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孟子  作者: Eliphas1810
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公孫丑 上

 公孫丑 上


 公孫丑、問、曰。

「夫子、当、路、於、斉、管仲、晏子之功、可、復、許、乎?」


 孟子、曰。

「子、誠、斉、人、也。

知、管仲、晏子、而已(のみ)、矣。

或、問、乎、曾西、曰。(曾西は曾子の子だそうです。)

吾子(あなた)()、子路、(どちらが)(まさっている)?』。

曾西、蹴然、曰。

(わが)、先子、()、所、畏、也』。

曰。

『然、(すなわち)吾子(あなた)()、管仲、(どちらが)(まさっている)?』。

曾西、艴然、不、(よろこぶ)、曰。

(なんじ)(どうして)(すなわち)、比、(わたし)、於、管仲?

管仲、得、君、(のように)(あの)(それ)、専、也。

行、乎、国政、(のように)(あの)(それ)、久、也。

功烈、(のように)(あの)(それ)、卑、也。

(なんじ)(どうして)(すなわち)、比、(わたし)、於、(これ)?』

(言ってみれば)、管仲、曾西、()、所、不、(なす)、也。

(しかし)(あなた)(ため)、我、願、(これ)、乎?」


 曰。

「管仲、以、(その)君、覇。

晏子、以、(その)君、顕。

管仲、晏子、(なお)、不足、(なす)()?」


 曰。

「以、斉、王、(ちょうど〜のよう)(かえす)、手、也」


 曰。

(のよう)(この)(すなわち)、弟子之惑、(ますます)、甚。

(かつ)、以、文王之徳、百年、而、後、崩、(なお)、未、(あまねく)、於、天下。

武王、周公、継、(これ)、然、後、大、行。

今、言、王、(のよう)、易。

然、(すなわち)、文王、不足、(のっとる)()?」


 曰。

「文王、何、可、当、也?

(より)、湯、至、於、武丁、賢聖之君、六、七、(なる)

天下、帰、殷、久、矣。

久、(すなわち)、難、変、也。

武丁、朝、諸侯、有、天下、(ちょうど〜のよう)、運、(これ)、掌、也。

紂、()、去、武丁、未、久、也。

(その)、故家、遺俗、流風、善政、(なお)、有、存、(もの)

又、有、微子、微仲、王子 比干、箕子、膠鬲、皆、賢人、也。

相、(ともに)、輔相、(これ)

故、久、而、後、失、(これ)、也。

尺、地、(ない)、非、(その)、有、也。

一、民、(ない)、非、(その)、臣、也。

然、而、文王、(なお)、方、百里、起。

(ここ)、以、難、也。

斉、人、有、言。曰。

(いえども)、有、智慧、不如(しかず)、乗、勢。

(いえども)、有、鎡基(農具)不如(しかず)、待、時』。

今、時、(すなわち)、易、然、也。

夏后、殷、周、()、盛、地、未、有、過、千里、(もの)、也。

而、斉、有、(その)地、矣。

鶏鳴、狗吠、相、聞、而、達、乎、四境。

而、斉、有、(その)民、矣。

地、不、改、(ひらく)、矣。

民、不、改、(あつめる)、矣。

行、仁政、而、王、(ない)(これ)、能、(ふせぐ)、也。

(かつ)、王者、()、不、作、未、有、疏、於、(この)時、(もの)、也。

民、()憔悴(しょうすい)、於、虐政、未、有、甚、於、(この)時、(もの)、也。

饑、(もの)、易、(なす)、食。

渴、(もの)、易、(なす)、飲。

孔子、曰。

『徳之流行、速、(よりも)、置郵、而、伝、命』。

当、今之時、万乗之国、行、仁政、民、()、悦、(これ)(ちょうど〜のよう)、解、倒懸、也。

故、事、半、古之人、功、必、倍、(これ)

(ただ)(この)時、(なす)(しかり)



 公孫丑が孟子 先生に質問して言った。

「孟子 先生は、斉という国の政治の進路を担当すれば、管仲や晏子のような功績を再現できると自認しますか?」


 孟子 先生は言った。

「あなた、公孫丑は、実に、斉の人ですね。

知っているのが管仲と晏子だけとは。

ある人が(曾子の子であると言われている)曾西に質問して言いました。

『あなた、曾西と、子路の、どちらが(まさ)っていますか?』と。

曾西は、蹴然と畏敬して慎んで、言いました。

『(子路は、)私、曾西の亡き父である、曾子が畏敬していた人です(。だから、子路の方が勝っています)』と。

ある人が言いました。

『そうであるならば、あなた、曾西と、管仲の、どちらが(まさ)っていますか?』と。

曾西は、艴然と怒って、不機嫌に成って、言いました。

『あなたは、どうして、私、曾西を、管仲なんかと比較するのですか?

管仲は、君主を得て、あのように、権力を専有しました。

(管仲は、)あのように、長期間、国政を行いました。

しかし、(管仲の)功績は、あのように、卑賤です。

あなたは、どうして、私、曾西を、こんな人(、管仲)と比較するのですか?』と。

言ってみれば、管仲は、曾西が相手にすらしなかった人物です。

それなのに、あなた、公孫丑は、私、孟子に、この管仲の功績の再現なんかを願うのですか?」


 公孫丑が言った。

「管仲は、自分の上司である君主を、諸侯の覇者にさせました。

晏子は、自分の上司である君主の名声を天下に表して(とどろ)かせました。

管仲や晏子ですらなお取るに足りない人物と見なしてしまうのですか?」


 孟子 先生は言った。

「斉という大国によって、(真の)王に成るのは、ちょうど手を返すように簡単です」


 公孫丑が言った。

「そのようであるならば、孟子 先生に教わっている私、公孫丑の困惑は、ますます、ひどいです。

また、文王の徳、善行をもってしても、百年後、崩御するまで(善行を)保持してもなお、(文王の善行は)天下に未だ(あまね)く通じませんでした。

武王と周公が、この文王の善行を継続して、その後、(やっと、天下の人々の間で善行が)大いに行われるように成りました。

今、孟子 先生は、(真の)王に成るのは簡単であるかのように、言いました。

そうであるならば、文王を手本として(のっと)るだけでは(真の王に成るには)不足でしょうか?」


 孟子 先生は言った。

「文王(を手本として則るの)が、どうして(真の王に成るには)不足に当たるであろうか? いいえ!

