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孟子  作者: Eliphas1810
14/14

尽心 下

 尽心 下


 孟子、曰。

「不仁、哉、梁、恵王、也。

仁者、以、(その)、所、愛、(およぼす)、其、所、不、愛。

不仁者、以、(その)、所、不、愛、(およぼす)、其、所、愛」


 公孫丑、問、曰。

「何、謂、也?」


「梁、恵王、以、土地之故、糜爛、(その)民、而、戦、(これ)、大敗。

将、復、(これ)、恐、不、能、勝。

故、駆、(その)、所、愛、子弟、以、殉、(これ)

(これ)(これ)、謂、『以、(その)、所、不、愛、(およぼす)(その)、所、愛』、也」



 孟子 先生は言った。

「思いやりが無いかな、梁という国の恵王は。

思いやり深い知者は、愛する者への思いやりを愛さない者へ及ぼしていく。

思いやりの無い者は、愛さない者への思いを愛する者へ及ぼしていってしまう」


 公孫丑が孟子 先生に質問して言った。

「どのような事を言っているのでしょうか?」


 (孟子 先生は言った。)

「梁の恵王は、土地のために、自国民がただれて崩壊するまで戦わせてしまって大敗しました。

(恵王は、)また戦おうとしましたが、負けるのを恐れました。

そのため、(自分が軍隊を率いる代わりに、)自分が愛している子などを駆り出して(軍隊を率いさせて)、その子を死なせてしまいました。

こうしてしまう事を、『愛さない者への思いを愛する者へ及ぼしていってしまう』と言っているのです」





 孟子、曰。

「『春秋』、(ない)、義、戦。

彼、善、(よりも)(これ)(すなわち)、有、(これ)、矣。

征、(とは)、上、伐、下、也。

敵国、不、相、征、也」



 孟子 先生は言った。

「『春秋』には正義のための戦いは書かれていないのである。

一方が、他方よりも善い、というのは書かれている。

『征』とは、上位者が下位者を討伐する事である。

敵対国同士では、相互に『征』、『上位者が下位者を討伐する事』は有り得ないのである」





 孟子、曰。

(ことごとく)、信、書、(すなわち)不如(しかず)(ない)、書。

吾、於、『武成』、取、二、三()而已(のみ)、矣。

仁人、(いない)、敵、於、天下。

以、至、仁、伐、至、不仁。

而、(どうして)(その)血、(これ)、流、(きね)、也?」



 孟子 先生は言った。

「ことごとく文書を信じ込んでしまう事は、文書が無い事には、及ばないのである。

私、孟子は、『書経』の『武成』では、二、三(ふだ)分の文書しか取り入れていない。

思いやり深い知者は、天下に、敵がいないのである。

(武王が紂王を討伐したのは、)思いやりの至りである者が、思いやりの無さの至りである者を討伐したのである。

それなのに、どうして、流血が(きね)を流すほどであったのか? 虚偽である!」





 孟子、曰。

「有、人、曰。

『我、善、(なす)()。我、善、(なす)、戦』。

大罪、也。

国、君、好、仁、天下、(いない)、敵、焉。

南面、而、征、北狄、怨、東面、而、征、西夷、怨、曰。

奚為(どうして)、後、我?』。

武王、()、伐、殷、也、革車、三百両、虎賁(直属の兵士)、三千人。

王、曰。

『無、畏。

寧、(なんじ)、也。

非、敵、百姓、也』。

(のよう)、崩、厥角(礼拝)稽首(礼拝)

征、()(なる)、言、正、也。

各、欲、正、己、也、(どうして)、用、戦?」



 孟子 先生は言った。

「ある人がいて言ったとします。

『私は、戦陣、戦術を巧みにできます。私は、戦うのを巧みにできます』と。

その人は、大罪人なのである。

国の君主が思いやりを好めば、天下に敵はいないのである。

(殷の湯王が)南に向かって征伐していくと北の外国人達は怨み、東に向かって征伐していくと西の外国人達は怨んで言いました。

『どうして、私達を後回しにするのですか?』と。

武王が殷の紂王を征伐した時は、革で覆われた車、三百両に、直属の兵士が三千人だけであった。

武王は言いました。

『恐れるなかれ。

あなた達(、庶民達)に安らぎをもたらすつもりなのです。

庶民達を敵にするつもりはありません』と。

(庶民達は、)崩れるように、(武王を)礼拝しました。

『征』という言葉は、『正』、『正しい』なのである。

庶民達の各々が、自身の環境を正して欲しがったら、戦争を用いる必要は無いのである!」





 孟子、曰。

梓匠輪輿(大工や車の職人)、能、(あたえる)、人、規矩、不能、使(させる)、人、巧」



 孟子 先生は言った。

「大工や車の職人は、他人にコンパスやL字形の定規を与える事はできるが、他人を巧みにさせる事はできないのである」





 孟子、曰。

「舜、()(たべる)(干し飯)(たべる)、草、也、(のよう)、将、終、身、焉。

(およぶ)(その)(なる)、天子、也、被、袗衣(ぬいとりのある礼服)、鼓、琴、二女、果。

(のよう)、固、有、(これ)



