結婚式の前日に
私はその日、ウキウキ気分で街を歩いていた。
明日はいよいよ真吾との結婚式なのだ。本番に向けて通ってきたブライダルエステを終え、これから家族と最後の食事会のためにレストランに向かう。
ショーウィンドウに映る自分をチラリと見る。その顔には『幸せ』って書いてある気がした。
交差点を渡り、歩道を二、三歩進んだ時だった。
ドン、と大きな音がして。
振り向いた時にはもう、軽自動車が目の前にいた。
運転席の女性が引きつった顔で必死で何か叫びながらハンドルを切っていたような……気がした。
「いらっしゃいませー、二年一組のお化け屋敷へどうぞー」
「メイド喫茶やってまーす、南校舎の一年三組でーす」
気がつくと沢山の人でごった返す廊下に、私は立っていた。
前からやって来たドラキュラの扮装をした男子生徒が私に声を掛けた。
「見ない制服だね、どこの高校? 良かったら北校舎一階のドラキュラハウスに来てねー」
そう言ってチラシを渡すと、通り過ぎて行った。
(私、いったい……)
制服と言われて自分の姿を見ると、懐かしい母校の制服を着てた。白の開襟シャツに紺色のボックスプリーツ。しかも膝上丈だ。
(うわっ、こんな短いスカート、もう何年も穿いてないよ)
とりあえず、トイレに飛び込んで鏡を見てみた。
(マジで高校の時の私だ……)
鏡の中にはサラサラストレート、黒髪ロングの私がいた。大学生になって以降カラーやパーマを繰り返してたから、この髪型久しぶりだ。
(私、確かさっき死んだよね? 車に轢かれてたよね? しばらく意識はあったんだ。救急車の音が聞こえて、運ばれて……それから真っ暗になって)
タイムスリップしたんだろうか。でも、この学校、全然見覚えがない。
ということは転生? いや、見た目は私のままだもん、転生してないよね。
(じゃあこれは……夢、か)
出来ればさっきの事故が夢であって欲しいけれど。あの衝撃は夢じゃない、絶対。
(どうせなら母校の文化祭を見たかったけど、まあ夢ってそんなもんよね。せっかくだから楽しもう)
私は校舎内をうろつくことにした。文化祭だから他校の生徒もたくさんいるし、不審者扱いされないのは助かった。
(それにしても随分リアルだ、夢なのに)
階段を登り、各教室を回る。細部まで完全に作り込まれた夢の世界に、我ながら感心していた。
その時、黒スーツ姿の一人の男子生徒に私の目は釘付けになった。執事カフェという看板の下で客の呼び込みをしているその彼は。
「……真吾」
間違いない。私が明日結婚するはずだった真吾だ。
棒立ちになって見つめている私に気がついて、真吾はニコッと笑って寄ってきた。
「いらっしゃいませ! 執事カフェ、いかがですか?」
「あ、あの、私……」
「今なら、野球部エース堂本が空いてますよ。バスケ部の岩田も大丈夫です。誰でも指名して下さい!」
「私、あなたがいいんですけど……」
そう言うと真吾はへっ⁉︎ と驚いてキョロキョロと辺りを見回した。
「俺?」
自分を指差しながらもの凄く慌てている。コクリと頷く私に、頭を掻きながら言った。
「今日で二日目だけど、初めて指名されたんでびっくりしてます。ありがとう」
(指名ゼロだったんだ。真吾らしいなぁ。見た目は確かに地味系塩顔だからね。私は好きだけど。部活は確か化学部じゃなかったっけ? モテたって話は聞いてないわ)
「お嬢様入りまーす」
「いらっしゃいませ!」
陽が傾いているからもう終盤なのだろう。お客は三人ほどで、手の空いている執事は片付けを始めていた。
真吾は私を窓際の机に案内するとスッとひざまづき
「お帰りなさいませ、お嬢様」
と、真っ赤になりながら言った。
(真吾、可愛い! こんな事苦手なはずなのに、一生懸命言ってる! 死ぬ前に良いもの見れたわ)
私はコーヒーを注文し、真吾がそれを裏方に伝えに行く後ろ姿を見ていた。
まだ少し華奢で、髪型も全然気を使ってない。素朴で高校生らしい真吾。
(一緒の高校生活送りたかったなーなんて、言った時もあったなあ)
私と真吾は大学のサークルで出会った。最初は何人かの仲間で旅行に出掛けたりしていたけれど、いつの間にか大切な人になっていて。三年生の時に付き合い始めた。
(就活も励まし合って乗り越えたし、社会人になって忙しくなってもお互いを大切にしてきた。そして付き合って七年、やっと結婚することになったのに)