殷の湯王から武丁に至るまで、賢王や聖王が六、七人いました。

長期間、天下の人々は殷に帰属していました。

長期間の物事であれば、その物事を変えるのは難しいのです。

武丁は、ちょうど手のひらで天下を動かすかのように、諸侯を武丁の朝廷に出仕させて、天下を所有しました。

殷の暴君の紂王の時代は、武丁の時代から去る事、未だ長期間ではありませんでした。

武丁までの、古くから続いている(善い)家、残存している(善い)慣習、後世に残存している先人からの(善い)教え、善政の影響は、なお残存していました。

また、微子、微仲、王子である比干、箕子、膠鬲がいて、皆、賢者でした。

微子、微仲、比干、箕子、膠鬲は、お互いに、共に、この紂王の補佐をしていました。

そのため、長期間、続いた後で、(やっと、)この紂王の権威は喪失したのです。

『一尺』、『約三十センチ メートル』四方の土地でも、殷の所有していない土地は無かったのです。

一人でも、殷の臣民ではない人はいなかったのです。

その上、なお、文王は、百里、四方の小国から立ち上がったのです。

このため、難しかったのです。

斉の人々の、ある名言が有ります。その名言では言われています。

『智慧が有っても、時勢に乗じるのには及ばないのである。

優れた農具が有っても、農耕に適切な時機を待つのには及ばないのである』と。

さて、今という時には、簡単なのです。

夏王朝、殷、周王朝が盛んでしたが、千里、四方を超過する(大国の広大な)土地の王であった者は未だいません。

しかし、斉という国は、その(千里、四方の大国の広大な)土地を所有しています。

(夏王朝、殷、周王朝は、比較的に富裕層の人口が多かったので、鶏や犬の数も多かったため、)鶏の鳴き声と犬の吠える声が、どちらも聞こえて、四方の国境にまで到達するほどでした。

さて、斉という国も、そのように多数の国民がいます。

(斉という国は、)土地を改めて開拓する必要が有りません。

(斉という国は、)人を改めて集める必要が有りません。

(斉という国の君主は、)思いやり深い政治を行って、(真の)王と成るのに、それを妨害可能なものは無いのです。

また、真の王者の不在は、(今の、)この時よりも、間が()いている事は未だ無いほどなのです。

虐政によって人々が憔悴しているのが、(今の、)この時よりも、ひどい事は未だ無いほどなのです。

飢えた者は、(食べ物を選り好みしないで、)簡単な食べ物を食べます。

のどが渇いた者は、(飲み物を選り好みしないで、)簡単な飲み物を飲みます。

孔子 先生は言いました。

『徳、善行の流行は、馬を乗り換えていって命令を伝えるよりも速いのである』と。

まさに、今の、この時、一万台の戦車がある大国で、思いやり深い政治を行えば、ちょうど逆さに吊られた人の縄が解かれたかのように、人々は喜ぶでしょう。

そのため、古代の聖人の半分の善い事を(おこな)っても、効果は必ず、その倍に成るでしょう。

ただ、今の、この時を、そのような時であると見なすばかりなのです」





 公孫丑、問、曰。

「夫子、加、斉之卿相、得、行、道、焉、(いえども)(より)(これ)、覇、王、不、(あやしむ)、矣。

(のよう)(この)(すなわち)、動、心? (いな)、乎?」


 孟子、曰。

「否。

我、四十、不、動、心」


 曰。

(のよう)(この)(すなわち)、夫子、過、孟賁、遠、矣」


 曰。

(これ)、不、難。

告子、先、(われ)、不、動、心」


 曰。

「不、動、心、有、道、乎?」


 曰。

「有。

北宮黝、()、養、勇、也、不、膚、(たわませる)、不、目、逃。

思、以、一毫(一つの毛)(おる)、於、人、(のように)(むちうつ)(これ)、於、市、朝。

不、受、於、褐寛博。

(また)、不、受、於、万乗之君。

視、刺、万乗之君、(のように)、刺、褐夫。

(ない)、厳、諸侯。

悪声、至、必、(かえす)(これ)

孟施舎、()、所、養、勇、也、曰。

『視、不、勝、(ちょうど〜のよう)、勝、也。

(はかる)、敵、而、後、進、慮、勝、而、後、会、(これ)、畏、三軍(大軍)(もの)、也。

舎( = 孟施舎)、(どうして)、能、(なす)、必勝、哉?

能、(ない)(おそれる)而已(のみ)、矣』。

孟施舎、似、曾子。

北宮黝、似、子夏。

(その)二子之勇、未、知、(その)(どちらが)(まさっている)

然、而、孟施舎、守、(簡単である)、也。

昔者(むかし)、曾子、謂、子襄、曰。

『子、好、勇、乎?

(われ)(かつて)、聞、大、勇、於、夫子( = 孔子)、矣。

(みずから)、反、而、不、()(いえども)、褐寛博、(われ)、不、(おそれる)、焉。

(みずから)、反、而、()(いえども)、千万人、吾、(いく)、矣』。

孟施舎、()、守、気、(また)不如(しかず)、曾子、()、守、(簡単である)、也」


 曰。

「敢、問。

夫子、()、不、動、心、()、告子、()、不、動、心、可、得、聞、()?」


「告子、曰。

『不、得、於、言、(なかれ)、求、於、心。

不、得、於、心、(なかれ)、求、於、気』。

不、得、於、心、(なかれ)、求、於、気、可。

不、得、於、言、(なかれ)、求、於、心、不、可。

(それ)、志、気之帥、也。

気、体、()、充、也。

(それ)、志、至、焉、気、(つづく)、焉。

故、曰。

『持、(その)志、(なかれ)、暴、(その)気』」


「既、曰。

『志、至、焉、気、(つづく)、焉』。

又、曰。

『持、(その)志、(なかれ)、暴、(その)気』。

(とは)(どうして)、也?」


 曰。

「志、一、(すなわち)、動、気。

気、一、(すなわち)、動、志、也。

今、(それ)(つまずく)(もの)(はしる)()(これ)、気、也。

而、(かえる)、動、(その)心」


「敢、問。

夫子、(なに)、乎、長?」


 曰。

「我、知、言。

我、(よく)、養、(わが)、浩然之気」


「敢、問。

何、謂、『浩然之気』?」


 曰。

「難、言、也。

(その)(なる)、気、也、至大、至剛、以、直、養、而、無、害、(すなわち)、塞、于、天地之間。

(その)(なる)、気、也、配、義、()、道。

(ない)(これ)(うえる)、也。

(これ)、集義、所、(しょうじる)(もの)、非、義、襲、而、取、(これ)、也。

行、有、不、(満足する)、於、心、(すなわち)(うえる)、矣。

(われ)、故、曰。

『告子、未、(かつて)、知、義』。

以、(その)、外、(これ)、也。

必、有、事、焉。

而、(なかれ)(しようとする)