 孟子 先生は言った。

「舜は、干し飯を食べ、野菜を食べていたが、身を終えようとしているかのようであった。

しかし、舜は、天子に成るに及んで、『袗衣』、『ぬいとりのある礼服』をまとい、琴を演奏し、二人の女性と添い遂げた。

まるで、これらを(もと)より所有しているかのようであった」





 孟子、曰。

「吾、今、而、後、知、殺、人、親、()、重、也。

殺、人之父、人、(また)、殺、(その)父。

殺、人之兄、人、(また)、殺、(その)兄。

然、(すなわち)、非、(みずから)、殺、(これ)、也、一、間、(のみ)



 孟子 先生は言った。

「私、孟子は、今にして、後に成って、他人の親を殺す罪の重さを知りました。

他人の父を殺せば、他人も自分の父を殺します。

他人の兄を殺せば、他人も自分の兄を殺します。

そう成ってしまうと、自分が直接、自分の父や兄を殺さなくても、一つ分、間接的に自分の父や兄を殺したに過ぎないのである」





 孟子、曰。

「古、()(つくる)、関、也、(しようとする)、以、(ふせぐ)、暴。

今、()(つくる)、関、也、(しようとする)、以、(なす)、暴」



 孟子 先生は言った。

「古代は、関所を作ったのは、暴力を予防しようとしたからなのである。

今は、関所を作るのは、暴力を実行しようとするからなのである」





 孟子、曰。

「身、不、行、道、不、行、於、妻子。

使(つかう)、人、不、以、道、不、能、行、於、妻子」



 孟子 先生は言った。

「自身が道理、真理を行わなければ、妻子も道理、真理を(おこな)ってくれないのである。

道理、真理によって他人を使役しないと、妻子も(おこな)ってくれないのである」





 孟子、曰。

「周、于、利、(もの)、凶年、不能、殺。

周、於、徳、(もの)、邪世、不能、乱」



 孟子 先生は言った。

「利益を周知している者どもは、凶作の年でも、殺す事ができない。

徳、善行、善を周知している者達は、邪悪な世、邪悪な時代でも、乱す事ができない」





 孟子、曰。

「好、名、()、人、能、譲、千乗之国。

(かりに)、非、(その)人、箪食、豆羹、(あらわれる)、於、色」



 孟子 先生は言った。

「名声を好む人は、千台の戦車がある大国を譲る事もできる。

しかし、仮に、正しい人でなければ、竹の容器一つ分の食べ物、容器一つ分のスープでも、(譲ったものへの執着心が)顔色に表れてしまう」





 孟子、曰。

「不、信、仁、賢、(すなわち)、国、空虚。

(ない)、礼義、(すなわち)、上下、乱。

(ない)、政、(こと)(すなわち)、財、用、不足」



 孟子 先生は言った。

「思いやり深い知者や、賢者を信じなければ、国は空虚に成ってしまいます。

礼儀が無ければ、上下関係が乱れてしまいます。

政治が正しく行われなければ、国の財産を使用しようとしても不足してしまいます」





 孟子、曰。

「不仁、而、得、国、(もの)、有、(これ)、矣。

不仁、而、得、天下、(もの)、未、(これ)、有、也」



 孟子 先生は言った。

「思いやりが無くても、国を獲得する者は、いるかもしれない。

思いやりが無くても、天下を獲得する者は、未だいないのである」





 孟子、曰。

「民、(なす)、貴。

社稷、次、(これ)

君、(なす)、軽。

是故(このため)、得、乎、丘民(民衆)、而、(なる)、天子。

得、乎、天子、(なる)、諸侯。

得、乎、諸侯、(なる)、大夫。

諸侯、危、社稷、(すなわち)変置(別の人に変える)

犠牲、既、成、粢盛、既、潔、祭祀、以、時。

然、而、旱乾、水溢、(すなわち)変置(別の人に変える)、社稷」



 孟子 先生は言った。

「国民達を貴重であると見なします。

神への祭壇は、その次です。

君主は(最も)軽んじます。

このため、民衆の関心を得れば、天子に成れるのです。

天子の関心を得れば、諸侯に成れます。

諸侯の関心を得れば、役人に成れます。

諸侯が、神への祭壇を危うくしてしまえば、その諸侯の位の人を別の人に変えます。

犠牲の家畜を成長させて、穀物などの神への捧げ物を清浄にして、適切な時機に神を祭ります。

そうしたのに、旱魃(かんばつ)や、洪水が起きてしまったら、神への祭壇を別の祭壇に変えます」





 孟子、曰。

「聖人、百世之師、也。

伯夷、柳下恵、(これ)、也。

故、聞、伯夷之風、(もの)頑夫(頑迷な男)、廉、懦夫(臆病な男)、有、立、志。

聞、柳下恵之風、(もの)薄夫(軽薄な男)、敦、鄙夫(卑しい男)、寛。

奮、乎、百世之上、百世之下、聞、(もの)(ない)、不、興起、也。

非、聖人、而、能、若是(このよう)、乎?