私は結婚式前日に死んでしまうんだ。
(そんな私を神様が不憫に思ってくれたのかな? ここから人生やり直せるんだろうか)
そんな事を考えていると、真吾がコーヒーを持ってやって来た。
「お待たせいたしました、お嬢様。コーヒーでございます」
丁寧に机の上にコーヒーを置くと、私の側でひざまづいた。執事は客が店にいる間はこうして側で話をしてくれるらしい。
「ありがとうございます」
「お嬢様はお一人で来られたんですか?」
「ええ、まあ。いろいろあって」
ひざまづいて私を見つめる真吾に、私は懐かしくて嬉しくて……悲しくて。涙が勝手に出て来てしまった。
「あ、あれ⁉︎ お嬢様、どうなさったんですか?」
「ごめんなさい、なぜか涙が……」
「おい一条、お嬢様を泣かせてんじゃねーぞ」
「何やったんだよ、このヤロー」
他の執事達が囃し立てた。
「お前もうここはいいから、この子と外行ってこいよ。ずっと呼び込みやってくれてたし、後はいいから」
委員長っぽいメガネの男子が真吾に言った。
「ごめん、ありがとう」
ヒューヒュー、と若い男子らしい歓声に見送られて私達は教室を出た。
「ごめんなさい、私のせいで」
「いや、抜け出せたし俺は全然。それよりどうしたの? 何か辛いことでもあったの」
「うん……幸せを掴み損ねちゃって」
「失恋したとか?」
「うんまあ……そんなもんかな」
「そっか。それでつい涙が出ちゃったのかな。いいよ、もう後は後夜祭だけだし、話なら聞くよ。何か食べに行く?」
そういえば、と私は思い出した。二人でお互いの高校の時の思い出を話していた時のこと。
後夜祭ではいつも花火が上がる。それを、恋人と手を繋いで見ると幸せになれるって説があるらしい。でも真吾は三年間彼女がいなかったから、
「毎年一人者同士で固まって見る花火の切ないことったらなかったよ」
と嘆いていた。
私が同じ高校だったら一緒に見れたのにね、なんてその時は笑っていたんだけど。
真吾の方は、私の高校時代の写真を見て
「黒髪ロングの時に会いたかったー! この髪型、めっちゃ好き」
って言ってたっけ。
「そうだ。ねえ真吾!」
「へっ⁉︎」
真吾はまたびっくり顔になった。
「俺、下の名前言ったっけ?」
「花火、一緒に見よう!」
私は真吾の腕を掴んで走り出した。
「ちょっと、どこ行くんだよ?」
「花火が良く見える所! 屋上なんでしょ?」
「何で知ってるの……」
真吾に案内してもらって屋上に出た。花火を良い所で見ようと、既に何組ものカップルが肩を寄せ合って空を見上げていた。
「俺、ここで花火見るの初めてだ」
「いつもは運動場の端っこで見てたんだよね?」
「だから、何でそれ……」
「私ね。あなたと未来で結婚するの」
「えっ⁉︎」
「恋人と手を繋いで花火を見たかったって、あなたから聞いたんだよ」
「どういうこと?」
真吾は明らかに動揺していた。急に変な事を言いだした私を、きっと不審に思っているだろう。
でも私には時間がない。さっきから、頭の芯がぼうっとして、今にも消えて行きそうな感じがするのだ。きっと、夢の時間はもう終わる。
「あなたと付き合って、一緒に時間を過ごして、とても幸せだった。明日あなたと結婚式を挙げる予定だったけど……事故にあって死んじゃうの」
「明日って、今日の明日?」
「ううん。20××年の五月三日に東京の〇〇ホテルで挙式のはずだった。とても楽しみだったのに交差点で車に突っ込まれて。悲しいけど、死ぬ前にこうしてあなたに会えて良かった」
「訳わかんないよ……」
その時、花火の音がポンポンと鳴り、歓声が上がった。私は真吾の手をそっと握り、
「あなたは、幸せになってね」
そう囁いた。
ハッと目が覚める。またいつものあの夢だ。結婚前日にウキウキしているところを車にはねられ、過去にタイムスリップして真吾に会う。そして花火を一緒に見るまでがワンセット。
うーん、と伸びをして時計を見る。いつも通りの六時半。
今日は20××年五月三日だ。あの夢ならば結婚式の日。
昨日は有給休暇を取って、家に引きこもっていた。家から出なきゃ、車に轢かれることもない。午前十二時、日付が三日に変わった時は部屋で静かに万歳した。
(やった! 夢の通りにはならなかった!)
