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あなたの香りいただきます

「で、どうする」

 

 よしなりは余裕で腕組みしている。腹は立つが覚悟を決めるしかないようだ。


「本当に、何でもいいの……?」


 千佳は慌てて机をあさる。たしか、二段目の引き出しに入れていたはずだ。

 引き出しを閉めることさえもどかしく、必要なものをひっつかむと、よしなりのそばへ駆け寄った。


「これでいい? 練り香水!」

「なんだいいもの持ってるじゃないか。トイレの芳香剤とか言われたらどうしようかと思ったよ」


「そんなもの机に入れないから! えっと、どうすればいいの」


 蓋を開けると、金木犀の甘い香りが漂う。


「あっと、そのまま渡すのは止めてくれ。少しでいい。手首につけて」


 千佳は右手の人差し指で練り香を少量取ると、左手に塗りつけた。


「こ、こんな感じ?」


 と、よしなりにむけて手を差し出す。


「本当にいいんだな」


 最後通告みたいに言われて、千佳は戸惑ったが、もう他にどうしようもなかった。

 千佳は頷いた。


「じゃあ、まず名前を教えてほしい」


河原千佳かわはらちか

提供者ていきょうしゃ河原千佳)」

 

 音もなく、よしなりの顔の横に透明な板が出現した。


 A4サイズを横向きに置いたくらいの大きさで厚みはない。

 着物姿のよしなりの横に、急にSFじみたものが出てきたと思ったら、もっと驚くようなことが起きた。


 急に部屋の中が薄暗くなったと思ったら、空中に文字が浮かんだのだ。


 毛筆の走り書きのようで、ずらずらと漢字が並んでいる。千佳は何とか、そこに約定の文字を読み取った。それに、千佳自身の名前も。


 これは何、契約書?

 心臓が、痛いくらいにはねた。

 早まったかもしれない。

 緊急事態とはいえ、他の選択肢がなかったとはいえ。


 千佳の不安をよそに、よしなりは厳かに名乗りを上げた。


「俺の名は樋山仁也ひやまよしなり。双方の合意に基づいて、あなたの香りいただきます」


 よしなり――いや、仁也の瞳に花火みたいな模様が一瞬光り、契約書らしきものに、彼の名も刻まれた。


 仁也は画面に指で触れて、何か操作している。


 本当に、他の選択肢はなかったのだろうか。


「ああ、これ事務処理に必要な書類だから。そんな、不安そうな顔をしなくていい」


 仁也は千佳を安心させるように微笑んで、そっと千佳の手を取った。その動作は中世の騎士を思わせた。


 自分の想像に千佳は苦笑しかけたが、仁也が本当に、姫君に忠誠を誓う騎士のように(手の向きは反対だけど)練り香をつけた部分にそっと唇を寄せたので面食らった。


「なななっ何を!」

「言ったろ? 食べるって」


 仁也はふっと笑い声を漏らす。仁也はすぐに千佳の手を離したのでそれ以上文句も言えなかった。


 仁也は亡者に向き直り、すっと目を細めた。それだけで場の空気が変わった。先ほどまでとは別人のようだった。


 亡者もそれを感じ取ったのだろう。ぴたりとその場に止まった。


 亡者は目と口を固く閉ざしている。少なくとも今まで千佳が目撃した亡者はそうだった。

 けれどこいつは、薄く唇を開こうとしている。


 ハッと気づいたときには仁也はもう亡者に詰め寄っていた。そして下から突き上げるように、掌で亡者のあごを打った。


 衝撃によろめく亡者の周りを、仁也はくるりと一周した。青く光る数珠のようなもので彼は亡者を縛り上げた。


 仁也は窓の方に視線をやって、鋭く口笛を吹いた。


 するとぶうううんという音がして、赤と青の小さく丸いものが飛んできた。


 それらは、格子状に光る軌跡を残しながら、亡者の周りをぐるぐると回る。


 光の格子は徐々に狭まり、キンと澄んだ音を立てて五十センチ四方のゲージになる。その中に亡者がみっしりとおさまった。

 

「仁也様、先に始められては困ります」


 急に成人男性の声が聞こえて、千佳は驚いた。


 亡者が話しているのではなさそうだ。とするとアレだろうか。


 何か。――なんだろうか。良く目を凝らしてもなんだか分からない。落花生ような形で、大きさはレモンくらい。


 色は青と赤で、青は縦向き、赤は横向きという程度の違いしかない。


「悪い。今日はもう戻るから、先にこいつを頼む」

「分かりました」


 どうやら返事をしたのは青色の方だ。赤色の方がゲージを絶妙なバランスで頭に乗せると、共に窓をすり抜けてすっ飛んで行った。




「何あれ……」


 思わずこぼしてしまっただけで質問ではなかったのだが、仁也は律儀に答えてくれた。


「赤鬼と青鬼だよ」

「ちっさ!」


 千佳の呟きに仁也はこらえ切れなくなったように笑った。


 一仕事終えて彼も少しほっとしたのかもしれない。年相応の可愛い笑顔だった。千佳がそんなことを考えながら見ていると、仁也は目じりを指でぬぐいながら言う。


「大人しい娘なのかと思ったけど」

「娘ってなによ」


「千佳って結構ツッコむんだな」

「なっ!」


 確かにその通りかもしれない。今日だけで三日分くらいしゃべった気がする。千佳は慌てて口をふさいだ。


「ふさぐなよ」


 仁也は笑いをこらえながら、千佳の口から手を引きはがした。

 そして千佳の手を握ったまま微笑んだ。


「千佳、これからよろしく。さっきの練り香だけど。あれ、毎日欲しいんだ」

「なにしれっとまた来ること前提にしてんの」


「ああ、もしかして気づいてなかった? 千佳を狙ってるの。あの一体だけじゃないよ」


 そして千佳の怒りを察するとぱっと手を放した。それから胡散臭い笑顔を浮かべて、窓を開けて出ていったのだった。



 やっぱり、押し売りじゃないか。


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