心、(なかれ)、忘。

(なかれ)、助長、也。

(なかれ)(のように)、宋、人、然。

宋、人、有、(心配する)(その)苗、()、不、長、而、(ぬく)(これ)(もの)

芒芒然、帰、謂、(その)人、曰。

『今日、病、矣。

(われ)、助、苗、長、矣』。

(その)子、(はしる)、而、(いく)、視、(これ)、苗、(すなわち)(かれる)、矣。

天下、()、不、助、苗、長、(もの)(すくない)、矣。

以、(なす)、無益、而、(すておく)(これ)(もの)、不、(雑草を除草する)、苗、(もの)、也。

助、(これ)、長、(もの)(ぬく)、苗、(もの)、也。

非、(いたずらに)、無益、而、(また)、害、(これ)


「何、謂、『知、言』?」


 曰。

詖辞(偏った正しくない言葉)、知、(その)、所、蔽。

淫辞(道理から外れた言葉)、知、(その)、所、(おちいる)

邪辞、知、(その)、所、離。

遁辞(責任逃れの言葉)、知、(その)、所、窮。

生、於、(その)心、害、於、(その)政。

発、於、(その)政、害、於、(その)事。

聖人、(また)、起、必、従、(わが)言、矣」


「宰我、子貢、(よく)(なす)、説辞。

冉牛( = 冉伯牛)、閔子( = 閔子騫)、顔淵( = 顔回)、(よく)、言、徳行。

孔子、(かねあわせる)(これ)、曰。

(われ)、於、辞命、(すなわち)、不、能、也』。

然、(すなわち)、夫子( = 孟子)、既、聖、矣、乎?」


 曰。

(ああっ)(これ)、何、言、也?

昔者(むかし)、子貢、問、於、孔子、曰。

『夫子、聖、矣、乎?』。

孔子、曰。

『聖、(すなわち)(われ)、不、能。

(われ)、学、不、(あきる)

而、教、不、(あきる)、也』。

子貢、曰。

『学、不、(あきる)、智、也。

教、不、(あきる)、仁、也。

仁、(かつ)、智。

夫子、既、聖、矣』。

(それ)、聖、孔子、不、居。

(これ)、何、言、也?」


昔者(むかし)(ひそかに)、聞、(これ)

子夏、子游、子張、皆、有、聖人之一体。

冉牛( = 冉伯牛)、閔子( = 閔子騫)、顔淵( = 顔回)、(すなわち)(そなえている)、体、而、微。

敢、問、所、安」


 曰。

(しばらく)(おく)(これ)


 曰。

「伯夷、伊尹、何如(どうですか)?」


 曰。

「不、同、道。

非、(その)君、不、(つかえる)

非、(その)民、不、使(つかう)

治、(すなわち)、進。

乱、(すなわち)、退。

伯夷、也。

何、(つかえる)、非、君?

何、使(つかう)、非、民?

治、(また)、進。

乱、(また)、進。

伊尹、也。

可、以、(つかえる)(すなわち)(つかえる)

可、以、止、(すなわち)、止。

可、以、久、(すなわち)、久。

可、以、速、(すなわち)、速。

孔子、也。

皆、古、聖人、也。

吾、未、能、有、行、焉。

乃、所、願、(すなわち)、学、孔子、也」


「伯夷、伊尹、於、孔子、(のよう)(この)、班、乎?」


 曰。

「否。

自、有、生民(人々)、以来、未、有、孔子、也」


「然、(すなわち)、有、同、()?」


 曰。

「有。

得、百里之地、而、君、(これ)、皆、能、以、朝、諸侯、有、天下。

行、一、不義、殺、一、不辜、而、得、天下、皆、不、(なす)、也。

(これ)(すなわち)、同」


 曰。

「敢、問、(その)、所以、異」


 曰。

「宰我、子貢、有若、智、(たりる)、以、知、聖人。

()、不、至、(へつらう)(その)、所、好。

宰我、曰。

『以、予、観、於、夫子、(まさっている)(よりも)、堯、舜、遠、矣』。

子貢、曰。

(みる)(その)礼、而、知、(その)政。

聞、(その)(おんがく)、而、知、(その)徳。

(より)、百世之後、(順位)、百世之王、(ない)(これ)、能、違、也。

(より)生民(人々)、以来、未、有、夫子( = 孔子)、也』。

有若、曰。

(どうして)(ただ)、民、哉?

麒麟、()、於、走獣、鳳凰、()、於、飛鳥、太山( = 泰山)、()、於、丘、(蟻塚)、河( = 黄河)、海( = 渤海)、()、於、行潦(水たまり)、類、也。

聖人、()、於、民、(また)、類、也。

出、(より)(その)類、抜、乎、(その)(あつまり)

(より)生民(人々)、以来、未、有、盛、(よりも)、孔子、也』」



 公孫丑が孟子 先生に質問して言った。

「孟子 先生が斉という国の政治を担当する高官に加わって、『道』、『真理』を行う事ができ得れば、それにより、斉という国を覇者や、(真の)王に成らせても、不思議ではありません。