而、(まして)、於、親炙、(これ)(もの)、乎?」



 孟子 先生は言った。

「聖人は、百世代の教師なのである。

伯夷や、柳下恵が、それである。

そのため、伯夷の話を聞いた者には、頑迷な人でも清廉潔白に成ったり、臆病な人でも高い志を立てたりする事が有った。

柳下恵の話を聞いた者には、軽薄な人でも情に厚く成ったり、卑しい人でも寛大に成ったりした者がいた。

このため、百世代前に(ふる)い立てば、百世代後の、その(ふる)い立った人の話を聞いた者も、(ふる)い立つのである。

聖人だけが、このような事をできるのである!

まして、聖人に直接的に親しく接して感化を受けた者は、(ふる)い立つのである!」





 孟子、曰。

「仁、也、()、人、也。

合、而、言、(これ)、道、也」



 孟子 先生は言った。

「思いやりとは、(人性、)人なのである。

思いやりと、(人性、)人を合わせて言えば、道(、正義)なのである」





 孟子、曰。

「孔子、()、去、魯、曰。

『遅遅、吾、行、也』。

去、父母、国、()、道、也。

去、斉、接、(といだ米)、而、行。

去、他国、()、道、也」



 孟子 先生は言った。

「孔子 先生は、魯という国を去る時に、言いました。

『遅々として、私、孔子の足は進まないのである』と。

父母の国の去り方だったのである。

(孔子 先生は、)斉という国を去る時は、といだ米を取り入れて(速やかに)去って行った。

他国の去り方だったのである」





 孟子、曰。

「君子、()(災難)、於、陳、蔡之間、無、上下之交、也」



 孟子 先生は言った。

「王者である孔子 先生が陳と蔡の間で災難に遭ってしまったのは、(上位者も下位者達も悪人で)上位者とも下位者達とも交際できなかったせいなのである」





 貉稽、曰。

「稽( = 貉稽)、大、不、理、於、口」


 孟子、曰。

(なかれ)、傷、也。

士、憎、(ここ)、多口。

『詩』、云。

『憂、心、悄悄(元気を失くす)(うらむ)(によって)、群小』。

孔子、也。

『肆、不、(断つ)(その)(うらみ)(また)、不、(おとす)(その)(名声)』。

文王、也」



 貉稽が孟子 先生に言った。

「私、貉稽は、大いに不条理な悪口を言われてしまいます」


 孟子 先生は言った。

「気に病むなかれ。

『一人前である者』は、多数の悪口を言われてしまう物なのである。

『詩経』で言われています。

『心が憂鬱に成ってしまい元気を失くしてしまうのは、矮小な者どもの群れによって怨まれているからである』と。

孔子も、そうだったのです。

『自分への怨みを断ち切る事ができなかったが、自分の名声は落とさなかった』と。

文王も、そうだったのです」





 孟子、曰。

「賢者、以、(その)昭昭(明るく輝く)使(させる)、人、昭昭(明るく輝く)

今、以、(その)昏昏(暗愚)使(させる)、人、昭昭(明るく輝く)



 孟子 先生は言った。

「賢者は、自分が明るく輝いて、他人を明るく輝かせる。

今の者どもは、自分は暗愚なのに、他人を明るく輝かせようとする」





 孟子、謂、高子、曰。

山径(山道)(小道)、間、介然(堅固に)、用、(これ)、而、成、路。

(なす)、間、不、用、(すなわち)、茅、塞、(これ)、矣。

今、茅、塞、子之心、矣」



 孟子 先生は高子に言った。

「山道の小道は、少しの間、その小道を利用していれば、介然と堅固に、道を成しています。

しかし、少しの間でも、利用しなければ、茅などの草で塞がれてしまいます。

今、あなた、高子の心も、茅などの草で塞がれてしまっているような物なのです」





 高子、曰。

「禹之声、(こえる)、文王之声」


 孟子、曰。

「何、以、言、(これ)?」


 曰。

「以、追、(むしくいのあと)


 曰。

(これ)(どうして)(たりる)、哉?

城門之軌、両馬之力、()



 高子が孟子 先生に言った。

「禹の音楽は、文王の音楽を超越しています」


 孟子 先生は言った。

「どうして、そう言ってしまえるのか?」


 高子が言った。

「鐘の取っ手に虫食いの跡のような物が有るからです」


 孟子 先生は言った。

「それで、どうして、証拠、足り得るのか?

