告子 上
告子 上
告子、曰。
「性、猶、杞柳、也。
義、猶、桮棬、也。
以、人、性、為、仁義、猶、以、杞柳、為、桮棬」
孟子、曰。
「子、
能、順、杞柳之性、而、以、為、桮棬、乎?
将、戕賊、杞柳、而、後、以、為、桮棬、也?
如、将、戕賊、杞柳、而、以、為、桮棬、則、亦、将、戕賊、人、以、為、仁義、与?
率、天下之人、而、禍、仁義、者、必、子之言、夫」
告子が言った。
「人の性質は、ちょうど、曲げて器にできるコリヤナギのようなのである。
正義は、ちょうど、コリヤナギという木を曲げて作った器なのである。
人の性質によって思いやりや正義を為すのは、ちょうど、コリヤナギという木を曲げて器を作る事なのである」
孟子 先生は言った。
「あなた、告子の説では、
コリヤナギの性質によって器を作るのか?
それとも、コリヤナギの性質を壊した後で、器を作るのか?
もしコリヤナギの性質を壊して器を作るのであれば、人の性質も壊して思いやりや正義を為すのか?
天下の人々を(誤って)導いてしまい、思いやりや正義を妨害してしまう物は、必ず、あなた、告子の言葉のような代物なのである」
告子、曰。
「性、猶、湍水、也。
決、諸、東方、則、東、流。
決、諸、西方、則、西、流。
人、性、之、無、分、於、善、不善、也、猶、水、之、無、分、於、東西、也」
孟子、曰。
「水、信、無、分、於、東西、無、分、於、上下、乎?
人、性、之、善、也、猶、水、之、就、下、也。
人、無、有、不、善。
水、無、有、不、下。
今、夫、水、搏、而、躍、之、可、使、過、顙、激、而、行、之、可、使、在、山。
是、豈、水之性、哉?
其勢、則、然、也。
人、之、可、使、為、不善、其性、亦、猶、是、也」
告子が言った。
「人の性質は、ちょうど、回転して流れている水のような物なのです。
東の方向に流れるように決まれば、東に流れます。
西の方向に流れるように決まれば、西に流れます。
人の性質が善悪に分かれていないのは、ちょうど、水が東西に分かれていないような物なのです」
孟子 先生は言った。
「水が、東西に分かれていなければ、上下にも分かれていないのか?
人の性質のうち善性は、ちょうど、水が下へ低い所へ流れていくような物なのである。
人には善性が有る。
水には下へ低い所へ流れていく性質が有る。
今、水を打ち出して跳躍させれば、額を超越して通過させる事ができるし、流れを激しくして逆行させれば山の上に流れて行かせる事もできる。
しかし、これが、どうして、(本来の)水の性質のままであろうか? いいえ!
外部からの力の勢いが、そう(、水の性質ではないように)させているだけなのである。
人に悪事をさせる事ができる、という性質もまた、ちょうど、そのよう(に、人の性質ではないようにさせているだけ)なのである」
告子、曰。
「生、之、謂、『性』」
孟子、曰。
「生、之、謂、『性』、也、猶、白、之、謂、『白』、与?」
曰。
「然」
「白羽之白、也、猶、白雪之白?
白雪之白、猶、白玉之白、歟?」
曰。
「然」
「然、則、
犬之性、猶、牛之性?
牛之性、猶、人之性、歟?」
告子が言った。
「先天性の物を『性質』と言うのである」
孟子 先生は言った。
「先天性の物を『性質』と言うのは、ちょうど、白いものを『白い』と言うような物ではないか?」
告子が言った。
「そうです」
(孟子 先生は言った。)
「白い羽が白いのは、ちょうど、白い雪が白いような物なのか?
白い雪が白いのは、ちょうど、白い宝玉が白いような物なのか?
告子が言った。
「そうです」
(孟子 先生は言った。)
「そうであるならば、
犬の性質は、ちょうど、牛の性質のような物なのか?
牛の性質は、ちょうど、人の性質のような物なのか?」
告子、曰。
「食色、性、也。
仁、内、也。非、外、也。
義、外、也、非、内、也」
孟子、曰。
「何、以、謂、『仁、内。義、外』、也?」
曰。
「彼、長、而、我、長、之。
非、有、長、於、我、也。
猶、彼、白、而、我、白、之。
従、其白、於、外、也。
故、謂、之、『外』、也」
曰。
「白馬之白、也、無、以、異、於、白人之白、也。
不、識?
長、馬、之、長、也、無、以、異、於、長、人、之、長、歟?
