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Act-2*炎の猫(3)

 赤い箱のような中断が入りながらも、リアはカウフマンとふたりで作業を続けていった。


 ━━にゃん……


「?」

 朝から始まり、昼前に差し掛かったときであった。

 猫の鳴き声がきこえて、リアは振り返った。でも、視線の先には布にくるまれた資料室の搬入品ばかり。

(気のせい、か)

 再び作業に戻る。

 しばらくして、窓外にうっすらと煙が流れているのがみえた。ものが焦げる匂いもかすかに漂ってくる。

(えっ!)

(火事?)

「火が入ったようですね」

 処分品が集まって、焼却作業が開始となったのである。リアと違い、カウフマンは落ち着き払って、煙の正体をいい当てた。

「今日は風向きもお城の方に流れていないし、絶好の処分日ですね」

 確かに、ごみの煙がお城に流れるのはいただけない。そうなると煙はそれ以外の方向に流れることになるのだが、この図書室はその程度で直撃ではなかった。

(もしかしたら、運がいいのかも?)

 煙によってカウフマンの方も集中力が切れたようだ、昼休み休憩を兼ねたゴミだしを提案してきた。

「一度、運び出しましょうか。焼却場はわかりますか?」

「いえ、わかりません」

 夏の庭仕事補佐で出入りしはじめてから約二年、なんと、リアは一度も焼却場へいったことがなかった。決められたゴミ置き場に出して置けば、男性使用人が回収してくれていたからだ。

「じゃあ、一緒にいきましょう。時間も時間だし、そのまま昼ご飯にしてください」

 持てるだけの不要品を持って、一旦、ふたりは資料室を出た。



 焼却場は、お城からも、庭園からも、使用人棟からも離れた場所にある。

 旧図書室の裏に広がる森の奥に拓けた空間がある。そこには、レンガ積みの簡単な囲いがあり、その中で焼却処分をするという。

 燃やすと灰ができるから、焼却処分を続けるうちにいずれは焼却炉が浅くなる。だから、定期的に囲いのレンガを崩して、焼却炉を解体し焼却場所を移動させる。

 周りをよくみれば、焼却炉跡の中途半端な灰色の盛り上がりがあちこちにあった。

 リアとカウフマンが到着したときには、最初の廃棄物の焼却処分の真っ最中であった。

 レンガの囲いの中で炎が勢いよく燃え上がり、天に向かって揺らめいている。地面から生えている煙突のようだった。

 そばの空気も熱せられて、視界には水蒸気の独特のベールがかかっている。そして、なんといっても、熱い。離れていても、だ。

 火が落ち着くまで、しばらくの間は次のものは入れない。火の番人らは談笑しながら炎の様子を見守っていた。

「お疲れ様です。こちらもお願いします」

「ああ、こっちに積んでおいてくれ」

 指示された方をみれば、壊れた洗濯籠や解体された家具などがある。独特の焦げ茶色の木材の破片に、リアは見覚えがあった。

(これ本棚だ)

 旧図書室の古い本棚の残骸を見つけ、少しリアは複雑な気分になる。でも、だからといって、どうする術もない。

「二回目は、何時ぐらいになりそうですか?」

「そうだね、あと二時間後、かな」

 火の番人に焼却スケジュールを訊いて、カウフマンはリアにいった。

「特に問題ないですね。リアさん、いつも通りの昼休み休憩に入ってください」



 リアはお昼ご飯を、一般使用人と同じで使用人棟の大食堂でいただく。この大食堂は、使用人同士の貴重な交流の場となっていた。

「リア、今日は通常の時間通りのお昼ご飯ね」

 そう声をかけてきたのは、かつて一緒にガラス窓拭きをした友人のエマである。

「新しい図書室はどう? 今度は幽霊なんて出ないのでしょう?」

 実は、古い図書室には幽霊が住んでいるという噂があった。リアは、図書室の掃除に配属されて一ヶ月後にその噂を知った。

 何でもその幽霊は、図書室をうろうろしていて、ときに閲覧者に話しかけるという。


 ━━この先の……に、私はいる。

 ━━早くしないと、……が捕まってしまう。

 ━━私は彼女を助けにいかなければならないんだ! お願いだ、早く、ここから、出してくれ!