城門についた軌跡は、二頭の馬の力による物なのである」





 斉、饑。


 陳臻、曰。

「国、人、皆、以、夫子、将、復、(なす)、発、『棠』。

(ほとんど)、不、可、復?」


 孟子、曰。

(これ)(なす)、馮婦、也。

晋、人、有、馮婦、(もの)

善、搏、虎。

(ついに)(なる)、善士。

(すなわち)(いく)、野。

有、衆、(おう)、虎。

虎、負、(山の折れ曲がった所)

莫、(これ)、敢、(ちかづく)

望見、馮婦、(はしる)、而、迎、(これ)

馮婦、攘臂(腕まくりをする)、下車。

衆、皆、悦、(これ)(その)(なる)、士、(もの)、笑、(これ)



 斉という国で飢饉が有った。


 陳臻が孟子 先生に言った。

「国の人々は皆、孟子 先生がまた『棠』という所の食糧を放出するように発言してくれる、と思っています。

また発言するのは難しいのでしょうか?」


 孟子 先生は言った。

「それでは、馮婦を模倣するような物なのである。

晋という国の人に、馮婦という者がいた。

馮婦は、巧みに、虎をとらえました。

(つい)には、馮婦は、善良な役人に成りました。

役人達が(車で)野原へ行きました。

すると、大衆が虎を追いかけていました。

虎は、山の折れ曲がった所を背にしました。

虎に、勇敢に近づく人はいませんでした。

大衆は、馮婦を遠くから見つけると、走って、この馮婦を迎えに行きました。

馮婦は腕まくりをして下車しました。

大衆は皆、それを喜びましたが、役人の者達は、それを笑いました」





 孟子、曰。

「口、()、於、味、也、目、()、於、色、也、耳、()、於、声、也、鼻、()、於、臭、也、四肢、()、於、安佚、也、性、也。

有、命、焉。

君子、不、謂、『性』、也。

仁、()、於、父子、也、義、()、於、君臣、也、礼、()、於、賓主、也、知、()、於、賢者、也、聖人、()、於、天道、也、命、也。

有、性、焉。

君子、不、謂、『命』、也」



 孟子 先生は言った。

(くち)の味において、目の色形において、耳の音声において、鼻の(にお)いにおいて、四肢の安らぎにおいて、良いものを求めるのは、性質なのである。

しかし、良いものを得られるかは、天の神による運命次第なのである。

そのため、王者は、『性質』とは言わないのである。

思いやりの父子関係において、正義の君主と臣下の関係において、礼儀の賓客と主人の関係において、知恵の賢者において、聖人の天の神の道理、真理において、善いものを求めるのは、天の神からの使命なのである。

そして、善いものを得られるかは、人の性質次第なのである。

このため、王者は、『使命』、『運命』と言わないのである」





 浩生不害、問、曰。

「楽正子、何、人、也?」


 孟子、曰。

「善人、也。

信人、也」


「何、謂、善?

何、謂、信?」


 曰。

「可、欲、(これ)、謂、『善』。

有、(これ)、己、(これ)、謂、『信』。

充実、(これ)、謂、『美』。

充実、而、有、光輝、(これ)、謂、『大』。

大、而、化、(これ)(これ)、謂、『聖』。

聖、而、不、可、知、(これ)(これ)、謂、『神』。

楽正子、二之中、四之下、也」



 浩生不害が孟子 先生に質問して言った。

「楽正子とは、どんな人ですか?」


 孟子 先生は言った。

「善人です。

誠実な人です」


 浩生不害が言った。

「どのような事を『善』と言っているのでしょうか?

また、どのような事を『誠実』と言っているのでしょうか?」


 孟子 先生は言った。

「善を(ほっ)する事ができれば、『善』と言います。

善、善良さが自分に有れば、『誠実』と言います。

善を充実させれば、『美』と言います。

善を充実させて、光輝が有れば、(他人を照らせば、)『偉大』と言います。

偉大で、他人を教化すれば、『聖』と言います。

神聖ですが、知る事ができない者を『神』と言います。

楽正子は、六つの中の二つが有り、神から四つ下なのです」





 孟子、曰。

「逃、墨、必、帰、於、楊。

逃、楊、必、帰、於、儒。

帰、(ここ)、受、(これ)而已(のみ)、矣。

今、()()、楊、墨、弁、(もの)(のよう)、追、放豚。

既、入、(その)(おり)(また)、従、而、招、(これ)



 孟子 先生は言った。

「(大衆は、)墨子の説を逃れたら、必ず、楊子の説に帰属してしまいます。

(大衆は、)楊子の説を逃れる事ができたら、必ず、孔子 先生の儒教に帰属してくれるはずです。

孔子 先生に帰属してくれたら、その人を受け入れるだけなのです。

今の、楊子や、墨子と、議論する者は、放牧されている豚を追い込もうとするかのようなのである。

既に(おり)に入れたのに、さらに、繋ぎ止めようとしてしまう」





 孟子、曰。

「有、布縷(布と、より糸)之征、粟米之征、力役之征。

君子、用、(その)一、緩、(その)二。

用、(その)二、而、民、有、(餓死)

