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おまけ*エイミーの後悔(前編)


 なによ。


 カウンターの中に腰かけながら、エイミーはつまらなそうに外を見た。


 よく晴れた上天気。本当なら絶好の外出日和だ。こんな日はトーマスに馬車を出してもらって、少し離れた町まで行く。買い物を楽しみ、あちこち見物して、ちょっと豪華なお昼を食べる。もちろんトーマスが全部出してくれるから、エイミーが財布を開けた事はない。


 トーマスはエイミーの婚約者だ。


 もともとは姉であるカレンの婚約者だったが、今は自分の婚約者だ。

 何も知らない姉から、自分が奪い取ったのだ。

 それを知った時、カレンは声も出ない様子だった。


 二つ年上の姉が疎ましくなったのはいつからだろう。


 いつも飾り気のない服を着て、薬草の匂いを染み込ませ、姉は家の中で働いていた。幼いころに母親を亡くして以来、彼女は母の代わりだった。


 父親は薬師をしており、姉もその手伝いをしていた。村の学校に通う年には、簡単な薬が調合できたという。自分にはさっぱり分からないし、興味もない。それよりも、流行のドレスや靴の方が大事だった。

 姉のカレンは口うるさい性格で、いつもあれこれと口を出した。


 ――エイミー、いい加減に起きなさい。

 ――エイミー、そんなわがままを言っては駄目よ。

 ――エイミー、野菜も食べないと。


 エイミー、エイミー、エイミー。

 母親でもないくせに、どうしてあそこまで命令するのか。従ったのは最初だけ、エイミーはすぐに反発した。


 ――おねえちゃんがやればいいじゃない、あたしはイヤ、ぜったいにイヤ。


 それでもカレンはしつこかったが、「おかあさんに会いたい」と言うとさすがに黙った。嘘泣きのあまり、本当に出てきた涙をぬぐいながら、これは使えると内心で思った。ようやく黙った姉にせいせいした。


 それからもこの言葉は便利だった。


 掃除や洗濯も、家の手伝いも、駄々をこねればそれが通った。カレンは困った顔をしていたが、彼女もまだ子供だった。母親に会いたいと泣く自分に、それ以上は言えないようだった。

 それでも注意された時は、もうひとつの言葉が有効だった。


 ――どうせおとうさんは、おねえちゃんのほうが可愛いんだから。


 姉が父親の手伝いをして、いつも一緒にいる事が多かったから、その言葉は本心だった。けれど、そこまで深刻に思っているわけではなかった。


 父親はカレンが手伝ってくれる事が嬉しいようだったが、それで二人の娘に対する愛情が変化する事はなかった。むしろ、十分すぎるほど愛してくれた。年が幼い分、姉よりも甘かったようにも思う。


 お前もやってみないかと言われたが、エイミーは拒否した。薬は臭いし、手が汚れる。そんなものを手伝うのはまっぴらだった。そう言っても、怒られはしなかった。ちょっと残念そうな顔をして、「面白いんだがなぁ」と言っていた。姉はそれを見て笑っていた。


 もうずいぶん昔の事だ。


 それからも姉は口を出し、料理の練習をしてみようだの、アイロンのかけ方を教えるだの、あれこれやらせようと画策してきた。仕方なくいくつかは手伝ったものの、どれも面倒くさかった。知らん顔で放り出せば、最後には姉がやってくれる。そっちの方が楽だった。


 ――ちゃんとしないと、エイミー。困るのはあなたなのよ。


 お説教を半分聞き流し、自分は流行の服に夢中だった。


 そのころの姉は、いつも洗いざらしの作業着をはおり、ずっと父親に引っ付いていた。村の学校での勉強を終えると、わき目もふらず帰ってくる。てきぱきと家の仕事をこなし、夕食の下ごしらえをして、父親のそばで薬草を学ぶ。お説教は心持ち減ったが、それでも口出しはされていた。それはこの上なく煩わしかった。


 さっさと父のところに行けばいいのに。

 そんな事を思いながら、自分はスカート丈を気にしていた。


 そんな生活が終わったのは十二歳の時だ。


 二年前に倒れ、病に侵されていた父が他界したのだ。自分は激しく泣きじゃくったし、姉もさすがに呆然としていた。葬儀から何から、村の人が手を貸してくれた。あまり知らなかったが、姉は薬の製作を通して交流を深めていたらしい。