(孟子 先生は、)このようであれば、心を動かしますか? 否か?」


 孟子 先生は言った。

「いいえ(。私、孟子は心を動かしません)。

私、孟子は四十歳で心を動かさなく成りました」


 公孫丑が言った。

「そのようであれば、(心を動かさないのであれば、)孟子 先生は孟賁を遥かに遠く超越している事に成ります」


 孟子 先生は言った。

「これ(、心を動かさない事)は難しくはありません。

(例えば、)告子は、私、孟子よりも先に心を動かさなく成りました」


 公孫丑が言った。

「心を動かさなく成れる方法が有るのですか?」


 孟子 先生は言った。

「有ります。

北宮黝の勇気を養う方法は、皮膚を(たわ)ませない動かさないし、目を()らさない動かさないのです。

また、他人に一つの毛でも手折(たお)られたら、市場や朝廷で(ムチ)を打たれたかのように思うのです。

粗末な緩い衣服を着た卑賤な者から侮辱を受ける事を許さないのです。

また、一万台の戦車がある大国の君主からも侮辱を受ける事を許さないのです。

一万台の戦車がある大国の君主を(武器で)刺しても、粗末な衣服を着た卑賤な者を(武器で)刺したかのように見なすのです。

諸侯に対しても厳かに心身を引き締めて慎もうと思わないのです。

悪口を言われて来たら、必ず、その仕返しをするのです。

孟施舎は、勇気を養う方法について、言いました。

『勝てない相手でも、勝てるかのように見なすのです。

敵の力を(はか)った後に進軍したり、勝てる策略を熟慮した後に会戦したりするのは、大軍を恐れてしまう者どもなのです。

私、孟施舎が、どうして必勝できるでしょうか? いいえ! 必勝できない!

ただ、よく恐れないだけなのです』と。

孟施舎の勇気を養う方法は、曾子の勇気を養う方法に似ています。

北宮黝の勇気を養う方法は、子夏の勇気を養う方法に似ています。

それら(孟施舎と北宮黝)の二者の勇気を養う方法の、どちらが(まさ)っているのか? は未だ分かりません。

しかし、孟施舎の勇気を守る方法は簡単です。

昔、曾子は子襄に言いました。

『あなた、子襄は勇気を好むのですか?

私、曾子は、かつて、大いなる勇気について、孔子 先生から聞いた事が有ります。

自ら反省すると正しくないのであれば、粗末な緩い衣服を着た卑賤な者が相手でも、恐れて、勇気が無く成ってしまいます。

自ら反省しても正しいのであれば、千万人が相手でも、立ち向かって行く事ができる(、と聞きました)』と。

そのため、孟施舎の勇気を守る方法もまた、(孔子 先生と)曾子の(大いなる)勇気を守る方法の簡単さには及びません」


 公孫丑が言った。

「あえて質問します。

孟子 先生の心を動かさない方法と、告子の心を動かさない方法について、聞く事ができ得ますか?」


「告子は言いました。

『ある言葉を会得、理解できない時に、心で(無理矢理、)会得、理解しようと求めるなかれ。

心で会得、理解できない時に、気持ちで(無理矢理、)会得、理解しようと求めるなかれ』と。

『心で会得、理解できない時に、気持ちで(無理矢理、)会得、理解しようと求めるなかれ』と言うのは善い。

『ある言葉を会得、理解できない時に、心で(無理矢理、)会得、理解しようと求めるなかれ』と言うのは善くない。

志、意思は気持ち、気分、気を(ひき)いるのです。

気持ち、気分、気は肉体に充満します。

志、意思が至っている所に、気持ち、気分、気も続くのです。

そのため、次のように、言われています。

『その(善い)志、意思を保持して、その(志、意思による)気持ち、気分、気を乱すなかれ』と」


 (公孫丑が言った。)

「今、孟子 先生は言いました。

『志、意思が至っている所に、気持ち、気分、気も続くのです』と。

しかし、また、孟子 先生は言いました。

『その志、意思を保持して、その志、意思による気持ち、気分、気を乱すなかれ』と。

(『志、意思が至っている所に、気持ち、気分、気も続く』はずなのに、)『その志、意思を保持して、その志、意思による気持ち、気分、気を乱すなかれ』とは、どうしてなのでしょうか?」


 孟子 先生は言った。

「志、意思を統一すれば、気持ち、気分、気を動かせるのです。

気持ち、気分、気を統一すれば、志、意思を動かせるのです。

例えば、今、つまずいている者が、走っていたのは、気持ち、気分、気によるのです(。志、意思による気持ち、気分、気によって肉体を動かして走っていたのです)。

しかし、(つまずくと、)かえって、逆に、その心を動かしてしまいます(。肉体の失敗に気持ち、気分、気が動転して、志、意思を動転させて、心を動転させてしまうのです)」


 公孫丑が言った。

「あえて質問します。

孟子 先生は何を成長させていますか? (勇気を成長させていますか?)」


 孟子 先生は言った。

「私、孟子は言葉についての知恵を成長させています。

また、私、孟子は、善く『浩然の気』、『水が広大に満ちているような気』を養っています」


 (公孫丑が言った。)

「あえて質問します。

どのような物を『水が広大に満ちているような気』と言っているのですか?」


 孟子 先生は言った。

「言い表すのが難しいですが。

その『水が広大に満ちているような気』は、最大、最強、(意思に)正直(に従い)、損なわずに養えば、天地の間に充塞、充満します。

その『水が広大に満ちているような気』は、正義と、『道』、『真理』に分配されています。

正義や真理が無ければ、枯れてしまいます。

これ(、『水が広大に満ちているような気』)は、正しい行動をして徳を積んで集めると、生じるものであり、正義(や真理)が、これ(、『水が広大に満ちているような気』)を奪い取って来る訳ではないのです。

(悪い)行動をして心において満足できなければ、(『水が広大に満ちているような気』は)枯れてしまいます。

そのため、私、孟子は言っているのです。

『告子は、未だかつて、正義について知っていない』と。

告子の言葉が、正義について、的外れだからなのです。

(正義は、)必ず一大事とする必要が有ります。

しかし、(いつまでも)意識して(正義を)行おうとするなかれ。

(正義を)心に忘れるなかれ。

(正義への、心の)成長を(誤った方法で)助けようとするなかれ。

宋の、ある人が、次のようにしたように、するなかれ。

宋の人に、自分の苗が成長しないのを心配して、自分の苗を抜いてしまった者がいた。

その人は、芒芒然と疲れて帰って、自分の家の人に言った。

『今日は疲れた。

私は、苗の成長を助けた』と。

その人の子が走って行って、その苗を見てみると、その苗は枯れてしまっていた。

(実は、)天下の人々のうち、苗の成長を(誤った方法で)助けようとしない者は少数なのである。

(正義を)無益と見なしてしまって、この正義を捨て置いてしまう者は、苗の周囲の雑草を除草しない者のような者なのである。

この正義への心の成長を(誤った方法で)助けようとする者は、苗を抜こうとする者のような者なのである。

(正義への心の成長を誤った方法で助けようとするのは、)いたずらに無駄にする、無益である、だけではなく、また、この正義への心を損なってしまうのです」


 (公孫丑が言った。)