用、(その)三、而、父子、離」



 孟子 先生は言った。

「布と、より糸の税と、米などの穀物の税と、労役の税が有ります。

(真の)王者は、それら三つのうち一つだけを利用し、残りの二つは緩めます。

三つのうち二つも利用してしまうと、国民から餓死者が出てしまいます。

三つのうち三つも利用してしまうと、(国民で、)父子などの一家が離散してしまいます」





 孟子、曰。

「諸侯之宝、三。

土地、人民、政事。

宝、珠玉、(もの)(わざわい)、必、(およぶ)、身」



 孟子 先生は言った。

「諸侯が宝とするべきものは、三つです。

土地、国民達、政治です。

宝玉を宝としてしまう者どもには、必ず、その身に災いが及んでしまいます」





 盆成括、仕、於、斉。


 孟子、曰。

「死、矣、盆成括」


 盆成括、見、殺。


 門人、問、曰。

「夫子、何、以、知、(その)、将、見、殺?」


 曰。

(その)為人(ひととなり)、也、(すこし)、有、才。

未、聞、君子之大道、也。

(すなわち)(たりる)、以、殺、(その)躯、而已(のみ)、矣」



 盆成括が斉という国に役人として仕えてしまった。


 孟子 先生は言った。

「死んでしまうかもしれない、盆成括は」


 盆成括は殺されてしまった。


 ある弟子が孟子 先生に質問して言った。

「孟子 先生は、どうして、(盆成括が)殺されるであろうと分かったのですか?」


 孟子 先生は言った。

「盆成括の人となりは、少し才能が有った。

しかし、盆成括は、(真の)王者の大いなる道理、真理について未だ聞いた事が無かったのである。

それでは、殺されるに足りてしまうのである」





 孟子、(いく)、滕、館、於、上宮。


 有、業()、於、()上。


 館、人、求、(これ)(ない)、得。


 (ある)、問、(これ)、曰。

若是(このよう)、乎、従者、()(隠す)、也」


 曰。

「子、以、(これ)(ため)(ぬすむ)()、来、()?」


 曰。

(ほとんど)、非、也」


(それ)、予、()、設、(規則)、也、往、(もの)、不、追、来、(もの)、不、拒。

(かりにも)、以、(この)心、至、(ここ)、受、(これ)而已(のみ)、矣」



 孟子 先生は滕という国へ行って上宮に泊まった。


 製造中の靴が(孟子 先生の従者が泊まった部屋の)窓の上に有った。


 上宮の使用人が、その製造中の靴を探し求めていたが、見つける事ができ得なかった。


 ある人が、製造中の靴について、孟子 先生に質問して言った。

「このような事をするのですね、孟子 先生の従者が靴を隠すなんて」


 孟子 先生は言った。

「あなたは、私、孟子と、孟子の従者達が、靴を盗む(ため)に来たと思ってしまっているのですか?」


 その、ある人が言った。

「そうではないと思うのですが」


 (孟子 先生は言った。)

「私、孟子は、『去る者は追わず。来る者は拒まず』という規則を設けていますが。

しかし、仮にも、正しい心で、私、孟子の所に到来すれば、その人を受け入れるだけなのです」





 孟子、曰。

「人、皆、有、所、不、忍。

達、(これ)、於、其、所、忍、仁、也。

人、皆、有、所、不、(なす)