且、謂、長、者、義、乎? 長、之、者、義、乎?」
曰。
「吾弟、則、愛、之、秦、人、之、弟、則、不、愛、也。
是、以、我、為、悦、者、也。
故、謂、之、『内』。
長、楚人之長、亦、長、吾之長。
是、以、長、為、悦、者、也。
故、謂、之、『外』、也」
曰。
「耆、秦人之炙、無、以、異、於、耆、吾炙。
夫、物、則、亦、有、然、者、也。
然、則、耆、炙、亦、有、外、歟?」
告子が言った。
「食欲と、『色欲』、『性欲』が、人の性質なのである。
思いやりは内である。外ではない。
正義は外である。内ではない」
孟子 先生は言った。
「なぜ、『思いやりは内である。正義は外である』と言ってしまっているのか?」
告子が言った。
「ある人が年長者であると、私は、その人を年長者として敬う。(それは正義である。)
しかし、私には年長者という性質は無い。
ちょうど、ある人が白いと、私は、その人を白いとするような物なのである。(しかし、私には白いという性質は無い。)
したがって、その白いとは、外にある。
そのため、『正義は外である』と言ったのである」
孟子 先生は言った。
「白馬が白いのは、白い人が白いのと、同じに成ってしまう。
そうであるならば、どうであろうか?
年長者の馬を年長者として考慮して養うのは、年長者の人を年長者として敬うのと、同じに成ってしまうのか?
また、『年長者という性質は正義である』と思ってしまっているのか? 『年長者として敬うのは正義である』と思うのか?」
告子が言った。
「私の家族の弟は愛するが、秦という外国の他人の弟は愛さない。
これは、私が、(愛という)喜ばしい物を作っている者だからである。
そのため、『思いやり(、愛情、愛)は内である』と言ったのである。
楚という外国の他人の年長を年長者として敬うし、また、私の家族の年長者を年長者として敬う。
これは、(私には無い)年長者という性質が、(敬意という)喜ばしい物を作っている物だからである。
そのため、『(年長者として敬うという)正義は外である』と言ったのである」
孟子 先生は言った。
「秦という外国人の焼肉を好むのも、私の家族の焼肉を好むのも、同じである。
どんな物でもまた、同様な物なのである。
それでは、焼肉を好む事の中にもまた、外が有るのか?」
孟季子、問、公都子、曰。
「何、以、謂、『義、内』、也?」
曰。
「行、吾敬。
故、謂、之、『内』、也」
「郷人、長、於、伯兄、一歳、則、誰、敬?」
曰。
「敬、兄」
「酌、則、誰、先?」
曰。
「先、酌、郷人」
「所、敬、在、此。
所、長、在、彼。
果、在、外。
非、由、内、也」
公都子、不能、答。
以、告、孟子。
孟子、曰。
「『敬、叔父、乎? 敬、弟、乎?』。
彼、将、曰、『敬、叔父』。
曰、『弟、為、尸、則、誰、敬?』
彼、将、曰、『敬、弟』。
子、曰、『悪、在、其、敬、叔父、也?』。
彼、将、曰、『在、位、故、也』。
子、亦、曰、『在、位、故、也、庸、敬、在、兄、斯須之敬、在、郷人』」
季子( = 孟季子)、聞、之、曰。
「敬、叔父、則、敬、敬、弟、則、敬、果、在、外。
非、由、内、也」
公都子、曰。
「冬、日、則、飲、湯、夏、日、則、飲、水。
然、則、飲食、亦、在、外、也?」
孟季子が公都子に質問して言った。
「なぜ、『正義は内である』と言っているのか?」
公都子が言った。
「私の敬意を実行するからである。(敬意を実行するのは正義である。)
そのため、『正義は内である』と言っているのである」
(孟季子が言った。)
「故郷の他人の年長者が、あなたの家族の長兄よりも一歳、年上であれば、どちらをより敬うのか?」
公都子が言った。
「長兄を敬います」
(孟季子が言った。)
「酒を酌むのであれば、どちらを優先するのか?」
公都子が言った。
「故郷の他人の年長者に優先して酒を酌みます」
(孟季子が言った。)
「敬っているのは、自分の家族の長兄である。
しかし、年長者として優先するのは、故郷の他人の年長者である。
果たして、外に在る対象に左右されていますよね。
あなたの心の内からの物ではないですよね」
公都子は孟季子に答える事ができなかった。
そのため、公都子は、孟季子との話を、孟子 先生に告げ知らせた。
孟子 先生は言った。
「(あなた、公都子は、孟季子に、)『叔父を敬っているのか? それとも、弟を敬っているのか?』と言いなさい。
彼、孟季子は、『叔父を敬っている』と言うであろう。
(あなた、公都子は、)『弟が先祖の霊の代わりをする形代の役に成ったら、どちらを敬うのか?』と言いなさい。
彼、孟季子は、『弟を敬う』と言うであろう。
あなた、公都子は、『あなたが、叔父を敬っている、という話は、どこに、行ってしまったのか?』と言いなさい。
彼、孟季子は、『弟を敬うのは、形代という地位が在るからです』と言うであろう。
あなた、公都子もまた、『私、公都子も、地位が在るから、常日頃の敬意は長兄に在り、少しの間だけの敬意は故郷の他人の年長者に在るのです』と言いなさい」
