「自、織、之、与?」
曰。「否。以、粟、易、之」
曰。「許子( = 許行)、奚為、不、自、織?」
曰。「害、於、耕」
曰。「許子( = 許行)、以、釜、甑、爨、以、鉄、耕、乎?」
曰。「然」
「自、為、之、与?」
曰。「否。以、粟、易、之」
「以、粟、易、械器、者、不、為、厲、陶、冶、陶、冶、亦、以、其械器、易、粟、者、豈、為、厲、農夫、哉?
且、許子( = 許行)、何、不、為、陶、冶、舎、皆、取、諸、其宮中、而、用、之?
何為、紛紛然、与、百工、交易?
何、許子( = 許行)、之、不、憚、煩?」
曰。
「百工之事、固、不、可、耕、且、為、也」
「然、則、治、天下、独、可、耕、且、為、与?
有、大人之事。
有、小人之事。
且、一人之身、而、百工、之、所、為、備。
如、必、自、為、而、後、用、之、是、率、天下、而、路、也。
故、曰。
『或、労、心。
或、労、力』。
労、心、者、治、人。
労、力、者、治、於、人。
治、於、人、者、食、人。
治、人、者、食、於、人。
天下之通義、也。
当、堯之時、天下、猶、未、平。
洪水、横、流、氾濫、於、天下。
草木、暢茂。
禽獣、繁殖。
五穀、不、登。
禽獣、偪、人。
獣蹄、鳥跡之道、交、於、中国。
堯、独、憂、之、挙、舜、而、敷、治、焉。
舜、使、『益』、掌、火。
『益』、烈、山、沢、而、焚、之、禽獣、逃、匿。
禹、疏、九河( = 黄河)。
瀹、『済( = 済水)』、『漯( = 漯水)』、而、注、諸、海。
決、『汝( = 汝水)』、『漢( = 漢水)』、排、『淮( = 淮水)』、『泗( = 泗水)』、而、注、之、『江( = 長江)』。
然、後、中国、可、得、而、食、也。
当、是時、也、禹、八年、於、外、三、過、其門、而、不、入。
雖、欲、耕、得、乎?
后稷、教、民、稼穡、樹芸、五穀。
五穀、熟、而、民人、育。
人之有道、也、飽食、煖衣、逸居、而、無、教、則、近、於、禽獣。
聖人、有、憂、之、使、『契』、為、司徒、教、以、人倫。
父子、有、親。
君臣、有、義。
夫婦、有、別。
長幼、有、序。
朋友、有、信。
放勲( = 堯)、曰。
『労、之、来、之、匡、之、直、之、輔、之、翼、之、使、自、得、之、又、従、而、振徳、之』。
聖人、之、憂、民、如此。
而、暇、耕、乎?
堯、以、不、得、舜、為、己、憂。
舜、以、不、得、禹、皋陶、為、己、憂。
夫、以、百畝、之、不、易、為、己、憂、者、農夫、也。
分、人、以、財。
謂、之、恵。
教、人、以、善。
謂、之、忠。
為、天下、得、人、者。
謂、之、仁。
是故、以、天下、与、人、易。
為、天下、得、人、難。
孔子、曰。
『大、哉、堯、之、為、君。
惟、天、為、大。
惟、堯、則、之。
蕩蕩乎、民、無、能、名、焉。
君、哉、舜、也。
巍巍乎、有、天下、而、不、与、焉』。
堯、舜、之、治、天下、豈、無、所、用、其心、哉?
亦、不、用、於、耕、耳。
吾、聞、用、夏、変、夷、者。
未、聞、変、於、夷、者、也。
陳良、楚、産、也。
悦、周公、仲尼( = 孔子)之道、北、学、於、中国。
北方之学者、未、能、或、之、先、也。
彼、所謂、豪傑之士、也。
子之兄弟、事、之、数十年。
師、死、而、遂、倍、之。
昔者、孔子、没、三年、之、外、門人、治、任、将、帰、入、揖、於、子貢、相、向、而、哭、皆、失、声、然、後、帰。
子貢、反、築、室、於、場、独、居、三年、然、後、帰。
他日、子夏、子張、子游、以、有若、似、聖人、欲、以、所、事、孔子、事、之、強、曾子。
曾子、曰。
『不可。
江漢、以、濯、之、秋、陽、以、暴、之、皜、皜、乎、不、可、尚、已』。
今、也、南蛮、鴃舌之人、非、先王之道。
子、倍、子之師、而、学、之。
亦、異、於、曾子、矣。
吾、聞、出、於、幽谷、遷、于、喬木、者。
未、聞、下、喬木、而、入、於、幽谷、者。
『魯頌』、曰。
『戎、狄、是、膺。
荊、舒、是、懲』。
周公、方、且、膺、之。
子、是、之、学。
亦、為、不、善、変、矣」
「従、許子( = 許行)之道、則、市、賈、不、二。
国中、無、偽。
雖、使、五尺之童、適、市、莫、之、或、欺。
布、帛、長短、同、則、賈、相、若。
麻縷、糸、絮、軽重、同、則、賈、相、若。
五穀、多寡、同、則、賈、相、若。
屦、大小、同、則、賈、相、若」
曰。
「夫、物、之、不、斉、物之情、也。
或、相、倍、蓰。
或、相、什、百。
或、相、千、万。
子、比、而、同、之、是、乱、天下、也。
巨屦、小屦、同、賈、人、豈、為、之、哉?