「どのような物を『言葉についての知恵』と言っているのですか?」


 孟子 先生は言った。

「偏った正しくない言葉によって、それを言った人が隠蔽している所を知る事ができます。

道理から外れた言葉によって、それを言った人が陥っている所を知る事ができます。

邪悪な言葉によって、それを言った人が正義から離れている所を知る事ができます。

言い逃れの言葉によって、それを言った人が困窮している所を知る事ができます。

(これらの悪い言葉が、)ある人の心に発生してしまったら、その人の政治を損なってしまいます。

損害が、その人の政治に発生してしまったら、その人の事物を損なってしまいます。

聖人が再来したら、必ず、私、孟子の言葉に賛同してくれるでしょう」


 (公孫丑が言った。)

「宰我、子貢は、善く、雄弁に優れていた、とされています。

冉伯牛、閔子騫、顔回は、善く、徳行、善行に優れていた、と言われています。

孔子 先生は、これらを兼ね合わせていながら、言いました。

『私、孔子は、雄弁、言葉については、才能が無い』と。

そうであるならば、孟子 先生は既に聖人に成っているのですか?」


 孟子 先生は言った。

「ああっ、(公孫丑は、)何を言っているのですか?

昔、子貢が孔子 先生に質問して言いました。

『孔子 先生は聖人なのですか?』と。

孔子 先生は言いました。

『私、孔子は聖人では、あり得ない。

私、孔子は(真理を)学んで飽きない(だけな)のである。

そして、(真理を)教えて飽きない(だけな)のである』と。

子貢は言いました。

『(真理を)学んで飽きないのは、智者である。

(真理を)教えて飽きないのは、仁者、思いやり深い知者である。

(孔子 先生は、)思いやり深い者、かつ、知者である。

孔子 先生は、既に聖人なのである』と。

孔子 先生ですら聖人と名乗らなかったのです。

(公孫丑は、)何を言っているのですか?」


 (公孫丑が言った。)

「昔、(ひそ)かに、このように、聞きました。

子夏、子游、子張は皆、聖人の一部を備えていた。

冉伯牛、閔子騫、顔回は、聖人の全体を備えていたが、(かす)かにであった。

孟子 先生が安んじている境地、段階をあえて質問します」


 孟子 先生は言った。

「しばらく、そのような話は横に置きなさい」


 公孫丑が言った。

「伯夷と、伊尹は、どうなのでしょうか?」


 孟子 先生は言った。

「生き方が違います。

(正しい)君主でなければ、仕えない。

(正しい)国民でなければ、使役しない。

(正しく)国が統治されていれば、進んで国に仕える。

国が乱れていれば、国の役人を辞退する。

こうしたのが、伯夷なのです。

どんな人にでも、君主として、仕える!

どんな人でも、国民として、使役する!

(正しく)国が統治されていてもまた、進んで国に仕える。

国が乱れていてもまた、進んで国に仕える。

こうしたのが、伊尹なのです。

国に仕えるべき時に、国に仕える。

役人をやめるべき時に、役人をやめる。

長期間するべき時は、長期間する。

速やかに、やめるべき時は、速やかに、やめる。

こうしたのが、孔子 先生なのです。

伯夷、伊尹、孔子 先生は皆、古代の聖人です。

私、孟子には、行う事ができた事が未だ有りません。

(私、孟子は、)願わくば、孔子 先生の生き方を学びたいです」


 公孫丑が言った。

「伯夷と、伊尹と、孔子 先生は、そのように、同じく(聖人に)分類できるのですか?」


 孟子 先生は言った。

「いいえ。

(中国)人が存在して以来、孔子 先生のような人は未だいないのです」


 公孫丑が言った。

「そうであるならば、伯夷と、伊尹と、孔子 先生には、(聖人として)同じ部分が有るのですか?」


 孟子 先生は言った。

「有ります。

百里、四方の土地を得れば、その土地の君主に成る事ができて、皆、諸侯を自分の朝廷に出仕させる事ができて、天下を所有できます。

一つでも不義な悪い事を(おこな)ったり、一人でも無罪の人を殺したりして、天下を得る事を、皆、しません。

これらが、(伯夷と、伊尹と、孔子 先生の、聖人としての)同じ部分です」


 公孫丑が言った。

「孔子 先生が、伯夷や伊尹とは異なる理由をあえて質問します」


 孟子 先生は言った。

「宰我、子貢、有若には、聖人を知るに足りる智慧が有りました。

(宰我、子貢、有若は、)好きな人に、へつらうに至るような恥ずかしい人達ではない。

宰我は言いました。

『私、宰我が孔子 先生を観察した所では、(孔子 先生は、)堯、舜よりも遥かに遠く(まさ)っている』と。

子貢は言いました。

『ある人の礼儀を見れば、その人の政治を知る事ができる。

ある人の音楽を聞けば、その人の徳、善行を知る事ができる。

百代後に成ってから、百代の代々の王達に順位をつけても、それが間違っている可能性は無いだろう。

(中国)人が存在して以来、孔子 先生のような人は未だいないのです』と。

有若は言いました。

『どうして、(中国)人だけであろうか? いいえ!