(後に、孟子 先生が教えた通りに、公都子は、孟季子と話した。)
孟季子が、この公都子の言葉を聞いて、言った。
「叔父を敬うべき場合は叔父を敬い、弟を敬うべき場合は弟を敬うならば、外に在る対象に左右されていますよね。
心の内からの物ではないですよね」
公都子が言った。
「冬の日は湯を飲み、夏の日は水を飲みます。(これらは、外に在る対象に左右されています。)
そうであるならば、『飲食したい』という食欲もまた、外に在るのでしょうか? (『食欲は内である』という告子や、あなた、孟季子の言葉と矛盾してしまいますよね)」
公都子、曰。
「告子、曰。
『性、無、善、無、不善、也』。
或、曰。
『性、可、以、為、善、可、以、為、不善。
是故、文、武、興、則、民、好、善、幽、厲、興、則、民、好、暴』。
或、曰。
『有、性、善。
有、性、不善。
是故、以、堯、為、君、而、有、象。
以、瞽瞍、為、父、而、有、舜。
以、紂、為、兄之子、且、以、為、君、而、有、微子啓、王子、比干』。
今、曰。
『性、善』。
然、則、彼、皆、非、歟?」
孟子、曰。
「乃、若、其情、則、可、以、為、善、矣。
乃、所謂、善、也。
若、夫、為、不善、非、才之罪、也。
惻隠之心、人、皆、有、之。
羞悪之心、人、皆、有、之。
恭敬之心、人、皆、有、之。
是非之心、人、皆、有、之。
惻隠之心、仁、也。
羞悪之心、義、也。
恭敬之心、礼、也。
是非之心、智、也。
仁義礼智、非、由、外、鑠、我、也。
我、固、有、之、也。
弗、思、耳、矣。
故、曰。
『求、則、得、之。
舎、則、失、之。
或、相、倍蓰、而、無、算、者、不能、尽、其才、者、也』。
『詩』、曰。
『天、生、蒸民。
有、物、有、則。
民、之、秉、夷、好、是懿徳』。
孔子、曰。
『為、此詩、者、其、知、道、乎』。
故、有、物、必、有、則。
民、之、秉、夷、也、故、好、是懿徳」
公都子が孟子 先生に言った。
「告子は言いました。
『人の性質には善悪は無いのである』と。
ある人は言いました。
『人の性質は、善行を為す事もできるし、悪行を為す事もできる。
このため、文王や武王が盛んに成れば人々も善を好むし、幽や厲という暴君が盛んに成れば人々も乱暴な悪を好む』と。
別の、ある人は言いました。
『性質が善である人もいる。
性質が悪である人もいる。
このため、善人である堯が君主に成っていても、舜の弟である悪人である象がいた。
舜の父である悪人である瞽瞍が父であっても、善人である舜がいた。
悪人である紂王が兄の子であっても、かつ、暴君に成っていても、善人である微子や、王子である善人である比干がいた』と。
今、孟子 先生は言っています。
『人の性質には、善(く成るための種のような性質)が有る』と。
孟子 先生の言葉通りであるならば、彼らは皆、正しくないのか?」
孟子 先生は言った。
「人情のような物は、善行を為す事ができるのである。
人情、人の性質には、いわゆる、善(く成るための種のような性質)が有るのである。
悪行を為してしまうような事は、(自由意思による物であり、天の神が与えた)才能の罪、素質の問題ではないのである。
他人を思いやる心が、人には皆、有るのである。
悪を恥じる心が、人には皆、有るのである。
他人を恭しく敬う心、他人に謙遜して譲る心が、人には皆、有るのである。
善悪の是非を判断できる知的な心が、人には皆、有るのである。
他人を思いやる心が、思いやりなのである。
悪を恥じる心が、正義なのである。
他人を恭しく敬う心、他人に謙遜して譲る心が、礼儀なのである。
善悪の是非を判断できる知的な心が、智慧なのである。
思いやり、正義、礼儀、智慧は、外から、光輝いて、私達を照らしている訳ではないのである。
私達には、本より、思いやり、正義、礼儀、智慧が有るのである。
(自由意思によって、思いやり、正義、礼儀、智慧について)思考していないだけなのである。
そのため、言われています。
『求めれば、得られる。
捨ててしまえば、失くしてしまう。
あるいは、人同士の相互の善良さや智慧の差が数倍に成って計算できないほどの物に成るのは、自分の才能、素質、力を尽くす事ができていない事による物なのである』と。
『詩経』で言われています。
『天の神が人々(などの万物)を生じている。
(そのため、)万物には、法則が有るのである。
人々は、平安を選び取れば、そのような美徳を好むであろう』と。
孔子 先生は言いました。
『この詩経の詩の作者は、道理、真理を知っている』と。
そのため、万物には、法則が有るのである。
人々は、平安を選び取れば、このため、そのような美徳を好むのである」
孟子、曰。
「富歳、子弟、多、頼。
凶歳、子弟、多、暴。
非、天、之、降、才、爾、殊、也。
其、所以、陥溺、其心、者、然、也。
今、夫、麰、麦、播、種、而、耰、之。
其地、同、樹、之、時、又、同。
浡然、而、生、至、於、日至之時、皆、熟、矣。
雖、有、不同、則、地、有、肥磽、雨露之養、人事、之、不、斉、也。
故、凡、同類、者、挙、相、似、也。
何、独、至、於、人、而、疑、之?