 泣きわめく自分を抱きしめて、姉は大丈夫、と口にした。


 ――大丈夫よ、エイミー。私があなたを守ってあげる。だって私は、あなたのお姉ちゃんなんだから。


 その声は震えていたが、背中を抱きしめる手は力強かった。


 ああそうか、と安堵した。

 姉に任せれば安心だ。何も心配しなくていい。

 声を上げて泣きながら、どこかほっとしている自分に気づいていた。



    ***



 トーマスに出会ったのは、父が存命のころだった。


 倒れてすぐに、娘たちの今後を危惧したらしい。父親に紹介されたのは、ひょろりとした背の高い青年だった。


 ――よろしく。トーマス・アンダーソンです。


 隣村で薬師を営む家の三男で、今は薬師見習いだという。この村では見かけないような洒落た服装に、ふうんと思ったのを覚えている。


 顔はそこそこ、薬作りの腕もそこそこで、けれど性格が良かったらしい。彼ならば自分がいなくなってからも大丈夫だと、父親は嬉しそうに語っていた。


 トーマスは姉の婚約者になり、それからもちょくちょく通ってきた。


 姉とも仲が良いようで、たまに二人で笑っている姿を見た。このままいけば、二人は夫婦になるのだろう。その時はエイミーの面倒を見る事も条件に入っていた。


 父親が亡くなった後、トーマスが家に住み込むようになった。

 といっても、正式に結婚しているわけではないから、あくまで仮住まいだ。姉の家事はひとり分増えたが、トーマスは鈍いのか、あまり手伝う気配はなかった。


 かといって、自分も手伝いはしたくない。

 気づかないふりをする方が楽だったので、知らん顔を決め込んだ。


 そのころになると、姉も口やかましく言う頻度は減っていた。生活費を稼ぐため、忙しくなったのだ。好都合だったので、これ幸いと日々を過ごした。何もしなくていい生活は楽だった。


 この家に縛られる姉と違い、自分には明るい未来が待っている。


 いつか恋をして結婚し、お金だって手に入れる。自分の外見が可愛らしい事は知っていたから、大金持ちをつかまえるのは簡単だ。

 それまでは姉に甘え、のんびりしてもいいと思った。


 だって、自分は妹なのだ。


 姉が妹の面倒を見るのは当然で、甘えるのだって当然だ。だからこれくらい構わない。むしろ、たった十二歳で父親を亡くした自分に同情し、もっとやさしくしたっていい。


 本気でそう思ったって、何がいけない?


 だから自分は姉の反対を押し切って、上級学校に通う事となった。


 それも当然だ。だって自分には才能がある。

 あんなくたびれた店に閉じ込められるなんて、考えるだけでぞっとする。そんな毎日を送るより、友達とお洒落を楽しみたい。


 そのせいで姉はひどく苦労をしていたようだけれど、自分には言わなかった。ただ、無駄遣いをしては駄目とか、店のお金を持って行かないようにとか、そういう小言はちょくちょく食らった。

 トーマスに迷惑をかけないように、という言葉がそこに加わった。


 トーマスの実家は裕福だ。二十歳を過ぎた息子に小遣いを渡し、養える余裕がある。ねだれば自分にも小銭をくれ、おいしいものを食べさせてくれた。


 トーマスはいつもエイミーにやさしく、自分自身にも甘かった。

 へとへとになるまで働くカレンより、ケーキを食べて、お喋りするエイミーに惹かれていくのは当然だった。特別な意味で親しくなるのに、長い時間はかからなかった。


 改めて見ると、トーマスはなかなか条件のいい男だった。


 大金持ちではないけれど、そこそこ裕福で品もいい。町の男と見比べても、決して見劣りしていない。実際、友人の中にもトーマスが素敵だと言っている子がいた。


 ふうん、と思った。


 ――悪くないじゃない、と。


 姉はいつものように口うるさく、一緒に洗濯しましょうと言ってくる。偉そうな態度に、ふと魔が差した。


 こんな風に偉ぶっている姉の婚約者が、自分の方を選んだら。

 カレンではなく、エイミーを選んだら。


 それはとても愉快な想像に思えた。


 トーマスは条件のいい男だ。薬師の資格も持っているから、食べるには困らない。いつでも自分に甘く、金だってねだればいくらでも出す。

 結婚しても、自分に損はないと思った。


 計画は思った以上にうまくいった。トーマスは自分を選び、カレンは捨てられた。カレンの小言がぴたりとやんだのはこのころだ。勝った、と思った。


 ――バカね、お姉ちゃん。あんなに口うるさくしなければよかったのに。


 ほくそ笑む自分をよそに、姉はうつろな顔をしていた。


 立場が逆転してからは、好き勝手な生活に拍車がかかった。

 トーマスが自由にできる金も増え、家の仕事は一切やめた。今までも大した事はしていなかったけれど、何もしない生活は天国だった。


 うるさい姉も鳴りをひそめ、口をつぐんで働いている。

 最初からそうしてくれていれば、嫌わずに済んだのに。

 そんな事も分からない姉を憐れみながら、毎日を過ごしていた。



 けれど、まさか。



 姉がすべてを捨てて、いなくなってしまうなんて。

 そんな事、思ってもみなかったのだ。



    ***

    ***



 姉がいなくなって数日で、生活はがらりと変わってしまった。

 父親が死んだ時よりずっと、その変化はすさまじかった。


 朝起きても、朝食ができていない。

 カーテンも閉め切られたままで、よどんだ空気が立ち込めている。部屋の隅には埃がたまり、ふわふわとあちこちを漂っていた。


 洋服もアイロンがかかっておらず、そもそも洗濯していない。

 何日かは我慢して着たが、すぐに臭くなる。下着も同様だ。あきらめて手で洗ったら、しわだらけの上に色が落ちた。


 姉はどうやっていたのだろうと思ったが、思い出せない。


 ――エイミー、今日は一緒にお洗濯しましょう。楽しいのよ。


 そう言った姉の声を思い出す。


 嫌だとはねつけて逃げ出したが、あの時に言う事を聞いていれば。

 食事の品数も質も落ち、掃除も洗濯も失敗続き。

 アイロンもうまく使えずに、お気に入りの服を駄目にしてしまった。


 トーマスに丸投げしようにも、彼だって役立たずだ。


 そのトーマスはここ数日でげっそり痩せた。

 姉のしていた仕事を引き継いだものの、まったく役に立っていない。村人の名前を未だ知らず、症状すらも把握していない。彼がこの村に来て四年が経つ。通い出してからは六年だ。いくらなんでも、慣れないという言葉は通用しない。


