お宮当番って知ってますか?地域行事自粛4年、今年から消えたのはこんな「お仕事」でした
居住地域の役務というやつは本当に様々ある。
ここは田舎なんで特に、昔から続く習わしで地域密着の仕事がこれでもか!ってほどたーくさん。そのなかのひとつ「お宮当番」というのを、数年前にやった。
地域の氏神様である神社で行われる神事のため、様々な準備や片づけをする裏方仕事の係だ。
行政区割りの末端、数十軒で構成される「組」のなかで、家単位の持ち回り輪番で進む。1グループ6軒くらいで1年間、ご奉仕することとなる。
以前から「お宮当番」といえば各家庭の主婦が担う役目、となって居た。なぜなら、その仕事の大部分が「掃除」「買い出し」「煮炊き」「おふるまい」に関する仕事だったからだ。
年配の人たちはよく当番に当たった人たちを「女衆ら(おんなしゅうら)」って言っていた。宮当番以外にも炊き出しやおふるまいの奉仕が求められる行事は凄く色々あって、出向く度にそう呼ばれた。個人的には、この括り方・呼ばれ方は大っ嫌いだった(笑)。
その言葉を耳にすることは時代の変遷と共に少しずつ減ってはいたものの、自分が当番になった当時にはまだ地域内に色濃くそんな呼称と認識が残っていた。
輪番だから、避けようもない仕事だ。
PTAやら子供会やらスポーツ少年団等々、仕事と家庭のほかに幾重も役務を背負っていた中に降ってわいたかのように巡ってきたこの当番は、なかなかハードな仕事だった。
当地に住むようになって10年くらい経っていたけど、そういう係の存在自体を知らなかったし全ての事が初めて。最初の1-2回はまったく勝手がわからず????の連続で、非常に戸惑ったものだ。
氏神様をお祭りしてる神社で、年中行事のお祭りごとって結構あって。当番に当たって初めて知った事も多かった。
3月、春の例大祭で旧当番と新当番が合同で立ち働くことになっていた。そこで引き継ぎになるので、お宮当番の1年はそこから始まる。
次が夏の風祭、奉納相撲、子供神輿、七五三、秋の大祭、除夜祭、元旦祭、成人式。そして春の大祭で一巡だ。
これらの神事の準備から片づけまで、直会での飲食に関する裏方仕事を担うのが、当地の「お宮当番」ってやつだった。
余談だが、大量の赤飯を炊きそれをおにぎりにする「おにぎり係」っていうのもお宮当番とは別に、やはり輪番制で受け継がれていた。自分がお宮当番になった頃、長年赤飯を炊いてくれてた商店主が高齢で引退されたため、その係は廃止されたけど。
「お宮当番」の一日は、行事と参列者にも拠るけど大方こんな感じだ。
お社の鍵を管理し、当日朝早くに扉を開け放ち内外の清掃をするところから始まる。
背の高い「社の森」に囲まれ一日中日光は入らないし、春になっても遅くまで底冷えがして滅茶苦茶寒い。小さなストーブで暖を取りながら皆でモクモクと拝殿内を隅々までお掃除する。
でっかい鯛とかスルメや昆布、寒天、米、塩、お神酒、饅頭、野菜、果物。
そういうお供え物一式を買い出し等で調達してくる。
直会のお茶出しのため、大量のお湯を沸かしておく。
大皿料理と赤飯、アルコールやソフトドリンクなどの飲み物、茶菓子、箸、みかんなどを準備。
参列者に配る御下がり品を人数分に袋分けする。(30~5,60人分くらい)
神事には一番末席で参列し、それが終わると直会のお運びをする。
料理を並べて数か所に島をつくる。座って貰ったらお神酒を席順に一通りおふるまい。
参列者の飲食の進み具合をみつつ、お茶出し迄をサポートする。
飲食が済み、参列者が席を立ったら御下がり品をお配りしてお見送り。
そこまで済んだら残りの料理などを整理しつつ、自分たちの食事となる。
完全にお開きになったら、片付け、清掃、戸締り確認して、解散となる。
ごみ、残った料理などは手分けして各家庭に持ち帰り、処分する。
行事によって違いはあるが、大抵は朝7-8時ごろあつまって、夕方近くまでたっぷり、かかる。
一番ハードだと思ったのは、年末年始のご奉仕だ。
大晦日の数日前。大掃除、お清めの清掃を半日かけて行う。
極寒の中で、氷水が出てくる外水道でバケツに水を汲んでぞうきんを絞り、お宮の中を隈なく拭き掃除。
手がかじかむ、足がしびれる、なんてもんじゃない(笑)。これは修行だー感謝だ感謝だと心に唱えつつ(?)、ふきふき。
埃が払われすっかり綺麗になったお社は確かに良い空気が漂い清々しくはあった。(でもめっちゃ寒かった、大変だった( ;∀;)
