簡単に許すなよ
「えーと、気にしすぎじゃない?」
「――なんて?」
渡辺は顔を上げ、本当に分からないというように問い返した。
「だから、気にしすぎ。もしくは考えすぎ? まさか、それで学校来づらかったとかじゃないよね?」
「え? 何? 今の話聞いてた?」
「聞いてたけど。そのあと助けてくれたんだしもういいじゃない」
「よくないだろ! 死にかけたんだぞ!」
「その死にかけたって言うのも、どうかな。その話してたのって雪永だけだし。だから信ぴょう性が薄いというか」
「ゆきなが? ああ、君のところに来る男どもか。よしなり、かずひこさん、ゆきなが」
きっちり覚えているとは恐れ入った。
「いや、あのね! 渡辺くんがそのハンカチを拾う前から、あたしはもう亡者に追われてたの。だから、仁也と契約することになったんだし」
「契約、か。気になっていたんだよね」
渡辺は腕を組んだ。
「呼べば来るって言う状態がさ。実際、あいつの到着は早かった。早すぎるくらいだ。君は、あいつらに利用されているんじゃないか」
「うん。そういう側面はあると思う」
「なんでそう、あっさり受け入れる!」
「なんでって、うーん。なんだかんだであたし、仁也のことが好きなんだよね」
千佳は麦茶に手を伸ばした。
今回の騒動の発端が、誰にあるのか突き詰めれば、それは仁也だ。
千佳は、亡者に追われていたから仁也に会ったわけではない。仁也が千佳に声をかけたから、亡者に追われるようになったのだ。
それでも、彼を責める気になれないのは、仁也と話すことが楽しかったからだ。
「仁也はね、なし崩しに契約させたり、毎日来るって言ってたのに来なかったり、突然交代制になったり、そのこと他の人に説明させたり結構適当でひどい所もあるんだけど……」
こうして口に出すと本当にひどいな、と思わなくもなかった。それでも。
「けど、なんでかな。顔を見るだけでホッとする」
「それって、吊り橋効果じゃないの。危ない所を何度も助けてもらったんだろ」
「あー。それはあるかも。でもそれだけじゃないんだよね。話し方とか、仕草とか」
「もういい! あいつのどこが好きとか聞きたくないし」
ちらりと渡辺の様子をうかがうと、彼は足を組み、椅子の背もたれに腕を絡め、そっぽを向いていた。
話を振ったのは渡辺の方なのに、全身で聞きたくない、という姿勢はいかがなものだろう。
「あたしをおとりにする作戦は、まあ、あったのかもしれない。事前に説明くらいしてほしい所だけど。基本的に後出しだから、仕方がないかな」
「仕方がないで済ませていいものじゃ――」
「いいの。あの人たちにとって、あたしは異質なんだと思う。普通は、ここまで関わらないみたいだし。それに、渡辺くんもね」
「……僕?」
「うん。なんせ、地獄のゲートを開いちゃうくらいだから」
「地獄の……なに?」
渡辺はきょとんとした。
千佳が前髪をピンで留めてしまったせいで、彼が意外と表情豊かなことが分かった。
とは言えこんなに無防備で可愛げのある表情を見れるとは思っていなかった。
思わずまじまじ見つめてしまうと、今度こそ渡辺の機嫌が急降下した。
「……何?」
「だ、だから、地獄のゲート? を、渡辺くんが開きかけてそれで地獄に落ちかけたの。つまり、死にかけたのは渡辺くんなんだって」
「ごめん。ちょっとよく分からない」
「あたしだってよく分かんないよ。でも仁也たちが地獄のゲートだって、そう言ったの」
「小野篁かよ」
「いや、行き来はできないと思うよ。井戸というよりマンホールみたいだったし、死ぬと思うよ。ほんと危なかったんだから。どこまで覚えてる?」
「あのガキが来て、君が……」
と、渡辺は言いよどんだ。
千佳が無言で先を促すと、彼は千佳から目をそらし、とても小さな声でつぶやいた。
「……心底安心したように、力を抜いたとき」