従、許子( = 許行)之道、相、率、而、為、偽、者、也。
悪、能、治、国家?」
神農の言説を為しているとかたる者である許行がいた。
許行達は、楚という国から滕という国へ行き、門で文公に言った。
「私、許行は遠方の人で、あなた、文公が思いやり深い政治を行っている、と聞きました。
願わくば、一つの家をもらい受けて、国民に成りたいです」
文公は、この許行達に場所と家を与えた。
その許行の信徒達は数十人いて、皆、粗末な衣服を着て、束ねて靴を造ったり、敷物を織ったりして売って食べ物を買っていた。
また、儒学者である陳良の学徒であった陳相と、その弟である陳辛が、農具を背負って、宋という国から、滕という国へ来ていた。
陳相が文公に言った。
「あなた、文公が聖人の政治を実行している、と聞きました。
文公もまた、聖人なのです。
願わくば、聖人である文公の国民に成りたいです」
陳相は、許行に会って、大いに喜び、儒学を尽く捨てて、許行のかたる教えを学んだ。
陳相が、孟子 先生に会って、許行のかたる言説について言った。
「滕の君主である文公は、まことに、賢明な君主です。
ですが、(文公は、)許行の道理を、未だに聞き入れてくれません。
賢者は、国民と並んで田を耕す事によって毎日の食事を食べ、国家を統治するべきなのです。
今や、滕という国には、米などの穀物の倉や、金銭の倉が有ります。
これは、(文公が、)国民を虐げて、(文公、)自身を養わさせているからなのです。
(文公が、)どうして、賢者であり得ようか? いいえ!」
孟子 先生は言った。「許行 先生とやらは、必ず、穀物の種をまいた後で、その穀物を食べているのか?」
陳相が言った。「そうです」
孟子 先生は言った。「許行 先生とやらは、必ず、麻などによる織物を織った後で、その織物による衣服を着ているのか?」
陳相が言った。「いいえ。許行 先生は粗末な衣服を着ています」
(孟子 先生は言った。)「許行 先生とやらは、冠をかぶっていますか?」
陳相が言った。「冠をかぶっています」
孟子 先生は言った。「どんな冠をかぶっていますか?」
陳相が言った。「白い絹の冠をかぶっています」
孟子 先生は言った。「(許行 先生とやらは、)自ら、その白い絹の冠を織ったのですか?」
陳相が言った。「いいえ。穀物を売って白い絹の冠を買いました」
孟子 先生は言った。「許行 先生とやらは、どうして、自ら織らなかったのですか?」
陳相が言った。「農耕する時間の妨げに成ってしまうからです」
孟子 先生は言った。「許行 先生とやらは、釜や蒸し器で飯を炊き、鉄の農具で田を耕しますか?」
陳相が言った。「そうです」
(孟子 先生は言った。)「(許行 先生とやらは、)自ら、これらの道具を造ったのですか?」
陳相が言った。「いいえ。穀物を売って、これらの道具を買いました」
(孟子 先生は言った。)
「どうして、(許行 先生とやらが)穀物を売って道具を買うのは『陶工や鍛冶師を虐げている』と見なさないのですか? また、どうして、陶工や鍛冶師が道具を売って穀物を買うのは『農業従事者を虐げている』と見なさないのですか?
また、許行 先生とやらは、どうして、自分の家で陶工や鍛冶をしないで、それらを皆、買い取って、自分の家の中で、それらを利用するのであろうか?
どうして、『紛紛然』とゴタゴタ混雑させて、諸々の職人と売買するのであろうか?
どうして、許行 先生とやらは、自分の煩わしさを軽減しようとしないのか?」
陳相が言った。
「諸々の職人の仕事は、本より、農耕と同時にする事が不可能です」
(孟子 先生は言った。)
「そうであるならば、天下を統治する事だけは、農耕と同時にする事が可能というのですか? いいえ!