そして今日は半休を取っている。午前中に〇〇ホテルを見に行くのだ。
そこに私、遠山美鶴と一条真吾の名前が無ければ、私は、あの夢の呪縛から逃れられる。
あれを見始めたのは高校生の時だった。
会ったこともない真吾という男子を、私は夢の中でとても懐かしく思っていた。
(きっとこれは予知夢だ!)
そう思って、この事故死の運命を変える事を決めた。五月二日にあの道を通らなければいい。結婚式を別の日にしよう。今度こそ、真吾と結婚したいもの。
そう思っていたのだけれど。
大学で、私は真吾に会うことはなかった。サークルにも、クラスにも、どこにも真吾はいなかった。
(どういうことだろう? やっぱり、あれはただの夢なのかな。とてもリアルで、何度も何度も見るけれど、予知夢でもなんでもなかったってこと……?)
そして私は大学を卒業し、就職した。
真吾を追い求める私は社会人になっても誰とも付き合わず、独身のままここまで来た。
(だけどそれも今日で終わり。今日、現実を見ればきっと、真吾は実在しないと思いきれるはず)
電車に乗り、地下鉄の出口を上るとすぐ、〇〇ホテルが見えた。
正面玄関まで歩いて行き、『本日の挙式予定』の前に立つ。私の名前は……無い!
私は安心して力が抜けた。と同時に悲しみも押し寄せてきた。やっぱり、真吾という人物は夢の中の人だったんだ。ショックで、思わずふらついた私を誰かが支えてくれた。
「……大丈夫ですか?」
「すみません、ありがとうございます」
お礼を言って振り向いた私はその場に固まってしまった。そこにいたのは真吾だったからだ。
「真吾……何で……」
「えっと、とりあえず、十年ぶりかな。久しぶり」
「久しぶり、って……どうしてここにいるの?」
「君が今日この場所で結婚式だって言ってたから。手掛かりがそれしか無かったから、それに賭けて来たんだよ」
「じゃあ、あの文化祭のことは夢じゃなかったの?」
「夢かもしれないと思ってた。あの日、屋上で君は突然消えてしまったんだ。幸せになってね、と言い残して。初めて会ったのに何故か懐かしい気持ちになった君にもう一度会いたくて……ここに来れば会えると思ったんだ」
「私も真吾に会いたかった。だけど、あなたと出会うはずの大学に、あなたはいなかったの」
「僕も、早く君と出会いたかった。でも探すすべがなかったんだ。君の名前すら知らなかったし、前の世界の僕が選んだ道と、今の僕は恐らく違う道を歩んでる。だから、僕らの接点はここしかないと思って朝から待ってたんだ。今日会えなかったら、諦めようと思ってた」
「私も、今日であなたへの気持ちを断ち切ろうと思っていたのよ」
「会えてよかった、本当に」
「十年も経つのに、私だってわかった?」
「あの時と黒髪ロング、変わってなかったから」
そう、私はずっと髪を染めたりパーマをかけることなく黒髪のままだ。真吾が、好きだと言っていたから。
「待っててくれて、ありがとう」
あの日のように、私達はそっと手を繋いだ。