麒麟と地を走る獣達、鳳凰と空を飛ぶ鳥達、泰山と丘や蟻塚、黄河や渤海と水たまりは、同類です。

聖人と人々もまた同類です。

しかし、麒麟、鳳凰、泰山、黄河と渤海、聖人は、同類より出て来ていますが、抜群のもの達なのです。

(中国)人が存在して以来、孔子 先生よりも知恵や善行が盛んな人は未だいないのです』と」





 孟子、曰。

「以、力、(かりる)、仁、(もの)、覇。

覇、必、有、大国。

以、徳、行、仁、(もの)、王。

王、不、待、大。

湯、以、七十里。

文王、以、百里。

以、力、服、人、(もの)、非、心服、也。力、不贍(不足)、也。

以、徳、服、人、(もの)、中心、(よろこぶ)、而、(まことに)、服、也。

(のよう)、七十子、()、服、孔子、也。

『詩』、云。

(より)、西。

(より)、東。

(より)、南。

(より)、北。

(ない)、思、不、服』。

(これ)(これ)、謂、也」



 孟子 先生は言った。

「暴力があって、思いやりの力を借りる者は、覇者です。

覇者は必ず、大国を所有している必要が有ります。

『徳』、『善行』があって、思いやりを実行する者は、真の王です。

真の王は、大国の所有を待ち望む必要が無いのです。

殷の湯王は、七十里、四方の小国で、天下を統治しました。

周の文王は、百里、四方の小国で、天下を統治しました。

暴力によって人々を服従させた者に対して、(人々は、)心から服従している訳ではないのです。(人々には、)暴力が不足しているだけなのです。

『徳』、『善行』によって人々を服従させた者に対して、(人々は、)全身全霊で喜んで、まことに服従するのです。

七十人の弟子達が、孔子 先生に心服したように。

『詩経』で言われています。

『西からも人々が来た。

東からも人々が来た。

南からも人々が来た。

北からも人々が来た。

(武王に)心服しない人はいなかった』と。

この詩の意味は、このような事を言っているのです」





 孟子、曰。

「仁、(すなわち)、栄。

不、仁、(すなわち)、辱。

今、(ぞうおする)、辱、而、居、不、仁、(これ)(ちょうど〜のよう)(ぞうおする)、湿、而、居、下、也。

(もし)(ぞうおする)(これ)莫如(しかず)、貴、徳、而、尊、士。

賢者、在、位、能者、在、職、国家、閑暇。

(およぶ)(この)時、明、(その)政、刑、(いえども)、大国、必、畏、(これ)、矣。

『詩』、云。

(およぶ)、天、()、未、陰雨、徹、(かの)桑土、綢繆(塞ぐ)(まど)、戸。

今、(この)下民、(ある)、敢、侮、(わたし)?』。

孔子、曰。

(つくる)(この)詩、(もの)(それ)、知、道、乎』。

能、治、(その)国家、誰、敢、侮、(これ)

今、国家、閑暇、(およぶ)(この)時、般楽怠敖、(これ)(みずから)、求、(わざわい)、也。

(わざわい)、福、(いない)、不、(よりも)、己、求、(これ)(もの)

『詩』、云。

『永、言、配、命、(みずから)、求、多福』。

『太甲』、曰。

『天、(つくる)(わざわい)(なお)、可、違。

(みずから)(つくる)(わざわい)、不、可、活』。

(これ)(これ)、謂、也」



 孟子 先生は言った。

「思いやり深ければ、栄えます。

思いやりが無ければ、辱められます。

今、恥辱を憎悪しても、思いやりの無さに停滞しているのは、ちょうど湿気を憎悪しても低い場所に留まっているような物なのである。

もし、この恥辱を憎悪するならば、『徳』、『善行』を重んじて『士』、『一人前である人達』を尊敬する方法に及ぶ他の方法は無いのである。

賢者が上位に在位していて、有能な者が適切な職務についていれば、国家には余裕ができるのである。

そのような時に及んで、その国家の政治と刑法を明確にすれば、大国といえども必ず、その国家を畏敬するであろう。

『詩経』で言われています。

『天空が曇って雨が降るのに未だ及ばないうちに、徹底的に、(用意周到に、)あの鳥達は桑の根で巣穴を塞いだ。

今、この下の人々のうち、私、鳥たちをあえて(あなど)る人はいるであろうか? いいえ! いない!』と。

孔子 先生は言った。

『この詩を作った者は、道理を知っている』と。

自分の国家をよく統治していれば、誰が、あえて、それを(あなど)るであろうか? いいえ!

今、国家に余裕があるからといって、その時に及んで、快楽にふけって怠けて遊んでしまうのは、災いを求めるような物なのである。

災いや幸福は、自ら求めてしまう物なのである。

『詩経』で言われています。

『長く、天からの神の命令(である正義)に従って、自ら、多くの幸福を求めたのである』と。

『書経』の『太甲』で言われています。

『天の神による運命による災いは、なお、変える事ができる。

しかし、自ら作ってしまった災いは、動かす事はできない(。自ら作ってしまった災いは、変える事はできない)』と。

これらの詩や言葉の意味は、このような事を言っているのである」





 孟子、曰。

「尊、賢、使(つかう)、能、俊傑、在、位、(すなわち)、天下之士、皆、(よろこぶ)、而、願、立、於、(その)朝、矣。

市廛、而、不、征、法、而、不、廛、(すなわち)、天下之商、皆、(よろこぶ)、而、願、蔵、於、(その)市、矣。

関、譏、而、不、征、(すなわち)、天下之旅、皆、(よろこぶ)、而、願、出、於、(その)路、矣。

耕、(もの)、『助( = 助法)』、而、不、税、(すなわち)、天下之農、皆、(よろこぶ)、而、願、耕、於、(その)野、矣。

(住居)、無、夫里之布(夫布と里布という税)(すなわち)、天下之民、皆、(よろこぶ)、而、願、(なる)(これ)、氓、矣。

信、能、行、(この)五者、(すなわち)、隣国之民、仰、(これ)(のよう)、父母、矣。

率、(その)子弟、攻、(その)父母、(より)、有、生民(人々)、以来、未、有、能、(なす)(もの)、也。

(のよう)(この)(すなわち)(いない)、敵、於、天下。

無、敵、於、天下、(もの)、『天吏』、也。

然、而、不、王、(もの)、未、(これ)、有、也」



 孟子 先生は言った。

「賢者を尊重し、有能な者を使用し、優れた傑物が上位に在位していれば、天下の『士』、『一人前である者』は皆、喜び、その朝廷で立身出世したいと願うであろう。

市場の店からは税を取り立てるが、法によって店が無い商人からは税を取り立てなければ、(商売が盛んに成るので、)天下の商人は皆、喜び、その市場の店で所蔵したいと願うであろう。