聖人、与、我、同類、者。
故、龍子、曰。
『不、知、足、而、為、屦、我、知、其、不、為、蕢、也』。
屦、之、相、似、天下之足、同、也。
口、之、於、味、有、同、耆、也。
易牙、先、得、我口、之、所、耆、者、也。
如、使、口、之、於、味、也、其性、与、人、殊、若、犬、馬、之、与、我、不、同類、也、則、天下、何、耆、皆、従、易牙、之、於、味、也?
至、於、味、天下、期、於、易牙。
是、天下之口、相、似、也。
惟、耳、亦、然。
至、於、声、天下、期、於、師曠。
是、天下之耳、相、似、也。
惟、目、亦、然。
至、於、子都、天下、莫、不、知、其姣、也。
不、知、子都之姣、者、無、目、者、也。
故、曰。
『口、之、於、味、也、有、同、耆、焉。
耳、之、於、声、也、有、同、聴、焉。
目、之、於、色、也、有、同、美、焉。
至、於、心、独、無、所、同、然、乎?』。
心、之、所、同、然、者、何、也?
謂、理、也、義、也。
聖人、先、得、我心、之、所、同、然、耳。
故、理、義、之、悦、我心、猶、芻豢、之、悦、我口」
孟子 先生は言った。
「豊作の年は、若者には、他人を頼ってしまう者が多い。
凶作の年は、若者には、乱暴な者が多い。
天の神からの才能が、そのように、異なっている訳ではないのである。
なぜなら、自分の心を肉欲に熱中させてしまう者が、そうなってしまうのである。
今、大麦などの麦の種を播いて土をかぶせたとします。
その土地も同じですし、種を植えた時もまた同じです。
種は、盛んに芽などを生じて、夏至の時に至ると、皆、熟します。
違いが有っても、土地には土地の肥沃さの違いが有りますし、雨や露による栄養の違いが有りますし、人による仕事の違いが有ります。
そのため、一般的に、同類のものは皆、相互に似ています。
どうして、人に至ってだけ、単独で、同類の者は似ているが、違いが生じるのを疑うのか?
聖人と、私達、人は同類の者達でした。
そのため、龍子は言いました。
『履く人を知らずに作られた靴でも、私は、それが土を運ぶ籠ではない(、靴である)のが分かる』と。
靴が相互に似ているのは、天下の人々の足が同類だからである。
口の味覚でも、同類の味を好みます。
有名な料理人である易牙は、誰よりも先んじて、私達、人の口の味覚が好む味を『会得』、『理解』しているのです。
もし、犬や馬の味覚と、私達、人の味覚が異なるように、口の味覚の、有名な料理人である易牙の性質と、他人の性質が異なるようにさせる事ができたら、天下の人々が皆、易牙の味を好む事は無いであろう!
味に至っては、天下の人々は、有名な料理人である易牙に期待できるのです。
これは、天下の人々の口の味覚が相互に似ているからなのです。
耳もまた同様なのです。
音声に至っては、天下の人々は、有名な音楽家である師曠に期待できるのです。
これは、天下の人々の耳の聴覚が相互に似ているからなのです。
目もまた同様なのです。
有名な美形の男性である子都に至っては、天下の人々で、その美しさを知らない人はいません。
有名な美形の男性である子都の美しさを知らない者は、目が無い者くらいであろう。
そのため、私、孟子は、言います。
『味に対する、口の味覚は、同じものを好む事が有ります。
音声に対する、耳の聴覚は、同じものを好んで聴く事が有ります。
色形に対する、目の視覚は、同じものを美しいとして好む事が有ります。
心に至ってだけ、単独で、同じものを正しいとして好まない事など有り得ようか? いいえ!』と。
心が、同じものを正しいとして好むものとは、何か?
言ってみれば、理であるし、正義である。
聖人達は、私達よりも先んじて、私達、人の心が同じく正しいとして好むものを『会得』、『理解』しているだけなのです。
そのため、ちょうど、家畜の肉が私達、人の口の味覚を喜ばせるように、理や正義は、私達、人の心を喜ばせるのです」
孟子、曰。
「牛山之木、嘗、美、矣。
以、其、郊、於、大国、也、斧斤、伐、之。
可、以、為、美、乎?
是、其日夜、之、所、息、雨露、之、所、潤、非、無、萌蘗之生、焉。
牛、羊、又、従、而、牧、之。
是、以、若、彼、濯濯、也。
人、見、其濯濯、也、以、為、未、嘗、有、材、焉。
此、豈、山之性、也、哉?
雖、存、乎、人、者、豈、無、仁義之心、哉?
其、所以、放、其良心、者、亦、猶、斧斤、之、於、木、也。
旦旦、而、伐、之、可、以、為、美、乎?