大いなる人だけができる仕事が有るのです。
矮小な人がするべき仕事が有るのです。
また、一人の身でも、諸々の職人が作ってくれた諸々の道具や諸々の飲食物などを備え持っておく必要が有ります。
もし、必ず、自分が作った後で、それだけを利用するのであれば、天下の人々を率いて路上を奔走するような羽目に成ってしまいます。
そのため、言われています。
『ある者が、心を労する。
別の、ある者が、力を労する』と。
心を労する者が、他人を統治するべきです。
力を労する者が、他人によって統治されるべきです。
他人によって統治される者が、他人を養うべきです(。統治しない分の余裕が有るので)。
他人を統治する者が、他人によって養われるべきです(。統治する分、余裕が無いので)。
これが、天下に共通の正義、道理なのです。
堯の時にあたっては、天下はなお未だ平安ではありませんでした。
天下では洪水が起きて、河が横にも流れ氾濫していました。
(中国の至る所で、)草木が生い茂っていました。
(中国の至る所で、)鳥と獣が繁殖していました。
五穀が実りませんでした。
鳥と獣が人に迫るほどでした。
国の中央で獣道が交わっているほどでした。
堯、独りだけが、これらを心配して、舜を天子という最高位に挙げて、統治を敷かせました。
舜は、益という人に火を司らせました。
益という人は、山や、『沢』、『湿地』の草木を燃やしたので、鳥や獣は逃げて見えなく成った。
禹は、黄河の水が余裕を持って流れるように岸を抉って川幅を広げたりして黄河を通した。
(禹は、)『済水』と『漯水』という川の水が海へ注ぐようにした。
(禹は、水路を掘って、)『汝水』と『漢水』という川の水が水路に分かれるようにしたり、『淮水』と『泗水』という川の水が水路に排水されるようにしたりして、これらの川の水が長江へ注ぐようにした。
そうした後に、国の中央で、食べ物を食べる事ができ得るように成った。
この時にあたって、禹は、(多忙過ぎて、)八年間、家の外に出たままで、三回、家の門を過ぎても家に入る事ができなかった。
これでは、農耕したいと欲しても、でき得るであろうか? いいえ!
后稷は、国民に農業を教育して、五穀の種を植えさせた。
五穀が熟して、国民は成長して長生きできるように成った。
十分な食べ物、暖かい衣服、安楽な暮らしをさせても、教育しなければ、鳥や獣に近い動物的人間に成ってしまって、『有道の人』、『真理にかなう人』に成れない。
聖人である堯は、それを心配して、契という人を教育などを司る長官に成らせて、人の倫理、道理を教育させた。
父と子には、親愛が有るように。
君主と臣下には、正義が有るように。
夫婦には、分別が有るように。
年長者と年少者には、秩序が有るように。
友人間には、誠実さが有るように。
堯は言いました。
『これらの人々をいたわり、正し、直し、助け、自ら会得させて、また、恩恵を与えて賑わす』と。
聖人による人々の心配のし方とは、この堯のようにするのである。
(聖人である王には、)田を耕している暇が有るであろうか? いいえ!
堯は、舜のような正しい知者を獲得できないのを、自分の憂いとしました。
舜は、禹や皋陶のような正しい知者を獲得できないのを、自分の憂いとしました。
さて、百畝の田が平安ではないのを自分の憂いとする者は、農業従事者なのである。
財産を他人と分かち合う。
これを『恵』、『恩恵を与える』と言います。
善を他人に教育する。
これを『忠』、『神や善に忠実である』と言います。
天下の人々の為に正しい優れている人を獲得する者。
この人を『仁』、『思いやり深い知者』と言います。
このため、天下の権力を他人に与えるのは、簡単なのです。
天下の人々の為に正しい優れている人を獲得するのは、困難なのです。
孔子 先生は言いました。
『偉大である、聖王である堯の王としての在り方は。
(堯は、)唯一、天の神だけが大いなる者である、と見なした。
ただ堯は、この天の神を模倣した。
堯の政治は、蕩蕩乎と偉大過ぎて安らか過ぎて、国民は名前をつけて言い表す事ができなかった。
王者である、聖王である舜は。
(舜は、)巍巍乎と偉大に、天下を保持したが、しかし、(各分野を適切な臣下に適切に任せて、各分野に)直接的に関与しなかった』と。
堯、舜が、天下を統治していて、どうして、自分の心を用いないであろうか? いいえ!