関所では、不審者をとがめるが、税を取り立てなければ、天下の旅人は皆、喜び、その道に出て旅したいと願うであろう。

農耕者は、『助法』によって私田からは税を取り立てなければ、天下の農業従事者は皆、喜び、その国の土地を耕したいと願うであろう。

住居からは、夫布と里布という税を取り立てなければ、天下の人々は皆、喜び、その国の国民に成りたいと願うであろう。

まことに、よく、これらの五つの物事を行えば、隣国の国民は、その国の政府を父母であるかのように仰ぐであろう。

ある子弟を率いて、その父母を攻める事ができた者は、人が存在して以来、未だいないのである。

このようにすれば、天下に敵はいないのである。

天下に敵がいない者は、『天吏』、『天の神から任命された統治者』なのである。

そうであるのに、王と成れなかった者は、未だいないのである」





 孟子、曰。

「人、皆、有、不、忍、人、()、心。

先王、有、不、忍、人、()、心。

(ここで)、有、不、忍、人、()、政、矣。

以、不、忍、人、()、心、行、不、忍、人、()、政治、天下、可、運、(これ)、掌、上。

所以(ゆえん)、謂、人、皆、有、不、忍、人、()、心、()、今、人、(たちまち)(みる)、孺子、(しようとする)、入、於、井、皆、有、怵惕、惻隠之心。

非、所以(ゆえん)、内、交、於、孺子之父母、也。

非、所以(ゆえん)、要、誉、於、郷党、朋友、也。

非、(ぞうおする)(その)声、而、然、也。

(より)(これ)、観、(これ)、無、惻隠之心、非、人、也。

無、羞悪之心、非、人、也。

無、辞譲之心、非、人、也。

無、是非之心、非、人、也。

惻隠之心、仁之端、也。

羞悪之心、義之端、也。

辞譲之心、礼之端、也。

是非之心、智之端、也。

人、()、有、(この)四端、也、(ちょうど〜のよう)(その)、有、四体、也。

有、(この)四端、而、(みずから)、謂、不、能、(もの)(みずから)(そこなう)(もの)、也。

謂、(その)君、不、能、(もの)(そこなう)(その)君、(もの)、也。

(およそ)、有、四端、於、(われ)(もの)、知、皆、拡、而、充、(これ)、矣。

(のよう)、火、()、始、(もえる)、泉、()、始、達。

(かりに)、能、充、(これ)(たりる)、以、保、四海。

(かりに)、不、充、(これ)、不足、以、(つかえる)、父母」



 孟子 先生は言った。

「人には皆、他人が苦しむのを忍耐できない心が有る。

古代の聖王には、他人が苦しむのを忍耐できない心が有ったのである。

それで、人が苦しむのを忍耐できない(思いやり深い)政治が有ったのである。

他人が苦しむのを忍耐できない心によって、人が苦しむのを忍耐できない(思いやり深い)政治を天下で行えば、天下を手のひらの上で動かすようにできるのである。

『人には皆、他人が苦しむのを忍耐できない心が有る』と言う理由は、幼子が井戸に入ろうとするのを、今、人が突然、見たら、皆、他人の危険を恐れて、他人を思いやる心を持つであろう。

『幼子の父母との交流の輪の内に入ろう』という理由からではない。

『故郷の人々や友人達からの名誉を求めよう』という理由からではない。

『幼子が井戸に入ってしまったら、何か言われてしまうのが、嫌だから』という理由からではない。

このため、これらを観察すると、他人を思いやる心が無い人は、人でなしである。

また、悪を恥じる心が無い人は、人でなしである。

他人に謙遜して譲る心が無い人は、人でなしである。

善悪の是非を判断できる知的な心が無い人は、人でなしである。

他人を思いやる心は、思いやりの最初の一歩なのである。

悪を恥じる心は、正義の最初の一歩なのである。

他人に謙遜して譲る心は、礼儀の最初の一歩なのである。

善悪の是非を判断できる知的な心は、智慧の最初の一歩なのである。

人には両手と両足という四肢が有るように、人には、これらの四つの最初の一歩の心が有るのである。

これらの四つの最初の一歩の心が有りながら、(思いやりや、正義や、礼儀や、智慧を学ぶのを)『できない』という嘘を言う者どもは、自身を損壊させる者どもなのである。

『自分の上司である君主は、(思いやりや、正義や、礼儀や、智慧を学ぶのを)できない』と言う者どもは、自分の上司である君主の名誉を損なう者どもなのである。

普通、自身に四つの最初の一歩の心が有る者は、これら四つの最初の一歩の心の全てを拡張し充実させる事ができる、と知るであろう。

燃え始めた火や、満ちあふれ始めた源泉のように(、四つの最初の一歩の心の全てを拡張し充実できる)。

仮に、これら四つの最初の一歩の心を充実させる事ができれば、天下を保有するに足りるのである。

仮に、これら四つの最初の一歩の心を充実させる事ができなければ、父母に仕えるのにも不足してしまうのである」





 孟子、曰。

「矢人、(どうして)、不、仁、(よりも)、函人、哉?

矢人、(ただ)、恐、不、傷、人。

函人、(ただ)、恐、傷、人。

巫、匠、(また)、然。

故、術、不、可、不、慎、也。

孔子、曰。

(いる)、仁、(なす)、美。

(えらぶ)、不、処、仁、焉、得、智?』。

(それ)、仁、天之尊爵、也。

人、()、安宅、也。

(ない)(これ)(ふせぐ)、而、不、仁、(これ)、不、智、也。

不仁、不智、無礼、無義、人、役、也。

人、役、而、恥、(なす)、役、(ちょうど〜のよう)、弓人、而、恥、(つくる)、弓、矢人、而、恥、(つくる)、矢、也。

(もし)、恥、(これ)莫如(しかず)(なす)、仁。

仁、者、(のよう)、射。

射、(もの)、正、己、而、後、発。

発、而、不、(あたる)、不、怨、勝、己、(もの)

(くりかえす)、求、(これ)、己、而已(のみ)、矣」



 孟子 先生は言った。

「矢の職人は、どうして、鎧の職人よりも、思いやりが無いであろうか? いいえ!