達、(これ)、於、其、所、(なす)、義、也。

人、能、充、(ない)、欲、害、人、()、心、而、仁、不、可、勝、用、也。

人、能、充、(ない)穿踰(盗む)()、心、而、義、不、可、勝、用、也。

人、能、充、無、受、爾汝(呼び捨て)()、実、無、所、往、而、不、(なる)、義、也。

士、未、可、以、言、而、言、(これ)、以、言、(引っ掛ける)(これ)、也。

可、以、言、而、不、言、(これ)、以、不、言、(引っ掛ける)(これ)、也。

(これ)、皆、穿踰(盗人)之類、也」



 孟子 先生は言った。

「人には皆、他人が苦しむのを忍耐できない心が有るのです。

その心を、苦しんでも忍耐できていた他人にまで行き届かせるのが、思いやりなのです。

人には皆、悪行を()さない心が有るのです。

その心を、()していた悪行にまで行き届かせるのが、正義なのです。

人が、他人に害を与えたいと(ほっ)しない心を拡充できれば、思いやりは、適用し切れないほどに成るのです。

人が、盗まない心を拡充できれば、正義は、適用し切れないほどに成るのです。

人が、呼び捨てを受けつけない実体を拡充できれば、全ての場所へ行っても、全ての事を()しても、正義を実行しているように成っているのです。

役人が、言うべきではない言葉を言うのは、言って相手を引っ掛けたいのです。

役人が、言うべき言葉を言わないのは、言わない事で相手を引っ掛けたいのです。

これらは皆、盗人の(たぐい)なのである」





 孟子、曰。

「言、近、而、指、遠、(もの)、善言、也。

守、(簡単)、而、施、博、(もの)、善道、也。

君子之言、也、不、下帯、而、道、存、焉。

君子之守、修、(その)身、而、天下、平。

人、病、(すてる)(その)田、而、(雑草を除草する)、人之田。

所、求、於、人、(もの)、重、而、所以、自任、(もの)、軽」



 孟子 先生は言った。

「言葉が身近なものによっても、意味が深遠である物が、善い言葉なのである。

守るのは簡単でも、広範囲に影響をもたらす物が、善い道、正義なのである。

(真の)王者の言葉は、帯を下らない身近であるが、深遠な道理が在るのである。

(真の)王者が守っている行動は、自身を修養して、天下を平安にする事なのである。

しかし、人々は、自分の田畑を捨てて他人の田畑の雑草を除草するのを気に病んでしまう。

他人に求める物を重くしてしまう理由は、自任している物が軽いからなのである」





 孟子、曰。

「堯、舜、性、(もの)、也。

湯( = 湯王)、武( = 武王)、(かえる)(これ)、也。

動容周旋(ふるまい)(あたる)、礼、(もの)、盛徳之至、也。

哭、死、而、哀、非、(ため)、生者、也。

経徳(常徳)、不、回、非、以、(もとめる)、禄、也。

言語、必、信、非、以、(ただす)、行、也。

君子、行、法、以、(まつ)、命、而已(のみ)、矣」



 孟子 先生は言った。

「堯や、舜は、人の性質を用いた者なのである。

殷の湯王と、周王朝の武王は、その、人の性質に帰ったのである。

ふるまいが礼儀に(かな)う者は、盛んな大いなる徳、善行、善の至りなのである。

死を泣いて悲しむのは、生者の(ため)ではないのである。

徳、善行を常に行うのは、その善行によって給料を求めようとしている訳ではないのである。

言葉を必ず誠実にするのは、行動を正すためではないのである。

(真の)王者は、(天の神による)法を(おこな)って、天の神による運命を待つだけなのである」





 孟子、曰。

「説、大、人、(すなわち)(かろんじる)(これ)

(なかれ)、視、(その)巍巍(大きさ)然。

堂、高、数仞、榱題、数尺。

我、得、志、(ない)(なす)、也。

食、前、方丈、侍妾、数百人。

我、得、志、(ない)(なす)、也。

般楽(大いに遊び楽しむ)、飲酒、駆騁(馬を走らせ)田猟(狩猟する)、後車、千乗。

我、得、志、(ない)(なす)、也。

在、彼、(もの)、皆、我、所、不、(なす)、也。

在、我、者、皆、古之制、也。

吾、(どうして)、畏、彼、哉?」



 孟子 先生は言った。

「偉人に説くのであれば、その偉人をあえて軽んじなさい。

その巍巍然とした偉大さを直視するなかれ。

家の高さが数仞であっても、たる木の先端の太さが数尺であっても。

自分が志を実行する好機を得ても、このような事はしないのだから。

目の前に一丈四方に食べ物が並べられても、侍女が数百人であっても。

自分が志を実行する好機を得ても、このような事はしないのだから。

大いに遊び楽しんでいても、飲酒していても、馬を走らせていても、狩猟をしていても、後続車が千台であっても。

自分が志を実行する好機を得ても、このような事はしないのだから。

偉人が所有しているものは皆、自分が所有しようとしないものなのである。

自分が所有しているものは皆、古代からの法なのである。

自分は、偉人など恐れない!」





 孟子、曰。

「養、心、(ない)、善、(よりも)、寡欲。

(その)為人(ひととなり)、也、寡欲、(いえども)、有、不、存、焉、(もの)、寡、矣。

(その)為人(ひととなり)、也、多欲、(いえども)、有、存、焉、(もの)、寡、矣」



 孟子 先生は言った。

「心を修養するには、少欲が最も善いのである。

人となりが少欲であれば、所有していない(善い)物が有っても少ないのである。

人となりが貪欲であれば、所有している(善い)物が有っても少ないのである」





 曾晳、嗜、羊棗。


 而、曾子、不、忍、食、羊棗。


 公孫丑、問、曰。

膾炙(なますと、あぶり肉)()、羊棗、(どちらが)、美?」


 孟子、曰。

膾炙(なますと、あぶり肉)、哉」


 公孫丑、曰。

「然、(すなわち)、曾子、何為(どうして)、食、膾炙(なますと、あぶり肉)、而、不、食、羊棗?」


 曰。

膾炙(なますと、あぶり肉)、所、同、也。

羊棗、所、独、也。

(いむ)、名、不、(いむ)、姓、姓、所、同、也、名、所、独、也」



 曾晳は羊棗を好んでいた。


 そのため、曾子は羊棗を食べようとしても(悲しくて)忍耐できなかっ(たので食べる事ができなかっ)た。


 公孫丑が孟子 先生に質問して言った。

「なますや、あぶり肉と、羊棗の、どちらが美味いでしょうか?」


 孟子 先生は言った。

「なますや、あぶり肉です」


 公孫丑が言った。

「そうであるならば、曾子は、どうして、なますや、あぶり肉は食べる事ができて、羊棗は食べる事ができなかったのでしょうか?」


 孟子 先生は言った。

「なますや、あぶり肉は、人々が皆、同じく好む物だからである。

羊棗は、独り、曾晳だけが好んでいた物だからである。

名前は避けるが、姓は避けないのは、姓は家族が皆、同じ物であるが、名前は独りだけの物だからである」





 万章、問、曰。

「孔子、在、陳、曰。

(どうして)、帰、乎、来?