また、農耕については、(適切な臣下に適切に任せて、)自分の身を用いなかっただけなのである。
私、孟子は、夏王朝の文明を用いて、未開の外国を変革した者については、聞いた事が有ります。
(私、孟子は、自身を)未開の文明に変えてしまった者については、未だ聞いた事が有りません。
(あなた、陳相が捨てた儒学の師であった)陳良は、楚という国に生まれました。
(陳良は、)周公や孔子の道理を喜び、北上して、中国の中央で学びました。
北方の学者で、この陳良の先に出る事ができる者など未だいないのである。
彼、陳良は、いわゆる、『豪傑の士』、『知恵が優れているし、大胆な、一人前である者』なのである。
あなた達、陳相と陳辛という兄弟は、数十年間、この陳良に仕えました。
しかし、師である陳良が死ぬと、遂には、この陳良に背いてしまいました。
昔、孔子 先生が死ぬと、家族ではない弟子達は、三年間の喪に服してから、帰郷しようとして、子貢の部屋に入って挨拶して、向き合って、泣いて皆、声を枯らしてしまって、その後、帰郷した。
子貢は、孔子 先生の墓場に引き返すと、孔子 先生の墓場に家を築いて、独りで三年間の喪に服して、その後、帰郷した。
後日、子夏と、子張と、子游は、有若が聖人である孔子 先生に似ていたので、孔子 先生に仕える身代わりとして、この有若に仕えたいと欲し、曾子 先生にも強要した。
すると、曾子 先生は言いました。
『できません。
(孔子 先生は、)長江と漢水が洗浄したかのように、秋の太陽にさらしたかのように、純白で、重ねる事ができないばかりなのです』と。
今、南方の野蛮人である、意味不明な野蛮な話をする人である許行は、古代の聖王の道理を非難しています。
あなた、陳相は、あなたの師であった陳良に背いて、こんな許行に学んでしまっています。
また、曾子とも違えています。
私、孟子は、深い谷から高い木へ移っていく(ように低劣さから崇高さへ移っていく)者については、聞いた事が有ります。
(私、孟子は、)高い木を下りて深い谷へ入り込んでしまう(ように崇高さから低劣さへ成り下がっていってしまう)者については、未だ聞いた事が有りません。
『詩経』の『魯頌』で言われています。
『西の未開な野蛮な外国と、北の未開な野蛮な外国を討伐した。
南の、荊という国と、舒という国を懲らしめた』と。
周公も、まさに、これらのような未開な野蛮な国々を討伐しました。
あなた、陳相は、これらのような未開な野蛮な説を学んでいます。
あなた、陳相の変わりようは、『善くない』、『悪い』と思います」
(陳相が言った。)
「許行 先生の道理に従えば、市場の価格を統一できます。
国中で、虚偽が無くなります。
『五尺』、『約百五十センチ メートル』の幼子を市場に行かせても、その幼子を欺く者はいなく成ります。
絹ではない麻なども、絹も、長短が同じであれば、価格は同じに成ります。
麻糸も、絹糸も、綿糸も、重さが同じであれば、価格は同じに成ります。
五穀も、数量が同じであれば、価格は同じに成ります。
靴も、大小が同じであれば、価格は同じに成ります」
孟子 先生は言った。
「物の質が異なるのが、物の事情なのです。
あるいは、質も価格も、二倍や五倍、違います。
あるいは、質も価格も、十倍や百倍、違います。
あるいは、質も価格も、千倍や一万倍、違います。
あなた、陳相が、これらを比べても混同してしまうのは、天下に混乱をもたらしてしまいます。
大きい靴も、小さい靴も、同じ価格であるようならば、人が、どうして、これらの高品質な物を作るであろうか? いいえ!
許行 先生とやらの(誤った)道理に従ってしまえば、(手を抜くために、)相互に率先して虚偽を為し合ってしまう事に成ってしまうでしょう。
これで、どうして国家を統治できるでしょうか? いいえ!」
墨者、夷之、因、徐辟、而、求、見、孟子。
孟子、曰。
「吾、固、願、見、今、吾、尚、病。
病、愈、我、且、往、見。
夷子( = 夷之)、不、来」
他日、又、求、見、孟子。
孟子、曰。
「吾、今、則、可、以、見、矣。
不、直、則、道、不、見。
我、且、直、之。
吾、聞、夷子( = 夷之)、墨者。
墨、之、治、喪、也、以、薄、為、其道、也。
夷子( = 夷之)、思、以、易、天下。
豈、以、為、非、是、而、不、貴、也?