其日夜、之、所、息、平旦之気。
其好悪、与、人、相、近、也、者、幾、希、則、其旦、昼、之、所、為、有、梏亡、之、矣。
梏、之、反覆、則、其夜気、不足、以、存。
夜気、不足、以、存、則、其、違、禽獣、不、遠、矣。
人、見、其禽獣、也、而、以、為、未、嘗、有、才、焉、者。
是、豈、人之情、也、哉?
故、苟、得、其養、無、物、不、長。
苟、失、其養、無、物、不、消。
孔子、曰。
『操、則、存。
舎、則、亡。
出入、無、時。
莫、知、其郷。
惟、心、之、謂、与』」
孟子 先生は言った。
「牛山という山は、森が、かつて美しかった。
牛山は、大国の郊外であったので、(その大国の人々は、)斧で、牛山の森の木を伐採してしまいました。
そのせいで、牛山は、森を、美しいとする事ができなく成ってしまった!
牛山の森の木の、日夜の恒常的な生命力は、雨や露の潤いによって、木の芽を生じます。
しかし、牛や、羊を、この牛山に放牧してしまって(木の芽を食べさせてしまって)いるのです。
このため、かの牛山は、禿山なのである。
人は、牛山が禿山であるのを見ると、『未だかつて(木を生やす)才能、力が無いのである』と見なしてしまう。
しかし、これが、どうして山の性質であろうか? いいえ!
人に存在する才能でも同様であり、思いやりや正義の心が無いのが、どうして人の性質であろうか? いいえ!
思いやりや正義の心が無い理由は、ちょうど、斧で木を伐採してしまうように、自分の良心を放棄してしまうからなのである。
毎日、木を伐採してしまうように、自分の良心を放棄してしまったら、『自分の心は美しい』と見なせるであろうか? いいえ!
人の心にも、日夜の恒常的な生命力である、『夜明けの気』、『知恵による気』が有る。
しかし、人の心の、善を好み悪を憎悪する、善悪の是非を判断できる知的な心が、聖人、真の人と相互に近い者が希少に近いのは、朝と昼という日中の行動が、この善悪の是非を判断できる知的な心を乱して失わせてしまうからなのである。
この善悪の是非を判断できる知的な心を乱してしまうのをくり返してしまえば、夜の気だけでは存在させるのに不足してしまうのである。
夜の気だけでは存在させるのに不足してしまえば、獣、動物的人間、人でなしに近づいてしまうのである。
人は、獣、動物的人間、人でなしの人を見ると、『未だかつて(思いやりや正義の心を生じる)才能、力が無いものなのである』と見なしてしまう。
しかし、これが、どうして、人情、人の性質であろうか? いいえ!
そのため、仮に、栄養を得れば、成長しないものは無いのである。
仮に、栄養を失ってしまえば、消滅しないものは無いのである。
孔子 先生は言いました。
『選び取れば、存在する。
捨ててしまえば、滅びてしまう。
出入りする時を知覚できない。
故郷、根源を知る事ができない。
これは、心について言っているのであろうか』と」
孟子、曰。
「無、或、乎、王之不智、也。
雖、有、天下、易、生、之、物、也、一日、暴、之、十日、寒、之、未、有、能、生、者、也。
吾、見、亦、罕、矣。
吾、退、而、寒、之、者、至、矣。
吾、如、有、萌、焉、何、哉?
今、夫、奕、之、為、数、小数、也、不、専、心、致、志、則、不、得、也。
奕、『秋』、通国、之、善、奕、者、也。
使、奕、『秋』、誨、二人、奕。
其一人、専、心、致、志、惟、奕、『秋』、之、為、聴。
一人、雖、聴、之、一心、以、為、『有、鴻鵠、将、至』、思、『援、弓繳、而、射、之』、雖、与、之、倶、学、弗若、之、矣。
為、是、其智、弗若、与?
曰、非、然、也」
孟子 先生は言った。
「王の愚かさをあやしむ事は無いのである。
天下一、生じやすいものが有っても、一日間しか日に当てて暖めず、十日間、寒さで冷やしてしまえば、生じる事ができるものは未だ無いのである。
私、孟子もまた、王に会えるのは稀なのです。
私、孟子が王の所から退出すると、王の心や知恵を寒さで冷やしてしまう者どもが到来します。
私、孟子は、どうしたら、王の心や知恵の芽を生じさせる事ができるというのか? いいえ! できない!
今、囲碁をしてきた回数は少数ですが、専心して志さなければ、(囲碁を)会得できません。
囲碁の達人である秋は、国で一番の囲碁の達人の者です。
囲碁の達人である秋に、二人の人へ囲碁を教えさせたとします。
それらのうちの一方の一人は、専心して志して、ただ、ひたすら、囲碁の達人である秋の教えを聴き入れたとします。
他方の、もう一人は、囲碁の達人である秋の教えを聴いても、一心に『大きな鳥が到来しようとしている』と思ってしまい、『弓で糸をつけた矢を引いて、この大きな鳥を射止めたい』と思ってしまっていたら、一方の一人と共に学んでいても、一方の一人には及ばないのです。
これは、その他方の一人の知恵が、一方の一人に及ばないからでしょうか? いいえ!