 そして、村人が自分達に向ける目も冷ややかだった。

 誰にも話していないのに、彼らはエイミー達の事情を知っていた。そのせいで姉が出て行った事も。


 ――カレンはいい子だったのに。あんな可哀想なことをして。


 そこかしこでひそひそと囁く声。

 誰もかれもがカレンと言う。地味で口うるさい姉の名前を。


 カレン、カレン、カレン。

 怒りのあまり、手にした大皿を叩き割った。それでも気分は晴れなかった。


 トーマスとの喧嘩も増えた。疲れ切った彼は自分にあれこれ命令し、それに反発した自分と口論になる。最後には泣きわめいて折れさせたが、そうするたびに彼の視線が冷めていくのを感じていた。


 このままだと婚約破棄も考えられたが、それは難しいようだった。

 トーマスの家は二人の兄が継いでいる。家族ぐるみで仲が良く、経営も盤石だ。今さらトーマスが食い込む余地はない。


 それに、外聞が悪いのも本当だった。

 姉から妹に乗り換えたあげく、その妹さえ捨てる。


 この地で長く商売をやっていきたいトーマスにとって、そんな醜聞は避けたいだろう。おまけに彼は三男だ。受け継ぐほどの財産もない。家付きの自分と結婚すれば、この店が手に入る。


 打算で続く関係は、もはや甘さのかけらもなかった。


 トーマスを捨てられたらよかったが、そんな事は不可能だった。

 村にいる者はすべて、自分がした事を知っている。

 おそらくトーマスの村でも噂が広がっているだろう。どこに行っても逃げられない。

 結局、あれほど嫌っていたこの店に縛られて、カウンターの中にいる。


(なによ)


 姉がどれほどのものだというのか。


 ただちょっと薬草に詳しくて、薬の製作が得意なだけ。他に取り得なんてない。

 それなのに皆が姉を愛し、その姿を恋しがる。


(なによ)

(なによ)

(なによ)


 何もかもが気に食わない。全部ぶち壊してやりたくなる。


 こんなはずではなかった。


 うるさい姉からトーマスを奪い、思い知らせてやったつもりだった。

 これからは自分に逆らわず、言われた事をやればいい。薬は今まで通り作って構わないから、自分達のために働けばいいと。


 まさか、そのすべてを捨てていなくなってしまうなんて、一体誰が思っただろう?


 トーマスとの喧嘩はますます増えて、関係はさらに冷え切っていった。

 喧嘩になると、トーマスが家を出て行く事も増えた。せいせいするとさえ思った。


 自分は何のために、姉の婚約者を奪ったのだろう。


 こんな生活をするためだったのか。いや――違う。

 深く考えてしまうと叫び出しそうだった感情を、胸の奥に押し込める。

 そんな日がしばらく続いた。

 長く、長く、いつまでも続いた。



 そんなある日の事だった。

 姉が、この村に戻ってきたのは。



    ***

    ***



 村人の事が心配で、一度戻る事にしたという。

 今は遠く離れた地で、領主のお抱えとして働いているらしい。

 やはり姉だと思った。いつもながらのいい子ちゃんぶりだと。


 腹は立ったが、奇妙ななつかしさもあった。

 だから村人に紛れ、こっそりと姿を見に行った。


 ――久々に見た姉は、見違えるほど美しくなっていた。


 肌も髪もつやつやと輝き、何より表情が柔らかくなった。内側からあふれる輝きが、彼女をさらに輝かせているようだった。


 姉のそばには三人の騎士が付き従っていた。

 輝くような銀髪の騎士と、精悍な顔をした黒髪の騎士。どちらも見目麗しく、特に銀髪の方は一目見たら忘れられないほどだった。


 残るひとりは微笑みを浮かべた紺毛の騎士で、顔はフードで隠れている。

 彼らは姉に寄り添って、何やら親しげに話している。姉は困っているようだが、突き放すまではしなかった。


 ずるい、と思った。


 トーマスを自分に押しつけて、自分だけちゃっかり幸せになっているなんて。

 トーマスを奪い取った事は棚に上げ、姉に嫉妬した。

 その立場を代わってもらいたいと思った。


 だから――声をかけたのだ。


 気後れするほど美しい銀髪の騎士でも、精悍な顔をした黒髪の騎士でもなく。


 やさしい微笑みを浮かべている、紺毛の騎士に。

お読みいただきありがとうございます。続きは今日中に投稿します。

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