然、而、夷子( = 夷之)、葬、其親、厚。
則、是、以、所、賤、事、親、也」
徐子( = 徐辟)、以、告、夷子( = 夷之)。
夷子( = 夷之)、曰。
「儒者之道、『古之人、若、保、赤子』。
此言、何、謂、也?
之、則、以、為、愛、無、差、等。
施、由、親、始」
徐子( = 徐辟)、以、告、孟子。
孟子、曰。
「夫夷子( = 夷之)、信、以、為、人、之、親、其兄之子、為、若、親、其隣之赤子、乎?
彼、有、取、爾、也。
赤子、匍匐、将、入、井、非、赤子之罪、也。
且、天、之、生、物、也、使、之、一、本。
而、夷子( = 夷之)、二、本、故、也。
蓋、上世、嘗、有、不、葬、其親、者。
其親、死、則、挙、而、委、之、於、壑。
他日、過、之、狐、狸、食、之、蠅、蚋、姑、嘬、之。
其顙、有、泚。
睨、而、不、視。
夫泚、也、非、為、人、泚。
中心、達、於、面目。
蓋、帰、反、虆、梩、而、掩、之。
掩、之、誠、是、也、則、孝子、仁人、之、掩、其親、亦、必、有、道、矣」
徐子( = 徐辟)、以、告、夷子( = 夷之)。
夷子( = 夷之)、憮然、為、間、曰。
「命、之( = 夷之)、矣」
墨者の夷之が、徐辟によって、孟子 先生に会う事を求めた。
孟子 先生は言った。
「私、孟子は、本より、会いたいと願っていましたが、私、孟子は今もなお病気なのです。
病気が治癒したら、私、孟子は会いに行こうと思います。
夷之は来ないでください」
(夷之が、)後日、また、孟子 先生に会う事を求めた。
孟子 先生は言った。
「私、孟子は、今回は、会うのも良いでしょう。
(夷之による誤りを)直さなければ、『道』、『真理』は(世に)現れないであろう。
私、孟子は、まさに、これ(、夷之による誤り)を直そう。
私、孟子は、『夷之は墨者である』と聞いています。
墨者は、葬儀を粗末にするのを、その道理としてしまっています。
夷之は、墨子の説によって、天下の人々を変えよう、と思ってしまっています。
夷之は、葬儀を粗末にするのが正しいとしてしまっていて、尊重してしまっている!
しかし、夷之は、自分の親の葬儀を手厚くした。
これでは、卑賤な方法で、親に仕えてしまって(矛盾して)いる」
徐辟が、孟子 先生の言葉を、夷之に言った。
夷之が言った。
「儒者の道理の言葉によると、『古代人は、赤子を保護するかのようにした』と。
この言葉の真意は、どのような事を言っているのでしょうか?
この言葉の真意は、愛には差が無くて、愛は等しいとしています。
愛を施すのを、親から始めているに過ぎないのです」
徐辟が、夷之の言葉を、孟子 先生に言った。
孟子 先生は言った。
「人は、(血族ではない)隣人の赤子に親愛の情を抱くように、自分の兄の子に親愛の情を抱くと、あの夷之は信じてしまっているのか?
彼、夷之は、(言葉の意味を)取り違えてしまって、そう信じてしまっているのである。
赤子が匍匐前進して井戸に入ってしまおうとしても、赤子の罪ではないのである。
また、天の神は、万物を生じさせているが、これらの万物の根本を唯一にしている。
しかし、夷之は根本を二つ以上の複数にしてしまっている。だから、誤るのである。
考えるに、太古、かつて、自分の親の葬儀をしなかった者がいたのである。
自分の親が死ぬと、持ち上げて運んで、谷に放置して腐敗するのに任せたのである。
後日、その谷を通り過ぎると、狐や狸が、その親の死体を食い散らかし、蠅や蚋が、その親の死体に、しばらくたかって、食っていた。
親の葬儀をしなかった者の額に汗が出た。
親の死体を横目で見て、直視できなかった。
汗が出たのは、他人から、どう思われるかを考えたせいの汗ではなかった。
心中の様子が外見に到達して現れたのである。
多分、親の葬儀をしなかった者は、帰って、土を運ぶ籠によって、(土で、)その親の死体を覆ったであろう。
土で親の死体を覆うのが、まことに、正しいのであれば、親孝行の子や思いやり深い知者が棺で自分の親の死体を覆うのもまた、必ず、道理が有るのである」
徐辟が、孟子 先生の言葉を、夷之に言った。
夷之は、呆然として、応答までの時間を空けてしまってから、言った。
「よくぞ、私、夷之に言ってくださいました」