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Act-2*炎の猫(4)

(猫を飼ってはいないけど……私、あの絵の猫に毎日、挨拶をしていた)

 リアの脳裏に、『白い猫』が浮かび上がる。

 目を細く閉じて、フフンとすました顔。足がやや長くて、スタイルがいいのかどうかわからない体。それを包むのはふわふわの白い毛だ。

(そうだ、引っ越しで余裕がなくなって、挨拶ができなくなっていて……でも、あの絵は図書室にあるはず)

 リアはそう思っていた。だが、よくよく思い返してみれば、まだ新しい図書室で、あの『白い猫』と再会していない。

(まさか、ね)


 ━━今日は、昼から焼却場で旧図書室の不要品を焼くそうです。だから、今日は資料室の整理をしましょう。


 今朝のカウフマンのセリフが浮かび上がる。

 不要品は、すべてお城の敷地内で焼却処分される。今日はその不要品の選別作業を行っている。その作業の過程でも、まだリアは『白い猫』の絵を確認していない。

(まさか、猫ちゃんの絵、処分品?)

 あの『白い猫』は旧図書室で額装されて飾られていた。資料室に放り込まれたままの太った王子ならいざ知らず、ギャラリースペースでちゃんと掛けられていたのだ。そんな『白い猫』が、処分対象とは普通、思わない。

(まさか、猫ちゃんの絵は、焼却場にある?)

 もしやと、思う。絵が燃やされそうになって、『白い猫』が身の危険を感じ助けを呼んでいるとしたら……

(まさか、そんなこと、あるわけない!)

 噂では、話しかけてくる声は、猫でなく青年の声だといっていた。

(幽霊の声って、実は猫ちゃんの鳴き声のこと?)

(いやいやいや、そもそもが、声がきこえるなんてこと、あるわけないでしょう!)

 幽霊の存在を、一度はリアは否定した。それは、声がきこえなかったから。でも……


 ━━にゃん、にゃん、にゃん、にゃん!


 だが今も、猫の声がきこえる。はっきりと、何度も、切なげに。

 声をかき消そうと首を振り、両手で耳を塞ぐ。だが、依然、リアの頭の中に響きわたる。それは、さらに切羽詰まった色を増して。


 ━━にゃん、にゃん、にゃっ……あぁぁ……


 不意に鳴き声が途切れた。中途半端な音が余韻を引いた。

(!)

 途端、リアは青ざめた。規則正しくきこえてきた猫の鳴き声が断末魔になったのだ、最悪を想像せずにはいられなかった。

(そんなこと、あるわけない!)

 そう頭で否定しながらも、心は完全に否定することができない。頭の中の猫の叫び声に揺り動かされて、結論など構わずにリアの足は焼却場へ駆け出していた。


 ***


 煙の匂いが強くなったのは、気のせいではなかった。リアが焼却場にたどり着いた時には二回目の焼却処分が始まっていた。火の番人らが片っ端から不用品を炎の中に放り込んでいた。

 処分品の山は、正午前、リアとカウフマンが訪れたときよりも、ずっと高くなっていた。その山の数もひとつから三つに増えていた。

 火の番人らは特に注意を払うこともなくそれらを無造作につかみ、機械的に炎の中に投げ入れている。

 炎はカウフマンと覗きにきたときよりも強くなっていた。そこに燃えやすいものが火の中に入れば、さらに赤い炎が勢いよく立ち上がる。まるで腹を空かせた炎の精霊獣が、餌を投げ与えられて喜んで食らいついているかのように。

 レンガの囲いの中では、ちろちろと赤い火獣の舌が、古い家具を覆い嘗め尽くす。タペストリーも炎の舌で一瞬で黒くなり、脆く揺れながら散っていく。

 ぱちんと何かがはじける音、がしゃりと何かが潰れる音、めしめしと何かが崩れる音が、ぱちぱちという轟音に紛れてきこえてきた。

 ときおり風が吹いてそれが炎の上を駆け抜ければ、リアの方に熱風となって吹き付ける。慌てて回廊から走ってきたせいもあれば、季節は初夏でもあるから、熱風に煽られたリアの顔に汗が噴き出した。