そうではない、と断言します」
孟子、曰。
「魚、我、所、欲、也。
熊、掌、亦、我、所、欲、也。
二者、不、可、得、兼、舎、魚、而、取、熊、掌、者、也。
生、亦、我、所、欲、也。
義、亦、我、所、欲、也。
二者、不、可、得、兼、舎、生、而、取、義、者、也。
生、亦、我、所、欲、所、欲、有、甚、於、生、者。
故、不、為、苟、得、也。
死、亦、我、所、悪、所、悪、有、甚、於、死、者。
故、患、有、所、不、辟、也。
如、使、人、之、所、欲、莫、甚、於、生、則、凡、可、以、得、生、者、何、不、用、也?
使、人、之、所、悪、莫、甚、於、死、者、則、凡、可、以、辟、患、者、何、不、為、也?
由、是、則、生、而、有、不、用、也。
由、是、則、可、以、辟、患、而、有、不、為、也。
是故、所、欲、有、甚、於、生、者。
所、悪、有、甚、於、死、者。
非、独、賢者、有、是心、也。
人、皆、有、之。
賢者、能、勿、喪、耳。
一、箪、食、一、豆、羹、得、之、則、生、弗、得、則、死、嘑爾、而、与、之、行、道、之、人、弗、受。
蹴爾、而、与、之、乞、人、不、屑、也。
万鍾、則、不、弁、礼義、而、受、之。
万鍾、於、我、何、加、焉?
為、宮室之美、妻妾之奉、所、識、窮乏者、得、我、与?
郷、為、身、死、而、不、受。
今、為、宮室之美、為、之。
郷、為、身、死、而、不、受。
今、為、妻妾之奉、為、之。
郷、為、身、死、而、不、受。
今、為、所、識、窮乏者、得、我、而、為、之。
是、亦、不可以已、乎?
此、之、謂、『失、其本心』」
孟子 先生は言った。
「魚は、私、孟子も欲しい物です。
熊の手もまた、私、孟子も欲しい物です。
これら二つの物を両方共に得る事ができないのであれば、魚を捨てて、熊の手を取る物なのです。
生命もまた、私、孟子も欲しい物です。
正義もまた、私、孟子も欲しい物です。
これら二つの物を両方共に得る事ができないのであれば、生命を捨てて、正義を取る物なのです。
生命もまた、私、孟子も欲しい物ですが、生命よりも、とても欲しい物が有るからなのです。
そのため、仮に、生命を得る事ができても、そうしないのです。
死もまた、私、孟子も嫌う物ですが、死よりも、とても嫌いな物が有るからなのです。
そのため、心配していても、死を避けない場合が有るのです。
もし、人から、生命よりも、とても欲しい物を無くせたら、一般的に、生命を得る事ができるならば、何でも使用してしまうであろう!
もし、人から、死よりも、とても嫌いな物を無くせたら、一般的に、死を心配して避ける事ができるならば、何でもしてしまうであろう!
このため、生命を得る事ができても、生命を得る手段を使用しない場合が有るのである。
このため、死を心配して避ける事ができても、死を避けない場合が有るのである。
そのため、生命よりも、とても欲しい物(である正義)が有るのである。
そのため、死よりも、とても嫌いな物(である悪)が有るのである。
独り、賢者だけが、このような心が有る、という訳ではないのである。
人には皆、このような心が有るのである。
賢者は、このような心をよく失わないだけなのである。
竹の容器一つ分の食べ物や、容器一つ分のスープを得れば生きる事ができ、得られなければ死ぬ場合でも、どなって与えようとすれば、道理、真理を行っている人は受け取らないであろう。
踏みにじるようにして与えようとすれば、乞食をしている人も快く思わないであろう。
しかし、大量の金銭は、礼儀をわきまえずに、受け取ってしまう。
大量の金銭が、私達、人に、何を加える事ができるというのか?
美しい宮殿のためか? 妻へ捧げるためか? 知人の困窮している貧乏人に与えるためか?
過去には、身体が死んでも、受け取らなかったのに。
今では、美しい宮殿のために、受け取ってしまう。
過去には、身体が死んでも、受け取らなかったのに。
今では、妻へ捧げるために、受け取ってしまう。
過去には、身体が死んでも、受け取らなかったのに。
今では、知人の困窮している貧乏人に与えるために、受け取ってしまう。
これもまた、やむを得ずなのか? いいえ!