 幽霊は囚われの身のようで、とにかく、『出してくれ』『出してくれ』と、訴える。

 その声は若い青年男性の声で、声がきこえた人は思わず閲覧をやめて振り返る。けれど、そこには誰もいない。

 またその声は、雨の日や曇りの日によくきこえてくるという。晴れた日の明るい陽射しの入る昼にはきこえないそうだ。

 最初にリアがその噂をきいたときは、お化けだから暗いところでないと出てこれないのねと、単純に結論付けていた。

 怖くないの?と、何人かに訊かれたが、まずリアは、その声をきいたことがない。旧図書室は古くて窓の少ない建物だから、天候に関係なく昼間でも部屋が暗い。背後には森が迫ってもいるから、風で揺れる木々のざわめきなどがそんな風にきこえたのだろう。

 下町は、訳のわからない喧嘩の怒鳴り声、犬や鳥の鳴き声などで溢れている。そんな中で暮らしていたリアは、聞き間違いがかなりの頻度で起こることを知っている。気の持ちよう次第では、無関係な物音も人の話し声にきこえてしまうのだ。

 図書室の掃除は、床磨きとガラス窓拭き、本の整理という比較的、楽な仕事である。休みだってきちんと設定されていて、破られることはない。強いて欠点を挙げるとすれば、昼休みがカウフマンの業務次第で前後に移動されてしまうことぐらいである。

 こんな好条件にもかかわらず、この幽霊騒動のおかげで長く勤める掃除娘はいなかった。皆、必要以上に噂を気にし、神経質になって、些細な物音を幽霊と決めつける。そして、真っ青な顔をしてやめていくのであった。

 旧図書室は、そんな曰く付きの掃除場所であったのである。

 そして、その幽霊図書室の掃除を一年以上続けることができたのは、実はリアがはじめてであった。


 ━━にゃん!


(?)

 猫の鳴き声がして、リアは振り返る。ここは食堂、動物が入ることはあり得ない。衛生上の理由で人以外は入室禁止である。

 あり得ない猫の声にリアは空耳と思い、エマとの会話に戻った。

「新しいところは、窓が多いから明るいわ。だから、お化けなんか絶対、出ないと思う。それはそれで素敵なんだけど、本当のところは窓拭きする窓が増えちゃって、仕事が増えちゃった」

「なかなか、うまくいかないわね」

 クスクスとエマが笑う。その様子は、冬が終わって春に一斉に咲き始める花のようである。愛嬌があって、とても可愛い。

 エマは使用人の中でも上品な顔をしているので、王女様の使うサロンの掃除担当に抜擢された。今は、お城の中へ出入りしている。

「そうね。ところで、クルトさんとは、うまくいってるの?」

 エマは本当に可愛いから、お城に出入りするようになってすぐに声をかけられた。中級書記官見習いのクルトから。

 何でも配属間もない頃、エマはお城の中で迷ってしまった。そのときに、偶然、目的の部屋まで案内をしてくれたのがクルトだったそうだ。

 その日の業務が終わったら、また偶然、エマはクルトと鉢合わせることとなり……。とても、よくできた偶然である。そうリアは思う。

 そのクルトだが、彼は書記官見習いという仕事柄、図書室にときどきやってくる。リアからみてクルトの印象は悪くない。どちらかというと可愛いエマとはお似合いだと思っている。


 ━━にゃん、にゃん!


(?)