ただし、矢の職人は、ただ、(矢が)人を傷つける事ができないのを恐れてしまう。

鎧の職人は、ただ、(鎧を着ているのに)人が傷つくのを恐れる。

神の巫女と、(棺などを造る)大工もまた、同様なのである。

そのため、どの技術を学ぶかは、慎重になるべきである。

孔子 先生は言いました。

『思いやりの中にいるのを美と()す。

思いやりを選択して処さなければ、知は得られない!』と。

思いやりは、天の神が最高の位階の物としている物なのである。

(思いやりは、)人が安らぐ事ができる家なのである。

思いやりを妨害できるものは無いのに、思いやりが無い人は、智慧が無いのである(。愚者である)。

思いやりが無い、智慧が無い、無礼な、不義な邪悪な者どもは、他人に使役されるべき(欲望の)奴隷である。

他人に使役されるべき(欲望の)奴隷でありながら、(欲望の)奴隷であるのを恥と見なす者どもは、弓の職人が弓を造るのを恥じるような物なのであるし、矢の職人が矢を造るのを恥じるような物なのである。

もし他人に使役されるべき(欲望の)奴隷であるのを恥じるのであれば、思いやりの善行を()す方法に及ぶ他の方法は無いのである。

思いやり深い者とは、正しく弓で矢を射る競技をする者のようなのである。

正しく弓で矢を射る競技をする者は、自己の心身を正した後で、矢を発射する。

矢を発射して的に命中しなくても、自分に勝利した者を怨んだりしない。

的に命中しなかった原因を自己の心身に求めるだけなのである」





 孟子、曰。

「子路。人、告、(これ)、以、有、(あやまち)(すなわち)、喜。

禹、聞、善言、(すなわち)、拝。

大、舜、有、大、(これ)

善、()、人、同。

(すてる)、己、従、人。

(たのしむ)、取、於、人、以、(なす)、善。

(より)、耕稼、陶、漁、以、至、(なる)、帝、(ない)、非、取、於、人、(もの)

取、(これ)、人、以、(なす)、善、(これ)()、人、(なす)、善、(もの)、也。

故、君子、(ない)、大、乎、()、人、(なす)、善」



 孟子 先生は言った。

「子路は、他人が子路に(あやま)ちが有るのを告げると、(自分の過ちを知れば、自分の過ちを治せるので、)喜んだ。

禹は、善い言葉を聞くと、礼拝した。

大いなる舜には、これらよりも大いなる方法が有った。

(舜は、)善行を他人と共同して(おこな)った。

(舜は、)自分(の傲慢さ)を捨てて他人に従った。

(舜は、)他人の善行を取り入れて善行を()すのを楽しんだ。

(舜は、)農耕したり、陶工したり、漁をしたりしていた時から、王に成っていた時に至るまで、他人の善行を取り入れてきた。

他人の善行を取り入れて善行を()すのは、他人と(共同して)善行を()しているような物なのである。

そのため、王者として、他人と(共同して)善行を()すよりも、大いなる方法は無いのである」





 孟子、曰。

「伯夷、非、(その)君、不、(つかえる)

非、(その)友、不、友。

不、立、於、悪人之朝。

不、()、悪人、言。

立、於、悪人之朝、()、悪人、言、(のよう)、以、朝衣、朝冠、坐、於、塗炭。

推、(ぞうおする)(あく)()、心、思、()、郷人、立、(その)冠、不正、望望然、去、(これ)(のよう)(まさに)(けがれる)、焉。

(この)故、諸侯、(いえども)、有、善、(その)辞命、而、至、(もの)、不、受、也。

不、受、也、()(これ)(また)、不、(いさぎよい)、就、(のみ)

柳下恵、不、羞、汚君。

不、卑、小官。

進、不、隠、賢。

必、以、(その)道。

遺佚、而、不、怨。

阨窮、而、不、(心配する)

故、曰。

(なんじ)(なり)(なんじ)

(われ)(なり)(われ)

(いえども)、袒裼裸裎、於、(わが)側、(なんじ)(どうして)、能、(けがす)(われ)、哉?』。

故、由由然、()(これ)(ともに)、而、不、(みずから)、失、焉。

(引く)、而、止、(これ)、而、止。

(引く)、而、止、(これ)、而、止、()(これ)(また)、不、(いさぎよい)、去、(のみ)

 孟子、曰。

「伯夷、隘。

柳下恵、不、恭。

隘、()、不、恭、君子、不、(よる)、也」



 孟子 先生は言った。

「伯夷は、正しい君主でなければ、仕えなかった。

(伯夷は、)正しい友人でなければ、友人でいるのをやめた。

(伯夷は、)悪人の朝廷に仕えて立たなかった。

(伯夷は、)悪人と話さなかった。

(伯夷にとっては、)悪人の朝廷に仕えて立ったり、悪人と話したりするのは、朝廷用の正装の衣服を着て冠をかぶっても、泥にまみれ炭火に焼かれる中に座るかのようであった。

(伯夷の、)悪を憎悪する心を推測すると、(もし、伯夷が、)故郷の人と(並んで)立って、その人の冠が不正であれば、(伯夷は、)望望然と遠くの、あらぬ方向を眺めて、そこを去って、まさに汚れるかのように思うであろう。

このため、諸侯が任命書を善くして、それを持って到来した使者がいても、(伯夷は、)受け取らなかったのである。

(伯夷が、)受け取らなかったのも、『(悪い)諸侯の下に就くのは、正しくない』としただけなのである。

柳下恵は、汚れた(悪い)君主を(自分の上司である君主とする事を)恥じなかった。

(柳下恵は、)矮小な官位でも軽視しなかった。

(柳下恵は、)自ら進んで、自分の賢さを隠さなかった。

(柳下恵は、)必ず、正しい道理によって、(おこな)った。

(柳下恵は、)役人を辞めさせられても、怨まなかった。

(柳下恵は、)困窮しても、心配しなかった。

そのため、(柳下恵は、)言いました。

『あなた(の事)は、あなた(の事)である。

私(の事)は、私(の事)である。

私、柳下恵のそばで、衣服を脱いで裸を見せるような無礼な事をされても、お前が、どうして、私、柳下恵を汚せるであろうか? いいえ!』と。

このため、無礼な者どもと共にいても、由由然と、ゆったりとしていて、自分を失わなかった。

引き止められれば、留まった。

引き止められて、留まったのは、『去るのが正しくない』としただけなのである」

 さらに、孟子 先生は言った。

「伯夷は、心が狭い。

柳下恵は、慎重ではない。

心の狭さと、慎重の無さは、王者の方法ではない」

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