(わが)党之士、狂、簡、進取。

不、忘、(その)初』。

孔子、在、陳、何、思、魯之狂士?」


 孟子、曰。

「孔子。

『不、得、中道、而、(くみする)(これ)、必、也、狂、獧、乎。

狂、者、進取。

獧、者、有、所、不、(なす)、也』。

孔子、(どうして)、不、欲、中道、哉?

不、可、必、得。

故、思、(その)次、也」


「敢、問。

何如、(ここ)、可、謂、『狂』、矣?」


 曰。

(のよう)、琴張、曾晳、牧皮、(もの)、孔子、()所謂(いわゆる)、『狂』、矣」


「何、以、謂、(これ)、『狂』、也?」


 曰。

(その)志、嘐嘐(大きい)然。

曰、『古之人。古之人』、夷考(公平に考える)(その)行、而、不、掩、(これ)(もの)、也。

狂者、(また)、不、可、得。

欲、得、不、(こころよくおもう)、不潔、()、士、而、(くみする)(これ)

(これ)、『獧』、也。

(これ)(また)(その)次、也。

孔子、曰。

『過、(わが)門、而、不、入、(わが)室、我、不、(ざんねんにおもう)(これ)(もの)(それ)(ただ)、郷原、乎。

郷原、徳之賊、也』」


 曰。

「何如、(ここ)、可、謂、(これ)、『郷原』、矣?」


 曰。

「『何、以、(これ)嘐嘐(言う事が大きい)、也?

言、不、顧、行。

行、不、顧、言。

(すなわち)、曰。古之人。古之人。

行、何為(どうして)踽踽(孤立している)、涼涼?

生、(この)世、也、(なす)(この)世、也。

善、(ここ)、可、矣』。

閹然(本心を隠して)、媚、於、世、也、(もの)(これ)、『郷原』、也」


 万章、曰。

「一郷、皆、称、『原人』、焉、(ない)、所、往、而、不、(なる)、原人。

孔子、以、(なす)、徳之賊、何、哉?」


 曰。

(ひなんする)(これ)(ない)、挙、也、剌、(これ)(ない)、剌、也。

同、乎、流俗(俗世の俗習)、合、乎、汚世。

居、(これ)、似、忠信、行、(これ)、似、廉潔。

衆、皆、悦、(これ)(みずから)、以、(なす)()、而、不、可、(ともに)、入、堯、舜之道。

故、曰。

『徳之賊、也』。

孔子、曰。

(ぞうおする)、似、而、非、(もの)

(ぞうおする)(雑草)、恐、(その)、乱、苗、也。

(ぞうおする)、佞、恐、(その)、乱、義、也。

(ぞうおする)、利口、恐、(その)、乱、信、也。

(ぞうおする)、鄭声、恐、(その)、乱、(がく)、也。

(ぞうおする)、紫、恐、(その)、乱、朱、也。

(ぞうおする)、郷原、恐、(その)、乱、徳、也』。

君子、(かえる)(筋道)而已(のみ)、矣。

()、正、(すなわち)、庶民、興。

庶民、興、(ここ)(ない)、邪慝、矣」



 万章が孟子 先生に質問して言った。

「孔子 先生は陳という国にいた時に言いました。

『帰ろうか!

私、孔子の仲間である一人前である者達は、熱狂的で、簡、大まかで、自発的に進んで取り組んでいく。

初心を忘れないのである』と。

孔子 先生は陳にいる時に、どうして、魯という国の熱狂的な一人前である者達の事について思ったのでしょうか?」


 孟子 先生は言った。

「孔子 先生は言いました。

『両極端に(かたよ)らず正しい言行をする人を得て組めなかったら、必ず、(良い意味で)狂人的な人か、(良い意味で)頑固な人と組むであろう。

(良い意味で)狂人的な人は、自発的に進んで取り組んでいく。

(良い意味で)頑固な人は悪事をしない所が有る』と。

孔子 先生は、『両極端に(かたよ)らず正しい言行をする人』を(ほっ)していた!

しかし、『両極端に(かたよ)らず正しい言行をする人』は必ずしも得る事はできないのである。

そのため、(孔子 先生は、)その次の人達について、思ったのである」


 (万章が言った。)

「あえて質問します。

どのようであれば、(良い意味で)狂人的な人と言えるのでしょうか?」


 孟子 先生は言った。

「琴張や、曾晳や、牧皮のような者が、孔子 先生が言った、いわゆる、(良い意味で)狂人的な人である」


 (万章が言った。)

「どうして、これらの者達を、(良い意味で)狂人的な人と言うのでしょうか?」


 孟子 先生は言った。

「志が、嘐嘐然と大きいからである。

『古代人は。古代人は』と言うが、行動を公平に考えると、その言葉を履行できない者達だからである。

(良い意味で)狂人的な人もまた、必ずしも得る事はできないのである。

そのため、汚れたものを快く思わない一人前である者を得て、その者の味方をしたいと(ほっ)するのである。

これが、(良い意味で)頑固な人なのである。

この(良い意味で)頑固な人もまた、『両極端に(かたよ)らず正しい言行をする人』の次の人達なのである。

孔子 先生は言いました。

『私、孔子の門に入門して通り過ぎて、私、孔子の部屋に入室しない、私、孔子の奥義に入らないでも残念に思わない者どもは、郷原、郷愿、故郷の中などでの名声のために善人のふりをする矮小な者どもである。

郷原、郷愿、故郷の中などでの名声のために善人のふりをする矮小な者どもは、徳、善行に対する賊、盗人である』と」


 万章が言った。

「どのようであれば、『郷原』、『郷愿』、『故郷の中などでの名声のために善人のふりをする矮小な者ども』と言えるのでしょうか?」


 孟子 先生は言った。

「『(郷原、郷愿は、)どうして、嘐嘐と言う事は大きいのか?