スッキリは良かったが、実は本番はそれからだった。
12月31日大みそかには神社で「除夜祭」を行う。23:30からの神事、お宮当番はそこでも外せないお役目があった。この夜は、初もうでにやって来る地区民のためにテントを出し、深夜の2時ごろまで「甘酒」をふるまうのだ。
22時くらいからみんなで準備を始め、大鍋いっぱいの甘酒を作ってカセットコンロで温めておく。
紅白を見終わって「ゆく年くる年」の頃に除夜の鐘を聴きつつ家族で参詣して来る人達は、自分が想像していたよりも案外多かった。
ドラム缶焚火の傍で、風よけも無いテントの下、甘酒を作り参拝者に手渡し続ける。
お代わり自由、焚火には地区の畑で採れたサツマイモも放りこんであって、芳ばしい焼き芋を切り分けてふるまったりもした。
お屠蘇代わりのお神酒を酌み交わす顔見知りの役員がたや、ご近所衆。焚火の傍ではいつ果てるともない歓談が厳寒の中で続く…。
当地のご長寿先輩方は、ホントに元気だなと感心したものだ。
参詣者の足がまばらになってきた午前2時過ぎ頃に一応、甘酒屋は店じまい。
当番は一旦帰宅して仮眠。そして元旦祭のため、またすぐに神社へと向かう。夜が明け新年早々の仕事は、甘酒大なべの片づけから始まるのだった。
新年初祈祷の神事と祝賀を兼ねた直会の準備、配膳、片付け。普段以上に多い参列者へ、眠い寒い疲れた体に鞭打って、再びおふるまいをする。
疲れMax、もう何がなんだかよーわからん。早く終わってくれー!!心で叫ぶ。
でも、新年祝ってみなさんおしゃべり、お酒が進むすすむ!中々腰が上がらない(笑)。
昼になって漸くお開きとなり、片付けて帰宅するともう14時とかになっていた。
眠いわ疲れたわで、その後自宅で正月を祝う為の家事をする気になど、とてもじゃないけどなれなかった。
残って持ち帰った料理で家族の元旦の食事も済ませ、もう無理、バタンキュー!
色んな正月を過ごしてきたが、後にも先にもあんなに疲れ果てた正月は初。
ボロボロ状態、自宅の正月を何もやらない年明けだった(笑)。
そんな元旦祭が終わると、間髪入れずに成人式だ。
当地では該当者を招いて神事を執り行い、境内で記念撮影をするのが長年の習わしになって居た。
市内全域の成人祝式典が昼前に市民会館で行われる関係上、先んじて氏神さんで祈祷をするので、この日も元旦についで、時間がすごく早い。
遠方から帰省して来る子も多く、大雪で電車が遅延とか当日の着付けが間に合わなくて参列をドタキャンとかも結構ある。裏方は最後の最後までそれに合わせドタバタし通しだったな。
若い彼らの同窓リユニオン、晴れ姿の写真を撮影し無事境内から送り出して、胸をなでおろす。
それが終わったら、ようやく次が最後の仕事。
お役引継ぎを兼ねて新当番の人たちと一緒にこなす、3月「春の大祭」だ。これで冒頭に戻り、1年が終わる。
余談だけど、隣村には由緒ある大きな神社さんがある。厄切り神様として有名で、随分遠方からわざわざ足を運んでくる参詣者も多い。
聞いた話だけどその地区でもお宮当番があって、やっぱり住民の輪番で賄っているらしい。此処と違うのは、社務所窓口でお札やお守りの授受をしたり祈祷受付をしたりと丸一日、詰めっきりで神社の受付をする仕事が含まれるってことだった。此処よりも全然少ない軒数でその役目をずっと回しているらしい。それもさぞや大変なことだろう…。
土地土地に根付いた文化や慣習。長年受け継がれて来た行事や文化、文化財は地域の大切な財産だったりもする。
それを尊び住民みんなが協力して支えていくことは、担い手が減り続けてる今簡単な事じゃない。
うちのとこのお宮当番も前からその負担の重さが問題となってはいたけど、コロナの自粛期間に直会での飲食が行われなくなったことで今年、廃止された。
ずうーっと「例年通り」が合言葉になってきた極めて保守的な田舎町なんだけど。それでも、コロナを境に他の沢山の地域行事が消滅した。
高齢化、担い手不足、世代間意識の違いがますます鮮明になって来てるから、住民の実情にそぐわない部分はモグラたたきみたいに絶えず出てくる。
残念といおうか、こちとらはまだ引退したくとも出来そうもない世代、新と旧の真ん中あたりの立ち位置に居る。これから地域の何を守って引継ぎ、何をどう変革していくべきなのかなー。なんてことも強く考えさせられた「お宮当番」の経験だった。
ただ、ここだけの話。「あの」過酷な役務が二度と回ってこないって事は、正直いって自分にとってはかなり朗報だったけど(笑)。