このようにしてしまうのを『自分の本心を失ってしまっている』と言うのである」
孟子、曰。
「仁、人、心、也。
義、人、路、也。
舎、其路、而、弗、由。
放、其心、而、不、知、求。
哀、哉。
人、有、鶏、犬、放、則、知、求、之。
有、放、心、而、不、知、求。
学問之道、無、他、求、其放心、而已、矣」
孟子 先生は言った。
「思いやりは、人の心なのである。
正義は、人の道なのである。
正義という道を捨ててしまって、正義という道によらずに悪行をしてしまう。
思いやりという心を放棄してしまって、求める事すら知らない。
悲しいかな。
人は、鶏や、犬を(誤って)解き放ってしまう事が有れば、これらを求める事を知っている。
思いやりという心を放棄してしまう事が有っても、求める事すら知らない。
学問という道は、他でもない、放棄してしまっている思いやりという心を求めているだけなのである」
孟子、曰。
「今、有、無名之指、屈、而、不、信。
非、疾痛、害、事、也。
如、有、能、信、之、者、則、不、遠、秦、楚之路。
為、指、之、不若、人、也。
指、不若、人、則、知、悪、之。
心、不若、人、則、不、知、悪。
此、之、謂、『不、知、類』、也」
孟子 先生は言った。
「今、薬指が曲がって伸びなく成ってしまったとします。
病気や痛みは無いので、仕事に支障は無いとします。
もし、この曲がったままの薬指を伸ばす事ができる者がいれば、秦という国や、楚という国への道の距離を遠いとしないで、その者の所へ行くであろう。
自分の曲がったままの薬指が、他人の普通の薬指に及ばないためである。
自分の曲がったままの薬指が、他人の普通の薬指に及ばないのは、憎悪する事を知っている。
しかし、自分のねじ曲がったままの心が、他人の善良な心に及ばないのは、憎悪する事すら知らないのである。
このようであるのを『分類を知らない』と言うのである」
孟子、曰。
「拱把之桐、梓、人、苟、欲、生、之、皆、知、所以、養、之、者。
至、於、身、而、不知、所以、養、之、者。
豈、愛、身、不若、桐、梓、哉?
弗、思、甚、也」
孟子 先生は言った。
「一握りの太さの桐や梓を、人が、仮に、生育したいと欲したら、皆、養う方法を知っている物なのである。
しかし、自身(の心)に至っては、修養する方法を知らない物なのである。
どうして、自身(の心)への愛着は、桐や梓に及ばないであろうか? いいえ!
思考しない事が、はなはだし過ぎるのである」
孟子、曰。
「人、之、於、身、也、兼、所、愛。
兼、所、愛、則、兼、所、養、也。
無、尺寸之膚、不、愛、焉、則、無、尺寸之膚、不、養、也。
所以、考、其善、不善、者、豈、有、他、哉? 於、己、取、之、而已、矣。
体、有、貴賤、有、小大。
無、以、小、害、大。
無、以、賤、害、貴。
養、其小、者、為、小人。
養、其大、者、為、大人。
今、有、場師。
舎、其梧、檟、養、其樲、棘、則、為、賤、場師、焉。
養、其一指、而、失、其肩、背、而、不知、也、則、為、狼疾人、也。
飲食之人、則、人、賤、之、矣。
為、其、養、小、以、失、大、也。
飲食之人、無、有、失、也、則、口、腹、豈、適、為、尺寸之膚、哉?」
孟子 先生は言った。
「人は、自身に対しては、全てを兼ね合わせて愛する。
全てを兼ね合わせて愛せば、全てを兼ね合わせて養う。
わずかな皮膚でも愛せば、わずかな皮膚でも養う。
養う方法の良し悪しを考えれば、どうして責任が他人に有るであろうか? いいえ! 責任は自身にしか無いのである。
体には貴賤が有るし、優劣が有る。
劣悪な部分で、優良な部分を損なう事はしない。
卑賤な部分で、高貴な部分を損なう事はしない。
それなのに、劣悪な部分を養ってしまう者が、矮小な人なのである。
優良な部分を養う者が、大いなる人なのである。
今、庭師がいるとします。
桐や檟を捨てて、樲やいばらを養ったら、劣悪な庭師と見なされるであろう。
一本の指を養って、肩や背中を失ったら、乱心した人と見なされるであろう。
飲食するだけの動物的人間を、人は劣悪であるとします。
飲食するだけの動物的人間は、劣悪な部分を養って、優良な部分を失ってしまうためです。
飲食するだけの動物的人間でも、優良な部分を失わない場合が有るが、口や腹を、わずかな皮膚のために犠牲にしないからである!」
公都子、問、曰。
「鈞、是、人、也。
或、為、大人。
或、為、小人。
何、也?」
孟子、曰。
「従、其大体、為、大人。
従、其小体、為、小人」
曰。
「鈞、是、人、也。
或、従、其大体。
或、従、其小体。
何、也?」
曰。
「耳、目之官、不、思、而、蔽、於、物。
物、交、物、則、引、之、而已、矣。
心之官、則、思。
思、則、得、之。
不、思、則、不、得、也。
比、天、之、所、与、我、者、先、立、乎、其大者、則、其小者、不、能、奪、也。
此、為、大人、而已、矣」
公都子が孟子 先生に質問して言った。
「等しかったのが人なのです。