言葉は、自分の行いを顧みていない。

行いも、自分の言葉を顧みていない。

古代人は。古代人は。と言う。

行動して、どうして、踽踽と孤立しているし、涼涼と、よそよそしく他人に親しまないのか?

この世に生まれたので、この世的な俗世的な行動を()すのである。

良ければ、それで良いのである』と言われています。

閹然と本心を隠して、俗世の人々に媚びへつらう者が、『郷原』、『郷愿』、『故郷の中などでの名声のために善人のふりをする矮小な者ども』なのである」


 万章が言った。

「一集落の人々が皆、『実直な人である』とほめるし、どの場所へ行っても、『実直な人』なのであろう。

孔子 先生は、どうして、『徳、善行に対する賊、盗人である』としたのでしょうか?」


 孟子 先生は言った。

「非難しようにも、挙げるべき(すき)が無いからである。

俗世の俗習に賛同するし、汚れた俗世に合流するからである。

誠実さに似て非なる物に留まり、清廉潔白に似て非なる事を行うからである。

大衆は皆、喜んでしまい、自身も『自分は正しい』と見なしてしまうが、共に堯と、舜の道理、真理に入る事はできないのである。

そのため、孔子 先生は言いました。

『徳、善行に対する賊、盗人である』と。

さらに、孔子 先生は言いました。

『似て非なる者どもを憎悪する。

苗を乱すのを恐れて、雑草を憎悪する。

正義を乱すのを恐れて、口先だけの者どもを憎悪する。

誠実さを乱すのを恐れて、(悪い意味で)利口な者どもを憎悪する。

正しい音楽を乱すのを恐れて、鄭という国の音楽を憎悪する。

国の公式であった朱色の地位を乱すのを恐れて、国の公式ではない紫色を憎悪する。

徳、善行、善を乱すのを恐れて、郷原、郷愿、故郷の中などでの名声のために善人のふりをする矮小な者どもを憎悪する』と。

王者は、道である正義に筋を通して帰るだけなのである。

筋を通して正せば、人々は立ち上がってくれるのである。

人々が立ち上がってくれれば、そこに邪悪な者どもはいなく成るのである」





 孟子、曰。

(より)、堯、舜、至、於、湯( = 湯王)、五百有余歳。

(のよう)、禹、皋陶、(すなわち)(みる)、而、知、(これ)

(のよう)、湯( = 湯王)、(すなわち)、聞、而、知、(これ)

(より)、湯( = 湯王)、至、於、文王、五百有余歳。

(のよう)、伊尹、莱朱、(すなわち)(みる)、而、知、(これ)

(のよう)、文王、(すなわち)、聞、而、知、(これ)

(より)、文王、至、於、孔子、五百有余歳。

(のよう)、太公望、散宜生、(すなわち)(みる)、而、知、(これ)

(のよう)、孔子、(すなわち)、聞、而、知、(これ)

(より)、孔子、而来、至、於、今、百有余歳。

去、聖人、()、世、若此(このよう)(それ)、未、遠、也。

近、聖人之居、若此(このよう)(それ)、甚、也。

然、而、(ない)、有、乎、爾、(すなわち)(また)(ない)、有、乎、爾」



 孟子 先生は言った。

「堯や、舜から、殷の湯王に至るまで、五百年余りなのである。

禹や、皋陶のような者達は、(堯や、舜を直接的に)見て知っていたのである。

殷の湯王のような者達は、(堯や、舜について間接的に)聞いて知ったのである。

殷の湯王から、周王朝の文王に至るまで、五百年余りなのである。

伊尹や、莱朱のような者達は、(殷の湯王を直接的に)見て知っていたのである。

周王朝の文王のような者達は、(殷の湯王について間接的に)聞いて知ったのである。

周王朝の文王から、孔子 先生に至るまで、五百年余りなのである。

太公望や、散宜生のような者達は、(周王朝の文王を直接的に)見て知っていたのである。

孔子 先生のような者達は、(周王朝の文王について間接的に)聞いて知ったのである。

孔子 先生から、今に至るまで、百年余りなのである。

聖人が、この世を去ってしまってから、このように、未だ遠い時代ではないのである。

聖人がいた場所は、このように、とても近いのである。

しかし、実際に有った事が『無かった』とされてしまえば、聖人の考えの復活もまた無くなってしまうのである」

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