 息を整える間も惜しんで、リアは『白い猫』の絵を探した。

 回廊ではあんなにリアの耳に響いていたのに、焼却場の炎の前では猫の声がまったくきこえない。

 最初のゴミの山には、絵画自体がなかった。古いカーテンやリネンの類いばかり。

 二つ目のゴミの山は、木材が多かった。解体した本棚に、剪定した花木の枝である。

 三つ目のゴミの山になると、書類の束が目についた。リアが梱包しなかった廃棄本も積まれている。旧図書室のゴミの大部分がここにあった。あるとすれば、ここだ。

 ざっと三つ目の不要品の山を確かめるが、リアは『白い猫』を見つけることができない。

(やはりあの鳴き声は、空耳?)

(額装された絵だもの、やっぱり焼却処分品じゃないのかも……) 

 幽霊の声も、猫の絵の廃棄の可能性も否定したときだった。

 リアの後ろ側で作業する火の番人が、見覚えのある額縁を掴んでいた。装飾文字を施された少し風変わりな額、それはあの『白い猫』の額縁だ。

「待って! その絵は焼かないで!」

 近づき確かめる間もなく、リアの目の前でそれは炎の中に投げ込まれた。

「え? もう遅いよ」

 火の番人の困る声。

 リアが声をかけたときには、絵は大きな放物線を描き、燃えるゴミの山の上に着地したのだった。


「猫ちゃん! 猫ちゃん!」

 すぐに火獣の炎が額縁を包む。額縁は落下した位置で一度跳ね返り、転げ落ちた。くるくると燃えるゴミの山を下ったら、本棚の破片に額縁が引っ掛かり止まった。

「いやぁ~、誰か取って!」

 無意識のうちに、リアは猫の絵の救出を叫んでいた。

 だが誰も答えてくれない。『白い猫』を放り込んだ火の番人はいつの間にか姿を消していた。リアの必死の形相に、やってはいけない仕事をしてしまったと逃げたのだった。

 大声でリアが懇願しても、燃え盛る炎の轟音で他の火の番人にまできこえない。

 そうこうするうちに、炎は額縁を黒く焦がしていた。

(このままじゃ、絵が燃えちゃう!)

 助けを待つ時間が惜しい。

 二つ目のゴミの山に向かい、リアは長い棒状の木片を見つけ引きずり出した。それを持って、猫の絵がみえる場所に戻り、炎の中に突っ込んだ。火掻き棒代わりにして、猫の絵をこちらまで掻き寄せようとしたのだった。

 ぐさりと棒はゴミの山に刺さり、その勢いで小さく灰が舞うのがみえた。火炎の中の猫の絵まで、長さは充分だった。

(取れる!)

 しかしリアの確信とは裏腹に、他のゴミの隙間を縫って額縁を引きずり取ろうとしても、なかなかうまくいかない。

 リアは体のわりには力持ちだが、両手にあまる太さの木片を自由自在に使うのは難しい。手は汗で滑る。炎からの熱風に煽られて頬は熱い。煙だって、風次第では目に染みて痛い。

(猫ちゃんが燃えちゃう!)

 その一心で、全身汗まみれ煤まみれになりながら、リアは棒を動かした。


 揺れる炎に視界が遮られながらも、即席の火掻き棒はうまく額縁の角に引っかかった。絵が炎から拾い上げられた。

 だが炎の中の木片棒は、金属のものでないからやはり脆い。うまく額縁の角に入り込み吊り上げる形になったが、焦げた木の火掻き棒は額縁の重みで崩れ折れた。

 リアの目の前で『白い猫』の額縁が、再び炎の中に落ちたのだった。

(猫ちゃん!)

 額縁は、がこんがこんと燃えるゴミの上を二回、転がった。その弾みで額縁裏の固定爪が外れ、キャンパスが外れた。

 重い額縁は二回転がってそこで止まる。

 だがキャンパスは軽かった。額縁の鎧を脱いだ『白い猫』はさらに転がり続け、燃える瓦礫の山を下っていく。それは真っ直ぐ、リアの方に向かってきた。

(そのまま転がれば、拾い上げられる!)