それなのに、ある人は、大いなる人に成ります。
別の、ある人は、矮小な人に成ってしまいます。
なぜ、でしょうか?」
孟子 先生は言った。
「自分の体の優良な部分に従えば、大いなる人と成ります。
自分の体の劣悪な部分に従ってしまえば、矮小な人に成ってしまいます」
公都子が言った。
「等しかったのが人なのです。
それなのに、ある人は、自分の体の優良な部分に従います。
別の、ある人は、自分の体の劣悪な部分に従ってしまいます。
なぜ、でしょうか?」
孟子 先生は言った。
「耳や目などの器官は、思考力が無いので、物によって覆われてしまう。
物である耳や目などの器官が、物と交流すると、物にひかれてしまうだけなのです。
心の器官は、思考力が有ります。
思考すれば、道理、真理を『会得』、『理解』できます。
思考しなければ、道理、真理を『会得』、『理解』できないのです。
この心は、天の神が私達、人に与えてくれている物で、先に、心という優良な部分を確立すれば、劣悪な部分は簒奪できなく成るのである。
このようにしているのが、大いなる人に成っているだけなのです」
孟子、曰。
「有、天爵、者。
有、人爵、者。
仁義、忠信、楽、善、不、倦、此、天爵、也。
公、卿、大夫、此、人爵、也。
古之人、修、其天爵、而、人爵、従、之。
今之人、修、其天爵、以、要、人爵。
既、得、人爵、而、棄、其天爵、則、惑之甚者、也。
終、亦、必、亡、而已、矣」
孟子 先生は言った。
「天爵という物が有ります。
人爵という物が有ります。
思いやりや、正義や、誠実さや、善行を楽しむ事や、善行に飽きない事、これらが天爵なのです。
公爵という地位や、卿という高官の地位や、大夫という上級の役人の地位、これらが人爵なのです。
古代人は、天爵を修行し、人爵は天爵に応じて与えられました。
今の人は、天爵を修行し、天爵によって人爵を求めます。
人爵を得て、天爵を放棄してしまったら、迷いの激しい者であろう。
そのような人は、終には必ず、滅びるだけである」
孟子、曰。
「欲、貴、者、人、之、同、心、也。
人人、有、貴、於、己、者。
弗、思、耳、矣。
人、之、所、貴、者、非、良、貴、也。
趙孟、之、所、貴、趙孟、能、賤、之。
『詩』、云。
『既、酔、以、酒、既、飽、以、徳』。
言、飽、乎、仁義、也。
所以、不、願、人之膏粱之味、也。
令聞広誉、施、於、身。
所以、不、願、人之文繍、也」
孟子 先生は言った。
「高貴な物を欲するのは、人が、同じく持っている心なのである。
(実は、)人々は、自分の中に、高貴な物を所有していたのである。
思考してこなかっただけなのである。
人が(人為的に)高貴にしている物は、善い高貴な物ではない。
有名な権力者である趙孟が(人為的に)高貴にしている物は、趙孟が(人為的に)卑賤にできてしまう物なのである。
『詩経』で言われています。
『既に(徳、善行という)酒に酔っています。
既に徳、善行(という酒)に満足しています』と。
この言葉は、思いやりや正義を十分にしている事を言っているのである。
そうであれば、他人の高貴な地位を願わなく成ります。
そうであれば、(真の)名声を自身に与える事ができます。
そうであれば、他人の美しい模様の衣服である虚偽の名声を願わなく成ります」
孟子、曰。
「仁、之、勝、不仁、也、猶、水、之、勝、火。
今、之、為、仁、者、猶、以、一杯、水、救、一車、薪之火、也。
不、熄、則、謂、之、『水、不、勝、火』。
此、又、与、於、不仁、之、甚、者、也。
亦、終、必、亡、而已、矣」
孟子 先生は言った。
「思いやりが、思いやりの無さに勝つのは、ちょうど、水が火に打ち勝って消すような物なのです。
今の慈善行為をしている者は、ちょうど、一杯の水で、車一台分の薪の火を消火しようとしているものなのです。
火がやまなければ、『水は火に打ち勝てない』、『思いやりは、思いやりの無さに勝てない』と言ってしまいます。
このように言ってしまう者どもは、また、思いやりの無さに味方してしまう者どものうち、ひどい者どもでもあります。
このように言ってしまう者どももまた、終には必ず、滅びてしまうだけなのです」
孟子、曰。
「五穀、者、種之美者、也。
苟、為、不、熟、不如、荑、稗。
夫、仁、亦、在、乎、熟、之、而已、矣」
孟子 先生は言った。
「五穀は、穀物の種のうち優れている物なのです。
仮に、穀物が熟さなければ、イヌビエやヒエという穀物に及ばないのです。
思いやりもまた、熟させる必要が有るだけなのです」
孟子、曰。
「羿、之、教、人、射、必、志、於、彀。
学者、亦、必、志、於、彀。
大匠、誨、人、必、以、規矩。
学者、亦、必、以、規矩」
孟子 先生は言った。
「羿が、他人に、弓で矢を射る技術を教える時には必ず、的を目標として志させます。
学者もまた、目標を志させます。
大工が、他人に教える時には必ず、基準と成る、コンパスと、L字形の定規を利用します。
学者もまた、規則、規範、手本と成るものを利用します」