 また、猫の声。再び、リアは背後を確かめた。やはり、猫はいない。目に写るは、普段の何の変哲のない食堂の慌ただしい風景。

「どうしたの?」

「う、うん。猫の鳴き声がきこえてきて……ここにいるわけないのにね」

「疲れてるんじゃない? ずっと引っ越しで、忙しかったでしょ?」

 リアは、休みをきちんといただけている。ただ、引っ越し作業が大詰めになった頃は、休日返上になっていた。

「そうね。なんだかんだいっても、まだ片付けをしているし」

「今日は早く上がらせてもらえば? あ、これあげる!」

 と、エマはポケットからペーパーナプキンの包みを取り出した。そっと開いて、中をみせてくれる。それは、ビスケットである。どうやら、お城でのおこぼれらしい。リアのあの赤い六角形の箱のようなものである。

「いいの? クルトさんと食べるんじゃないの?」

 仕事の終わりにふたりは西の回廊で待ち合わせしているのを、リアは知っている。

「今日は下町へ書類を届けにいくから、会えないの。それより、これ食べて疲れを取ってね」

 にっこりとエマは微笑んで、リアのポケットにビスケットを入れたのだった。



 昼休みはリアの方が先に終わり、図書室へ戻ることにした。

(あ、そうだ。今のうちに、ビスケットと一緒に、あれも部屋に置いてこよう)

 “あれ”とは、例の赤い六角形の箱である。それは小さいから邪魔にならず、お仕着せのポケットに入れたままでリアは片付けをしていた。

 図書室は原則、飲食禁止である。エマからもらったビスケットを、もちろんリアはそこで食べるつもりはないのだが、見つかると面倒なことになる。図書室までの帰り道を少し変えるだけで、寄り道してもそんなに時間はかからない。

 リアは足を使用人棟へ向けた。

 焼却場ではまだまだ廃棄物が燃やされているようだ。使用人棟の自室を目指す途中の東の回廊で、漂ってくる焦げる匂いが強くなった。

(今日中に、全部燃やせるのかしら?)

 嵩高く積まれた処分品を思い出しているときだった。


 ━━にゃん、にゃん!


(?)

 また、猫の鳴き声がした。立ち止まり、リアは左右を確かめる。

 ここは食堂ではない、屋外の回廊である。そばに低木の植え込みもあれば、少し離れて木立もある。お城ではないが附属の建物が近くにあるので、今度はじゅうぶん猫がいてもおかしくない場所である。

 でも、リアは鳴き声の主の姿を見つけることはできない。

(やっぱり、エマのいう通り、疲れているのかしら?)

 気を取り直して、一歩、リアは踏み出した。


 ━━にゃん、にゃん、にゃん!


(?)

 しばらくして、またきこえてきた。

 やはり、それは猫の鳴き声。今度は切羽詰まった感がある。

 再度立ち止まり、リアはぐるりと自分の周りを見渡した。

(いないわよ!)

 依然、猫の姿はみえない。こうも空耳で繰り返し猫の鳴き声をきけば、少し腹立たしくなってくる。同時に、エマのセリフを思い出す。


 ━━新しい図書室はどう? 今度は幽霊なんて出ないのでしょう?


 旧図書室で噂されていた幽霊のことを思い出した。リアは幽霊のことを信じていない。掃除をしている間、一度も声をきくことがなかったから。

(だって、男性の声じゃないし)

 図書室の幽霊の声は青年のものである。猫の鳴き声ではない。

(だって、猫なら庭園に紛れ込んでいてもおかしくないし)

 現在位置から考えて、一番無難な答えをリアは出した。


 ━━にゃん、にゃん、にゃん、にゃん!


 きこえてくるのは、さらに悲痛な声色になった猫の鳴き声。連呼して、リアに訴える。さっきよりも大きな鳴き声で。

(猫……猫って……)

 幽霊のことを完全に噂だとバカにしていたが、もうここまで鮮明になれば、空耳として誤魔化すことはできなくなっていた。

(猫って……私、猫なんか、飼っていない)

(……飼っていないけど……)

(どうしてこんなに泣き叫ぶ声がきこえるの?)

 猫について、リアは必死になって思い出す。

(待って!)

(猫、いた!)

 リアが知っている猫はあの猫しかいない。それは、引っ越し前までリアが幾度となく挨拶をしていた絵画の猫であった。



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