その時に、彼もホッとしたんだろうか。そして気が抜けて、意識を持っていかれたということだろうか。なんとなく、納得できる理由だった。
「あたしの記憶でも、そう。仁也がきて、渡辺くんのいた場所に蓋みたいなものが出てきて、青鬼さんと赤鬼さんが来た。次に一彦さんがきて、クラスに残ってた人たちを外に連れ出してくれた。最後が雪永。で、彼らが亡者を捕まえた」
記憶をたどるために、少し上を向き、再び視線を戻してもまだ渡辺は千佳から目を背けていた。
ここから先は少し言いにくい。
なにせ、仁也たちは渡辺を見捨てようとしたのだ。
手を出せない。などと言って。
「で、話を戻すんだけど。もともと亡者に狙われていたのはあたしだし、地獄のゲートが開くほど怒らせたのもあたしだし、どう考えても謝らなきゃいけないのはあたしなんだよね」
渡辺は、額に手をやって何か考え込んだ。
その時、ようやく頭のピンに気が付いたように外してしまった。
前髪が、彼の顔を隠してしまうと、途端に不安に駆られた。
「その、地獄のゲートとやらはそいつらが閉じたの」
「え? あー、いやー」
「……じゃあ、君が?」
なんだか、ざらりとした。渡辺の口から、君という呼びかけはなんども聞いているし、慣れているはずなのにとても嫌な気分だった。
「開いたのが渡辺くんなんだから、閉じたのもたぶん、渡辺くんだよ。あたしはただ、呼びかけただけ」
「それが、気づいたら君が、目の前にいた理由?」
なんだろう。渡辺が、すごく怒っている気がする。
渡辺が地獄のゲートを開くことを、千佳は不安に思っている。
けれど、それは渡辺だって同じじゃないのか。
いきなり訳の分からないことを言われて、彼だって不安なんじゃないのか。
彼は死者に対してあこがれを抱いているように見えた。それと同時に死に対して強い恐れを抱いているのではないか。
顔、せめて顔が見えれば――。
千佳は静かに立ち上がり、彼の手からピンを取り戻すと、再び前髪を留めた。
渡辺は抗わなかった。
ただ、目だけはかたくなに合わせてくれなかった。
だから千佳はその場に膝をつき、彼の顔を見上げた。
「しんや君。千佳って呼んで」
がたっと音を立て、渡辺が急に席を立った。
「な、な……っ! なんだよいきなり!」
腕で顔を覆うようにして、ものすごく動揺した渡辺が、大きな声を出した。
「えっと、なんだろ。うん。その方がいいかなって、なんとなく」
なんだか想定外に動揺させてしまったようだが、怒りも霧散したのでいいだろう。もう言ってしまおう。
千佳は立ち上がり、指を一本立てて見せた。
「つまり、渡辺くんはこう言いたいんじゃない? その時、あたしも一緒に地獄に落ちかけたんじゃないかって。それなら、たぶんそうだよ。でももういいじゃない? 死ななかったんだし。もう終わった話だよ」
立てた指をくるくる回して見せると、渡辺は目を見開いて固まった。
「え? だめ……?」
「だめって言うか……馬鹿」
と、頭を抱える。
「馬鹿って」
「信じがたい、救いがたい……馬鹿」
「ひどくなってる」
渡辺は深く息を吸って、ため息をつく代わりに言葉を吐き出した。
「そんな簡単に許すなよ」
実はまだ怒っているのだろうか。千佳は動揺した。
「え? じゃあ、渡辺くんは許してくれないの? あたしのこと」
「そおいうことじゃなくて」
「う」が「お」になる程度には怒っている。
どうしようかとおろおろする千佳の前で、渡辺は深くため息をついた。
「君のやさしさに付け込んで、一つお願いがあるんだけど」
「何? 監禁はやめてね。服従もちょっと」
「……違うよ、そうじゃない」
若干間があったのが気になるが、そこには触れず、千佳は渡辺が続きを話してくれるのを待った。
彼はたっぷりと十秒ほど逡巡した後、まっすぐにこちらを見た。
「千佳、僕は君が好きなんだ。好きでいることを許してほしい」