 折れた棒を横に放り投げ、リアはレンガの囲いに右足をのせた。そのまま、身を乗り出し大きく手を伸ばす。

 一瞬、炎がリアの手を炙ったが、そんなこと、今は構ってられない。転がり落ちるキャンパスを、リアは待ち構えた。

(え? 猫?)

 レンガの囲いから身を乗り出して掴み取ろうとしたのは『白い猫』の絵のはず。だが、リアの瞳に写ったのはキャンパスではなく、白い猫そのもの。


 白い猫が炎の中から駆けてくる。

 リアに向かって駆けてくる。

 赤い炎を背景に、白い猫が駆けてくる。


 その様は、炎から逃げる猫でなく、炎の聖霊獣を従えてこちらに向かっているようにリアにはみえた。赤い炎と白い毛の対比が、この上もなく鮮明であった。

 絵画の封印が解けて、『白い猫』が解放された瞬間であった。


 ━━にゃん、にゃーん!


 駆ける白い猫を認めると同時に、猫の鳴き声が復活した。リアの耳に、はっきり響く。


 ━━リア、リアーーー!


(え?)

 猫の鳴き声が青年の声に変わり、それはリアの名を呼ぶ。

 状況を考える余裕などなく、リアは手に当たったものを無条件に掴んだ。

 伸ばした手に得られたのは人の手の感触。大きくて固い手のひら、長い指、がっしりとした骨格。それは、猫の手ではない。体毛の感触などない。

 炎の中の手は、力強くリアの手を握る。しっかり掴まれて、それに応えるようにリアは無我夢中で引っ張った。畑に植わったかぶらを抜く要領で、レンガの囲いの上の片足を踏ん張る。全身の力を込めて『白い猫』を炎の中から引きずり出したのだった。


 全身全霊の力で引っ張ったので、勢いあまってリアは背中から後ろへ倒れ込む。『白い猫』の青年も一緒になって、倒れ込んだ。

 猫を掴んだ左手はそのまま、人の手のひらの感触がある。その手のひらから続く筋肉質な腕が、リアの胸元に乗っていた。すぐ横には、息を切らした人の気配。さっきまで炎の中にいたのだ、その人物はすぐには動けないようだった。

 リアが真っ正面を仰げば、青い初夏の空が広がっている。視界の端には、焼却炉からの黒い煙がみえた。リアの方も、息が落ち着くまで、空を臨み仰向けのまま動けなかった。


 呼吸が落ち着いてくれば、リアは現状を考える余裕が出てきた。

(私、猫ちゃんを助けにきたのだったのよね?)

 猫の鳴き声をきき、無我夢中で『白い猫』の絵を探した。見つけたときにはそれは焼却炉の炎の中で、慌てて解体した本棚の棒で引き摺り寄せようとした。

 うまい具合に額縁が外れ、キャンパスだけが転がり落ちてきた。まっすぐに勢いよく向かってきたから、確実に受け止めるために、火傷を覚悟の上で、リアは手を伸ばしたのだった。

(猫ちゃん?)

 キャンパスを待ち構える間、炎の中に猫の姿をみた。その猫は、白い猫。あのキャンパスに描かれていた『白い猫』。

(でも、この手の感触は、キャンパス地じゃない)

 左手は依然、しっかりと掴まれたままだ。リアの手のひらをすっぽりと包むこの大きな手のひらは、男性のものである。

(毛じゃなくて普通の皮膚の感覚、人間の手……)

 軽くパニックに陥る。リアは猫の絵を助けるつもりであった。でも、握っているのは男性の手。キャンパスでも、猫でもない。

(どういうこと?)

「リア、ありがとう。助かった。危うく焼き殺されるところだった」

 右耳すぐ横で、掠れた青年の声がした。

 恐る恐るリアは頭を右に向けた。そこには、リアよりももっと煤にまみれた金髪の全裸の青年が横たわっていた。

(!)

 リアは鳴き声をきいて、『白い猫』を探しにきた。

 だが、リアが助けたのは、大昔に『白い猫』の絵画に封印された金髪の青年であった。


Act-2は、ここでおしまい、

Act-3は、12/25 4:00~です ヾ(・∇・)ノ

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